障害がある子どもに関わる仕事をしていた。
本人はもちろんのこと、その保護者と話をする機会が多かった。
特に、近年その中心的な役割を担うようになってから、保護者からの強烈な訴えは私へと向かってきていた。
「あなたは~私たちの立場や気持ちをわかっているのか」「わかっているのなら、この今の厳しい環境をなぜよりよい方向へ変えてくれないのか」
重度の障害がある子どもを抱えている親にしてみれば、日々子どもの命と向き合い~必死だった。必死であるが故、消耗していることも多かった。
実際、年間何人かの子どもは命を落としていく。
わかっている…つもりだった。わかっているからこそ、それを少しでも変えることができるポジションで力を尽くしていこう~そう考えていた。
そのポジションについて戦いを始めたが、特に財政面の壁は厚い。
親はそこを責め立ててきた。
『様々な人の立場や気持ちに思いを馳せる』~私が人権教育を学ぶ過程で教えてもらった言葉だ。
様々なトラブル、対立、差別等は、もっと強く相手に思いを馳せることで防げるのではないか~という提案だった。
最近、人の言葉に敏感になっている。
特定の人たちの立場や気持ちをよ~く考えてくれてないよなぁ…と感じてしまうことが多い。
例えば、「宮迫さん~早期発見でよかったですね!」「これが遅れてたら手遅れになるところです!」「不幸中の幸いでした!」「手術できたからには元気で復活できるでしょう~待っていますよ!」~というコメント。
~その通りなんだろう。コメンテーターも、悪気があってこう言っているのではない。むしろ、善意で言っているのだ。
私も、以前なら全く何も思わなかったであろう。それどころか、確実に同じ感想を抱いていた。
しかし、今は違う。
特にマスメディアに登場する人の言葉であれば、いろんな人がテレビを見て聞いている。
同じ病気を早期発見できなかった人や手術できなかった人。本人はもちろんのこと、家族や近親者の人たちも…。早期発見や手術できなくとも、何とか希望を見出して頑張ろうとしている人もたくさんいるだろう。
そういうことに、これまでの自分は気づけなかった。
保護者からの訴えを本当にわかっていたのか。その心からの訴えに思いを馳せていたのか。
例えば、ブログもそうである。
公開しているということは、様々な人たちが読んでいる可能性がある。
いろんな人が目を通しているよ~ということを前提に文章を綴っていただろうか~急に心配になったりしている。
『様々な人の立場や気持ちに思いを馳せる』~簡単なようで難しく、できているようなつもりになってて実はできてない。
改めて、自分を問い~反省した。
残りの人生~出来うる限り、いつ何時も、様々な立場の人の気持ちに思いを馳せておかなければ…。
今回のことで、またひとつ大きなことを学んだ気がする。