産経新聞の産経抄を読んで
入江陵介選手(近大)が日豪対抗男子200メートル
背泳ぎで出した記録が、幻の世界記録になってしまう
可能性が出てきた。
日本記録が世界記録を上回るねじれ現象は、
61年前にもおきている▼昭和23年(1948年)に
ロンドンで開催された戦後初めてのオリンピックに
日本は参加を許されなかった。
日本水泳連盟は、あえて五輪と同じ日程で、
全日本選手権を開く。この大会で
古橋広之進さんは、1500メートル自由形と
400メートル自由形で、五輪の優勝者に
圧勝した。
▼タイムも世界新記録を大幅に短縮したが
日本が国際水泳連盟から除名されていたため、
公認記録にはならなかった。
国際水泳連盟に復帰した翌年、ロサンゼルスで行われた
全米選手権に出場した古橋さんは四百、八百、千五百
八百リレー全てを制し、今度こそ正真正銘の
世界新を打ち立てる
「フジヤマノトビウオ」のニックネームが付けられたのも
このときだった。地元のスポーツ団体の博物館館長から
水着の寄付を求められる。いまも大切に保存されている
水着は、スフ(人絹)素材のため下にふんどしを締めて
からでないと、とてもはけない代物だった。
▼それに比べて入江選手の水着は空気も水も通さない
ラバーを生んだすぐれものだ。なぜ認可しないのか
理由にくるしむ。
水着の開発競争のきっかけを作った英国スピード社には
甘くて、日本製には厳しい。そんな印象もぬぐえない。
▼「水着に関係なく、世界記録をだす」と言い切る
入江選手と日本製ハイテク水着、
どちらも頑張れといいたい。
以上の文章を読んで満州から引揚げてきた貧しかった
小学校3~4年生時代にラジオにかじりついて競泳を
聞いたことがあります。
その後もプロボクシングフライ級世界チャンピオン
ダノ・マリノ対白井義男を後楽園球場のラジオ中継を
聞き大感激した思い出があります。
日経新聞「私の履歴書」に二人共詳しく書かれていました。
戦後の英雄も今は亡き人になりました。
このブログを書いている時に涙目になる気持ちは
終戦直後のたくさんの出来事が
つい最近の出来事に感じるからです。
白州次郎が連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)
マッカーサー元帥に
「戦争には負けたが奴隷になった訳ではない!」
戦後二人の(古橋、白井)英雄に奮い立たされた
思い出が思い出されました。
1週間に4回の総会がありました。
この日(5/20)は14:00から日清製粉会議室で
業界の総会があり、終了後KKR東京で懇親会が開かれました。
業界の懇親会を途中で切上げ大田区下丸子で開かれている
工和会協同組合の総会終了後の懇親会に直行しました。
工和会協同組合は下丸子を中心とした製造業が
加盟している中小企業の協同組合です。
工作機械、精密機械が中心ですが食品製造業の
当社も役員の一人として入っているので欠席は出来ません。
一日に2つの総会に出席するには相当体力が要ります。
理由は懇親会が終わってから二次会まで付き合うからです。
今回は翌日(5/21) にも東京パン連盟の総会がありますので
二次会は遠慮します。と話したら
菊○理事長が「遅く来て早く帰るのは許さない!」と
罵声(?)を浴びさせられて仕方なしに彼の行きつけの
彼女のいる(??)スナックで遅くまで飲みました。
私に付いたホステスは通称ブスでしたが客扱いは
手馴れたもので気持ちよく飲みました。
彼はキップが良いので6人全員の支払いは自分一人で
支払っていました。私も「ご馳走様」の一言で済ましました。
帰宅後、翌日の総会は二日酔いでしたが
議事進行を無事はたし
2年目の改選年のため再任されて
又2年間の重責を果たさなければなりません。
5/22今日も新宿のホテルで加盟しているパン業界の
総会に出席しますが懇親会は体力温存の為に
今回は遠慮して早めに帰宅して寝ることにします。
自宅にくたびれて着いた瞬間に
千葉県のヤチマタグループ4人組から
電話がかかって今すぐにホテルオータニのバーに
来いと言われましたが家内と目があったので断りました。
「明日のブログは?」の一言で
気分転換ができて悪友に会わずにすみました(笑)
4日間連続の総会は高齢者の私には大変です。
新型インフルエンザにかかる暇もありません。
ブログをはじめて4年目に入りました。
ブログを書き始めたのが2006年5月20日で
4年目に入りました。
最初はブログと言う単語も知らないではじめましたので
一つ一つ分からない事だらけでした。
昨年も書きましたがセガレがボケ防止に為に
薦めてくれましたがボケと忘れ物、勘違いは
間違いなく進んでいます。
当初は写真の貼り付けのみ、その内に動画製作も
出来る様になりました。動画製作は複雑で容量も
重いので海外から日本のプロバイダーに送るのは
時間が3倍以上かかります。
特に北京は回線事情が悪く送信できません。
はじめてパソコンを買ったのは62歳の時からでした。
当時は1分間単位にお金がかかり検索だけのために
見ていました。あとはメールをもらても返信できず
その場でFAXか電話で対応していました。
昨日の新型インフルエンザについても思いのままに
書きましたが自分のプライバシーが無くなりつつあり
家内もみっともないから余計なことをわざわざ
書かないでくれと苦言忠告が多くなりました。
いよいよ来年には70歳になりますが人間ドックでは
骨密度は30歳代と言われ酒を飲んでいる割には
肝臓関係は Aと評価されています。
最近ソニー生命勤務の友人に人間ドック検査表を
見せたら悪いところが全然無いといわれました。
尿酸値7.3コレステロール240が気になりますが
年齢から察してB級グルメを食べ歩いている
下丸子社長にしては合格点だと太鼓判を押してくれ
保険加入条件可だそうです。
くぬぎ山の名医に見せてもう一度診断してもらい
直したいと思います。
最近は毎日ネタ探しをしなければ書けないので
思いついた時だけにしたいと思う気持ちもあります。
新型インフルエンザ流行について疑問があります。
パン連盟組合員、関連業者は成都から
一人の落伍者もださず健康にも問題が無く帰国しました。
今回上場会社の4名、それらの子会社3名合計7名が
土壇場でキャンセルがでて私をあわてさせました。
現地では新型インフルエンザの話は誰もしていませんし
ましてマスクもしている人もいませんでした。
中国は2年前のサーズ流行の隠匿の反省から
今回は対応はとても早いです。しかし中国人の
体力、抵抗力は日本人よりは強いと思います。
出発まえからマスコミが大騒ぎしていて
まるでエイズ、コレラ、ライなどに皆んながかかる
ような報道にはちょと大げさすぎだと思っていました。
関西での患者が191名を超えたと報道されていますが
このように騒ぐと経済も落ち込み消費も冷え込んでしまいます。
今までも香港風邪、スペイン風邪が流行した時
このような過剰報道ではありませんでした。
どんな病気でも体力、抵抗力のない人はどんな病気でも
亡くなる方はあります。
関西での流行は日本人が極端に無菌状態で
育ったことも影響していると思っているのですが。
最近の大人もだらしないことおびただしいです。
走る、歩く、有酸素運動無し、足腰衰え、心臓病
糖尿病、若者を含め中年の体力不足も目立ちます。
この際、体力の無い奴は家出寝てろ。
無菌状態で育てた若者も教育パパ、ママの
過保護のもとで本来 人間の持っている抵抗力が
不足して、ぜい弱、ひ弱な体になっていると
思いますが・・医者ではないのでこれ以上書きません。
過激ですがマスクをしている人は家で寝ていろ!と
言いたいです。
東京で流行したらデパート、東京ドーム、
ディズニーランド、コーヒーショップをはじめ
大不況になり株価も又7000円近くになる
可能性もあると思います。全ての産業に追い討ちを
かけ日本経済の大打撃は間違いなしです。
我々が子供の時代は道端に落とした飴玉でも
拾って食べたものです。進駐軍からもらった
チュウインガムでも噛み終わって翌日サッカリン(チクロ)を
薄めて又噛みなおしたものです。
食料不足の終戦直後は食用カエル、ドジョウ、フナ
鯉、ドンコ、ウナギ、ニワトリも首を絞めて家庭で
煮たり焼いたり調理して食べた事もあります。
当時は不衛生で雑菌だらけの調理方法でした。
中国の水も北京滞在中はマンションの水道の
生水で飲んでも腹は痛くなりません。
生まれ故郷ハルビンの生水も何回か飲んで
実験しましたが問題はありません。
あまりにも環境が良くなり無菌状態人間だけが
かかる病気だと勝手に思っています。なので
マスクをしてまで外に出ては働きません。
私は罹らないと確信してマスクはしません。
もし私が豚インフルエンザにかかったらブログに
反省の文章を書いてお詫びいたします。
マスクを掛けている ひ弱な奴は
家でねてろ! ヽ(`Д´)ノ
西部大開発地区の中心部 成都は大都会になりました。
四川省成都市は人口1100万人の大都市です。
東京都に近い人口です。四川省は中国奥地で
「西部大開発地」の中心部に指定されています。
町中を中心にして公共工事(地下鉄)も
はじまっています。初めて訪問される方は
町並みのきれいな事ににビックリします。
東京都大田区の道路のゴミより少ないです。
飛行場を降りて自動車専用道路(無料)にある
世界中の自動車ディラーにはRR, ベントレー、
アストンマーチン、ポルシェ、フェラリー、
ベンツ、アウディや名前の判らない
3000万円クラスの販売店がずらりと並んでいます。
もちろん日本のスズキ、ホンダ、トヨタも進出しています。
世界中でこれだけ高級車が同じ通りに並んで
売れている国は中国だけでしょう。
街内には活気があり一年前の四川大地震の
傷跡はどこにも見当たりません。
欧州の高級ブランド品で輸入されていない
商品はまずありません。
私はブランド商品に詳しくないので商品名は
観ても判りません。ブランド専門高級デパートもあり
成都にある40近くのデパートの中では
売上高が一番だそうです。
ブランド品は2割高くても商品は豊富にあり
日本橋にあるデパート T、Mよりも売れているそうです。
購買力は日本よりあると感じました。何しろ成都の
イトーヨーカドー1号店2号店の売上げは日本の
ヨーカードーよりも売上げが多いのです。
したがって日本のヨーカドーが30店舗ちかく
閉店するのも秒読みになってきていまます。
今年の新入社員は昨年より多く採用しているのは
この辺に理由があると感じました。
日本は毎年人口が減るので若者も少なくなり
経済力は落ちることは間違いありません。
落ち目になりだしたアメリカでも毎年数十万人
移民を受入れしていますが日本は農耕民族の
特徴、閉鎖的で外国人移民は受入れません。
閉鎖的な村社会の特徴で先生は亡命先を間違っても
日本大使館に駆け込んだらダメで追い返されて
逃げた国の役人に捕まってしまいますと
話されたこともあります。
その由に3年間滞在できる外国人研修制度は
将来5年間ちかく延長されるはずですが・・・
この制度は日本的移民制度となりますが
必ず本国に帰る制度で良くできた考え方と思います。
経済成長した国が人手不足のため移民を認めた
ドイツ、フランス、イギリスに
トルコ村、アフリカ村、が出来るよりましだと思います。
武候祠の参道にある飲食店
昨日は三国志の武勇が祭られている
武候祠を見学して来ました。
参道には昔の建物を改築して
小さな商店街になっています。
観光客相手の土産物店ですが
昔の面影が残っていて風情があります。
行止まりから左に曲がる小路には
小さな店の飲食店が並んであります。
焼鳥、肉饅頭、焼売、見た事の無い
立ち食い商品がたくさんありました。
その中でウサギ頭の丸焼きが
値段も高く売られていました。
現地のガイドに聞いたら動物の頭が
一番高く特に成都市民はウサギの
丸焼頭が大好きなそうです。
ウサギの頭の照り焼きで食べる時はは四川産の
舌のしびれるほど山椒と唐辛子を振りかけて食べます。
時間の関係で試食することができず
成都の心残りになってしまいました。
イトーヨーカドー食品売り場でも
売っているそうですが時間が遅くなり
買いそこねました。
三国志は未だに読んでいないので
武候祠はレットクリフ一部作を見ているので
参考になりました。
下記の写真は参道にある飲食店の一品料理です。
外国人研修制度の実態パート14
昨日5/16土曜日9:00から研修生採用試験を
してきました。男子3名女子6名採用に
30名ちかくの応募がありました。
いつもは四川省の雇用促進事務所の会議部屋で
行われますが土曜日のためにホテルの会議室で
行われました。
先ず最初に筆記試験20分の間に計算問題が
どれだけ出来るかが試されます。
実地試験は2の皿があり左の皿に入っている
大小3種類の豆30粒をの右の皿に30秒の間に
箸で何個移せるか手先の機敏さを試されます。
その後面接試験があり合格者はその場で
決定がくだされます。3人に1人が合格しましが
落ちた人達は2度と採用される事はありません。
今回の外国人研修制度のシステムを
公式訪問した協同組合の同業者、
関連企業は実態を見てとても感心していました。
送出機関の総経理は私達の為に2日間
各出先機関訪問に同行してもらい感謝しています。
システム内容は成都に滞在している
先生の部下 日本人2人幹部が役員として
動いて頂けるので来日してくる研修生も
受け入れるパン連盟の役員も安心できます。
手前が面接試験官になってる企業と現地に
滞在している日本人幹部です。
筆記試験中の会場風景です。
先ほど説明した大小3種類の豆を30秒間で
何個移せるかの試験です。
筆記試験中59歳の関連企業の役員と
私(68歳)が試しに挑戦しましたが
13~14個しか移動出来ず
2人とも手先が鈍っていて落第しました。
2人とも口先だけは達者ですが体力、
機敏な能力、器用差は歴然と落ちています。
失業したらどこの会社からも採用されないと
面接試験中の2人の採用企業の担当者を
除きパンダ動物園を見学してきました。
夫婦で来られたパン企業の奥様が
生まれて数ヶ月の(10キログラム)パンダを
抱いて記念写真を撮ってもらいました。
記念写真代にはお金も掛かりますが
世界中で直接パンダに触れて膝に抱ける所は
成都パンダ動物園だけです。
本来はパンダの仲間には入らないはずの
レッサパンダの放し飼い場所がありました。
しぐさがとても可愛くて普段仕事中は
孫について思い出す事はありませんが
孫のしぐさととても似ていて観ていて飽きないでした。
今回も家内同伴なので解説はいたしません。
外国人研修制度の実態パート13と牛牛福の美味しい焼肉
上海から朝一番の飛行機に乗って成都にきましたが
到着時間は1時間遅れで迎えに来てくれた
送り送出機関に心配をかけてしました。
その後四川省のハローワークを訪問し
提携校である調理専門学校を訪問し製菓専門を
視察したのちホテルに直行しました。
調理専門高等学校訪問記念写真
製菓専門学校から派遣していただければ
即戦力に成ると打ち分けられました。
製菓製パン教室では中国各地の生徒が
勉強にきていました。
残念なことに日本は少子化して我々業界には
優秀な人材を集めることは、難しい現況です。
調理専門高等学校視察後夕食に
「牛牛福4号店」で横断幕で
東京パン連盟の一行を迎えてくれました。
夕食は最近出店した「牛牛福」4号店を訪問しました。
4号店は330坪の大型店で驚いたのは
地ビールは自社製で提供できるよう設備されていました。
今回「牛牛福」焼肉レストランに地ビールの
大型設備が完備されていたのには驚きました。
ドイツのビール工場で勉強してきた社員が
提案した事に金総経理が即決で採用したそうです。
他店とのレストラン経営には大きな格差、差別化が
出てくると思います。
我々が来店した今日が初めての試飲で
2種類の(黒ビール)地ビールを飲ませてもらいました。
味は出来たてのビールで他店とはまねの出来ない
大型設備投資でした。明日からのお客様には
とても喜ばれると思います。
あまりにも美味しいビールなので数杯飲み干しました。
ジョッキーは最初から冷やされていていました。
わざわざイタリアから購入し手で持った感じが軽く
飲み口は最高です。
牛肉は大連の大型牧場での日本式飼育で作られた
霜降り肉が使われていてとても美味しく
満足できました。6月の考察団でも大連牧場の
見学も予定されているはずです。
お店の雰囲気もとても良く回りだけ見ていたら
中国で食事をしている感じはしません。
開店してから直ぐに軌道に乗せた金総経理の
経営能力には感心しました。
初めて泊まったブロードウエーマンションホテル
上海に到着後飛行場から高速リニアカーに乗って
終点から近くの展示会場までバス移動をしました。
今回のリニアカーの最高速度は300kmしか
出ていませんでした。
ベーカリチャイナ2009は毎年規模が大きくなり
日本で行われているベーカリーモパックの規模の
数倍あります。したがって最終日にあたり
全部見ることは出来ません。
日本からのパン機械会社は数社しか参加
していませんが世界中の製パン機械会社が
参加しています。しかし外国製をコピーをした
製パン機械も多く問題も多くあります。
今回初めて押切機械のブースが出ていましたが
受付の女性の選定基準には多少疑問が残りました。
会場では昨日から2日間視察に来ている
北京Qカフェーの総経理をはじめ弊社の
出向社員を含めて5名が視察に来ていました。
機械、製パン材料、技術は年々向上していて
事業に対して息抜きは出来ません。
中国の国内消費も年々拡大されて不景気は感じません
今回初めて泊まったブロードウエーマンションホテルの
窓から見える黄浦江(こうほこう)その支流に架けられた
ガーデンブリッチその先に1920代の
バンド 上海租界時代の歴史を感じさせます。
戦前の方々はどんな思いでガーデンブリッチ、
共同租界を観ていたのでしょうか・・・
ブロードウエーマンションホテル8階からの
ガーデンブリッチ16:00ごろと下は
ライトアップをした21:00ごろの写真です。
霧笛もまじかに聞こえてヨコハマを感じさせます。
いつも家内同伴が多いのですが最近時々私のブログを
読んでいて夜遊びには破目がはずしづらく困っています。
夕食が終わってライトアップされたガーデンブリッジから
ブロードウエーマンションが綺麗に見える所です。
バンド付近を散歩しながら旧横浜正銀行(戦後東京銀行)
旧香港上海銀行、英国領事館を観てきました。
確かに上海のこの付近は中国と感じない
大上海でした。和平飯店は未だに工事中で
ナイトクラブに行く事は出来ませんでした。
したがって今回の夜の探訪は日を改めて書きます。
白洲家の流儀を読んで
2~3年前に歴史上の人物 白洲次郎の
生い立ちから軽井沢ゴルフ倶楽部理事長までの
人生を書いた本を読みました。
その後もう一冊写真が多く載っている本も
読みました。ご存知の方が多いので詳しく書いても
参考になりません。当時日本人の大方は貧乏で
食べる物の満足に無かった時代でした。
吉田茂総理の参謀を勤めマッカーサーにたてつく
事のできる人物でしたが55歳で全ての役職を
辞めて軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長として
過ごしました。
今回小学館からでた孫の白洲信哉氏の書いた本は
とても面白かったです。おばあさんの白洲正子も
骨董収集、随筆家としても独特の切れ味で
私どもに分からない世界のことがわかり面白かったです。
前回読んだ2冊より孫から見た白洲次郎の方が
もっと魅力があります。一般には金持ちの思考の
道楽とブランド志向にこだわっている様にみえますが
決してそうではありません。
60歳になってから似合うジャケットはいくらブランドでも
買うことが無かったそうです。確かに我々とは
違う世界で活躍した方なので一般市民とは違うはずです。
子供の教育についても躾け以外は有名私立校に
推薦する事なしに子供本人がヤル気に(勉強)気が付くまで
本人が決めた進路に進ませたと書かれていました。
親戚の従弟が東京藝術大学に合格した時には
白洲次郎はあそこの大学は入るより出る方が
難しいので良い大学だと褒めたそうです。
本人も公立中学、高校では野球少年で過ごし
専修大学を卒業して元細川公設秘書をした後
執筆活動に入ってたくさんの作品を書いています。
白洲次郎のゴルフプレーはとても早く1ラウンド
3:30近くで回ったそうです。
ワインについてのウンチクは無さそうで
学生時代の親友ロビン卿からスコッチウイスキー
シングルモルトを毎年樽ごとカスクで送られたそうです。
当時手に入らなかった「グレンファーグラス」
「ブラックボトル」だったそうです。
彼自身は「ザ・マッカラン」をオーナズ・カスクで
個人輸入していたそうです。
私も何時の機会に山梨県諏訪まで行ってオーナズカスクを
指定してビンテージのシングルモルト{白州}を毎日飲む
楽しみを夢にみながら仕事に励みたいと思います。
勘違いしている方も多いので白洲(しらす)と
白州(はくしゅう)は同じ地方の
語源らしいですが洲、州は違います。
ヨコハマの行きつけのバーのバーテンダーが
よく間違えて注文する方がいますと話していました。
今現在は上海ベーカリーチャイナ展示会をみて
ブロードウエーマンションで休息している時です。
上海の詳しい夜の世界は後日詳しく書きます。



























