毎年開催されていいるサントリーホールでのコンサート
毎年サントリーホールを借り切ってパン業界、関連仕入業者
お得意先を招待してくれています。
株式上場会社でグループを含めたパン製造業で一兆数千億の
売上げは世界一の規模になっています。
いまどきの人気のベーカリーはフランス志向で値段が数倍しても買いにいく
一部の人たちもいますがその店には日本的アンパン、クリームパン、
食パン、メロンパン、カレーパン、あんドーナツなど売っていない
一般的な日本人嗜好には向いていない地域限定のブランド志向の
日本人的味覚音痴の欧米人向きを相手にしているようです。
そういった舶来好みのの気取ったベーカリーもぽつぽつありますが
海外駐在経験者、商社マン・ウーマン、ハイカラ趣味のほんの
一握りで日常生活向きではありませんので都心の一部地域に限られます。
企業の繁栄は30年といわれていますが目先の志向でころころ変えないで
創業70年を過ぎてますます繁盛している上場企業です。
話がそれましたがYパンのサントリーホールでのクラッシク音楽開催は
今年で14回目(一年に1回)になりました。
私は14年前まではチテット・電車賃を払ってまでクラッシクを聴くことは
考えも及ばない別世界でした。演歌、ジャズ、ならば横浜で開催される
気に入ったコンサートは時々行っていましたが変われば変わるものです。
その後は自動車にもクラッシクのCDを買って時々聞いていました。
それまでは演歌の美空ひばり、宇崎竜童、山口百恵、青江美奈、
横浜銀蝿、都はるみ、八代亜紀、五木ひろしはファンの一人です。
サントリーホールは毎年、家内同伴でコンサートを聴きにいくことを
楽しみにしています。
しかし今回の東京パン連盟組合員用の席にはビックリ仰天しました。

2000人は収容できる席の一番前の中央席で指揮者の真前で目立つ席には
一瞬こ困ってしまいました。両脇のパン連盟組合員からは
「目立ちすぎるから来年からは二階席に指示してくれ」
無料招待していただくYパンに席の指定席まで厚かましく指示できる
だけの心臓に毛は生えていないのです。
指揮者の前なので今回は居眠り、イビキ、寝言、横柄な座る態度は二階席の
オーナー、関係者に見られていると思って借りてきた猫並みにするしかない

東京交響楽団員、秋山指揮者の入る前に内緒で写真でパチリ
中央のマイク前なのでこちらが緊張する羽目になりましたが・・
その席にだけの特権もありましたが下記のところで詳しく説明する。

今年は思い出の映画音楽特集になっています。
上記に書かれている映画は「ハリーポッター」以外は観ています。
テレビで再上映されればビデオにしてみる楽しみにしています。

今回で東京交響楽団 秋山和慶指揮者は14回目になりました。
毎年8月4週目に開催されるのが楽しみにまりました。

司会にはテレビ朝日からフリーになったアナウンサー
朝岡 聡が初めて司会進行役を勤めていました。

私の知らない女優でしたがYパンのコマーシャルに出演している
剛力彩芽です。初めて舞台下から上目使いで見ましたが
顔が小さくスタイル抜群で私は直ぐに好きになりましたが
高いハイヒールで登場、、ウエスト細いが胸ボインでなく
スカートが長すぎて舞台下から中身が覗けません(残念無念)
彼女は小さいころからダンス、ピアノお稽古事を熱心にしていた
話、クラッシックについても詳しく話し相手になっていました。
普段勉強をしている節も見受けられる。
やはり一流企業の宣伝マスコットガールはミイハア族では
スキャンダル、艶なうわさ、素行など調べて採用されるのでしょうか。

初めて知ったソプラノ歌手幸田浩子42歳に思えない若さ。
東京藝術大学声楽科入学。 1997年、東京芸術大学声楽科を首席で卒業
今回の私の席は一列目中央で彼女が挨拶、お辞儀をする度に
ドレスから1/2はみ出たオッパイがブルン・ブルンとゆれる。
しかし乳首の方はドレスが落ちないようにゴム止めしているのでしょう。
真直に見る舞台の袖から迫力満点で見えるか、
見えないかきわどいので眠くなることはない。
残念なのは場内での写真禁止につき皆様にお見せする事ができません。

映画音楽特集はCDで聴くのと違って60人の演奏者の迫力は凄い。
生演奏とCDの違いがこれほど違うかは知らなかった。
映画音楽でアラビアのロレンスは映画・テレビで観ていますが
今回聴いて早速DVD映画をアマゾンで購入しました。
独身時代観た迫力をもう一度の観たいです。実在の人物(ロレンス)の物語で
現在の中東アフリカ諸国を列強欧米諸国が定規で線を引いて作った国です。
今尚中東問題が紛争でこじれている原因に結びつく現実の物語。

高校2年生の時に一躍有名になったエリア・カザン監督「エデンの東」
ジェームス・ディーン主役でしたが最初に観た時には筋書きの過程での
兄弟間の心理状況が分からず見直したことがありました。
「理由なく反抗」「ジャイアンツ」いい映画でしたね。
ウエストサイド・ストーリー ジョージ・チャキリス、ナタリーウッドいいですね。
テレビで再上映されたらビデオを必ず撮っておきます。
数曲のアンコール曲の最後の最後は私の好きな
「八十日間世界一周」でした。

主演のデヴェット・ニューヴェン、喜劇役者カンティンフラス
もう一度みたい映画です。8年前に当時社員に作ってもらった
DVDもう一度観る気になりました。
私が中学生のころ観た記憶の残る映画はたくさんありますが
当時の白黒画面で「第三の男」「黄金の腕」「恐怖の報酬」いいですね!
映画音楽もいいですが当時のフランク・シナトラ イブ・モンタン映画のなかでは
渋くて男臭くて・・中学生でしたが当時から気持ちは硬派になっていました。

我々東京パン連盟協同組合会員ご婦人方とは組合費で
毎年のことですが演奏会が終わってから近くのホテル・オークラで会食します。
カフェテリアなので自分の好きな料理をを注文するのです。
(普段私一人で飲む、食べるは桜木町・野毛あたりの立飲屋で済ましますが
今回は家内もいるし友人達もいますので見栄張ってホテル・レストランにする)
昨年からの発売されたビールで珍しいフローズン生ビールを注文しました。
私はやはり珍しいビールより量の多いビールの方が得した気分になる。
一品料理は石釜で焼けた生ハムとナントカカントカか難しい具いりです。
二切れ食べて腹一杯になる。理由は22:00過ぎの夕食では腹ぐわいが
イマイチだからです。

隣の友人のサラダについている生姜を味噌つけてもらう。
夜遅くの酒の肴には野菜が一番だ。
22:30過ぎに地下鉄経由で帰宅するがあざみ野駅に到着した時間は23:50分
それから風呂に入って寝る時間は午前1時になりました。
元社長になってからの深夜帰宅は習慣になっていないので
体にこたえる。翌日の土曜日は早朝起きることが出来ずに
体調不良につき一日自宅でぶらぶらして過ごした。
今日のブログは今年一番時間をかけて力を入れたブログになりました。
ぐったり疲れが出てしまいました終わり
朝日新聞の横暴さにびっくりさせられました。
週間文春広告拒否にはビックリ仰天しました。
アサヒは購読するむものではなく、アサヒはドライで飲むのものだ。
Facebookよりコピーして貼り付けしました。
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【全く反省していない、朝日新聞!】
文芸春秋(東京都千代田区)は27日、28日発売の
「週刊文春」(9月4日号)について、
朝日新聞社に新聞広告の掲載を拒否されたと発表した。
文芸春秋によると、掲載を拒否された広告には
「朝日新聞『売国のDNA』」などの見出しがあり、
朝日新聞社が一部記事の誤りを認めた従軍慰安婦報道について
特集記事を掲載している。
27日に朝日新聞社から掲載しない方針を伝えられ、
文春は同日中に抗議した。文春は「当該記事だけでなく、
全体の広告まで掲載しないのは、
朝日新聞読者の知る機会を奪うことになる」とコメントしている。
(貼付終わり)
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今日のブログを書き終わったころネットニュースで今度は
週刊新潮が広告拒否されたと、書かれています。
ここまで反省しない朝日新聞は共産党・赤旗新聞よりたちが悪い。
ここまで来ると私の友人を含む朝日新聞購読者には距離を置いて
付き合うことも実行に移す。日本国を貶める朝日新聞は許せない!

御嶽神社境内での子供相撲大会での動画
子供相撲大会と追手風部屋の呼出、3名の力士の出演で
賑わっていました。
自治会連合の夏祭りの年中行事として開催されています。
8月24日 日曜日は子供用のお神輿が出て気勢を上げています。
私達家族が昭和52年ごろ東急電鉄が売出した宅地を
購入したころは田園都市線あざみ野駅は建設中でした。
新駅開設と同時にその付近の宅地を東急不動産が一気に
売出して大変な人気になり嶮山地区をはじめ
元の雑木林が数ヶ月で町になってしまいました。
古老の話では嶮山地区に老馬・牛を捨てに行った場所と聞いています。
その牛馬の皮をなめしたりして商品にしたのでしょう。
当時の地元民は貧農としか思えない寂しい土地柄だとおもいます。
その地区に誰も住んでいない御嶽神社が
今日の発展につながったのでしょう。
下記の動画YouTubeは孫が二番取った勝ち相撲と追手風部屋の力士
太鼓叩きなどを編集したものです。
同級生との最初の一番は1秒かからない早業で投げ飛ばす。
二番目の勝負は昨日に載せた一部の写真を動画でお見せします。

日曜日はなにもすることがないので昼からビールを飲んで
見たくもないテレビとパソコンを暇つぶしにしていました。
すると昼ごろお神輿の笛と太鼓、子供の声が外から聞こえました。
家内がもしかすると孫も担いでいるかも・・早速カメラを
持ち出し玄関まで行きましたら、やっぱり孫が担いでいました。
(赤丸と線でしるしを付けている)

孫は私をみつけて早速Vサインをしてくれる。
昨日の相撲に続いて翌日はお神輿担ぎとは恐れ入りました。
私の二人の息子には地元行事に参加することはありませんでした。
その理由は家内はどちらかと言うと教育ママで
公立小学校・中学校にいかせず私立小学校・中学校に行かしたぐらいです。
学校から帰宅しても机に座らせて家内が家庭教師になり替わり
中学受験国語、算数、理科問題を厳しく教えていた。
その反動でセガレは数十年前に流行った丸大ハムの
コマーシャルと同じ考え方で
「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」だと思う。
家内は孫の将来の受験を考えて要らぬ心配もしている。
私は進学がだめなら相撲取りでもさせてフンドシ担ぎから
出直しても遅くはないと思い直した。

新興住宅地でもお祭り行事が行なわれていることは
地域の親睦をはじめ懇親が深まり良いことですが
私は一度も参加したことがありません。
その理由は企業経営している現役時代は日祭日365営業している
会社の心配事に気を取られていました。
但し飲む打つ買うは不思議に時間を作ることができました。
横浜青葉区 御嶽神社子供相撲大会に孫が出場
8月23日土曜日、孫二人が子供相撲大会に出場しました。
孫の長男の骨格骨太は私にそっくりで格闘技にはピッタリ。
過去のブログにも書きましたが私は満州ハルビンから引揚者で
小学校六回転校、中学二回、合計八回転校しましたが、
いじめにあったことは一度もありません。
転校して直ぐにクラスで一番のガキ大将と教室で腕相撲勝負に挑み
二番三番の悪ガキ連中から左右で勝ち続けて先ずは先制攻撃。
腕相撲力は自他も認める半端の強さではありませんでした。
当時は吉葉山・栃錦・若乃花全盛時代で昼休みは
全員相撲番付をつけて毎日競ったもんです。
もちろん私はクラス一の横綱を張っていました。
得意技は腰投げで気絶させたことも度々あります(二回)
投げ技の腰投げは胴長短足を利用して相手のふところに入って、
相手の体を体重ごと腰に乗せて自分も投げた瞬間相手の上に乗る。
すると相手はミゾ内を打って一瞬息が切れて気絶した。
今日は自分の自慢話ではなく孫の話です。

横浜市青葉区すすき野町にある御嶽神社で7ヶ所の自治会が
連合で行う。午前中は小雨が降りだして開催が心配だ。

雨で心配しましたが小雨決行が通知されて安心する。

屋台も出店してお祭りを盛り上げてくれる。

土俵はとりあえず青シートをテント代わりに掛けていたが
途中から青空が見えだして外される。

小雨が降りしきる中、自治会役員達も気が気ではない様子。

孫の長男と次男の応援に私も力が入る。
スケボーも並みの子供より上手いのは運動神経、腕力、腰の
動かし方がずば抜けている。

今回から町会優勝にはトロフィーが贈呈される。

個人戦は楽々勝ち越して敵なしの勝利。町会別対抗戦で
相手は巨漢の小学校5年で頭一つ分大きい上級生ですが
私は孫の相撲に対する素質は見抜いているので負ける気にならない。

一瞬の立ち合いで相手の胸に飛び込んで左上手を取って投げにはいる。

二年上の上級生はすでに両足がちゅうに浮いている。
さすがは私の孫だ、腕力は隔世遺伝間違いなし!

二年上の上級生を一瞬で投げ飛ばした実力は立派である。
将来は追手風部屋にでも入門させ
「金と名誉は土俵にいくらでもおちている」と言ってやりたい。

全く相手と勝負にならない実力差はあっぱれだ。
孫がこんなに可愛く感じる事は勝負出来る実力があるからです。
しかし学校の成績表は一度も見せたことがないし
聞いても言わない、しゃべらない、話さない、と徹底しているが可愛い。
幼稚園に通っている二番目の孫にも本格的な相撲のとり方を
教えて仕込んでみたくなった。
社長の長男とは会社でも滅多に顔も合わせないし、話さない間柄ですが
孫はなにしても可愛いし将来が楽しみだ。

追手風部屋から呼び出しと力士三名がお祝いに来ていました。

自治会にも相撲取を呼べるだけの人脈があるのにびっくり。

三名の力士は子供相手に相撲を取ってみたり和気藹々。

子供との相撲が終わり大人3名の希望者と相撲が取れる
内心私も出場する気持ちになりましたが今年73歳で
骨が折れたり、捻挫したりしたら死ぬまで苦労すると思い断念。
30~40歳代のお父さんが取り組みましたが赤子の手をねじる
程度の早業で勝負になりません。
観客の笑いと応援を誘いパチパチパチの大声援。

御嶽神社のお祭り初日の子供大相撲大会は楽しい一日でした。
「ヨコハマ グラフィティ」横浜高島屋までいってきました。
1964年12月。ベトナム戦争のまっただ中、
ヨコハマ・本牧に米国軍人相手のクラブが誕生した。
「ゴールデンカップ」
米兵たちが持ち込む音楽、ファッション、酒、車…
カッコいい刺激を求めた若者たちが集まり、そこは最新の文化が生まれていった。
そして、この場所から日本のR&Bが始まった。
彼らの名は「ザ・ゴールデン・カップス」その刺激とDNAは、今の時代も輝いている。
~Scene1「ヨコハマグラフィティ」~
1960年代前後のヨコハマ・本牧の情景を、写真と当時のファッションでご紹介。
~Scene2「伝説のナポレオン党」~
当時のヨコハマを象徴するグループ“ナポレオン党”。
ヨコハマの文化を創った若者たちの姿を貴重な写真・映像・ファッションで振り返ります。
~Scene3「ゴールデンカップの時代」~
1960年代のヨコハマ文化の拠点の一つだった“ゴールデンカップ”。
当時の店内をイメージ再現した空間に展示される様々な関連資料・音楽・ファッションを多面的に楽しんでいただきます。
~Scene4「カップス・オンステージ」~
伝説のバンド“ザ・ゴールデン・カップス”のステージを表現。
メンバー愛用の楽器や、コシノ・ジュンコ氏がデザインを手がけたステージ衣装の復刻品などを展示。
期間中、ゲストを招い会てのトークショーなども開催。
~Scene5「Foever60’s~受け継がれるヨコハマ・スピリッツ」~
“ザ・ゴールデン・カップス”の誕生から現在に至るまでの約50年に渡り、連綿と受け継がれているヨコハマ・スピリッツ。
ヨコハマ・本牧への郷土愛と強い絆で結ばれ、“本牧3兄弟”と呼ばれるCHIBOW、横山剣(クレイジーケンバンド)、マイティー・クラウンの魅力を、写真・映像・衣装・メッセージ・トロフィー等で紹介。
(貼り付け終)
横浜中区ナイトクラブ「クリフサイド」の前夜祭
パーティーをYouyubeを見つけましたので貼り付けしました。
最近は元社長になってから夜遅くまで飲み歩くことが少なくなりました。
7月に滋賀県のカテキンさんと横浜で会食したおり友人と
山下町のBARラッキープレイスで飲み直ししました。
その時にラッキーから高島屋8階で開催される
「ヨコハマ グラフィティ」招待券をいただきました。
貰った招待券のことはすっかり忘れていましたが
最近飲みに行った節にラッキーがいってきたか、と聞かれて
恥じかきましたが早速会社帰りに行ってきました。

1960年時代(20歳)は大学3年生ごろで家業の仕事で振り回されていました。
したがってヨコハマ、本牧あたりで遊ぶ暇など全くない時代でした。
一年中、星空の見える午前3:30起床して会社まで行って
汗かいて働いていました。期末試験は友人から教えてもらい
普段は代返で事を済ませた学生時代でした。
時々休みの前日に町中まで遊びに行った記憶がある程度です。
当時のサパークラブ、ナイトクラブでは毎晩歌われていた曲が
有名歌手に引き継がれて大ヒットしたことに驚いたこともありました。
私より早く行かれた「はげまるのぶらり日記」のブログで詳しく書かれています。
異国情緒ある横浜「ヨコハマ グラフィティ」。
http://blog.goo.ne.jp/hagemarupika/e/94ae3bd3da62b1182ff0f9ec981c344d

高島屋8階の催事場の一角にある「ヨコハマ グラフィティ」
思ったより広い場所を使って開催されていました。

入場料800円はラッキーにもらっていたので得した感じ。
場内は写真撮影禁止になっているが下記のブログに
写真がたくさん貼り付けされています。
私より早く行かれた「はげまるのぶらり日記」のブログで詳しく書かれています。
はげまるのぶら~り日記" target="_blank">異国情緒ある横浜「ヨコハマ グラフィティ」。
http://blog.goo.ne.jp/hagemarupika/e/94ae3bd3da62b1182ff0f9ec981c344d

6枚の写真の人物を見ていたらその中の一枚に見たことのある
人物がいるのに驚く。

本牧のゴールデン カップスのオーナー(中央)と写っている
ラッキー(右端)にびっくりした。

細長い写真には宇崎竜童が港のヨーコ・ ヨコハマ ヨコスカ
一説には外人相手の娼婦、
ヨコハマの伝説、白塗りの“メリーさんをダブらせた
歌といわれている。


朝日新聞不買運動そのー1
4分前 · 編集済み ·
【朝日新聞のお客様窓口】
03-5540-7615
怒りの電話が殺到しています。
「謝罪が無いのは、ふざけ過ぎ!」「ウソを20年以上も放置!」
是非、皆様の忌憚のないご意見をお伝えして差し上げましょう!
販売店に電話して予約の解約を入れたら、
「解約の電話」が殺到しているようで、
いつもは解約に強気な対応をするのに妙に弱気になっていて、
頭を抱えていました。
「目指せ、廃刊!」

【朝日新聞のお客様窓口】 03-5540-7615 怒りの電話が殺到しています。
「謝罪が無いのは、ふざけ過ぎ!」「ウソを20年以上も放置!」
是非、皆様の忌憚のないご意見をお伝えして差し上げましょう!
販売店に電話して予約の解約を入れたら、
「解約の電話」が殺到しているようで、
いつもは解約に強気な対応をするのに妙に弱気になっていて、
頭を抱えていました。 「目指せ、廃刊!」
朝日の慰安婦問題、見苦しい言い訳|竹田恒泰チャンネル
竹田恒泰評論家が一字一句とりあげて詳しく説明しています。
下記のYouTubeを是非見てください。
反日記事をこれでもか、これでもかと書き綴っている朝日新聞に
嫌気を出して一般購読者が減り続けていました。
朝日新聞もこのままでは購読者が減り続ける危機感から
一旦は嘘つき吉田清治の報道を取り消しを言いわけしながら公表した。
朝日新聞自体は全く反省する事なしに言い訳記事に徹している。
昨日「うど」さんという方からのコメントに書かれた動画です。
内容については下記の動画で確認してください。
今までは朝日新聞購読者に対して思想信条に違いは致し方ない、と
思いこんでいましたが、今後も朝日新聞購読者として公言する
友人・知人とは分かり次第縁を切るつもりです。
一般国民が共産党赤旗新聞購読をしていない事と同じで
これだけ世界中に反日記事、デタラメ記事を書いて
日本をボロクソに落しこむプロパガンダ工作の
極め付き朝日新聞社は許せない。
朝日新聞を廃刊に追い込むべし!
【朝日新聞を廃刊に追い込むべし!】
「朝日新聞の誤報、許せるものではない」
(西村眞悟の時事通信より一部抜粋)
現在、福島第一原子力発電所が、「廃炉」にむけた作業を続けているように、
朝日新聞も「廃刊」への作業を始めよ。
その作業のノーハウは、朝日新聞が左翼アジビラ販売業ではなくマスコミ・報道機関であるならば十分にもっている。
簡単ではないか、朝日新聞の記者はいつもしている。
例えば、大手外食チェーン店が、丹波牛の肉ではないのに丹波牛だとして客に食わせていたとき、記者はどう追い詰めていくか。
朝から晩まで、社長の家を取り囲み、外出すれば付いて歩いて、記者会見に追い込む。
そして、記者会見では、正義は我にありという態度で居丈高に質問し糾弾し、相手が頭を下げて怯む情況だけを全国放映する。
朝日新聞の記者を含めた全マスコミ人は、
誤報をしていた朝日新聞の社長、経営者、編集責任者、誤報を書いた記者に、これをしたらどうか。
そして、記者会見では、マスコミ人としての誇りを以てマスコミの名誉を汚した誤報を糾弾質問し、答えに窮し、頭を下げた場面だけを放映せよ。
今、之を書いているときに、頻りに思い出されるのは、
亡き中川昭一さんのことだ。
中川昭一さんは、イタリアにおける大臣としての記者会見で、数秒間、ふと朦朧となった。
マスコミは、この数秒間を連続して繰り返し放映し、まるで泥酔状態で記者会見を続けていたように国民に印象付けた。
さらに、その記者会見だけではなく、イタリア滞在中いつも泥酔していたように報道し、バチカン美術館では、中川昭一さんが、酒に酔って入ってはいけないエリアまで入り、警報ブザーが鳴ったと報道し、大臣欠格者であると印象付けた。
しかし、私は、バチカンの神父に尋ねた。
「バチカン美術館に警報機はあるのか」と。
答えは、「バチカン美術館に警報機はない」であった。
このように、マスコミは、中川昭一さんを追い詰めるために、捏造も辞さなかったのだ。
即ち、マスコミの目的は、真実の報道ではなく、
「中川昭一さんを破綻させること」であった。
これは、中川さんの死という事実が示す、立派な、「予告された殺人」であった。
戦後、連合軍に迎合して反日姿勢によって生きてきた朝日新聞を中心とするマスコミの虚偽報道によって、名誉を汚された者は、英霊と陸海軍の将兵だけではない。
私が、間近に見た、中川昭一さんも、その犠牲者である。
朝日新聞は廃刊すべき 桜井よしこ
櫻井よしこ氏「朝日新聞は廃刊すべき」

ジャーナリストの櫻井よしこ氏が15日に自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の会合で講演した内容の要旨は次の通り。
朝日新聞の姿勢として極めておかしなことがある。何故に、日本国の過去と現在と未来に対してこんなひどい中傷や言われなきことを報道した責任について、社長自ら、もしくは編集局長自ら表に出てきて釈明し謝罪しないのか。
5日の1面には、朝日があたかも被害者であるかのようなことを書いている。「言われなき中傷」を浴びたのは日本国だ。先人たちだ。私たちだ。未来の子供たちだ。朝日ではない。
最初に吉田清治証言が出たのは32年前。朝日はこの32年間にどんな記事を書いてきたかを明らかにするのが先決であろう。それによって世論を動かしたのだから。テレビを動かしたのだから。韓国を動かし、世界を動かし、日本をおとしめたのだから。
だが、自分たちがどんな報道をしたのか、ここには一行も書いていない。こんなメディアはメディアではない。プロパガンダ新聞というものだ。私は、朝日はまず1つ2つやるべきことをやった上で、廃刊にすべきだと考えている。
まず、世界に発信することだ。英文、ハングル、中国語、フランス語、スペイン語。世界中の人々が日本に対して非常に悪い印象を抱いた。そのもとをつくった責任者として、世界にさまざまな言語で自分たちの間違いを発信すべきだ。
その上で、当時の社長、編集局長、記事を書いた記者は全員名乗り出るべきだ。日本国の土台を揺るがすような大きな問題だから、社長も含めて編集局全体で議論をしたはずだ。そこに名を連ねた人々は自分たちが展開してきた言説、報道を明らかにすべきだ。
自民党にも大きな要求を突きつけたい。河野洋平官房長官談話には「強制連行」の文字はないが、強制連行を認めた談話であるという印象が世界中に広がっている。河野氏自身が発表後の記者会見で「強制連行と考えてよいか」との質問に、「おおむねその通り」という趣旨の答えをしたのが原因だ。
1992(平成4)年4月、吉田証言はでたらめだということが産経新聞で大きく報道された。翌年8月に河野氏は談話を出し、記者会見に応じている。国民の多くはなぜこんなことになったのか、河野氏自身に釈明をしてほしいという強い思いを抱いている。
自民党は(河野氏を)党本部に呼び、(元)総裁としてどう考えているのか聞き、100%情報公開してほしい。それが当時政権与党だった自民党の責任ではないか。
一日も早く教科書を書き換え、韓国の人々にも強制連行はなかったと伝えてほしい。申し訳ないという気持ちを、朝日も自民党も表明してほしい。正常にあり得た日韓関係をこのような形にした原因は、こちら側がつくったのかもしれない。その大きな原因の1つは朝日の虚偽報道だ。
自民党は問題の深刻さをよく認識し、朝日には日本のメディアを代表すると自負してきたプライドと信頼にかけて、今申し上げたことを徹底してやっていただきたい。
櫻井よしこ氏「朝日新聞は廃刊すべき」 議員連盟での講演要旨
旧盆の墓参りに行ってきました。
昨日は柿生霊園までお墓詣りに出かけました。
昭和59年親父が亡くなる一年前に小田急電鉄多摩線栗木台駅の
小高い丘にある柿生霊園を買い求めていました。
買った理由は会員になっている府中カントリークラブ、
多摩カントリークラブに近くて何かと便利であると思ったからでした。
亡くなった親父もゴルフプレー帰りの、ついでの墓参りと思っていたでしょう。
しかしゴルフ帰りのついでのお参りは滅多にしていません。
今は一人で自動車運転をしていないので電車、小田急バス使用の為に
途中下車してお参りする気持ちにならない。
いずれにしても私もその内にお陀仏になればお世話になる場所です。
以前にも書きましたが葬式無用・戒名無しと宣言しているので
あとは横浜市直営、長津田焼場で簡単な身内葬で全ての費用を
入れても10万円あればお釣りがきます。

自宅の仏壇を置いてある部屋のかもいにはすでに
写真屋で四つ切、制作した遺影が。
家族葬用写真制作済みは過去のブログにも書いた記憶がありますが
10年前の現役社長の元気な時でゴルフハンデキャップも10を維持していた。
(残念ですがオフシャルハンデキャップでシングル入りは果せなかった)
製作には時間もかかりそれなりの高い写真代になりました。
もちろん仏壇前の小さな黒縁の写真もついでに頼んであります。
死んだら仏壇の引き出しにしまっているので手間暇はかかりません。
この歳になるとお墓参りを欠かすと気になるし、お参りした後は
精神的にも来てよかったと安心して過ごせます。

柿生霊園の小高い丘から見える文武両道、甲子園野球強豪校
桐光学園のナイター付野球場と体育館、立派な設備が見える。

管理業務は大野屋グループですが墓をつくる費用は昭和の時代でも
バカ高くて今思えば一見客扱いで葬儀屋と同じで値切られる事がないのでしょう。

今思えば少し値切って交渉していれば・・と行くたびに思い出します。
墓代費用は相続財産、資産勘定に入らないので税務署も
使った金には課税されません。
墓石内部を純金で億単位で作っても無税扱いになります。
相続税手続きが終わって調査終了と同時に取り壊して
田中金属で現金に両替・・不純な気持ちで墓参りは罰当たりだ。

俺が墓石内に入ってから身内が季節ごとにお参りにくる保証はありませんが
人間どんなことでも生きている時が一番だと最近つくづく思っています。


