下丸子へ通う75歳の元社長のブログblog -147ページ目

昨日に続いて横浜カクテルの話

昨日のブログの話からカクテルについて教えてもらったことを書きます。


銀座一丁目にあるカクテルで有名らしいバーで、一ゲン客の扱いで

叱られたことからヨコハマのバーの話になりました。


その続きを書きます。

日本で最初のカクテルは関東大震災前のヨコハマにあった

「グランドホテル」のバーからといわれています。


当時のカクテルで有名になった

バンブー」はホテルに勤めていた欧米人の

バーテンダーが持込んだカクテルだそうです。


客船から降りた紳士淑女を魅了したと書かれています。

世界的なカクテルはヨコハマから生まれたそうです。



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横浜で誕生し、世界的に広まったカクテルは数多い

手前は「ヨコハマ」奥左はミリオンダラー、右半分は「バンブー」


その後、建て替えられたホテル・ニューグランドの

バー・ シーガーディアンⅡ で、今でも人気ナンバーワンは

ヨコハマ」と言われるカクテルです。


ミリオンダラー」は昭和初期の不景気な時代に

大金を夢見て創作した逸話があるそうです。


それに横浜の名門バー「パリ」で生まれた

チェリーブロッサム」を加えて横浜生まれの世界的

四大カクテルと教えてもらいました。


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ホテル・ニューグランド高橋名誉料理長の「横浜流」

一番最初にカクテルバーで飲んだのは20才代

横浜山下町コンテナ通り戦前のビルの地下にあった

「スリー・ネイション」でした。建物は今も残っていますが、

その後、警察病院に変わり今は空家です。

現在は建物を保存するかどうかで横浜市が管理しているのでしょう。


オーナーは大桟橋の角にある北欧料理「スカンデァ」の

浜田社長が経営していました。


当時はお洒落な店で国際色のある

雰囲気で東京ではみられないサービス方法でした。

フロアー中央には大きなテーブル上にスモーガスボード料理、

冷たい料理から温かい料理が並んで置かれていました。


停泊中の航海士、山手の住民、本牧の海軍士官達も常連で

若い時の私は数回行きましたがお金が続かず

伊勢崎町裏手の銭湯を改造し、中は屋台風、

何でもありの根岸屋で飲んでいた思い出があります。


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今回、カクテルの文章はホテル・ニューグランド

高橋名誉料理長の「横浜流」の本を参考に書きました。

根岸屋の店内はラーメン、寿司、洋食屋、スタンドバー、おでん

トンカツ、ジュークボックス等の低価格料金設定でした。

客種は白、黒、黄色の下級船員、沖中師、大岡川に停泊中の

だるま船作業員、ニコヨン=日雇人夫の溜まり場でした。


(根岸屋は黒澤明監督昭和37年作品「天国と地獄」での

麻薬の受け渡しシーンのイメージに利用したそうです。)


値段が安い、早い、量目大、旨い・・・?が魅力でしたが

今は取壊されて売却後ソープランド地区の一部になっています。


但し根岸屋は昭和37年~44年ごろの青春時代の話です。







今日から2月、新年会はこれで終わりになりました。

先週の週末は最後の賀詞交換会、新年会、

時間帯がずれて同じ日に2回の新年会が数回ありました。


おまけに1月30日土曜日は仕事と関係ない

酒飲み集団、船橋組がわざわざ都心まで出て来て

内幸町、航空会館内のスエヒロですき焼き会食を兼ねた

新年会をしました。


すき焼き会が終わっても、もう一軒行こうと誘われ

銀座1丁目にある高級?バーに行きましたが

横浜のバーと違って一ゲン客は胡散臭く観られてしまいました。


カクテルの有名な店と聞きましたが、カクテルは

数十年前に卒業し、白州しか飲みません。

今流行りのハイボールも飲むこともありません。


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言葉使い、声の大きさ、服装、おまけにB級グルメ特集用に

デジカメを取りだした途端に一声

「当店は写真撮影はご遠慮ください!」

品性、品格、この田舎物と客だねをみて判断したと思われます。


他人様を写すつもりは全く予定していませんが、

大声で話す仲間達なので嫌われた感じもあると思います。

紹介者◎君には気の毒な思いをさせてしまいました。


私の行き付けのヨコハマは、どのバーも一ゲンさん、

多少客だねが落ちてもあたたかく、もてなししてくれます。


出船、入船の港町の人情が残っているのでしょう。

船員、船旅のお客様に思い出に残るような客扱いが

伝統になっていて今でも残っているのでしょう。


ホテル・ニューグランドのバーが混んで座れない時は

バーテンダーが近くの雰囲気のよいスタンド・バーまで

同行して店まで案内してくれます。

そのスタンド・バーで飲んでいる時に外国人を案内して来た

ホテルのバーテンダーとバッタリ会ったこともあります。


したがってどの店もぼったくり料金はありません。

案内されたお客様は感激しているはずです。


銀座1丁目のバーは雰囲気が合わないので早めに切り上げ

タクシーでホテル・オータニの行き付けのバーでくぬぎ山の

名士が入れているボトルを飲むだけ飲んで帰宅しました。


新年1月の平日は仕事優先の「5時から男」に変身しています。

せめて土曜日は休肝日にしたいのですができません。


翌日、日曜日のゴルフは体調不良を理由にプライベートコンペを

キャンセルして一日中休息日にしていましたが、隣りのセガレ、

4歳の孫と一歳の孫が遊びに来て暴れるだけ暴れて

昼寝もできず困ったことです。











よく眠れる?空港の記事に興味がありました。

産経新聞に利用する空港の人気投票の記事が書かれていました。


今年、2つのカジノやユニバーサルスタジオがオープンする

シンガポールでは、空の玄関口チャンギ国際の改修に

余念がない。4つのターミナルビルのうち格安空港用の

バジェットターミナルは搭乗ブリッチを7基から11基に増設。


大手空港用の第一ターミナルも改修工事中と、常に

リニューアルしているせいか、利用客数は世界19位だが、

人気投票では常に世界トップクラス。


最近もバックパッカー向けサイドの人気投票で13年連続

となる最高の「金のまくら賞」を確保した。


受賞の理由は清潔なうえ、ただで眠れるイスが多いこと。

さらに無料で使えるパソコンや映画館、

それに市内観光ただ。「外のホテルに泊まらず空港に

泊まるほうがいい」との評も。


2位は韓国・仁川、3位は香港国際空港だった。

一方、最悪とされたのはパリのシャルル・ドゴール空港。

混乱して汚いばかりか「従業員の嫌がらせが多い」と

批判が集中。以下モスクワ・シェレメチェボ空港、

ニューヨーク・JFK空港と続く。


ちなみに日本の空港は良くも悪くも10位以内には入っていない。

世界中で格安航空が人気を集め、安上がりの旅行を望む人が

増える時代に、ハブ空港を目指す日本の成田や羽田も

こうしたバックパッカーの声を意識したほうがいいかも。


と書かれていました。小さな記事なので海外の

友達、知り合いに知ってもらう為にブログにしました。











榎本泰子薯「上海」はとても勉強になりました。

一月は新年会、賀詞交換会が一週間に数回あり

一日で重なった日があり飲みすぎてブログを書くヒマも

なくなってしまいました。


帰宅した時は酔払っているのでまともな行動、

言葉遣いができなく周りの人には少しだけ迷惑を

かけていると感じています。今日の話題は「上海」です。


上海には昭和58年(27年前)初めて観光で訪問して以来

行った回数も数え切れないほど多くあり、

上海を舞台にした小説もたくさん読んでいます。

しかし今回買った上海の歴史はとても勉強になりました。

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有隣堂書店で立ち読みしていた、榎本泰子薯「上海」が

面白かったので、つい買ってしまいました。

上海に渡った日本人の生活の様子を詳しく書かれています。



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1832年にイギリス東インド会社が上陸した時代。

1845年(165年前)イギリス租界設置したいきさつ

1992年鄧小平が経済特区に指定しなかった事に

後悔して改革開放の大号令を出した話までを詳しく書いています。


榎本泰子女史は音楽関係の本が多く、

なぜ上海か・・・と思っていました。私が興味のあった

上海租界時代活躍したマヌエラ さん(和田妙子)を

知っている方は少数派になるでしょう。実は私も昔 雑誌かテレビで

知った記憶がありますが実態は解らなかったのです。


李香蘭、川島芳子、はだれでも知っている

名前ですが杜月笙、サッスーン財閥、デント商会

ジャーデン・マセソン商会の上海の歴史には必ず登場します。

孫文、宋慶齢、宋美齢、蒋介石も上海租界に住んでいました。


白系ロシア人、ユダヤ人がなぜ上海まで来て住み着いたか。

今読みかけの中公新書発行 榎本泰子著 「上海」

この本は上海がイギリス、清国とのアヘン戦争で

負けて上海を占領した時からの歴史を詳しく

書いています。


誰でもその程度の歴史は知っているでしょうがはじめて知る

出来ごと、習慣、差別、上海の臭い、とても面白く

読み応えがありました。上海が租界になった時から

租界が無くなるまでの歴史が書かれている本です。


上海のバンドをはじめて見た時は昭和40年時代の

ヨコハマと似ているのにビックリした思い出があります。


日本航空は再生されないと思います。

日本航空の再建については民主党連立政権の方針でした。


自民党政権が数十年にわたり政治家の利権がらみで

ダメにしたことは事実でしょうが前原国土交通省の

報道には毎回言う言葉が変わってきました。


最終的には負債総額2兆円に及ぶとされていました。


企業年金カットする事にも時間がかかり

労働組合自体も日本エアシステムを統合して

8労働組合があるそうです。


共産党系組合から全労まで幅広くあるそうです。

パイロットの年収が3000万円、客室乗務員が

700万円~800万円は一般国民には理解できないでしょう。


スカイマークエアーの平均年収はパイロットを加えて400万円と

産経新聞には書かれていました。100%民間会社ANAでさえ

ビックリするほどJALは高給取りぞろいです。


二兆円ちかくの借金を棒引きにする事は最終的には

国民の税金をつぎ込むことになるので、いやになります。

焦げ付いた民間の銀行、株主の株券は紙くずになりました。


私は又資金繰りに困って国鉄時代の二の前になると確信しています。

新役員はトコロテン方式で下から上がってくる社員が

就任する事じたい間違っています。稲盛さんだけでは

上手くいかないと感じます。


中小企業社長とかけはなれた経営感覚はもう一度失敗して

再度税金投入する事になるでしょう。


国鉄再建にたずさわった政治評論家 屋山太郎氏も

日航に一兆円の下駄をはかせて全日空と競争させる愚作だ。


企業努力をしてきた側の会社を潰そうというのか。

日航は一旦破産させて新会社をつくる以外に

再生の道はないと知るべきだ。

と産経新聞「正論」に書かれていました。


日本にはANA、スカイマークエアーの2社体制で日航は潰して

解散させた方が今後税金投入がなくなり良いと思います。













日本国債神話 崩れる日

今週の日経ヴェリタスの一面は「国債神話 崩れる日」


米大物投資家が日本国債を空売りする標的にしている。

ヘッジファンド、グリーンライトを率いるD・アインホーン氏。


国の債務が国内総生産(GDP)の1.8倍に上がる日本の

危うさに厳しい目をむけている。


先日の書きましたがクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)

保証料率は中国より下で日本はすでに、他の経済大国に

比べて信用されていない。


市場には1400兆円の個人金融資産が銀行預金などを

通じて国債の買い手になっているから大丈夫という

共通認識がある。


だが国債通貨基金(IMF)が公表した試算が、

そんな楽観論に冷水を浴びせた。


限界が見えつつあるのは個人マネーだけではない。

高齢化を受けて積立金の取り崩しを始める公的年金も

国債を買い支える余裕はない。

野村證券アナリストでは700兆円の国債残高が

2018年度には1000兆円を突破するとみています。



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こうした状況を、

「規律のない財政運営は、日ごろの不摂生さしあたり

特段の問題をおこさない生活習慣病、

メタボリックシンドロームに似ている。あるとき突然、

国債の信認が崩れる時が来る。」と警告する。


まだまだ内容は詳しく書かれていますが自分では

国債など買ったことがなくても多大な影響が出てきます。

2面には

「個人資産が支え」いつまで発行200兆円時代、

危うい資金調達」


投資家の国債離れじわり「公的年金は資産取り崩し

郵政は運用多様化へ」


日本の信用力は「欧州の2線級」詳しく書かれています。

日本株が20年間上がらないこと一つとっても

今後も値上がり期待薄と考えられます。















受験のシーズンに思うこと

この時期自宅近くのバス停には受験生らしき

親子連れが多く見られます。

近くには文武両道と言われる桐陰学園があります。


受験校の下見だろうか彼らにはなぜか不安と緊張が

見られ毎日頑張っている様子がわかります。

わたしの2人の息子もこういった時期があったはずだが

当時のわたしは仕事に精一杯で全て家内任せだった。


なので受験の勉強、受験校の選定などはもちろん助言も

口出しをした覚えがありません。唯一学費の応援だけでした。


でも私は合格時よりも不合格の時に子供にかける

言葉だけは用意しておこうと思っていました。


そして、息子の入った学校は第一志望校ではありませんでしたが

その学校が本人にとって一番良い学校だと言ったかと思います。

なにせ昔のことで具体的な文言は覚えていませんが。


学校はどこに入ったかが問題ではなく卒業してからが勝負で

真価が問われると思うのです。そして失敗を繰り返しながら

大人になり物事の分別がつくようになります。


ケータリング(弁当)日本一にした玉子屋社長は

部下を魚にたとえて天然物(ワル)を真っ当な実力者に育てて

教育パパ、ママで育てられた養殖魚は求めていません。


競争試験に失敗しても何も恥じることはないのです。

失敗したことのある人の方がのちにその経験が生きて

その辛さ悔しさに耐え根性が生まれるのです。


私が言うと負け惜しみに聞こえそうですが・・・・・・


当社に訪問してくる仕入業者(上場会社)の

温室育ちのボンボン社員ばかりは話相手には物足りません。

商談で来社してきてもめんどくさくなり会う気にもなりません。


失敗を重ねれば重ねるほど、学ぶことが多く深みも増します。

なにせ失敗は最良の先生なのです。


受験生には今までやってきたことを信じて試験に臨み

結果を恐れることは決してないと言いたい。

周りの人は励ましが逆にプレシャーになることだけは避けよう。


そして世の中思い通りにいかないのが常であると考えて

受験期を乗り越える気構えを持ってすれば恐れることはない。

幾度もの挫折を味わった私が言うのである。























愛川欣也パックイン・ジャーナルの反対意見のコメントより

東急ケーブルテレビ31チャンネルに民主党連立政権を

ほめたたえる番組の一つに朝日グループの

「ジャーナリズムTV「朝日ニュースター」

「愛川欣也パックイン・ジャーナル」があります。


愛川欣也をはじめコメンテーターの

反応が片寄りすぎて中道にはかけ離れた番組です。


「自民党政権時代は時の政府を批判するのが

ジャーナリズムの使命」と話していた愛川欣也は

今は時の連立政権を擁護する番組です。

(私は自民党支持者ではありません)


間違っても曽野綾子、大宅映子クラスの方々には

お呼びがかからない番組です。一度人選を間違って

金美齢女史をコメンテーターで出演した時は番組が荒れて

とても面白かったにですが、もう二度と出してもらえないでしょう。


思想信条のかけ離れた私も時々「コメント」を書き込みましたが

反対意見の集中砲火をあびた事もありますが相手の本音が

みえて面白いものですが相手のコメントのウソも解るので

暇つぶしに書き込みもしています。


パックイン・ジャーナルファンは企業、事業経営、金の流れ、

商売に関して経済の解っていない無職、向上心のない

平社員、主婦向きの番組でした。


下記の面白いコメントがありましたので貼り付けしました。


投稿者:bird さんのコメントを転用しました。

あまりにもおもしろい書き込みなので転載してみます。

日本には謎の鳥がいる。

正体はよく分からない。


中国から見れば「カモ」に見える。


米国から見れば「チキン」に見える。


欧州から見れば「アホウドリ」に見える。


日本の有権者には「サギ」だと思われている。


オザワから見れば「オウム」のような存在。


でも鳥自身は「ハト」だと言い張っている。


私はあの鳥は「日本のガン」だと思う。


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オザワ「オオム」の言葉は少しづつ変わってきているのは

学習効果の現れでしょうか・・・


愛川欣也ファン、パックイン・ジャーナルのファン

民主党支持者には腹立たしい標語でしょう。












テロ、ダッカ事件での日本対応は間違っている

1月24日早朝より大利根CCまでセガレと行ってきます。
今日こそラウンド100を切りたいと思っています。
セガレは私とは一緒に回ることはありません。

下手くそですが十数年間ではHP10でした。
クラブハンデを下げたくないので試合には絶対に出ません。
私のせめてものプライドがそこで維持されているのです。

昨日PCから昔の事件を見ていました。

YOU TUBEにはビックリする動画がたくさんあります。

今回は当時福田赳夫首相が日本赤軍ダッカ事件で
「人命は地球より重し」と発言して当時の金額で
現金16億2千万円、犯罪人、死刑囚を含む
9名ちかくを開放した事件がありました。

その後に多くの飛行機に関するテロ事件が発生しました。
もちろん重信房子赤軍の指示があったのでしょう。

今は帰国がばれて刑務所に入っていますが重信の娘は
朝日グループのジャーナリズムTV『朝日ニュースター』
のテレビコメンテーターをしています。

他の新聞社では採用は絶対にできないことでしょう。



トルコがなぜ日本国に友好を感じているか

トルコは過去2回観光していますがイスタンブールは

好きな都市に入っています。とくにバザール市場は

迷路になるほど分かりずらくいったん迷うと

入口に中々たどり着けなかった記憶があります。


町中で立ち売りしているパンが美味しくて

ビックリした事も有ります。


東洋の文化と西洋文化の接点で混ざり合ったところが

異国情緒を感じ、もう一度訪問したいと思っています。

ネットで調べているうち下記の記録が書かれていました。

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明治23年9月16日、トルコ皇帝ハミル2世が

日本に派遣した特使一行を乗せた

エルトゥール号 が帰路、暴風雨に遭い、

和歌山県串本町沖合で岩礁に

衝突し遭難するという事故が起きたました。


http://sisikaikan.at.infoseek.co.jp/607hamo/turky.html


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この事件は私が好きになれない「愛川欣也パックイン・ジャーナル」

の書き込みに書かれていたハンドルネーム「つる」さんが

コメントの一部に貼り付けていたのものです。