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韓国から見た日本国民とは

知人から韓国から見た日本国民とは
下記の文章でメールが届きました。

私は戒厳令がひかれていた朴大統領時代に2回ほど訪韓したことが
ありますが、毎日焼肉を食べさせられて参ったことがありました。
当時ゴルフ場にも行きましたがゴルフ場の食堂、売店での値段が
日本人と韓国人と違って不快な思いでもありました。

40年前日本オープンをNHKがはじめてテレビ中継した
大利根カントリークラブで開催され韓長相が優勝した年だと思います。

当時の話では韓長相プロは
「キャデーさんに相場のチップが渡せないでごめんね」と話したそうです。
当時の韓国は外貨不足と韓長相プロ自身の生活も大変厳しい時代でした。
在日のスポンサーがいなければ日本で活躍が出来なかった時代です。

今の韓長相プロの普段の仕事は何をしているのか知りたいですね。

メール
長い文章なので興味のない方は飛ばしてください。
わざわざこんなメールが届いたので貼り付けしました。
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(貼り付け始め)皆さん長いメールです
時間のあるときに目を通して下さい。
『韓国マスコミは、日本に対して海外メディアが感嘆する反応を見て、記事の内容を180度変えだしたようだ。 「日本沈没」、「韓国の反射的利益」、「東北大地震、日本列島がバリケード効果‥‥韓半島まで直接影響なし」の記事は、どこに行ったのだろう‥‥』

下記に長い隣国韓国のメディアの地震津波の何日か後の記事があります。
知人から転送されてきたものです。

読者の方が地震直後の韓国メディアの記事を読んでいました。その方は下記の記事を読んでそれに対する上記の様なコメントを書いています。

海外メディアの賞賛の記事は少々一般紙で目にする事は出来るが、この様な記事は日本の新聞いは先ず乗らないから一般の日本人は知る由もない。

下記の記事だけを見たら日本人でよかった、誇りを持てるとうれしいですが、地震直後のこの国のメディアは上記の様なことを大見出しで伝えていたそうです。

どちらも真実でしょう。

石原都知事が天が下した。。。。も。。を得ていると思えるから不思議です。
常に裏表がある、これも真実です。
きれいごとと言うか、本音はしまい気持ちよくコメントをいただきましょう。

この件は心にしまい、一日も早く被害者の方々が安堵できる復興に力を費やす事が最優先と思います。

感謝奉仕

SK氏より
---------- 転送メッセージ ----------
From:
日付: 2011年3月18日9:16
件名: Fw: Fw4:[EXA] 韓国の新聞記事。。。。。。です。以下転送します。
**転送元のメール**
[EXA-AGC]グループの掲示板に投稿があったことを、Yahoo!グループよりお知らせいたします。
--。。。。。から頂きました。転送します。
日本人を高く評価してくれています。
日本人(日本的な教育の影響を受けた外国人も含み)としての誇りを持ち、力強く復興したいものです。

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外国から見た災害時の日本を韓国の中央日報が「社説」として記述していましたのでご紹介します。
お昼休みにでも読んで頂ければ幸いです。

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【社説】大災難より強い日本人

全世界が日本の大地震に2度の衝撃を受けている。 まずマグニチュード9.0の超強力地震がもたらした残酷な被害だ。 巨大な津波で約2000人が死亡し、1万
人以上が行方不明となった。 宮城県のある村は住民の半分が行方不明になったという。 原発も心配だ。 日本政府は福島原発周辺の住民21万人を疎開させ、海水で原子炉を冷却する非常措置に入った。 不純物の混入で原子炉を事実上廃棄する劇薬処方だ。 日本列島が連日、地震、津波、原発危機に呻吟しているのだ。

もっと驚くのは不思議なほど冷静な日本人だ。 死の恐怖の中でも動揺しない。 避難要員に従って次々と被害現場を抜け出し、小学生も教師の引率で列を乱さず安全な
場所に移動した。 地下鉄・バスの運行が中断すると、会社員は会社から支給された緊急救護物品をかついだまま静かに家に帰った。 みんな走ることもなく3-4時間ほど歩いた。 翌日はいつも通り会社に出勤した。 想像を超越した大災難と日本人の沈着な対応に全世界が衝撃を受けている。

私たちは大規模な自然災害が過ぎた後に発生する数多くの無秩序と混乱を目撃してきた。 昨年22万人が犠牲になったハイチ地震がその代表例だ。 「地震よりも無法天地の略奪と暴力がもっと怖い」という声が出てきたほどだ。 ハイチが開発途上国だからというわけではない。 05年にハリケーン「カトリーナ」が襲った米国のニューオーリンズでも暴力と腐敗が相次いだ。 こうした記憶のため、日本人の冷静さがよりいっそう引き立って見えるのかもしれない。 惨状を前に泣き叫ぶ日本人はほとんど見られない。 地震の混乱に紛れて強盗や殺人事件が起きたという話も聞こ
えてこない。 テレビの画面は、列に並んで救護食品を受け取ったり、売店の前で静かに待った後、必要な分だけ購入していく風景ばかりだ。

ただ地震が頻発する日本の地理的特殊性だけでは、こうした現象をすべて説明することはできない。 徹底した耐震設計と速い警報システムが被害を減らしたのは事実だ。 徹底した事前教育と避難訓練も間違いなく力になっている。 一つの国の真面目も大事件を迎えてこそ表れる。 それがまさに国民性だ。 全身が凍りつくような恐怖の前で、日本人は落ち着いた国民性を遺憾なく発揮している。 1995年の阪神・
淡路大地震当時、意外にも20%ほど円高が進んだ。 日本の国民性を誤って判断した海外投資家は痛い目にあった。 最近の円高も国際金融市場が災難の前で団結する独特の国民性を看破したためだ。

日本人は沈着な対処で阪神・淡路大地震を乗り越えて自ら立ち上がった。 今回の大地震の傷もいつか治癒されるものと信じる。 むしろ私たちは日本を見て、韓国社会の自画像を頭に浮かべる。 災難現場でテレビカメラが向けられれば、表情を変えて激しく泣き叫ぶことはなかったか。 天災地変のため飛行機が少し延着しただけで、一斉に大声で文句を言うことはなかったか。 すべての責任を無条件に政府のせいにして大騒ぎしたことはなかったか。 隣国の痛みは考えず、韓国に生じる反射利益を計算したことはなかったか…。 私たちは自らに厳しく問う必要がある。 また災難と危機の際、韓国社会の節制できない思考と対応方式を見直す契機にしなければならない。 私たちは依然として日本から学ぶべきことが多く、先進国へと進む道のりも遠い。

原典: 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138189&servcode=100&sectco
de=110


<東日本大地震>「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた(1)

(1)待避所の譲歩
うどん10食、50人が「お先にどうぞ」

(2)人のせいにしない
恨んだり抗議する姿はテレビで見られず

(3)災害で手を取り合う
議員ら政争中断、作業服着て現場へ

(4)落ち着き冷静
日本全域で略奪報告1件もない

(5)他人をまず考える
「自分が泣けばもっと大きな被害者に迷惑かかる」

#「お先にどうそ」「いえ、まだ大丈夫です」

マグニチュード9.0の大地震と10メートルを越える津波が東日本を襲った後の11日午後6時、秋田県秋田市のグランティア秋田ホテル。停電で暗黒に変わったホテルのロビーでは奇異な場面が演出された。

ホテル側が、「電気が来るまで宿泊客を受け入れられない」と案内すると、すぐにロビーに集まっていた宿泊予約客50人余りが静かに列を作り始めた。誰も何も言わないのに老弱者らを前に入れた。暗黒の中に一筋の列ができた。順番を争う姿は一切なかった。しばらくしてホテル側が、「停電で夕食を提供できない」として緊急用にうどん10皿を持ってきた時だ。うどんに向かって駆け寄るどころか、誰もが他の客
の空腹を心配して後に後にうどんを回す“譲歩のリレー”が続いた。被害が最も大きかった宮城県・岩手県をはじめ、日本全域で人のない商店で略奪行為があったというニュースはまだ1件もない。

#宮城県北東部に位置する南三陸沿岸地域。集落の大部分が消え、火災で黒く燃えた森の跡だけが残っている。津波で陸地に打ち上げられた船舶は船尾を空に向け逆さまに地面に打ち込まれている。今回の地震で最大被害地域のここでは、“行方不明者1万人”といううわさまで出回る。しかし大声や怨みの声は聞こえない。避難所に集まった100人余りの住民らは日本のメディアとのインタビューでも低い声で、「早く復旧するよう願うだけ」としながら“明日”を話す。誰のせいにもしない。足りない水と毛布を分け合ってお互いを慰める感動的な場面が電波に乗っている。

日本赤十字社組織推進部の白田課長は13日、「個人と企業から寄付と救護物資が殺到している」と話した。政府に向かっていつも吠えていた野党議員らも作業服に着替え国を救うために裸足で出てきた。危機の際に手を取り合う共同体意識は日本社会の底力だ。

原典: 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138172&servcode=A00

<東日本大地震>「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた(2)

#韓国で災害報道をする時に犠牲者を取材するのは普通だ。遺体が安置された葬儀室と病院の姿が時々刻々と現れる。しかし日本の大地震報道で日本メディアは違た。津波で家屋と車両が押し流される場面がテレビにしばしば映るが、どのチャンネルでも津波に巻きこまれる人の姿は見られない。“死んだ人もこの世に残る”という日本人特有の死生観のためだが、泣き叫んだりしくしく泣く姿もなかなか画面で見る
のは難しい。テレビ朝日のある関係者は、「災害予防のための目的の他には一般市民に大きな衝撃を与える場面は最大限控えるというのが災害報道の暗黙的ルール」と話した。11日に地震が発生した後、津波警報が解除された13日明け方まで、すべてのテレビ番組の司会者はヘルメットをかぶっていた。このように地震の規模や被害の規模とは異なり、日本は恐ろしいほどに冷静で落ち着いていた。理由があった。

例えば東京副都心の新宿に位置した四谷交差点にある消防署。12階建ての建物の10階の外壁には目立つ線が引かれている。この線は地上から高さ30メートルを知らせる表示だ。そのそばには、「この高さは1993年の北海道南西部地震で奥尻島を襲った津波の高さ」という説明がついている。津波というものはいつでも自分に起こりうる問題だということを認識させ、普段の準備が必須ということを知らせるためだ。

日本人は粘り強く一貫した災害対処教育を幼稚園の時から受ける。机の横のフックにはいつも災害に備えて頭にかぶる防災ずきんがかけられている。地震が発生すれば「防災ずきん着用→机の下に待避→運動場に待避→秩序確保」まで目を閉じてもできるほどだ。徹底した災害予防教育は小学校入学後に初めての授業で習う「迷惑をかけるな」という日本固有の精神価値とともに、大型災害に落ち着いて対応するようにする秘訣だ。ここには自身に訪れた境遇を宿命として受け入れる日本人の特性も作用する。

災害にあった日本人が泣き叫ぶことがほとんどないのも、「自分がそうした行動をすれば自分よりも大きな被害にあった人たちに迷惑になる」という極度の配慮精神のためだ。災害現場で見た日本の姿。それは「日本はある」だった。

原典: 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138173&servcode=A00


絶望から希望を、韓国が日本の力になろう…国民みんなで応援

いま大韓民国では日本への同情と心配、応援があふれています。光復(解放)後、日本に対してこのように温かい感情が広がるのは初めてです。日本が大災難に直面しているのを見て悟りました。日本は私たちの最も近い隣人でした。

いま大韓民国の国民は日本の痛みを揶揄する人たちに対して憤り、日本を応援する心に対しては限りない拍手を送っています。天災で深い傷を負った方々を助け、日本の皆さまに勇気を与えられればと思う韓国人が列をなしています。

中央日報と韓国新聞協会はこのたびの東北地方太平洋沖地震で被害を受けた日本の被災者の皆さまの救済の一助として、大韓赤十字社・全国災害救護協会・‘みどりの傘’子供財団などとともに共同募金活動を行います。

日本からの要請があり次第、国内の医療・救護団体とともに医療陣とボランティアも派遣する予定です。

(貼り付け終わり) あまりにも長いメールなので飛び飛びに読みました。

私たちの出来る事から

東日本は未曾有の大震災にあいました。


繰り返されるテレビの映像を見て悲惨な現状に言葉を失いました。

被災者の思いを胸に食品業にたずさわる者として少しでもパンを

多く生産し届けようと社員一丸となって徹夜にちかい数日を過ごして

いました。得意先には大病院、学校、横浜のホテル宿泊者の中には

東北地方避難民の一部のかたがたもいます。


わずかですが一助になったと言う思いです。生産で応えられない分は

義援金としました。


この間計画停電などで混乱が生じましたが何とか辛うじて生産できた

事はありがたいことでした。家庭では被災者を思い最低限の消費電力で

過ごしています。先ずは自分達から出来る事をわずかでも継続して

生活しようと話しています。


4日間ブログを書くことを中止した事の第一原因は

いつもの事ですが独裁者になったつもりで緊急事態は社員、従業員全員を

徹夜にちかい過酷な肉体労働条件で働かせた為です。


大地震直後のJRを始め私鉄全線運休になり出勤できません。

したがってその日の夜勤者の出勤ができません。

そのあおりで日勤者は夜勤者の仕事を続け翌日日勤をそのまま続けました。

サラリーマン社長では絶対に出来ない非情な人使いで悪徳経営者だと

一般の人には思われても仕方がないです。

リビアのガダフェ大佐とさほど違いがありません。


二日間一睡もせず30時間働いたことになりました。労働基準局に訴えられれば

社長は犯罪者になってしまいます。4日間、毎日真夜中の2時過ぎまで

過酷な肉体労働を不平不満一つ言わないで頑張ってくれました。


厳しい人使いは非情と言われても、恨まれても実行に移していたでしょう。

仕事中に労災事故、死亡事故が起これば社長は完全に犯罪者になって

牢屋に入れられ当分出所できないでしょう。


牢屋に入っていたら家族から(家内)保証金を

積み立ててまでシャバには出さないで因果応報だと切り捨てられ

恨み骨髄の復讐をされていたと感じています。それと

いったん「男は外に出たら7人の敵がいる」といわれていますから・・・


その間に多くの友人、知人、親戚から電話、メールで問い合わせがきました。


今日はその一つを紹介いたします。


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(張付けはじめ)


原田様 何時もお世話になります。お変りありませんか?


本日はひとつお願いがあります。今回の大地震による原発の問題も心配ですが
関東地区が大停電になる恐れがあるということで、各家庭や、企業も東電、

及び政府の要請に応じ、電気機器の使用を控え不便や寒さに耐えております。

しかるに、私は前から思っていたのですが都会、地方を問わず全国いたるところに

自動販売機(ジュース、コーヒー等)が設置されております。


地方のロードサイドには必要もないのに24時間中この低温のなかを貴重な電力を

使って温めております。

これは大変な電力の浪費だとおもいます。

自動販売機なんて無くても誰も困りません! 欲しければコンビニでもスーパーでも

どこでも手に入ります。よって自販機の照明を消す程度じゃなくて自販機の電源を

抜かなくてわ意味がありません。「自販機の電源を抜きましょう。」

「自販機の使用をやめましょう。」と云うことを原田さんのブログを通じて
全国に発信していただきたいのです。


原田さんのブログの愛読者は全国におります。かなりの影響力があるとおもいます。

御考慮のうえ発信を宜しくお願いします。

平成23年 3月18日
 
  斉〇建〇〇  宇都宮


尚 「自衛隊は暴力装置」と発言した仙石は自衛隊の皆様に

土下座してあやまってもらいたいものです。
  その仙石が政府の中枢に返り咲いたことには驚きました。

  民主党には日本を任せられませんネ!!

                               (張付け終)

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大震災についての数々のメールが来ています。

明日は私の友人が韓国からの一般市民の最新情報をお伝えします。






東北関東大震災は日に日に被害が広がっています。

全社員休憩時間も満足に取れないのに頑張ってくれています。


他の職種と違って製造業は製品が出来上がる前までは複雑な

製造工程があり酵母菌発酵を伴うので温度と時間の戦いです。

早く成形しても、遅れて成形しても商品にはなりません。


受注できても完製品になるまでには6~8時間もかかってしまいます。

配送車のガソリン、軽油の給油するまで、はなはだ時間がかかり

少し離れている大森の友人が経営しているGスタンドでやっと手配して

もらっています。


昨日の日経ダウ1000円以上も大暴落二日間で1700円の大暴落は

知る限り経験したことがありません。

今後の企業の資金繰りは大変になるでしょうし、大田区も羽田空港を除く

計画停電に下丸子地区も組み込まれていますのでひやひやしています。


下丸子にはキャノン本社だけで8000名ちかく勤務しているし

周りには上場会社の製造業も多く、一旦停電になると回復するまで

甚大な影響があるので回復時間もかかると思います。


パン焼きオープンの温度がいったん落ちたら250℃まで上げる時間も

ロスタイムになりその前に仕込んだ生地(成型したパン)もロスになります。


明日の計画がどのようになるか予想出来ず気が休まらず心配です。









東北関東大震災に振り回されています。

東北関東大震災は阪神大震災の1480倍の大きさになる大震災で

東京はいたる所マヒしています。そんな中でも昨日、当社の従業員1~2人が

出勤できず仕方がありませんが後の従業員は出勤できました。


出勤99%には驚きました。感謝感激です。一都三県の配送は

遅配はありましたがほぼ完ぺきにちかく満足しています。

社員一団となってきつい肉体労働をしていますが、今のところ不平不満は

我慢していて私のところまではきていません。


しかし主材料、副材料の納入業者の配送状況が問題です。

民間の会社における輸送体制は頑張っていますが今後が心配です。

茨城県鶏卵業者から納入していますがニワトリのエサ不足で心配です。


JR東日本は公務員に近い行動をとっているので京浜東北線を始め

すべて運休していますが私鉄各線は間引き運転でも動かしています。


停電中はやむおえませんが民間人はいざとなると公務員体質との

違いがはっきりしています。JR東日本は脱線、転覆、乗客缶詰などの時に

キャリアの役員は責任問題が出てきたらトップの責任にもなりかねないので

直ぐに運休処置で逃げてしまうのでしょうか。


東急電鉄の渋谷~横浜~元町中華街は停電がない限り運転しています。

京急電鉄新橋~横浜~上大岡駅も間引き運転中

JR東日本は東京~横浜~戸塚は早くから運休が決定しています。


今日はどうなるかわかりませんが昔の公務員無責任体質の

典型とならぬよう願っています。






日本の竹島を韓国の独島として認めた民主党衆議院議員

巨大地震のためにブログに携わる気持ちになりませんが
書きだめしていたので今朝送信しました。

3月11日産径新聞「産経抄」より貼り付け

失礼ながら民主党の土肥隆一衆議院議員(72)これまで、存じあげなかった。
新聞の切り抜き帳をめくると、昭和46年に報知新聞が大きく取り上げている。
当時32歳の土肥氏は、神戸市内にある教会の牧師だった。

信者でない人にも、キリスト教になじんでもらおうと、教会内に喫茶店を開いて
話題を呼んでいた。土肥氏はこう語る「アウトサイダーだから、日本人の取れない
行動もとれるんでさよ」

まさか、管直人首相の側近議員となった今も「アウトサイダー」気分で
いるのだろうか。先月末にソウルで開かれた集会で、韓国側との共同宣言に
署名したことが発覚した。日本政府に対して竹島の領有権を放棄する訴える内容だ

これまで韓国の不法占拠をゆるしてきたのは、「日本固有の領土」といいながら
腰の引けた政府の対応と、国民の無関心だった。それでも先月、松江市で開かれた
「竹島の日」のフォーラムには、初めて民主党の国会議員が姿をみせた。

今春には竹島を明記した学習指導要領解説書に基づく、中学教科書の検定結果が
発表される。日本の領土を守る機運を盛り上げるべきときに、それを真っ向から
否定する行為だ。「いっそうのこと島を譲ってしまったら」と書いた朝日新聞の
コラムとは、重みが違う。「そんなに大きな問題を引き起こすとは思わなかった」

能天気な釈明をする土肥氏に、厳しい処分を下す考えは首相にはないようだ。
民主党政権は、普天間飛行場や尖閣諸島、北方領土の問題とあわせて、これで
外交の重要案件せべてミソをつけたことになる。ひょっとして、首相に「引導」
を渡すには、牧師の土肥氏の役目になるかもしれない。(貼り付け終わり)



You Tubeの動画を貼り付けましたが管直人首相の
声には土肥氏に対して怒りが全く感じとれない発言で
土肥氏に同情しているとさえ思えます。全く腹の立つ動画です。



ソウルで土肥隆一衆議院議員が韓国民族衣装を着て参加しています。
韓国の国会議員が日本の領土主権を認めない演説をそばで聞いている
土肥隆一衆議院議員は全くの馬鹿野郎としかいえません。
ネットに書かれていることは、当分といわず一生神戸には帰れないでしょう。
彼はそのうち右翼に刺されてしまう恐れも出ています。


大地震の為予定を変更します。

昨日15:00前の大地震の為に当社の従業員も帰宅出来ず

明日の出勤予定の社員も交通機関がマヒしているので心配です。


下丸子本社工場の大型ガスボイラーもストップして製造中の作業も

一時中止に追い込まれました。第二工場の設備も心配ごとがあります。


22:00ごろ外国人研修生講習に使用している公営千鳥町南会館の

畳部屋で一泊させてもらう交渉をしましたが拒否されました。


年寄り5名(婆さん4名爺さん1名)が酒を酌み交わして雑談中でしたが

交渉拒否されたので腹が立って怒りまくりましたが全員反省したので

いったん事を収めましたが工和会協同組合を通じて事件にする予定です。


仕方がないので武蔵新田駅前の香港人経営の中華料理店「青樺」で

夕食をして宴会場のある3階で一泊することにしましたが

東急電鉄が23:30に再開されました。


いくら親しい間でも電車が動き出しましたので帰宅することにしました。

遅れ遅れの満員電車でしたが真夜中の午前1時40分に自宅に

たどりつけました。


今日の納品体制、材料購入体制、特に茨城県から直納されている

鶏卵が納品されるか心配です。幾つになっても心配ごとがなくなりません。


今は被災者と被害拡大を最小限にと、、、、、祈るばかりです。

今年の花粉症は多いそうですね。

私は50年前(20歳)から花粉症で悩んでいました。


当時は花粉症と言う言葉もない時代でした。

今は廃業した眼科に毎年3月ごろには必ず通院していました。

当時は「はやり目又はトラホーム」といわれていましたが春になると子供が

よく掛かる病気だと思っていました。


毎年3月に通院していたので60歳代の先生が

「あなたは手を洗う習慣がありますか?」

「普段不潔にしている生活習慣があるので治らないのです」と言われました。

「家族の使うタオルも別々にしてください」私はその日から実行に移し

ゆうつな日々を過ごしていました。


当時は今ほど社会問題のないころですから先生がはやり目又はトラホームの

患者は他の患者にうつることもあるので一まとめして診断することにしました。と

言って14:00~15:30までに限られました。


今思うと屈辱的な差別待遇で、当時午後2時ごろ通院する目の腫れた患者は

先生に馬鹿にされた人達ばかりでした。お互い顔を見合わせても挨拶はなし。

無口で陰気な待合室でじっと待つしかありません。


アルコールを飲むと目がかゆくなり、寝ている時にも無意識で目をこすっていた

と思います。その時から自分自身は体質的に目が弱くなるのだと思い始めました。


その事に気がついたのは昭和54年ごろ夜中の0時ごろ目から黄色の目ヤニが

拭いても拭いても時間が経つとでてきました。家内も心配して電話で探した

眼科のある桜木町駅付近の横浜緊急総合病院に車で連れて行ってもらいました。


アルコールも飲んでいたし目ヤニで視界も霞んで運転できる状態ではありません。

行った理由の最大の目的は翌日業界の親睦旅行でシンガポール・マレーシアに

行く予定になっていました。


午後の成田発シンガポール着夜中に着いた翌日あれだけ腫れあがって目ヤニが

出ていた顔がすっかり治ってしまいました。要するに転地療養になったわけです。

翌日からなんの問題もなく予定通り団体行動ができました。


横浜緊急総合病院で貰った目薬も一回も使わずにすみました。

その時の若いお医者様も「明日の海外旅行は中止しなさい、外地の病院で

治療しても直ぐに治る保障もないし団体行動では無理です」と言われました。


今は「くぬぎ山」の医者と知り合いの整形外科以外は信用しないことにしています。











毎日一万歩以上歩いて減量中です。

一軒隣の長男と毎朝6:30に同じ車で会社まで通勤していました。


車中での会話中、仕事のことで口喧嘩になり腹が立ち堪忍袋が切れて

「明日からお前の運転している車で通勤はしない!」と言い切ってしまいした。

言った手前明日からは東急バス、田園都市線、大井線、多摩川線経由で

毎日通勤しなければならなくなりました。


家内工業に毛が生えた程度の中小企業では運転手付きの通勤は

費用がかかり出来ません。社長専用車の軽自動車でも買うことも

考えましたが昨年70歳の免許証書換え時で自信を無くしました。


高齢者には実車テストと画面付きモニター運転テストがあります。


大型2種免許を取得しているので運転には自信がありましたが

前日、下丸子工和会会合で呑み過ぎたせいもありますが、実車は合格、

テレビモニター運転で縁石に2回乗り上げ歩行者一人ひき殺し散々でした。

眼検では右目の視野が狭くなり標識が一度に3枚付いている交差点では

全部が確認できない状態になっています。


70歳になったので横浜市から川崎市内までのバス乗車は敬老特別乗車証

を頂いているので、これで通勤することができます。


それで毎年減量に失敗している事を考えて駅までの坂道のある

往復約5KMを歩く決心をしました。

雨の日以外は会社まで小型リックを担いで実行に移しました。


80Kgあった体重が約5ヶ月目で74㎏ちかく減量に成功しました。

目標のパー72㎏まであと2㎏になりましたので嬉しくてたまりません。

食事量は減らしていますが毎日酒を飲んでいます。量については少し

減らしていますが歳のせいで減った可能性もあります。


1日平均13000歩のうち有酸素運動7500歩 消費カロリー450カロリー

脂肪燃焼量50gになっています。会社の近くにスポーツセンターが

オープンしたとき週2~3回行っていましたが減量効果まではで続かず

やめてしまいました。

今回は金を掛けずに減量できたのでブログにも書いたしだいです。


家内の「減量」は口だけで実績ゼロ、下半身デブになっていてブヨブヨです。





横浜市伊勢佐木町の美味しいモハンのインドカレー

横浜市関内駅から伊勢崎町通り(イセザキモール)に向かって
左側に同業者の繁盛店ポンパドール店の地下にインド料理「モハン」
があります。インド・デリー地方のカレー料理屋です。

十数年前からカレーを食べたい時には一人で食べることもしばしばありました。
ランチ900円ランチ以外は平均1200円程度のリーズナブルになっています。

夕食にはタンドリーチキンも注文しています。家内は体調不良又は低血圧で
カレースパイスの匂いとアルコール(ビール)の食べ合せがよくないせいか
店を出てから貧血で倒れたこともありましたが「モハン」のナンが好きで
もう一度食べに行きたいと言い出しました。

よこはま橋に行った日曜日の昼時に家内とモハンで食べることにしました。

デリー出身のオーナーは私の仕事内容も知っていて、いつも最初の挨拶は
「景気はよいか?儲かっているか?」が挨拶代わりになっています。

ナンの大きさは大皿からはみ出るほどで焼き上がりは香ばしくて
ナンの厚さもモッチリしていてとても美味しいです。ナン自体は酵母菌
塩、油脂、パン用粉だけのシンプルな物ですが不思議なほど美味しいのです。
パン用粉は日本製粉の上級粉「イーグル」を使用していました。

インド料理は北地方のデーリーをはじめ中部、南部まで行っていますので
微妙に違う味に気が付きました。日本人には北地方の(デリー、ネパール)
味が美味しく、南のバンガロール、マドロス地方はイマイチでした。
偏見ですがイギリスが統治した場所の料理が不味いのと一致している
可能性もあると思います。

今回の考察団でダッカのベンガルカレーには牛肉を使用しますがインドでは
牛は神様なのでまず食べることはありません。スラム街が70%以上の
カルカッタ市には行ったことがないので判りませんがダッカと共通している
言葉、習慣があるので行く機会があれば食べ歩きしたいと思っています。



動画に出てくるタンドリーチキンは少し値段は(480円)高いですが
味がよく、食べる度に満足しています。

下丸子ではたらく70歳社長のblog
下丸子ではたらく70歳社長のblog

家内が注文したスペシャル・ベジタブルカレーとナン、
カレー皿は底が深い丼にちかく量も多く一人前にしては
多すぎるほど入っています。

下丸子ではたらく70歳社長のblog
私が注文したキーマカレーとナン

下丸子ではたらく70歳社長のblog

オーナーは一見インド・マフィアふう顔立ちですが中々の商売人です。
日曜日も地元客、インド人、横須賀の米海軍基地所属の
軍属家族もちらほらいてインターナショナルな店です。
平日の昼はランチでサラリーマンで込み合っています。




曽野綾子著「老いて才覚」を読んで気になる文章

考察団から無事帰って今読んでいる曽野綾子著「老いて才覚」は

70万部以上のベストセラーになっています。

最初8千部でしたがその後18刷まで増販されています。


曽野綾子作家の産経新聞に毎週書かれている記事は

出来るだけ読むようにしています。


曽野綾子が10年前に書かれていた文章に

ボランテアがおもしろくなったらやめなさい!」と書かれた題名を

読んだ事があります。

そのころ蒲田RCのチャーターメンバーとして

在籍していましたがRCの活動には疑問も感じていたころでした。

共感することが多く読後に蒲田RCを退会するきっかけの一つになりました。


その後も曽野綾子作家の考え方に度々共鳴する点が多くありました。

高齢者に自立を説いたベストセラーの「老いて才覚」文中には 


(張付けはじめ) 曽野綾子さんが 

私はお金が大好きですけれど、ありすぎても大変みたいです。

・・・中抜き・・・お金があっても、なくても、人を縛るものです。


邱永漢さんが、小金のある小市民がいちばん幸福だ、

とおっしゃっていましたが、名言だと思います。

そこそこの生活ができて、今日はウナギを食べたいとか、

ちょっと温泉旅行でもしたいとか、それが叶うくらいの程度が最高です

                  (張付け終) 

 と書かれていたので驚きました。


と言うのは、直近の考察団の乗継の際にタイ航空のラウンジで

私と家内に先生から曽野綾子の文章と同じことを言われたばかりでした。


そして、「最近は老後を楽しんでいる様ですね。老後は健康で身の丈にあった

生活をすること、そして品格を保って人生を楽しむことですね。」と話されました。

私と家内は顔を見合わせて苦笑です。


品格はさて置き、身の丈に合った生活をほどほどに楽しもうと思ったしだいです。


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3/3 日経新聞「エンジョイ読書」ベストセラーの裏側曽野綾子「老いて才覚」

高齢者へ心地よい戒め

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2011年2月で初版第18刷発行80万部突破しています。