「諜報の天才 杉原千畝」を読んで
「諜報の天才 杉原千畝」は産経新聞の小説紹介の欄でしりました。
杉原千畝については題名は忘れましたが十数年前に読んだことがあり
数年前の手嶋龍一氏の「ウルトラ・ダラー」の後に発売した
「スギハラ・ダラー」にも杉原千畝氏についての
インテリジェンスの視点から見た一冊です。
英語が苦手な私は最初「インテリジェンス」と書かれていても
意味が解らずインテリに毛が生えた程度と解釈していましたら
間違っていました。手嶋龍一氏が講演でもさかんに「インテリジェンス」を
使っているので意味を調べてみましたら
「知能・知性や重要な事項に属する知識・情報 諜報活動のこと」 と解りました。
杉原千畝については十数年前、自叙伝をよんでから満州国ハルピンでの
学生生活も長く私達ハルピン在住者、引揚者としても気になる人でした。
早速「諜報の天才 杉原千畝」を買い求め早朝の電車通勤時間を利用して
読み終わりました。新潮選書 著書 白石仁章でした。
手嶋龍一氏が書いた本の帯に
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杉原インテリジェンスを外交資料から徹底追跡
ソ連はなぜスギハラに震え上がったか
ユダヤ系情報網はなぜ彼に献身したか?
日本の生死を制する機密情報は、なぜ活かされなかったか?
「命のビザ」は類稀な外交官のインテリジェンスの賜物だった!
国難をいち早く察知する驚異の諜報能力。この男にソ連は震え上がり
ユダヤ系情報ネットワークは危険を顧みず献身したーーーした。
日本の「耳」として戦火のヨーロッパを駆けずり回った情報士官の、
失われたジグソーパズル。ミステリアスな外交電報の山にメスを入れ、
ぼうだいなピースを70年ぶりに完成させた本邦初の快挙。
日本が忘れ去った英知の凡てがここにある。
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と書かれていました。文章のはじめは外交官としての多くの登場人物名
など専門家としての知識が多く、余り興味はありませんが文章は
やさしく、解りやすく書かれているので飛ばさずに丁寧に読みました。
148ページに書かれている杉原千畝の情報 諜報活動ではユダヤ人
にたいして一番恐れたのはナチス・ドイツではなくスターリン率いる
ソ連であることが詳しく書かれていました事に再度驚かされました。
今の日本政府、外務省には他国との情報 諜報活動はおろか
国益を守ることにも弱腰なので日本国の将来には希望も持てません。
工和会夏休み前の親睦会
7月2日 土曜日に工和会館にて夏の懇親会が開催されました。
盛りたくさんの酒の肴がテーブル一杯に並べられていました。
下丸子地区を中心とした中小企業の幹部、社員たちの懇親を深め
そしてこれからの暑い夏を乗り切る慰労の会です。
皆さん歩いて来れる場所なのでサンダル、短パン、アロハシャツ
など気楽な服装で集まっていました。ところが数名のコンパニオンの
服装とはかけ離れた感じで違和感もありましたが美人なら問題なし。
東日本大災害で仕事ががた減り、その反対にいそがしくなった会社
双方入り混じっていましたが当社はがた減りの方に入っています。
コンパニオン数名の内から今まで見たことのない二人
乾き物、刺身の盛り合わせ、もろもろありました。
一通りのアルコールをそろえていますが私には銘柄がわかりません。
今回初めて食べた生ハムは美味かったですが、年に数回(?)しか
フランスパンのガーリックトーストですが当社のパンではなく
よりによって他店のパン屋で買い求めたらしいのです。
食べて美味いのに腹が立ちましたが
寄付や挨拶をさせられ他社のフランスパンを食べているのは
下丸子社長として「憤まんやりかたない」ことでした。
コンパニオン美人を連れ出して二人だけで一杯やろうと思いましたが
気分が乗らず早めに帰って近くの店で飲み直ししました。
北京市アメリカ大使館ビザ申請風景
から三全公寓まで毎日往復していました。途中アメリカ大使館前を
通り抜けていきます。
アメリカ大使館前はいつも人だかりが多く「何でかな?」と
思いながら通り過ぎていました。手持ちの書類は渡航申請書で
若者から中年男女でした。
前回は現地からのブログでしたが今回はYou Tubeで
アメリカ大使館風景と突然、ポロシャツを着た一見一般市民風の
私服公安警察官が私を捕まえカメラを撮るな、と叱られました。
中国語でメディアを消せ!と言っている事と思いますが意味が解らず
逃げるようにその場を離れました。日本では何処でビデオ、写真を
写してもとがめられる事ははありませんが外国では通用しません。
その瞬間、忠告している瞬間を映した動画を公開いたします。
アメリカ大使館付近と私がビデオ撮影した瞬間に突然現れた
私服公安警察官とのやり取りを公開いたします。
北京市朝陽区三里屯地区は世界中の大使館が集中している地区
ですが大使館前で人影を見ることはありません。
アメリカ大使館前だけは例外です。中国人がいかにアメリカ好きか
よくわかる一例です。
USドルが基軸通貨である今は一般庶民の中国人にとっては
憧れのUSAなのでしょう。

松屋のカレー
東南アジア各国のカレー料理はスリランカ国以外は食べつくして来ました。
今年は東南アジア最貧国バングラデッシュのダッカの夜店 でも
食べてきました。先生はダッカの食事は不味いと話していましたが
町中の屋台カレーは値段の割には、まずまず程度と感じましたが・・
http://www.youtube.com/watch?v=_hN19-jgzZc
各国それぞれスパイスの使い方が違い特徴があります。
インドでは北のネパールカレー、デリーカレー、バンガロールカレー
南のマドラスカレーと味はそれぞれ違いがあります。
南インドカレーよりも北地方のカレーが日本人向きで旨い。
江戸時代から明治時代にかけて横浜関内の居留地には
イギリス人、貿易商人インド人も多くカレーの発祥地になっています。
ホテルカレーとしてアラカルトとしてメニューに初めて加えたのは
ホテル・ニューグランドです。したがって今でも一階の角にある
コーヒーショップではカレーを食べに来る横浜育ちが多くいます。
先日は帝国ホテルカレーをパーティーで美味しく食べました。
やはり蒸暑い夏はカレーが食べたくなります。
安くて速いチエーン店のカレーは滅多に食べたことがありませんが
最近はよく食べに行きます。武蔵新田駅前の「松屋」で季節限定
具たくさんチキンカレーを食べましたが、値段と比較しても
中々の出来ばえです。
近くにネパールカレー屋もありますが最近はお客も多くなり
ライスの替りにナンの焼きたての食べ放題で650円です。
お客で混んでいたので、駅から見える広告に夏限定品の
美味しそうなカレー広告を見て食べたら美味しいので度々行く様になりました。
日本独特のカレーとライスの組合せ日本人用味付けはレトロで
それなりに安くて早くてそれなりの味付けで満足できました。
松屋の季節限定 具たくさんチキンカレー 490円が気に入りました。
ジャガイモはセントラル工場で蒸しているので溶けるすんぜんですが
オリジナルカレー野菜セット 440円 原価計算の材料比率は
いくらかけているか気になりますが商売になっている以上
儲かっているのでしょう。
河南省鄭州市で交通違反で罰金刑になる
河南省鄭州市の五つ星ホテル歴史も古く落ち着いたホテルでした。
朝食料理も食材が多く朝焼きたてのパンも欧米人宿泊者に
気を使ったサービスでよいホテルでした。
鄭州一の「クラウンプラザ鄭州」で夜遅くフロント、エレベーター
付近にカラオケ嬢の出入もなく落着いた一流ホテルでした。
二日間宿泊して鄭州から洛陽に行く為にホテル前の大通りは
Uターン可になっていますが
大型観光バスの為に二車線をまたいで停車中、渋滞を招いたことで
たまたま居合わせた白バイに捕まってしまいました。
違反理由は二車線使った為でUターン禁止違反ではありません。
罰金2000元は日本円で3万円ちかくしますのでバス運転手の
一か月分の給料に相当しますので彼はショックでしょう。
運転手の事後処理は我々の知らないところで添乗員、
事務局が何らかのかたちで解決したと思います。
警察官との話し合いは皆の見える場所ではなく横道に入って
人影のない場所を選んで、そっとポケットに日当二日分を
入れてやればニコニコして即決で解決できたはずです。
その程度の金額は車でいえばハンドルの遊び程度と割り切って
対応しなければ海外進出、海外転勤などとても無理です。
日本以外どこの国でも現実にある話でフイリッピンでは
刑務内の取調官でも貰えるものは貰う習慣があるそうです。

洛陽の龍門で見かけた若い女性警察官は白バイ警官と
同じ制服です。襟剣がない下のクラスと思いますが
制服を着ている姿は可愛く見えます。
同じ注意されるならば彼女クラスの警官だと手を握って
チップを弾んでも損した気持ちにはなりませんが・・
中国の風力発電塔スケールの大きさ
アップする事も見ることも出来ません。理由は世界中の
政治に関する反体制のデモ、暴動など見せたくない
動画がたくさん見ることが出来るからです。
一党独裁強権政治を維持する為にはネット規制は
厳しく維持しています。帰国後に編集した動画を公開します。
中国の西の果て新彊ウイグル自治区ウルムチから
高速道路でゴビ砂漠横断してトルファンまで行く途中に
驚くほどの風力発電塔を見ました。
数年前には数百の風力発電塔しかなかったのに今回見た
風力発電塔には驚きました。高速道路両脇には無数の
風力発電塔があり数千塔あると感じました。
もともと草木も生えないゴビ砂漠に建設するのですから
土地買収資金も必要なし、設備投資は設置費用だけです。
どれだけの電力が出来るのか知りませんがたいしたものです。
天山山脈の周りタクラマカン砂漠(生きては戻れぬ死の砂漠)
死の世界、死の場所という意味が有るそうです。それを含めた
ゴビは砂漠の意味で通常「ゴビ砂漠」と呼ばれているそうです。
動画は高速道路でバス移動中ほんのわずかな時間を
映したものですが砂漠を利用した風力発電は利用価値ありです。
昨日の続き府中CCの球友会コンペ記念パーティー
昨日は府中カントリークラブの評判を書きましたが今日は府中CC
創設時から続いているプライベート・コンペ球友会について。
府中カントリーは名門クラブではありませんがコースは一流、会員
理事、理事長・・歴史あるカントリー倶楽部です。
開設当時、武相荘から近い白洲次郎も理事で在籍していましたが
今は働き盛りの若者を入会拒否をして?定年退職した高齢者が
退職金で入会している?いわゆる高齢化したカントリークラブです。
日本の高齢化社会の縮図と同じで活力のあるクラブではありません。
しかしいずれ改革が進み活力のあるクラブになるでしょう・・?
コンペ第500回を記念して帝国ホテル本館3階の宴会場で執り行われました。
会長の挨拶にもありましたが一年10回、雪の多い2月、真夏7月を休会として
毎月最終日曜日年10回プライベートコンペを行なっています。
日本中で50年間にわたり開催しているコンペはないと確信できます。
世界ではイギリス、アメリカあたりではゴルフが盛んな国ですから
あるかもしれませんが、それでもゴルフ雑誌で読んでも話題にでてきません。
なかったらギネスブックに取り上げられてもおかしくないと思います。
5年ぶりに家内同伴で500回記念に参加しました。
招待した理事長をはじめ先輩たちの挨拶がながいのは高齢者の特徴で
仕方がないですが美味しい料理を前にしての話は集中できません。
挨拶の最中でも頭の中では、まず寿司、二番目はローストビーフ
三番目帝国ホテルカレー、四番目ポテトサラダ盛り合わせ・・・
ビールで乾杯後はスコッチウイスキー、日本酒、会費分は
たっぷり食べて満腹になりました。さすがは新設の外資系ホテルと違って
食材は一級品を仕様しています(ホテル納入業者話)
ローストビーフのナンバーワンはホテル・ニューグランドと決めて
いましたが帝国ホテルも和牛の一級品使用で負けていません。
50年前はニューグランド出身の料理人が帝国、オータニ、オークラの
料理長として腕をふるっていた時代がながく続いていました。
寿司は出店を頼んで「鮨源」の一級品でした。
B級グルメの私は千代田区、中央区、港区の有名寿司は
自腹をだして、わざわざ食べに行く機会はありません。
寿司が食べたいときは下丸子(矢口)の旨い鮨芳と決めています。
友人、お得意先接待には喜んでくれる店です(余談)
普段は結婚式、セミナー会場に使われる宴会場
佐藤貞一朗会長は今年81歳になりますが足腰も丈夫でゴルフの腕は
私といい勝負をしている大先輩ですが、父親が府中CC創設当時
球友会を立ち上げた人物です。貞一朗会長は損保代理店業界では
会長職を務めた全国損保業界では超有名人です。
高齢者が多いので美味しい料理もたくさん残りましたが満足できました。
家内はまず最初に並んで食べた鮨源の一皿です。
その後は何も食べていない飲んでいないのでもったいないことです。
私はスコッチウイスキーのロックをダブルで二杯と旨いローストビーフで
チビチビ飲むのは最高です。
ポテトサラダのマヨネーズは市販のものとは違って新鮮で満足できました。
大暴落の雨潤食品を二日間に渡って買い増ししました。
6月27日 15:00ごろPCで香港株情報を見ていましたら
はっきりした理由が解らない雨潤食品が瞬く間に20%も大暴落しました。
証券会社の問い合わせてもその時点(6/27)では情報がはいっていません。
しかし一昨年 雨潤本社工場視察、会社説明会を聞きました。
財務内容、董事長の株主比率、近代工場機械設備、時価総額、
設備は全てヨーロッパのハムソー機械、もちろんQS、ISO、HACCP対応
ホテル関係納入と一般ス-パー用に分けられた商品構成にビックリした
ことがありました。中国には数社大手ハム・ソウ会社もありますが
品質のよい会社は生き残ると思っています。
日本の友人も高級なハム・ソーセージを製造、
値段は高いですが銀座松屋デパート、一流ホテル、
世界的に有名な誰での知っているコーヒーチェーン、ショッピングセンター
有名店にだけしか販売していません。彼も雨潤食品が
中国業界でも高級品を中心にした販売戦略を知っていました。
生活が豊かになればなるほど品質のよい食料品にこだわってきます。
そんな片寄った情報で1株28ドルから30ドル昨年の安値25ドルまで
買い増ししていました。今回の大暴落は(6/27)理由が解りませんが
3年前に仕込んだSOHO中国を一部売って1株22.05ドル、22ドルまで
買い増しをしましたら終わり値は20.06ドルでした。
昨日(6/27)日本時間12時ごろ19.03ドルまで暴落したのですが
弾(金)が無いので東江環保を30ドルで売却後 雨潤食品を19.65ドルで
買い増ししました。今回の株価入れ替えは香港株式市場が
低迷しているのでよい機会と思い込んで実行に移しました。
ヘッジ・ファンドの空売りで大暴落していますが果たして結果は
どうなるか気になりますがピンチをチャンスと捕らえて我慢します。
株式投資家としての見方でなく食品製造業の経営者としての
商品の見方で買い増しした株ですので果たしてどうなるか楽しみです。
「魚の頭と尻尾はくれてやれ」最安値、最高値を狙わずに
平常心で鉄火場で勝負すれば当たらずともはずれない結果がでると思う。
一昨日の日曜日はゴルフに行って来ました。
6月は月一のゴルフに府中CCでプレーしてきました。
ゴルフは一ヶ月に一度しか出来ない状態がながく続いています。
久しぶりのゴルフでしたが1ラウンド18ホールプレーする時間が
ながく、ムチャクチャに腹が立ちました。
朝9時40分スタートしてプレーは終わったのは午後4時ごろに
なりました。Bクラスの月例が開催されていた影響もあります。
私も今は腕が落ちてBクラスに甘んじていますが、
しょせん下手くその集まりです。
転落してからはBクラスの試合には出る気にもなりません。
下手くそでもプレー進行は上手い、下手に関係なく進行しなければ
なりませんが会員の高齢化で書換えが多くなり昭和の時代より
「上手い下手は関係なく遅い」会員が多くなったのも原因でしょう。
我々四名はスコアーなど気にしないで早打ち、速足なのに
平成になってからのメンバーに多くみられる傾向は
考えながらプレーしている組が多く見受けられる。
1)素振りしないで早く打て!
2)グリーン上腰をかがめてラインをよむな!
3)アドレスに入ったら考え事をするな!
4)ショットの説明などしないで早く行け!
5)いちいち言い訳しながらショットするな!(私はする)
6)時速は4.8~5Kmで歩け!
7)季節の草花に気を取られず見るだけにしろ!
創設当時はプレー進行にうるさい白州次郎も会員でしたが
当時のメンバーはそれなりの名士も大勢いたそうです。
私は昭和50年代に入会したのでクラブ便りでしか知りません。
昼食時間を含めて6時間以上かかるコースで名門コースとは
とてもいえません。たまたま日が悪いといってもひどすぎます。
午前はハーフ44 昼食後は2~3組待ちはあたり前
そのためリズムがくずれ51も叩きました。
「下丸子社長を殺すには刃物は要らない」アドレスを長くして
素振り2回以上すれば死んだも同然。
帰宅したのは夕方6時を回っていました。セガレは茨城県の
コースでプレーして午後3時過ぎには帰宅していました。
スタート時間の早さにもよりますが近場のコースでこれでは困ります。
日経新聞も名門コース会員権暴落の記事が6/25夕刊に
話題として掲載されていました。たった280万円代のコースを
名門とつけられるいわれはないと思いますが記者もいい加減なもんです。
「昔の名前ででています」では恥ずかしいかぎりです。
しかし思いでも多く無二の友人もいますので府中は気に入っています。
久しぶりのゴルフでしたがAクラスの上級者 ○さんからスクラッチで
ハーフ・ナッソーで勝負 大金500円勝ったのが最大の成果です。
次回あったら集金して食堂で旨い生ビールを飲むことにします。
追伸
私がゴルフを始めた当時の大先輩から聞いた名門クラブは
保土ヶ谷、旧相模、東京ゴルフ倶楽部、霞ヶ関カンツリー倶楽部
鷹の台、我孫子、小金井、と聞いた7クラブだけです。
調べてみたら全て80年以上前の
昭和初期の第二次世界大戦前の倶楽部でした。
その他のゴルフ場は
コースは一流、会員・・流、理事・・流、理事長・・流と説明した方が分りやすい。
洛陽「龍門」世界遺産の石窟
アメブロ、You Tobeは当局の規制で中国一般市には
見ることができませんので帰国して暇な土曜日に編集しました。
6/25日 動画編集ができた洛陽「龍門」の石窟観光を
お見せいたします。現地に行くまでは下調べも勉強もしていませんが
世界遺産になっている龍門を見て感激しました。
下記の動画を見て1400年~1600年前の唐時代の遺跡です。
龍門の石窟を舟から映した動画です。
1400年前 唐の時代、日本は奈良時代で奈良の大仏様は
龍門の石窟を参考にしたとガイドさんの説明をうけ初めて知りました。


張付はじめ
世界遺産登録日:2000年
遺産種別:文化遺産
遺産所在地:河南省
龍門石窟は、洛陽市の南12キロの所に位置し、
敦煌の莫高窟、大同の雲岡石窟と並ぶ、
中国三大石窟の一つである。
歴史上、洛陽はかつて後漢、北魏、武周などの時代、
都として栄えた場所で、東漢の時代、
仏教が中国に伝わり、永平年間に中国仏教の名刹、
白馬寺が建てられた。 北魏の皇帝は、仏教を重んじ、
則天武后も仏教への信仰が厚かったため、
彼らは洛陽で盛んに仏教建築を建造した。
龍門石窟はそのうちの最も有名なものである
張付け終















