長谷寺② 巨大観音様(十一面観世音菩薩像) | 源九郎Toyoの源九郎稲荷神社復興物語 ♡ そして・・・・・・バンコク奮闘記

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元女性警察官だった「Toyo」が、仲間達と荒廃した源九郎稲荷神社を復興させるまでの活動状況と、その後バンコクに渡り「美と健康」の理学療法治療院スパを経営し、整体師・セラピスト・ヘルスコーチとして奮闘する日常を綴っているブログです

長谷寺のご本尊である

十一面観世音菩薩像

は、像高約10メートルという大きさを誇る観音像です。
とよ(台与)の倖せまねき(夢願う・誓う・信じる・叶う)

しかし、その大きさもさることながら、独特のスタイルで有名な観音様なのです。


観音様は

大磐石

という、四角い台座の上に立たれ

水瓶(すいびょう)と錫杖(しゃくじょう)を手に持って

おられます。


とよ(台与)の倖せまねき(夢願う・誓う・信じる・叶う)

普通、十一面観音様は錫杖は持たれません。

錫杖は、皆さんよく知っている地蔵菩薩様の持ち物ですよね~


そんなことから、長谷寺の観音様は

「長谷寺式観音」

と言われ、個性派の観音様なのです。


とても古くから信仰を集めていて

「源氏物語」

「今昔物語集」

にも登場するそうです。


特別拝観期間中は、本来は触れることができない

観音様の御足

に触れることができます。


とよ(台与)の倖せまねき(夢願う・誓う・信じる・叶う)

多くの人が触れてきた御足は、黒光りしていました。


さて、この長谷寺式という特異なスタイルを持つ観音様には、とてもおもしろいお話があります。


数年前に大和郡山市矢田山にある

矢田寺(金剛山寺)

に拝観したときにガイドさんに教えていただいたお話です。


矢田寺のご本尊は

矢田型地蔵

と呼ばれれる地蔵菩薩様です。


各地のお地蔵様の多くは、右手に杖、左手に如意宝珠を持たれているスタイルなのですが、 矢田寺のお地蔵様は、そのほとんどが右手の親指と人差し指を結んだ独特のスタイルをされているのです。


なぜ、矢田寺のお地蔵様は錫杖を持たれていないのでしょうか?

そして、なぜ長谷寺の観音様が錫杖を持たれているのでしょうか?


とよ(台与)の倖せまねき(夢願う・誓う・信じる・叶う)


昔むかし・・・

お地蔵様は六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を回って、人々を救済されていました。


ある時、地獄の衆生を救おうと三途の川を渡っておられたお地蔵様は、誤って川の中に錫杖を落としてしまったそうです。


錫杖は三途の川を流れて行きました。


その流れ着いた先に、ちょうど長谷寺の十一面観世音菩薩様が通りかかり、その錫杖を見つけました。


「この錫杖は、地蔵菩薩くんの錫杖ではないのか?きっと人々を救うことに一生懸命になっていて無くしてしまったのだろう。私が預かっておいてあげよう」

と言って、錫杖を拾いあげました。


そして、十一面観音様は、その錫杖を地蔵菩薩様に出会った時にお返しするまで、錫杖を手に持っているそうです。


おそらく、後世の人が作った物語なのでしょうが、なんともほのぼのとしたお話ですよね。


さてさて・・・

もう一つ、長谷寺の観音様には言い伝えがあります。


昔々、観音菩薩像をつくることを思い立った徳道上人は道明上人にその意を打ち明けました。


道明上人は、近江国高島郡(現在の滋賀県高島市)より来た楠の大樹が初瀬の神河浦(かみかわうら)という村に放置されているからそれで仏を彫るがよい、とアドバイスを送りました。


ですがこの楠、触れた者は必ず祟られていた恐ろしい木だっために長年放置されていました。


しかし徳道上人は「霊験あらたかな木こそふさわしい」とためらいなく楠を譲り受け、十一面観世音菩薩像の造立にあたりました。


霊木は祀られることで人々をまもる仏となったのです。「長谷寺縁起文」には、天平5(733)年に開眼供養会(行基が開眼したそうです)が行われたと記されています。


以来、霊力を宿す長谷寺の本尊は信仰を集め、「初瀬詣で(はせもうで)」と呼ばれて観音信仰の霊場となりました。


観音像は何度も火災にあい、その都度再建されてきましたが、焼け残った部分を像の体内に納めることで霊験は伝え続けられています。

現在の十一面観世音菩薩は室町時代の天文7(1538)年に造立されました。


特別拝観はすでに終わってしまいましたが、観音様のお顔はいつでも見ることができます。


でも・・・やはり、下から見上げないと巨大さはわからないので、是非とも観音様の足元に立って拝観されることをお薦めします。




長谷寺① 山あいの名刹を彩る牡丹の艶姿