おはようございます。
「じゃがポックルって美味過ぎん????」などと考えているうちに1日が過ぎていった重本孝です。
#今年もジワジワ始まるな〜・・・
#リブログありがとうございます!!!!!
めっちゃぼんやりしたお話です。
塾講師の憂鬱 〜受験生に「あきらめるな!」とは簡単に言えないワケ〜
塾をやっていて肉体的にキツイのは12月以降からなのですが、精神的にキツイのは9〜11月だなと毎年思います。
その理由としては「第一志望に届いてもらえないな〜・・」というのが一部の生徒さんについては徐々に分かってくるのだけれども、生徒さんはまだ「(この世のものとは思えない甘い発想で)なんとか行けたら・・」と思っていて、それらのギャップがどうしても私の場合は苦しく感じます。
#嗅覚の有無の問題
そして今日はここからが本題なのでありますが、シーズンの今の段階で「う〜ん・・無理かも・・」という志望校に最終的に受かっちゃう子の努力って、もはや使える時間を全部自習に突っ込む・・・みたいな、以前も書いたような狂気じみた取り組みなんですね。
逆に言えば、それができるんなら夏明けの段階で数字的には厳しくともまだ最後まで分からないというのは言えます。
#↓
ですから安易に塾講師が「まだ可能性はある。最後まであきらめるな!」と言うのは楽チンだし、そちらの方がウケもいいのですが、その可能性っていうのはあくまで「使える時間を全部費やせば・・」という話で、ふつうの人はそんな取り組みはできなくて、結果的には実質「無理。」みたいになる感じです。
ここまで読まれて「結局お前は何が言いたいんだ。」という感じかもしれません。
私が言いたい、、、というか、とかく毎年悩むのは生徒さんには簡単に「努力すれば・・」とか「頑張ったら・・」とかって思わないで欲しいってことなんですね。
嫌な言い方になりますが、自分の中で満足したいだけなら「努力する」「頑張る」って好き勝手言って差し支えないというかホントにその人の勝手だと思ってます。
でも、受験でも仕事でもなんでもこのままじゃ無理・・みたいな状況をひっくり返すとか、分かりやすい結果を出すための「努力する」とか「頑張る」とかってそんなに生やさしいものではないというか、違う言い方をすれば、誰でもできるものではないというものでないと「努力」にはなり得ないと私はあくまで個人の価値観ですが思っていて、呑気ホーテな生徒さんにはそのこと分かってる??っていうのもありますし(分かってないから呑気なんだけど爆)、多くの受験生がそこの基準がズレてるから受験で悩むんだと思います。
余計なお世話ですが今後の人生のことを考えると、そんな志望校に受かる落ちるとかの8000万倍くらい努力の基準がズレてる方がマズイと私は考えます。
この先もずっと「“努力”しても報われない〜・・」って本来悩まなくていいことで悩むので。
私は↓のような感じで
「あ、これが努力か・・・」というのを高校3年間で野球を通じて嫌というほど同級生に思い知らされましたし、その後何の因果か塾講師となり、進学校の生徒さんや、人間をお辞めになられた努力をされる受験生のみなさんを見てきて、やはり「努力の定義が間違っていてはならぬ・・」というのを強く思います。(自分は努力はできんかなと・・)
なんかフワフワした話でここまで引っ張ってしまい申し訳ないのですが、とりあえず高校3年生なんかは次回の全統模試で第一志望校B判定以上じゃなかったら爆発する時限爆弾を背中に取り付けられても今の取り組みをするか?となって答えが「NO!」であればそういうことなので、もうちょい嗅覚冴え渡らせていこう!みたいな感じかなと。
本日は以上です。
ではまた。
【究永舎】
2008年6月に豊中市に重本孝が開校した進学教室です。最初は高校受験の塾としてはじまり、2014年シーズンからは大学受験を対象とした高校生クラスを開講。現在は中2〜高3の講座全てを重本が担当するユル〜い個人塾なのに毎年難関校合格者が生まれる摩訶不思議アドベンチャーな教室です。
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