ここインドでもマレーシアでも…、それどころかどこでも海外に出て外国人と少し仲良くなればよく聞かれる質問がある。


『ところで、君は何教徒なのか?』


この質問に対する答えは~、日本人にとってはなかなか悩ましい。


「そうですねぇ~、一応は仏教徒ですよ」「でも、クリスマスのお祝いもするし、お正月は神社にも行くしなぁ」「結局、あんまり神とか仏とか信じてないですね」「無宗教と言ってもいいかも…」


~なんて伝えようなものなら、外国では、確実に“あきれられる”。



外国では、宗教とは~人にとって最も大切な“生き方”なのだ。


宗教によって、冠婚葬祭はもちろんのこと、日々の食事やお祈りや生活様式が全て規定されており、人々はそのルールの中で物事を考え、暮らしてるのである。


無宗教=根本となる生き方を持っていない奴~と見なされてしまうというとんでもないことなのだ。


そのことがわかってからは、私は(やや躊躇しながらも)つとめて堂々と、“I'm Buddhist”と言い切るようになっていった。



さて~、インド6日目の朝。


インドへ来てから至って元気であったのだが、この日は朝から腹痛に襲われた。


やばい…。


思えば、何の予防注射も打ってきてないのである。


コレラか、赤痢か、肝炎か…。


心配していたが~、持参してきたワカマツA錠を呑むと、何とか痛みは治まった。


そして、いよいよ様々な衝撃体験を与えてくれたヴァーラーナスィーを(グプタさんがチャーターしてくれていた)車で出発。



次の目的地までの道中は~長かった。


一応、舗装はしてあるものの改装工事というものをしていないので、アスファルトは穴ぼこだらけ…。


その穴ぼこにタイヤをとられ横転しているトラックを何台も見かけた。


ただ、その道路を取り巻く風景は、どこまでも単調な田園景色が続く。



そして、ようやくその目的地が近づいてきた。


その地こそが~我らが仏教徒の聖地である…“Buddha Gaya”!



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I dislike Muslim, that's why, they're dirty…


民族や宗教の話になっていた時、スリィシュは確かにこんな言葉を発したのだ。


ずっと、穏やかに話をしていた彼の口から、まさかこんな言葉が聞かれようとは思ってもみなかった…。


私は、深く突っ込むような返しもできずに、ただただ驚いているばかりだった。



『ヒンドゥーVERSUSイスラム』


彼のような普通の庶民でさえ、こんな厳しい言葉を発するほど、この問題は“ひじょ~うに”根深い…。


彼らは、共にイギリスと戦い独立を勝ち得たにも関わらず、どうしても一緒にやっていけず、イスラム系の人々はパキスタン及び今のバングラデシュを建国して袂を分かってしまったほどだ。


そして、インド国境に接するパンジャーブ地方の領有をめぐり、未だにインドとパキスタンは半戦争状態となっている。


ただ、もちろん~インド国内にはたくさんのイスラム教徒が居住していることも歴然とした事実なのだ。


確かに…、まだその戒律はゆるやかだとは言え、イスラム教国であるマレーシアに住んでいる者として、イスラムの難しさは身に沁みて感じてはいた。


ただ、(あくまでも自分の中でだが)それはヒンドゥーに対して感じている難しさも同等だということ。


それゆえに、マレーシアでさえ、マレー系とインド系はまったく融合しない。


それほど、その生活習慣や価値観が異なるのである。


その一例は、ここインド~カジュラーホー等でも感じた。


今に残されているインドの数あるすばらしい彫刻や銅像等が、例えばタージマハールを築いたムガール帝国のようなイスラム教国に支配された時には、徹底的に破壊されたのである。


イスラムの教えが、偶像崇拝を禁じている~から。


宗教的な崇拝対象となっていたものが破壊されたという恨みは~なかなか消し去りにくいのだろう。



あまりにも長居をすると迷惑になりそうなので、その旨を伝えると、家族全員で残念がってくれた。


「今度来てくれたなら、新しい部屋を新築しておくから~ぜひ一ヶ月ほど泊まっていってくれ」とスリィシュ。


今日の温かいおもてなしとその有難い申し出に感謝の言葉を述べ、私たちは別れを惜しんだ。



宗教の違いの難しさについてのことと、それでもこの現代の世では何とか折り合いをつけて共存できないものかという命題~ホテルに帰る雑踏の中で、深く考えされられたのである…。



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主に、スリィシュと~いろんな話をした。



「ぼくは、19歳の時に当時16歳だったこの奥さんを嫁にもらったんだ」


「今、ぼくはは27歳で、二人の子どもに恵まれた」


「これ以上まだ子どもを作るかって?~インドでは人口増加を抑えるため、子どもは二人までと推奨されているんだよ」


「見ての通り、我が家はあまり金持ちではないけれど~何とかホテルマンの仕事をして家族を養えているので幸せさ」


「スリランカの大統領がクシナーガルにやってきたとき、ぼくが選ばれてサービスマンを務めたこともあるんだぜ」


「今勤めているホテルは政府系なので、今は安定しているけど、政府が外貨を獲得したいために外資系の資本家に売りに出しているんだ」


「もし、今のホテルが完全に民間会社になってしまえば、給料も保証されないし、もし失敗をしてしまうと首になってしまう」


「だから、今転職も考慮中なんだ」


「ガンガーは、ぼくたちヒンドゥー教の人間にとっては、大きな存在さ~もちろん、沐浴もしに行く」


「何度も言うけど、ぼくは日本にあこがれていて、いつかは日本に行って働きたいという夢があるのさ」


「そのために、日本語の勉強も始めているんだぜ」



家族のこと、仕事のこと、日々の生活のこと、そして自分の大きな夢についてのこと…


~おいしいチャーイをいただきながら…、そんな『等身大』のスリィシュの話を聞いていると、これまではまるで理解不能のように思えていたインドのヒンドゥー教信者のことが、かなり身近な存在にように感じられてきた。


彼らも、全く私たちと同じような悩みや目標を抱きながら、地道に日々の生活を営んでいる…のだ。


そんな家族思いのとてもやさしく穏やかなスリィシュであったが、次の瞬間~彼の口から、思いがけない言葉を聞いた…。



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オートリクシャーのおじさんが待ち合わせポイントをよくわかっていなかったため、ちょっと行き過ぎてしまうといことはあったものの~何とかスリィシュ・シンと会うことができ、いよいよ彼の家へ向かう…。


騒がしい表通りから、狭い路地裏を入っていくと、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり…、老人や子どもがたむろしていた。


しばらく~、迷路のような小道を辿り、確かにガンガーがすぐそばに見える場所に彼の家はあった。


といっても、どうやら一戸建てではなく、いくつかの家の壁が複雑に入り組んでいて…、家の外観ははっきりとわからない。


どこからどう進んでいくのか…、石造りの門をくぐり、土間のような場所から石段を上り詰めると、そこで彼の家族が出迎えてくれた。


道路の不衛生さからは想像もできないほどの小ぎれいな部屋に通される。


そこには、質素な応接セットとダブルベッドが置いてあった。


そして~、出てくる出てくる…。


美しい奥さん、娘と息子、彼の父母、彼の弟、母の妹、奥さんの妹…、どこにいるのかというほどのシン家の面々が次々と登場!


入れ替わり立ち代り~あいさつをしてくれる。


こちらもそうだが、相手も~すごく珍しげに視線を投げかけてきた。


ただ、みなさん~たいへんFriendly!


美しい奥さんが作ってくれた『プリ・レスグウラ・チリ(?)入りの卵焼き』とチャーイ(インド風紅茶)をいただきながら…、いろんな話ができた。


『(奥さんが言うところの)プリ・レスグウラ・チリ入りの卵焼き』は、これまで体験したことがないような微妙な味だったが、チャーイはとびきりおいしかったのです!



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それにしても、オートリクシャーは“待つ”ことを知らない…。


少しでも隙間があると、そこに向かって突っ込んでいく。


それが、反対車線であろうが、少々ぶつかろうが~おかまいなし。


そんな乗り物に乗らされているこちらは冷や冷やものや~ちゅうねん!


まさに、やるかやられるかの戦場にいる気分だった。


そして…、ここで、何とトラブル発生…。


さすがのわがオートリクシャーも、どうやらパンクした様子。


おいおいどうすんねん~君があまりにも無茶な運転してるからやでぇ。


もっとも~道路事情があまりにも悪いため、パンクさせられそうなものがゴロゴロ転がっていることも事実ですが…。


このままほったかされてしまうのではないか~と不安になっていたが、オートリクシャーの兄さんは、通りかかったサイクルリクシャーのおじさんにバトンタッチをしてくれた。


思いがけず…、インド初のサイクルリクシャー体験が叶ったわけである。


自分の足で漕いでくれているサイクルリクシャーのおじさんにはなんか申し訳ない気分ではあったが、乗せてもらう方は、意外と“快適”であった。


客が乗る台が高めにくくりつけてあるので、やや上の方から道路を見渡せる。


例えるなら~、映画を観るときの特等席に座っているような感じ…。


こちらに向かって、容赦なくオートリクシャー、クルマ、バス、トラック、自転車、そして同じサイクルリクシャー等が突っ込んでくるので~迫力も満点!


ヴァーナラースィーでは、特にサイクルリクシャーがよく目に付いた。


学校に通う子どもたち(もちろんそれができるだけ裕福な子どもたち)の足にもなっているようだった。


一生懸命ペダルを漕いでくれているこのおじさんは、一日どのくらい稼げているのだろう。


サイクルリクシャーの運賃相場は、1㎞走ってやっと1ルピー(約5円)だということだった。


~自分の足だけが頼りの厳しい仕事である。



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先ほどまでのパリッとした蝶ネクタイのホテルマンスタイルとは打って変わり、Mr.Suresh SINGHは、ポロシャツ&Gパンのラフな姿で登場。


しかも、颯爽とスポーツタイプのバイク(自転車)に跨って…。


さっそく、彼は道端にたむろっていたオートリクシャーの運転手に交渉して、30ルピーで自宅近くの待ち合わせ場所まで行ってくれるよう交渉してくれた。


ここで、シン家訪問記はしばしお預けにして…、オートリクシャーから眺めたヴァーラーナースィーの道路状況をレポートしてみましょう!


(「もう何度も聞いているぞ」という方~ごもっともですが、何卒ご容赦を…)


この時が、インドに来て2度目のオートリクシャー搭乗だったのだが…、最初に乗ったニューデリーの時とは比べ物にならないくらいの迫力があった。


なにせ…、道路が“戦争状態”なのである。


~歩く人・人・人…


~走るチャリンコ・チャリンコ・チャリンコ…


~うごめくサイクルリクシャー・サイクルリクシャー・サイクルリクシャー…


~アクセル全開のオートリクシャー・オートリクシャー・オートリクシャー…


~クラクションを鳴らしまくるクルマ・クルマ・クルマ…


~トラック・トラック・トラック…


~バス・バス・バス…


~スクーター・スクーター・スクーター…


~馬車・馬車・馬車…


~ロバ・ロバ・ロバ…


~ブタ・ブタ・ブタ…


~ニワトリ・ニワトリ・ニワトリ…


~犬・犬・犬…


~ヤギ・ヤギ・ヤギ…


~そして、何と言っても牛・牛・牛・牛・牛…


まさに、インドの道路は(何度通っても)この国の『カオス』を象徴しているのだ。



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インド5日目の『午前の部』(未だ午前の部)が終了し、ホテルに戻ってきた。


朝が早かっただけに…、とりわけ濃い時間が過ぎていく。


ドゥルガさんとも一応お別れし、この日の午後は、特に予定も入っていなかった。


とりあえず…、ホテルのレストランでスパゲティを食べる。


インドに来てから、ほぼ毎食カレーなのだが、ホテル等の立派なレストランのみパスタのメニューがあるので、どうしても“食休め”にスパゲティを注文してしまう。


食事中、やたらとこのホテルの従業員である(立派な口髭はたくわえているが若そうな)ウェイターが話しかけてきた。


「インドにはどのくらい滞在しているんだ?」


「次はどこに行くんだ?」


「おまえは学生なのか?」


などなど…。


だんだん、彼が日本に興味があることが伝わってきたので、「日本のことをどう思っているんだ?」と逆に聞いてみると、


「自分は日本や日本人が大好きなんだ!」


「日本人の友達もたくさんいるぞ~ほら!」


~と、日本人の名前と住所を書き込んだ自らの手帳を見せてくる。


「これも日本人の友達からもらったんだ!」


~と、自分がはめている腕時計も自慢げに見せてきた。


「この友達は、ガンガーのほとりにある俺の家にも来たんだぜ!」


~とも。


もしかして…。


ここで、その日の午後フリ-だった私はある提案を思いついて、彼にオファーをしてみた。


「じゃあ、私も今日君の家に行きたいんだけど、どうだろう?」


はたして、その答えは…、


『もちろんさ~喜んで招待するよ…俺の仕事が15:00までだから、それから一緒に行こう!』


旅行の醍醐味は~何よりも現地に住む人たちとの距離をできるだけ縮めて、その生活を体験することである。


~そうかねてから思っていた私は、自分のオファーが受け入れられたことがとてもうれしく…、ワクワクしながら15:00を待ったのである!



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しばし、ガンガーを離れ~ドゥルガさんはヴァーラーナースィーの有名な寺院やヒンドゥー教の大学などへと案内してくれた。


その途中のこと…。


車の窓から、およそインドらしくないものが目に飛び込んできた。


それは~、なんと遊園地!


そして、あれはまさしく観覧車ではないか…。


インドにも、こういう子どもたちのための娯楽施設があったのか~とちょっと一安心。


ちょうど、その近くのヒンドゥー寺院に寄る予定だったので、車を降りて近づいていく。


あわよくば、インドの遊園地を楽しんでみようか~とさえ思っていたのだが、近づいてみて~ビックリ!!!


何人かの子どもを乗せて回っている観覧車を動かしているのは、機械ではなく…なんと『ヒト』だったのだ。


よろこんでいた気持ちが、一気に切なくなってしまった。


でも、子どもたちは当たり前のように楽しんでいるようなので…、まぁ“よし”としますか~。


と、次の瞬間も衝撃の出来事が…。


驚いている私の近くに、観覧車を楽しんでいる子どもを見守っている母~と思われる女性がいた。


子どもが観覧車に乗れるくらい裕福(それがインドの現実なのである…)なので、彼女は結構きらびやかなサリーを身についていた。


その彼女が、私のすぐ隣で~いきなりしゃがみこんだ。


何事か~と思いっきり視線を向けてしまったことをすぐさま後悔したようなことが起こる。


彼女は、まさに当たり前のようにその場所で堂々と“用を足した”のだ…。


ありえへん…。


遊園地があろうとなかろうと~やはりここはINDIA!



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ヴァーラーナースィーの街の路地裏で、信じ難いものを発見する。


それは、オレンジ色の毛布にくるまれ…、無造作に路地に横たえられていた。


ちょうど、人間の体くらいの大きさで~、明らかに“遺体”…。


そう、先ほど通ってきた火葬場で焼かれる『順番待ち』をしているのだ。


ふと、視線を感じて、通りに面した建物の中を見る。


はたして~、その格子戸の向こうには何人かの老人が座っていて、揺るぎない眼光をたたえ、外に目を向けていた。


「これらの建物は、かつてのマハラジャ(王)がヴァーラーナースィーにやってくる人たちのために建てたものなんじゃ~そこに住まいしているこの老人たちも、その灰をガンガーに流してもらうため、死ぬためにここに来ているんじゃ」~とドゥルガさん…。


~そう、彼らも、ここで死ぬことを切望しながら座っていて…、『順番待ち』をしているのだ。


その生活費は、ここに巡礼にやってくる人々の“喜捨”によって賄われていて、不自由していないとのこと。


そして、老人たちは、自然の真理の中で“泰然”としている。


ひたすら西洋医学にたよって、1分1秒でも生きながらえたいともがいている我々は~一体なんなんだろう。


精神的な豊かさを犠牲にし、ただただ物質的な豊かさを追い求めてきた我々は~、彼らが安らかに死を待つ姿を見て、自らの“幸せ”という概念についての愚かさに気づいてしまうのではないだろうか。


彼らを見ていると、自分の生命や存在の意味すらも~よくわからなくなってきたのである…。



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ボートを降り、ドゥルガさんは、慣れた足取りで岸辺の街の中へと進んでいった。


~必死でついていく。


その街中は、迷路のような細い路地が入り組んでいた。


もうすっかり太陽も上がり、ボートには陽射しも照りつけていたんだけど…、その路地は薄暗く、ジメジメとしている。


とにかく、歩きにくい。


道は糞尿とゴミにあふれていて、足の踏み場を探すのにひと苦労。


あっという間に履いていたスニーカーがドロドロになっていった。


最早、スニーカーどころか、泥が靴下の中にも染み出てきた感じ…。


江戸時代の旅人は宿についたら真っ先に足を洗ってた~ということが、とてもよくわかる。


おっと、この狭いところでも向かいから牛様が歩いてきて…ギリギリにすれ違う。


こちらが日本人だとわかると、日本語で話しかけてくる子どもの物売りにも遭遇。


ガンガーに捧げる花を売る店が目に付く。


あちらこちらに、ヒンドゥーの神々の像があり、その前で祈りを唱えている人々の姿も多く見られた。



両手を失った物乞いも、うらめしそうにこちらを見ている。


インドでは、物乞いとの遭遇及び“たたかい”も避けては通れない。


もし、一時的な感情でわずかでもお金を渡そうものなら、彼らは一気に群がってくる。


それでも、彼らの当面の生活のために踏み出すのか、それとも無視していくのか…。


~そのしんどい選択を迫られるのだ。


それにしても、インドに来て、手足を失った物乞いに遭遇することが多い。


やはり体に障害を負っているゆえ、仕事ができずに余計生活が苦しいから物乞いをしているのかと思っていたのだが、~とんでもない話を聞く。


なんと~憐れんでもらい物乞いをしやすいよう、親がわざと子どもの手足を切り取ることがあるというのである…。


いったい、このことを悲しむべきなのか…怒るべきなのか…憐れむべきなのか…、どう考えていいのか~まさに『暗澹』たる気持ちになった。



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