(何度も言うが)ガンガーの水は、けっしてきれいとは言えない。


しかし、様々な年齢の人々がその川の水に体をひたし、浄め~一心に祈りを捧げている。


これらの行為を目の当たりにして…、信じることの奥深さや尊さみたいなものを感じた。


翻って~こうして、他のツーリストと共にボートの上からその聖なる行為を眺めている我々の行為こそがとても卑しく、下劣なものに思えてくる。


20人は乗っているだろうか。結構な重量になっているであろうそのボートを、櫓を使って必死にコントロールしているのは、まだ年端もいかない少年であった。


巡礼者たち及びツーリストたちのための宿泊施設がぎっしりと立ち並ぶ岸沿いを離れ、ボートは河の中ほどへ漕ぎ出し、上流へと向かう。


そこで、私は川の中に衝撃的なものを見つけた。


それは、肉屋でよく見かける腸詰のソーセージのようなもの…。


もちろん、こんな川の中にそんなものが流れているはずはなく、明らかに“ヒトの内臓”だったのだ。


「5歳以下の子どもは、火にかけずにそのまま石をつけて、川に流すんだ」~そうドゥンガさんは教えてくれた。


その火葬場が目に入る。


数人の大人が“作業”を行っていた。


「ここに来て死んだ人に対しては、まず体を洗ってバターを塗るんじゃ…その後香水をかけて、ガンガーの水に5回浸す…その後2時間この火にかけてから、灰を河へ流すんじゃ」~とドゥンガさん。


これまで体験したことがないようなつかの間の『水上観光』を終え、私たちは火葬場の近くでボートを降りた。


ボートに乗っていたツーリストは、誰一人笑っている者はなく、私も含めそれぞれが今見てきたものと向き合い、厳粛に受け止めようとしているようであった。



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インド 5日目。


HOTEL Vanarasi Asokにて、なんと~午前4:30起床。


てっきり、今日もルピタさんだと思っていたのだが、Durugaと名乗るこれまた初老のガイドさんが迎えに来てくれていた。


彼の車でホテルを出発。



それにしても…、ヴァーラーナスィーの朝が早いことに驚く。


車の窓から、まだ真っ暗な外を目を凝らして眺めてみる。


相変わらず~聖なる牛は道路のあちらこちらで寝そべっているが、その傍をたくさんの人々が行き交っていた。



GANGAが近づいたのだろうか…、車を降りて歩く。


何か~空気が違う…私は、異次元スポットに入り込んだ錯覚に陥った。


その道端で寝転んでいるのは、牛だけではなく、たくさんの人間だ…。



ガンガーの聖なる水で沐浴すればすべての罪は浄められ、ここで死に遺灰がGANGAに流されれば輪廻からの解脱を得る…。


~これが、ヒンドゥー教徒にとっての『最高の幸福』であると信じられている。


そのため、ここヴァーラーナスィーには、インド中からなんと年間100万人もの人々が巡礼に訪れているのだ。



急に視界が広がる。


やっと赤みがかってきた空の下、その雄大な河は横たわっていた。


その大きさに圧倒される。


そして、そこには“Holly River”の威厳を持って、茶色の水が滔々と流れていた。



ドュルガさんに促され~、岸辺から粗末なボートへと乗り込む。


そのボートはガンガーへと漕ぎ出され、河側からGHAT(ガート)を望んだ。


ガートとは、岸辺から階段になって河水に没している堤のことで、ヒンドゥー教徒の人々が沐浴の場として使っている場所のことである。



私は、ガートでの数えきれないほどの人々の様子に、息を呑んだ。


しばし、言葉を失い、~体中の血が逆流するような思いだったのである。



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昨年~、全く普通の日々を過ごしていたんだけど、突然足元が割れ…、暗い穴の中に落ち込んでしまった。


これは、何かの間違いで、きっと夢の世界の出来事なんだ~と思ってみるが、目が覚めるたびに現実であることを突きつけられる。


それ以来、何とか元の世界に戻ることはできないのかと~、光を求めてもがいている日々。


その細いロープを~たどってたどって、必死で光が射す方向をめざしているんだけど、


…遠い。


来週、そのわずかな光の隙間も閉ざされてしまうのか。


そうなった時、暗闇の中で残された時間をどう生きていくのかを考えなければいけない。


ただただ、下を向いて無為な時間を過ごすのか?


忘れてはいけないのは、自分だけの問題ではなく、その姿を周囲が見ているということ。


せめて、子どもたちから見て、誇りに思えるような選択をしなければ…。


後々~『父の存在』を堂々と語ってもらえるような生き方をしなければ…。


そう思って、くじけてしまいそうな自分を何とかはげましてます!

ヴァーラーナスィー郊外のいくつかの寺院や遺跡を回った後、とにかく~我らは活動拠点となる“HOTEL Varanasi Ashok”へと向かった。



それにしても、ここでも~牛が目立つ。


誰が決めたか知らないが…、シヴァ神の乗り物が“牛”であったことが、インドの悲劇に繋がっているように思えた。


とにかく、インドの人間界で~牛は何の役にも立っていない。


これでもか~というほど人間に大切にされながら、自由気ままに自分の一生をまっとうしているだけである。



カジューラーホーのようないくらでも広い土地があるような場所ならまだしも…、このヴァーラーナスィーのような町の中となると悲惨である。


夕方、家路を急ぐ徒歩の人々、サイクルリクシャー、オートリクシャー、バイク、自転車及び車などがひしめき合っている道で…、悠長にその行く手を阻んでいるのが、『牛様』なのだ。


(何度も言うが)特に、ヴァーラーナスィーには、牛があふれている。


~堂々と、あふれている。


好きな時に寝そべって、好きな時に歩き回り、好きな時に食し、好きな場所で糞をして、おしっこを垂れ流している。


噂には聞いていたが、本当にすごいもんだ。


まさに、我が物顔で、人間と同じように(いや、それ以上の)生活をしているのである。



この環境では、街を清潔にしていこうとうする意識は芽生えないであろう。


かくして…、インドではどこの街に行っても、あらゆる動物の糞と尿、そしてごみが積み上げられていることが多かった。


もちろん、私が訪れたすべてのレストランおよび食堂には、見事に『牛肉料理』は存在しなかったのである。



あぁ~、牛様天国!



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明けて~、インド4日目。


とても4日目とは思えないほどの~『濃い』日が続く。


再び、Khajuraho Airportへ戻り、BOWING737へ乗り込んだ。


めざすは~今回の旅最大のハイライト(だと出発前は考えていた)~“Varanasi”(英語名ベナレス)。



実は、私の中で、インドとは~ニューデリーでもなく、タージマハールでもなく、ましてやカジューラーホーでもなく~『ガンジス河』だった。


今回の旅も~何を隠そう、そのガンジス河の上流からその河口までをルートとして設定したほどである。



インドでは、ガンジス河のことを“GANGA mata ji”と呼ぶ。


この河自体が神格化されていて、『母なるガンガー様』として崇められているのだ。


ヒンドゥー教徒は、そのガンガーをめざし集まってくる。


その最大の聖地こそが、ここヴァーラーナスィー。


なにゆえ、彼らはガンガーを求めるのか。


なにゆえ、ガンガーは人々を惹きつけるのか。


ただ濁った川にしか見えない場所に、どんな秘密が隠されているというのか。



14:30~ヴァーラーナーラスィー郊外のBabatpur Airport着。


インドのに来て初めての強い陽射しを感じる。


空港ゲートをくぐると、ここでもたくさんのタクシードライバーと荷物の運び屋が待ち構えていた。


どこだ?~私は、そのたくさんの顔の中から意中の人を探し当てようと必死で見回した。


グプタさんの話では、ここでも、トップトラベルのガイドさんが待ってくれているはずだったのだ。


“Mr.16”~ふいに話かけられ…一安心。


Rupitaと名乗る初老のガイドと一緒に車に乗り込み、いよいよヴァーラーナスィーの町をめざす。


しばらくは平和そうな田園風景が続いたが、やがて景色は一変し、アーグラー以上の強烈な喧騒が我らを迎えてくれた。



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イヴの夜~息子と駅前までクリスマスケーキを買いに行った。


街の状況やテレビなどから目に入ってくるクリスマス一色の世界~今年は全く違って見える。


今の自分にとって、眩しすぎだ…。



そんな中、ひとつの新聞記事に目が留まる。


荒美有紀さんという24歳の大学生のこと。


彼女はフルートが得意で東方神起が大好きな~全く普通の女子大生だった。


…が、突然『神経線維腫瘍2型』という体中の神経に腫瘍ができる難病を発症。


一昨年の秋に聴力を、昨年の春には視力を失った。


一気に、目が見えず耳が聞こえない世界を生きることになったのである。



その彼女~今年のイヴの夜、同じ盲ろう者が集まるクリスマスパーティーの会場にいた。


退院して半年~、すでに指点字を習得し点字変換ができる情報端末も使いこなしている。


抗がん剤を打ちながら、今春、大学にも復学。


24歳の彼女は、すでに人生を前へと歩き始めているのである。



すごい!


自分の年齢の半分にも満たない女性が、これほどの困難な状況にありながらも、次を見て進み始めているのだ。


そして、彼女は「~なのに、すごい」と言われることにも違和感を感じている。


さらに、彼女は自分の周りに心温かく優しい人があふれていることに感謝し、「目と耳が使えていた頃より幸せなのではないか」とも思っている。


(彼女は不本意かもしれないが)~すごすぎる!



そして、問われた。


自分の毎日はどうなんだろう…。


鬱々としている時間があまりに多いのではないのか?


例えば、同じような状況になった人へ、元気や勇気を与えられるような考え方や生き方ができているのか?


後ろばかり見ていないで、前へ進めているのか?

今日はクリスマス・イブクリスマスツリー


我が家には、2人の子どもがいる。


下の息子は小5で上の娘はもう高3なのだが…、未だに2人ともにサンタクロースは来てくれるのだ。


そのサンタさん~毎年プレゼントといっしょに、熱いメッセージを手紙にして届けてくれる。


その手紙には、なぜ、ここまで知ってるの?~というほどその1年のがんばりやこれからに向けての励ましの言葉が記されている。


明日のプレゼントの用意とそのお手紙作りで~サンタさんは、今、結構大変だということ。


時間的にも大変ということだが、今年に限って言えば、『今回が最後かも』という思いが拭えないことが一番キツイらしい…。


そうやなぁ~。


2人には、様々なつらい思いをさせてしまうけれど…、サンタさんが来なくなることも試練のひとつかもしれない。


「サンタさんはね~永遠に君たちのことを空から応援し続けているからね!」~との言葉が今年のメッセージに中に添えられるようだ。


サンタさん~涙が止まらへんなぁ。


でもね。その試練をも乗り越えていくことで、君たちは強くなり、…やがては君たちがサンタさんになっていくんだからね!

何とも言えないミトゥナ像鑑賞の“めくるめく”余韻にひたりながらホテルへの道を歩いていた時、その余韻を打ち破られた。


思いがけず、サイクルリクシャーと物売り攻撃に遭遇してしまったのである。


ここでは、ないだろうと思い込んでいただけに~ショック!



やはり…、彼らは大変しつこかった。



彼らも~元々は地道に農作業をしたり商売をしていたのだろう。


しかし、この村にたまたまあった“ミトゥナ像”が、彼らの生活を一変させようとしている。


エロティックなその像を一目見ようと~世界中からこの田舎の村にツーリストが押し寄せて来るようになったからである。


村の静かな雰囲気は、徐々に壊れていく。


ツーリストたちは、地道な農作業を上回るお金を安易に村に落としていく。


村人たちにとって、そのお金が生活の糧となっていき、そのお金なしでは生活が成り立たなくなっていく。



~であれば、ツーリストのお金を“あて”にし、何とか少しでも求めていくというのは、ある意味当然のことかもしれない。


現地の人たちのツーリストに対する“たかり”こそがインド旅行最大の難しさだと感じていたが…、その何よりの『元凶』は我々ツーリスト自身であったのだ。



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もちろん、立派な“医長”がそんな仕返しをするはずがなく…、手術は成功し、無事終了。


Y医長には、心からの感謝を伝えて病院をあとにした。



あれから15年~先日、その病院を再び訪れる。


もしかして…、と病院入口わきの壁に掲示してあった担当医一覧を探してみたが、Yくんの名前は~なかった。



訪問の目的は、(あの時とは全く違う)ホスピス病棟の見学。


かねてから、「最後は、この病院のホスピスがええかなぁ」~と漠然と考えていた。


まだまだ先の話や~とたかをくくっていたが、こんな早くに現実問題となろうとは…。



その病院の3階~全フロアがホスピス病棟となっていた。


エレベーターを下りたとたん~明らかに雰囲気が違うことを感じる。


一般の入院病棟にありがちなバタバタ感は全くなく、静かに…ゆったりと時間が流れているようであった。



対応してくれた担当の人は、とても丁寧で、『病室』『浴室』『ファミリーキッチン』『家族室』『ベランダ』等を案内してくれた。


特に、さすがホスピスだな~と思ったのは、『アロマルーム』『祈りの部屋』『デイルーム』もあること。


『アロマルーム』では、アロマの香りを楽しみながら…、マッサージをしてもらえる。


『祈りの部屋』は、キリスト教系の病院らしく、聖書を読んだり静かに神へ祈りを捧げることができる。


『デイルーム』では、ボランティアの人たちによるコーヒーやお茶のサービスがあったり、夜にはアルコールも飲めるということ。


デイルームの人たちの他に、様々なボランティアの人たちが関わってくれているらしく、コンサート等のイベントも随時開かれているらしい。


『病室』は全て個室で、個別のバストイレが付いている部屋のみ有料のようだ。



ホスピスゆえに積極的な治療は行わないが、痛みや不快な症状に対しては、専門医との連携のもと積極的に対処してくれる。



最後を迎えるのは“自宅”か、それとも“ホスピス”か~迷っている面もあったが、やはり痛みに対する安心感や家族への負担ということでは、断然ホスピスだなと思った。


ただ、セツないのは、(当たり前だが)この病棟に入院している人たちは、全て間近な『死』が確定しているということ。


例え、ここで知り合いになったとしても、次々とお別れが待っている。


それを考えると~、ちょっと辛いかなぁ。



さらに、病気と闘わないというコンセプトのホスピスは、まだ今の自分には~too early!


I have to fight against my DISEASE…



~今回は、そんな思いで病院をあとにした。

“宣告”を受けてから、2か月が経った。~まだ、何とか生きています。



すぐ近くに…、結構評判のいいホスピス病棟を持つ病院がある。


いつの頃やったかなぁ…、この病院には15年程前にお世話になったことがあった。


両足の付け根(ちょっとはずかしい場所)に、いつの頃からか自分でも触ってわかるような“しこり”ができて、ちょっとずつ大きくなっていた。


近くの医院で相談したところ、「大きな病院で取ってもらった方がいいよ」ということで、紹介してもらったのが、冒頭の病院。


皮膚科のY医長という人が担当で、まずは診察してくれたんだけど、その先生がまじまじとこちらを見て…、


「16くんやんなぁ」と声をかけてきた。


思わぬ言葉にとまどっていると…、「中学校の同級生やったY~覚えてる?」と。


「ひょえ~!覚えてるがな(と言ってもその変貌ぶりに気が付かんかったけど)」「Yくん~こんな大きい病院の医長とかしとんの?たいしたもんやなぁ」~と驚きの再会を果たした。


で、思いがけず、そのYくんに“しこり”を取ってもらう手術をしてもらうこととなった。


その部分に麻酔を注射しながら、「これで、まだ痛みを感じる?」~とYくんは聞いてくる。


そして、いよいよ彼はメスを持ち、手術が始まった。



その瞬間、私は思い出したのである。



何を隠そう~、中学の時、私は結構“ええ気”になっていた(らしい)。


勉強はできる方だったし、バスケ部のエース(でもなかったけど)やったし、生徒会の役員なんかにも選ばれ、かなり目立っていた。


目立つゆえ、実態を乗り越えて偶像化していった面があり、その偶像を求めてくる女子もいた。


私が、部活からの帰りに買い食い(もちろんあかんことであるが)をすれば、後ろをついてきていた見知らぬ女子が「私が払います」とお金を出してくれたことさえあった(今となっては、つくづく信じられへんことやなぁ…)。


自分では、全くそんな気持ちはなかったのだが、そんな環境の中で、知らず知らずええ気になっていってたのだろう。



それが、周囲の男子にとって“生意気”に思えたらしく、時折ちょっかいをかけられたり因縁めいたことをふっかけられることもあった(けっして、こちらからは何もアクションしてませんよ~)。


その一人が、Yくん。


いきなり、よくわからない理由で殴りかかってこられて、やや派手目のけんかとなった。



そのYくんに局所麻酔をかけられ、メスを握られている状況で、そのけんかのことを思い出したのである。


「やばい…Yくんもあのけんかを思い出して、今その続きを再開しようとせ~へんやろなぁ」


~手術の怖さよりも、そのけんかの仕返しの怖さで汗ばみ始めた…。