法人会の月刊紙より
一昨日遅く帰宅してからブログの下書きをして
事務所に出勤致しましたが工事が
まだ完全に終わっていません。
建物が古くなっているので工事も
思わぬところで追加工事が発生して
不況時の修繕費は苦しい出費になります。
製造に必要な機械、工場改築、工具備品には
いくら金を掛けても必要設備と思っていますが
事務所にかける金はもったいないと感じています。
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法人会の月例紙を読んでいたら経営者には
解っていることですが再確認ができて
心構えが意識されました。
「経営時評」欄に
本当に厳しい、先が読めない時代になってきた。
こんな時代に問われるのは、経営トップの
リーダーシップだ。
上智大学名誉教授の渡部昇一さんは、
「誰でもがダメだと思っている時に生き筋を
見出すのが真のリーダー」と指摘されているが、
まさにその通りだと思う。
ではその苦境を乗り切るためにリーダーは
どのように舵取りをすればいいのだろう。
「経済と経営は違う」
まず、考えて欲しいのは、
経済と経営は似て非なるものであるとゆうことだ。
経済が経営に大きな影響を与えることは
間違いない。それだけに経営者は経済動向に
一喜一憂しているばかりは問題は解決しない。
経済と経営は何が違うのか。それは数値のもつ
意味が違うのだ。例えば、GDPがマイナス10%と
いうのと、日本企業の経常利益がマイナス10%と
いうのでは、その意味するところが違うということだ。
経済指評の場合には、現実の姿をそのまま反映しているが、
経営指評の場合には、平均値に過ぎない。
マイナス10%とはいえ、伸びているところもあれば
10%以上マイナスのところもあるということだ。
景気が悪くなって市場規模が10%縮小したとしよう。
この場合に経営トップとしてどう考えるかだ。
市場が小さくなったのだから自社の業績も
落ちてもしょうがないと考えるのか
シェアを拡大すれば業績が伸びると考えて
「生き筋」を見出す努力をするのか・・・・
いうまでもなく、後者がいまの時代に求められている
真のリーダー像なのだ。
では、今回の厳しい不況を、企業はどのような
取り組みをすることで乗り切ればいいのか。
ひとつは、1973年のオイルショック後の不況を
克服する際にいわれた「減量経営」だと思う。
企業が抱えている無駄を徹底的に排除して、
生産性を高めることが何より求められる
時代だと認識したい。
かまた法人 2009 6月号より
上記の文章は疋田文明氏の文章から抜粋しました。
経営者でないと理解できない文章ですが
自分自身わかっていても実行に移すには一部社内の
抵抗もありますが貫きとおします。
力強い文章に感服しました。
ブログを休んだ本当の訳
5月30日から6月2日までのブログお休みの間
事務所の大改装をしていました。
工事中は落ち着いて仕事が出来ないので
家内同伴で小旅行をしていました。
現地からブログを書き続ける為にパソコンを
携帯していきましたが初日からパソコンの液晶画面が
暗黙状態になり使用不可能になってしまいました。
パソコンも事務所の大改装に合わせてお休みに
なりました。久しぶりに思いもかけずプレッシャーの
ない数日を過ごせました。
これで私の頭の中の大改装が出来たら更に
よいのですが(笑)
ブログを休んだ本当の理由が・・・
☆ 金策に追われて行方不明
☆ 愛人と逃避行は![]()
☆ 妻に追い出されて三行半
☆ 解任されて引きこもり・・・・
☆ 金策に追われて緊急入院
☆ 離婚話で家に帰れず
☆ ネタ切れのため。。。
☆ 酔いつぶれて国立横須賀アル中病院静養中
(高校時代のクラスメート4人目なる3名全員死亡)
☆ GMと同じく企業不振のため
☆ まだたくさんの理由がありますが・・・
☆印の中の理由でブログを休んだと、
思った人はいるでしょうね・・・???
成都市有名な「皇城老媽」の火鍋
成都市での送出し機関とのお別れパーティーは
町一番の繁盛店「皇城老媽」の火鍋になりました。
初めて成都で食べた時の火鍋店を思い出しました。
数年前荒木総経理と伊勢丹デパート出店計画中に
デパート工事が急ピッチ中でした。
荒木さんの知り合いで地元出身の方に
紹介されて行った最初のお店でした。
ビルの一階から3階まで使用した大型火鍋店でしたが
繁盛店なので予約無しでは1時間~2時間待ちは
当たり前でした。今回で2回目の入店でしたが
今回は送出し機関の計らいで特別フロアーの
ナイトショーがあり高い料金の一等席だと思います。
本場の火鍋の食べ方を動画で見てください。
我々が食べた火鍋は辛さを抑えたお子様用の
料理に近いとおもいます。
理由は数年前入店した時と違って
汗の量が違います。鍋は唐辛子、山椒の入った
赤いスープと白い普通だしです。
成都に度々考察団で行きましたが火鍋は皆さん
食べたことが無いと思います。
もしかしたら先生は火鍋そのものを正式な料理と
認めていないのかも知れませんね・・・
ジャンクフードの分類にいれて上品な食べ方に入らず
(ジャンクフード=がらくた、屑、余り物の意味、
何が入っているか判らないハンバーガーも
この分類に入ります。)
道端でも鍋さえあれば食べられる方法だからでしょう。
それに激辛となっていればその日暮らしの労働者に
うってつけの料理方法です。
夜中香港の油麻地の果物倉庫群の道端で
裸になって食べる風景をよく見かけます。
典型的なB級グルメの代表になりますね。
しかし私は大好きな料理に入れています。
香港の九龍城の「方栄記」を思い出しました。
陳麻婆豆腐本店での昼食
成都2日目の昼食は日本にも進出している
陳麻婆豆腐本店で会食をしました。
私も東京のお台場店、川崎ラゾーナ店で
陳麻婆豆腐の中辛を食べた事があります。
しかし本場の味と違ってイマイチでした。
先ず四川山椒の独特の香が薄く舌の先が
麻の辛さでしびれる事がないからです。
豆腐も日本製と違って現地の木綿豆腐は独特の
ニガリがあって添加物は使用していないと思います。
町中では豆腐屋で木綿豆腐を立ち食いさせてくれますが
皆様はどんぶりに入っている水で間違いなく腹痛を起こし
2日間は寝込んでしまいます。
しかしいったん麻婆豆腐に入っている油、水、四川山椒で
料理に出来上がれば問題はありません。
陳麻婆豆腐本店は通りをはさんで入口は2箇所あります。
こちら側から入ると調理場が見えるので
私にとって興味があります。
入口から見える調理場に興味があるので意識的に
デジカメを動画に切り替えて間違えたふりして
厨房に入って撮影しました。コークスの高熱で
煮炊きする音の迫力は日本ではできません。
高熱で炒めた野菜の緑色がきれいに料理できる
方法でしょう。
胡瓜の切り方も変わっていますが味噌だれが美味しです。
日本のキュウリより水々しく美味しいので
直ぐになくなりましたので数皿追加注文いたしました。
麻婆豆腐には山椒の粉が振りかけられて
ご飯に乗せて食べる方法が一般的だそうです。
料理の名前は店長に頼んで書き込んでくれましたが
昨日、遅く帰宅したので書くのは中止します。
四川省成都入りした最初の四川料理
上海から四川省 成都市に到着してからの昼食は
成都市の繁華街にある本店と違って空港からわりあい
近い支店で会食をしました。
店の名前は「錦里」で本格的な四川料理店でした。
上海料理はどちらかと言えば味は濃く甘味があり
日本人には好かれている料理だと思います。
しかし16名ほとんどの方が本場の四川料理を食べた事が
ないので観光客の行かない現地の料理屋で
口に入れただけで焼けどをするほど
山椒の麻(マ)のシビレと辛さにビックリしていました。
本場の四川料理の動画です。成都でも有名店
「錦里」の支店で昼食した時のものです。
考察団で成都に参加された方にはその山椒のシビレには
気が付いていません。
先生自身、超激辛は苦手だからです。
参加している高齢者には体にも良くありませんし
普通の日本人には舌が麻痺して感覚が分からなくなるからです。
しかし私は現地人が食べている辛さに、今回挑戦したい
気持ちがありましたので全ての料理を少しづつ食べました。
青唐辛子+赤山椒粉=超激辛スープにはさすがの
私も驚いてしまいました。
その日から数名 胃腸の調子が悪くなった人もいて
食事の度に辛さを気にしていました。
上海のブロードウェーマンション
5月14日 東京パン連盟協同組合で上海の
ベーかリーチャイナ2009の展示会視察を
記事にして現地からブログに書きましたが動画送信は
時間がなくてあきらめていました。
今回は上海料理店の写真と
ブロードウェーマンションホテル(上海大廈)の部屋から
撮影した動画をお見せします。上海滞在中は
考察団指定の花園ホテル(ホテル・オークラ)が
どうしても多くなります。
ブロードウェーマンションホテルは1934年オープン
横浜のホテル・ニューグランドは1912年創立80周年記念を
昨年迎えましたがお互いに歴史上の大きな出来事には
必ず出てくるホテルです。スパイ・ゾルゲも両ホテルを
舞台に登場しています。
20数年前はホテルが日本から予約出来ず現地の
知り合いに和平飯店(昔のキャセーパシリック)に
度々泊まっていました。当時は自動車も少なく
夜でもヘットライトの灯りはつけずテールランプだけで
走っている時代でした。
町中では何に使うか解りませんが公衆便所の
オシッコを集めている風景を度々見ました。
女性のスカート姿も滅多に見ることもなく人民服でした。
カラオケ屋(バー・スナック)に行ってもホステスは
お客の隣りに座る事も禁止されていました。
もしかしたら今でも法律はその通でも公安と
密接な関係でおめこぼしになっているのでしょう。
日本のパチンコ屋と景品買との関係みたいな物でしょう。
動画はホテルの部屋から黄浦江が見えて
ガーデンブリッチの昼、夜がきれいに写っています。
ブロードウェーマンションホテルの窓から見える
ガーデンブリッジは上海租界時代の歌によく出てきます。
デック・ミネの「上海ブルース」は戦前の昭和12年に
ヒットした歌でした。ガーデンブリッジの昼見る景色と
夜見る景色はとても違い租界時代の雰囲気があります。
今回の夕食は上海人にとても人気のある
端福園の上海料理で組合員、全員満足し堪能しました。
産経新聞の産経抄パート2
今回も又、産経新聞の産経抄に書かれていた興味ある
出来事を張付けておきます。皆様も考えてください。
いささか旧聞に属するけど、アフリカ・ソマリア沖に展開中の
海上自衛隊の護衛艦が、民間国際交流団体「ピースボート」の
旅客船を護衛した話題を取り上げたい。
ネットの世界でも、論議が盛んに上がっている。
ピースボートは社民党の辻元清美議員 が、
早稲田大学在学中
http://www.tamanegiya.com/ogatakenn21.5.3.html
の昭和56年、客船をチャーターしてグアムなどえのクルーズを
実現したのが始まりだ。その後も反戦を主張し掲げて
世界各地への旅を続けてきた。
平成4年暮れには、辻元さんを含めたメンバー約70名が、
カンボジアを訪れている。
▼わが国初の本格的な国際平和維持活動(PKO)に
参加していた自衛隊施設大隊を見学するためだ。
隊を取材中だったカメラマンの三嶋茂樹さんによると、
基地内で勝手気ままに振る舞う人たちに、
声をからして対応する広報担当者は、幼稚園の生徒ようだった。
▼「従軍慰安婦を派遣するうわさがある」
「帝国時代の軍人を尊敬している人たちがたくさんいるのか」。
対話集会でのメンバーの質問は、泥まみれになって道路の
補修などに取り組む隊員達への悪意にみちていたそうだ。
▼今回の海自の派遣にも反対していた。その海自に、
海賊から守ってもらったことを批判するつもりはない。
せめてこれを機会に船内で、自衛隊を含めた安全保障の
問題をまじめに論じ合ってほしいと願うばかりだ
▼ところで、今のところ小紙しか、ピースボート護衛の
事実を伝えていない。辻元さんが、設立を思い立ったのは
侵略を進出と変えたと報じた、例の教科書問題だっとそうだ。
誤報だったと認めたのも、ご存知の通り、小紙だけである。
以上のことが書かれていました。
サンデープロジェクトに毎回レギラー出演している
どこの本屋にも売っていない、聞いた事の無い
「インサイダー」編集長、高野孟 もソマリア派遣には
反対していました。田原総一郎もなんでこんな左翼の
得たいの知らない編集長を出しているのが不思議です。
田原総一郎 は朝までなまテレビで北朝鮮拉致問題で
生きていない拉致被害者の問題をいつまで続けるのかと
北朝鮮よりの発言をしていましたがこんな暴言がまかり通る
マスコミ発言は言論の自由と一緒にしてはいけません。
彼らは昨日の核実験に対して北朝鮮寄りのコメントを
どの様な理由を付けてするかとても興味があります。
私は左右にぶれない中立公平なな見方で判断いたします。
三人の名前をクリックするとネット上の彼らの実態が詳しく書かれています。
鰻の「山縣屋」閉店のお知らせについて
下丸子地区でウナギの「山縣屋」を知らない方は
まずいません。武蔵新田駅から30秒の所にあります。
味は都心の有名店より間違いなく美味しい店です。
但し私だけ客様扱いされたことがありません。
木造建築の耐用年数は償却済みで道路側に傾き
木枠で出来たガラス窓のサンは上下と
ピッタリ合わなく3センチちかく空いて隙間風が
吹き込みます。ガラスも古く景色がゆがんでみえます。
満席の時はお土産用を買って自宅にもち帰る
家内、セガレ2人、嫁、孫2人全員で会食しました。
お土産以外に余った「うな重」の山縣屋と書かれた
重箱を記念にプレゼントしていただきました。
しかし地元の常連客は一向に気にしていません。
火事になったら10分間で全焼する事は間違えありません。
消防署からも改善命令が出ていることは想像できます。
2階の宴会部屋は人数制限をして15名以上は
お断りしています。本来ならば40名近くの
お客様は入れる部屋です。
理由は床が抜け落ちる可能性があるからです。
私が座る席は窓側で屋根づたいに飛び降りれる
安全な場所を選んで座る習慣ができています。
しかし家族営業していた女将が高齢になり
65年間働きづめで引退をする事となりました。
それと古くなった建物がこれ以上使用できなくなったのが
最大の理由です。
毎日帰宅途中店の前を通って電車通勤していますが
夕方は予約していないと断られるほど繁盛していました。
今回の動画は過去に撮影した時の宴会風景です。
千葉県ヤチマタ4人組との会食風景です。
「閉店のお知らせ」を知ってから10日間に5回も食べに
行く事になりました。明日5/26日にも予約を入れておきました。
製造企業経営者の見方として
☆ 建物、厨房、設備造作は減価償却済み
☆ 銀行借入が無いので支払利息なし
☆ 支払は現金のみクレジットカード、Edy、スイカ
使用できません。
☆ 従業員に制服なし。料理人は下着の半袖シャツ一枚
☆ 福利厚生費の勘定科目ないと思います。
☆ 建物、厨房にかける修繕費無し
☆ 土地、建物は家族名義ですので家賃なし
☆ 家族経営なので残業、休日出勤などの手当ては
心配ないと思います。
☆ 就業規則がないと思うので決断も早く出来ます。
したがって健全経営で繁盛している店ですが
従業員全員高齢者になり後継者のいないことも
閉店の一つと思います。
当社は経営姿勢に開きがある後継者(セガレ)がいますが
事業を引き継いで自分なりに軌道修正をしているので
我慢して今回の経済不況を乗り越えてもらいたいと念じています。
商売はで能力の無いセガレでは倒産しますが、
政治家には例外もありますが地盤、看板、カバンがあるので
バカ息子、娘でもそれ以上バカな選挙民がいますので当選しますね。
白州次郎の功績を動画でお見せします。
昨日は私の友人3名の入会面接試験と同伴プレーが
行われましたので、その結果を知りたい理由もあります。
もしかしたらプレー中、気を許して立ち小便でもしていたら
入会拒否されることもありますので少し心配をしています(笑)
何しろ私の親友ですから・・・
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昨日のブログに終戦後 時の首相吉田茂の参謀を勤めた
白州次郎の言葉「戦争に負けたが奴隷になった事ではない!」
彼が参謀でなければ昭和40年代から60年代の
経済発展は無かったと確信できます。
1-4【白洲次郎】マッカーサーを叱った男~戦後復興への挑戦~
今回のブログは上に書き込みました1-4から<2、3、4と
続いて動画を見ることができます。
NHKで採り上げられた実話をyou tube で連続してみる事が
できます。動画の中心部をダブルクリックすると拡大されて
下から画面の大きい動画が出てきて観終わると続きの動画集が
出てきます。
観終わった感想はコメントでいただければうれしいです。
しらす じろう 明治35年(1902年)2月17日 - 昭和60年(1985年)11月28日) 日本の実業家。終戦直後GHQ支配下の日本で吉田茂の側近として 活躍し、貿易庁(通産省)長官等をつとめる。独立復興後は、東北 電力会長等を歴任した。夫人は、作家・随筆家の白洲正子。 イギリス仕込みの流暢な英語力、185cmの長身、日本で最初に ジーンズをはいたダンディーな男。




























