FRINGE
FRINGEシーズン1を見終わったので、この作品の説明と感想を書こうと思います。
レンタルが開始された時、やたらとCMが流れていて興味を持った。
見てみると自分の好きなものにばっちりとはまっていたので、夢中になって見入った。
Fringeとは非主流派などという意味があり、このドラマで言えば非主流科学の事を表しているのだろう。
非主流科学とは、このドラマで扱われている人体発火とか、パラレルワールドとか、テレポーテーションとか、平たく言えばオカルトとか空想科学のようなものなんだろう。
主人公はFBIの捜査官で、パターンと呼ばれる一連の事件が起こる。
それらはすべて先ほど挙げたような非主流科学が絡んでいる。
このドラマの設定では、かつてその非主流科学が国防に利用するために研究されていた。
アメリカみたいに秘密がいっぱいありそうな国だから実際に研究してたんじゃねーかって思える。
ロシアだったか、国をあげて超能力を研究してたって話も聞いたことあるし、あながちフィクションでもないような気がしてしまう…。
まぁそんな舞台設定で。
んでその非主流科学をかつて研究していたっていうのが、ウォルター.・ビショップ。
そしてその息子、ピーター・ビショップが主人公であるFBI捜査官、オリビア・ダナムの捜査に協力していくことになる。
事件を解決していくたびに少しずつ真実が明らかになっていくのだが、事件に関わる非主流な科学って言うのもののほとんどが、どうやらウォルターがかつて研究していたものと合致していく。
じゃあウォルターが黒幕なの?っていう事ではなくて。
ウォルターは20年間精神病院に入っていたので、その間に第三者やかつての共同研究者などが研究を続けてその一連の事件に利用しているって事らしい。
どうやらある組織がそれらの科学技術を使って事件を起こしているという事がわかってくる。
しかし、その目的は、ボスは誰なのか、悪なのか正義なのか。
その真相についてはシーズン1ではっきりと示されなかった。
見ればわかるが、世界を征服するために事件を起こしていたとかいうわけではないし、明らかに別の目的でその組織が動いてるってのがよくわかる。
それは地球を守るとか、未来を守るとか、こっちの世界を守るとかそういう事なので、悪とは言えない気がするのです。
シーズン2に向けての最大の布石は、「パラレルワールドの存在」でしょう。
シーズン1で解決してきた事件はそのもうひとつの世界への入り口のようなものだったということでしょう。
ここで個人的な懸念なのですが…。
シーズン1は現実と、ありそうでなさそうな非主流科学という非現実がギリギリの線で融合していたのですが、もしシーズン2でいきなりパラレルワールド全開な感じでやられてしまうとすると一気に現実味がなくなって冷めてしまう。
そうならない事を願う。
まぁいずれにしても楽しみなわけで。
個人的な趣向だが、自分の好きなFBI捜査もの、科学によるちょっとした近未来感、それらが一緒になったこのドラマはとても楽しいものだった。
あとはMADな科学者として描かれているウォルターの常人離れした発想から来る発言や行動が、お茶目に見えてとてもいい。
それを見守るピーターとのやり取りがこのドラマからもらえる最大の癒しであろう。
最終話でわかるのだが、ピーターはすでに○○○いた…っていうのがシーズン2では掘り下げられていくんでしょうね。
楽しみだ。
山崎川、桜。

6年過ごした名古屋を、あと2週間ほどで去ります。
その前に行ってみたかったところへ行ってみようと、今日は出かけてみました。
名古屋市瑞穂区にある山崎川です。
桜がきれいという事で、3年くらい前から行ってみたかった場所です。
川の両サイドに桜がびっしりと植えられていて、かなりすごい眺めでした。
ライトアップされた夜桜もさぞきれいだろうと思いましたが、今日は日中の桜です。
いい天気で気温も上がり、歩いていると少し汗ばむくらいでした。
ライトアップは明日くらいまでらしいので、来年遊びに来れれば、ぜひ夜桜をと思いながら
山崎川を後にしました。
順序は逆になりましたが、山崎川の前は名古屋の繁華街へ行ってきました。
3Dテレビを体験しにソニーストア名古屋へ。
そして次に購入を予定しているiMacかMac Proを見にアップルストア名古屋へ。
3Dテレビは浮き出すというより、画面の奥に空間が広がるって感じですね。
でもなかなか楽しめました。
これから3Dの時代がくるのでしょうかね。
卒業旅行~ドイツ、フランスの旅~
明日の朝発の便でドイツへ行ってまいります。
前にも書いたように 僕は卒業という形ではないですが、大学を去ります。
その元同級生が卒業と言うことで、卒業旅行へ同行することになったのです。
7日間で二ヶ国、各都市を周るのであわただしい感じにはなってしまいますが
満喫してこようと思います。
旅のハイライトはノイシュバンシュタイン城とモンサンミッシェルです。
たくさん写真を撮ってくるので、またここにアップさせていただきます。
同行者がPCを持っていくようなので、ネットに繋がる環境があれば現地から更新してみたいと思います。
では、いってまいります。
ハンバーグオリンピック。
※ 画像はスクリーンショットです。
一瞬、バンクーバーオリンピックかと思うが
”ハンバーガー”オリンピックなのである。
実はこれ、NHKのtwitterに掲載されていたものなのである。
NHKの広報が管理をしているようなのだが、書いた人が間違って”ハンバーグ”としてしまったようだ。
”は” と入力すると「バンクーバーオリンピック」と「ハンバーガーオリンピック」と予測変換されるように設定していたらしいのだが、ハンバーグオリンピックってwwww
世界のハンバーグ味比べみたいな番組が過去にあったのでしょうかw
しかし想像すればするほど笑えてくる。
ハンバーグたちが競い合う姿。
日本代表はさしずめ 「おろしハンバーグ」 と言ったところかwww
見てみたい。
モヤモヤさまぁ~ず2。
”モヤさま”の勢いが止まらない。
DVDの売れ行きも好調なようで、先日は第9弾となるDVDが発売されたばかり。
そして昨日の放送ではついに、4月からのゴールデン移動が発表された。
放送開始当初は深夜1時からの30分番組だった。
人気とともに開始時間が24時53分、24時12分と繰り上がり、現在では放送時間も41分と拡大された。
”ドイヒーな番組”と自らを表現するように、オールロケ、ゲストなし、アシスタントは局アナ、という低予算で
無理なことはせず、毎回それほど盛り上がらないゆるーい空気がウリの番組である。
まず「さまぁ~ず」というのがいい。
ゆるい空気を出すのには適任だ。
若手じゃないからガツガツしてないし、二人の仲の良さが伝わってきてあったかい気分になる。
そしてそれをまとめるのが大江アナウンサー。
美しい外見に反して天然なキャラ、おっとりしていて見てると癒される。
アナウンサーだけあって言葉遣いもきちんとしているし、知性が感じられる。
この番組に品格を与える最適な人選であり、重要な要素であると思う。
これがアシスタントに若い女性タレントなんか起用してたら番組の印象はもっと違うものになっていたと思う。
大江アナを下ネタでいじることも多々あるのだが、その全てが中学生レベルで、何より
さまぁ~ずのキャラがいやらしさを感じさせない。
深夜番組としては健全な番組である。
実際、お昼の時間帯やゴールデンでも放送したこともある。
その点では深夜の頃のテイストは損なわれずにゴールデンでも放送できるだろう。
テレ東の番組としては珍しく快進撃を飛ばしている番組だと思う。
この番組の最大な魅力は”ゆるさ”だと思う。
そしてぶれることなくそれを続けてきたことだと思う。
ゴールデンに移動してもそれを続けて、長く番組が継続してくれることを願う。
真央ちゃん頑張れ。
フィギュア女子シングル、ショートプログラムが終了した。
結果は1位キムヨナ選手に5点弱の差がついた2位。
この結果にネット上でも色々と意見が飛び交っている。
点差についての疑惑が大半である。
採点方式が変更されて、芸術や構成など、審判団の主観による評価の要素が高く設定された。
男子のほうでも話題になったが、プルシェンコ氏は
「これでは4回転を飛ぶ意味がない」
と言ったように、難易度の高い技術に挑戦しても点数にならないのなら、技術の進歩はそこで止まってしまう。
そして審判の主観によるところが大きく占めるのであれば、採点競技としては納得のいかない意見が出てくるのは当然だ。
キム選手に関して言えば、審判団の買収などと言う、ほんとかどうかわからない噂もある。
しかし、それはこの際置いておくとして。
どんなスポーツでもそうだが
ルールがあって、その中で選手はプレーをする。
採点競技であれば勝つためにはその採点方式の中で高得点が出るように演技をする。
それは当然であって、その点では批判すべきは選手ではなく、審判団、協会だろう。
買収などが本当であればその限りではないが。
しかし、スポーツと言うものの本質、オリンピックと言うものの本質を考えたとき
やはりこのような採点方式はよくないと思う。
スポーツはショーではない。
オリンピックは興行ではない。
あくまで技術を競うものである。
夏季オリンピックはタイムや距離で競う。
その数値は明確だ。
冬季競技は芸術性も含むので、それは無視できない。
しかし、芸術的だ、とか 構成が音楽とうまく調和している などというのは主観なしには判断できない。
その部分に重きを置くよりも、このジャンプができれば何点、とか言うほうが見ているほうも納得できる。
そのほうがよっぽど公平だし、主観に重きを置く採点方式だから
買収などと言うきな臭い噂まで立ってしまうのではないか。
見事銅をとった高橋選手を筆頭に、プルシェンコ氏や浅田真央ちゃんなど、果敢に高難度の技に挑戦する姿は審判団なんかより、われわれ観客にはとても印象に残っている。
今の採点方式がそうなのだから仕方ないが、リスクの高い技術を回避して、全体的にミスなくまとめた選手が優勝するのは見ていて楽しくない。
観客はそんなものを求めているのだろうか。
いずれにせよ真央ちゃんには金を取ってもらいたい。
まだ逆転できると信じている。
第104回医師国家試験。
順調に進級していれば、僕が受けるはずだった試験だ。
今日終わったはず。
元同級生たちはどうだったのかな?
6年前に入学し、途中で進級が止まった。
それから色々あって、今大学を辞める決意をした。
「向き不向きは辞める理由にならない」
先輩に言われた。
その通りだと思う。
僕は自分に負け、周囲との競争に負け
まともに勉強もせず、音楽やら写真やらに時間を費やしてしまった。
そこから得たものは大きくかけがえのないものだったが
結局今自分が立ち向かわなければいけない現実から目を背け、逃げ出していたのである。
向いていないから辞めます、と言うのは体のいい言い訳で、何故辞めるという結論に至ってしまったのか
自分自身、直視しなければいけない。
そうでなければ今後どのような道を進んでも、成功はしない。
これが中途半端な6年間を過ごした僕の得た教訓だった。
もっと早い段階で方向転換していれば…。
どこかで医学の道にしがみついてしまっていた。
だったら努力しなければいけないのに
「やれるだけやりました、これで進級できなければ悔いはないです」
という状況まで自分を追い込むことはできなかった。
精神的にも弱ってしまって、段々勉強というものが、進級というものが、医学部というものが
恐怖の対象のようになってしまった。
学校のシステム上、僕が復学できるのは今年度までだった。
このタイミングで、自分自身、復学の希望が持てなかったので、6年間の思い出の詰まった大学とは縁が切れることとなった。
「親が医者だから」
という、私立の医学部入学者にありがちな理由で医学部を志望した。
振り返れば、幼稚園の頃からそう言っていたらしい。
「医者になる」、と言うよりは
「お父さんのようになりたい」
という意味が強かったと思う。
先祖代々医者、親戚も医者、姉も医学部に入った。
姉二人の末っ子長男である僕は、家を継ぐという意味でも、
医者になるのは使命や運命のように、当たり前だと思ってしまっていた。
それ故、医者の本質、勉学への努力、そういうものには思いを馳せられなかった。
「お父さんもなったし、お姉ちゃんもなったんだもん、僕にもできるよ。」
そんな考えから抜け出せなかった愚かな僕。
そんな愚かな人間の25年の人生の結果が今の僕なのである。
親に面と向かって
「医者になれ」
と言われたことはない。
あくまでも自発的にそう志したと思っている。
しかし、医者になって家を継がなければ、
そういう流れはあった。
大学受験期までのほほんと過ごし、いざ受験で全敗。
その時かすかに現実を見た気がした。
一年の浪人を経て、合格したのだが
その時には合格したと言うことだけに満足し
また現実から目を背けてしまったのかもしれない。
誰のために、何のために、本来自分がしたいことはなんなのか
そんなことを考える間も無く、医学部という環境に身を投じ
それからそんな人生の本質みたいなことを考え始めてしまって、自分がよくわからなくなった。
「向き不向きは理由にならない」
僕もそう思う。
だけど、
同じ事を勉強し、同じ試験を受け、他の人よりも点数を取る、競争する、
そういう環境が僕には苦手なのかもしれない。
自分の持っている何かを表現し、形にし、それが認められる。
音楽や絵画や陶芸や写真や、いわゆる芸術とか文学とかそういうもの。
自分の持っているものから何かを生み出す、ある種自分だけの世界、自分勝手な世界、
でもそれが認められたときには大きなものが返ってくる。
そういう世界が医学部なんかよりもずっと厳しいと言うことは、さすがに25年も生きてきてわかっているつもりだ。
しかし、そんな世界に憧れ、そんな世界の自分を想像してきたのも事実だ。
最初に留年したとき、
「他にやりたいことがあるなら、やりなさい」
そう親に言われた。
嬉しかった。
直接言葉では言われなかったが
きっと医者になってほしいと思っているんだろうな、と思っていたから。
でもそのときの僕は
「まだ頑張る」
と言う答えを出した。
それから頑張った時期もあるし、まったく頑張らなかった時期もある。
そして今がある。
今こういう状況に立たされ、今後の自分の身の振り方を考えなければいけない時。
親ともお互いに色々と話をするようになり、理解は深まった。
医者と言う立場ではないけれど、家を継ぐとか、病院を継ぐとかいうことはできる。
幸い、姉が医者として働いているので、医者の家系というものは保たれたか。
しかし、そこにそれほど大きな意味があるとは思わない。
でもそれが何代か医者が続いた家系の陥りやすいジレンマなのだと思う。
今は親も自分自身も、
「自分が自分らしくあることが一番大切だ」
と思っている。
僕自身、長男として家を守っていくことになるし、この25年間
親の病院を継ぐと言うことが自分の中のすべてであり、テーマであったから
それらを守っていきたいという意志はある。
そしてそれが医者と言う立場ではなく、経営者と言う立場に変わるけれども
受け継いでいきたい。
しかしそれには経営学、経済学、あるいは心理士や医療事務、経理など
何かしら病院に有益な技術や能力を身につけ、且つ、自分の家では無い
実際の社会で経験を積まなければならない。
もう若いと言っていられない年齢に達してしまったけれども
何かを始めるのに遅すぎると言うことは無い
そう言い聞かせながら
自分が自分らしくいられるように
できることを始めようと思う。
今日国家試験が終わったと言うことは、3月には新しい医者が何千人と誕生するわけだ。
医療の現場は、人が産まれる場所であり、死んでゆく場所である。
それに携わる人々は、誰よりも人間らしく、優しく、慈愛に満ちた人であってほしい。
もちろん医者としての知識や技術を前提にして。
僕は留年したおかげで、後輩達ともクラスを共にしてきた。
6年分の先輩、同級生、後輩たち合わせてそれこそ千人以上の
「医者になる人たち」
を間近で見てきた。
色々な人がいる。
いい人、悪い人と二分することはもちろんできない。
とにかく多種多様、年齢、経歴さまざまある。
それが医学部のいいところでもある。
自分よりも一回り年上の人もいる、社会でも揉まれてきた人もいる。
そんな人たちからも多くを学べた。
医者になるには知識や技術が必要。
知識は膨大な量になる。
今医者として活躍されている人たちはみなそれを身に着けて医者になった。
それで終わってしまっている人もいるだろう。
でも自分の命を預ける人だから
人間的にも深みのある人であって欲しい。
僕が見てきた医者になる人たち
「大丈夫かよっ」ていう人たちもいる。
あとはごく普通の若者たち。
それらが一年毎、一斉に医者になって現場に出る。
いろんなタイプの人間がいるのだから、いろんなタイプの医者がいて当然。
ずば抜けた知識、技術を持ったバリバリのお医者さんも必要。
精神科でなくとも、心も見守ってくれる医者も必要。
だいぶ昔に見た医者のドキュメンタリーで
「医者である前にヒューマンであれ。」
と言っていた医者がいた。
それは今でも心に残っている。
医者になることができなかった今でも心に残っている。
どんな職業であれ、人間性のある人がいい。
人間だから自分のことが最優先でもいい、
でも人のことも考えられる人が増えて欲しい。
今年医者になる人が、そんな人たちで溢れていたらうれしい。
医者と言う立場でその世界を見ることはできなくなったけど
経営者という医療従事者として、そんなお医者さんが増えてくれることを
願うのである。











