笑うこと
名古屋の名鉄ホールで笑福亭鶴瓶の『鶴甁噺』を、最前列真ん中という最高ポジションで観た。かねてより鶴甁の落語を生で見たいと思っていて、実は今回も開演まで落語だと思っていた。
鶴甁 『あのー、先に言っておきますが、これ落語じゃないですから』
違うんかい!まぁいいか。
始まればすぐに鶴甁ワールド炸裂。鶴甁が喋る、喋る。こちらも笑う、笑う。とにかく涙流しながら笑う。これでもか、と言うくらい笑って、気がつけば2時間超ひとりで喋りっぱなし。凄い。そして僕も笑いっぱなし。最近、こんなに何も考えずに笑ったことなかったなー。よく『笑う』ことは人生にとって『大切』なんて言うけど、ほんと、笑うことって大事だな、いいもんだと改めて実感。手放しで幸せ気分になれる。これからも「笑うこと」を忘れずに楽しく生きていこう、と思う。
笑いすぎてお腹が空いたので、天麩羅食べてビール飲んでワイン飲んで、胃袋も笑顔で帰宅。久々に楽しい週末の夜。
そういえば、かつて紹介した『笑わないクリーニング屋のおねーちゃん』は、最近とてもフレンドリーになったのはいいのだが、『今日は何で笑わせてくれるんですか?』とハードルを上げてきているので、やや辛い。
(僕はお笑い芸人ではない)
東電
いつか書こうと思っていた「東電の問題」。原子力発電所の可否だとか、安全性の問題だとか、保安院の人の髪の毛が気になるとか云々の話では無く、ちょっと違う観点から少し真面目に。
現時点で先はどうなるかはわからない状況だけれど、このまま行くと原発事故の補償に税金が投入されるのは間違いないだろう。それどころか株主補償までしましょうか?的な勢いになりつつある。一般の企業ならば、何かしらの事故が起きた場合、会社そして株主が当然に責任を負う。それにより廃業に追い込まれるケースだってあり得る。それが資本主義下での企業の有り方なわけなのだが、今回のケースはこれに当てはまらない。何故なら「国民生活にとって電力は大事」であり、東電が「寡占的な市場下にある」が故である。「今回の事故補償で東電が潰れたら電気どうするの?だから潰せないよね、よって政府が補償しましょう」というスキームな訳だが、それならば、完全自由化して完全競争下に置いて自己責任を追求するか、いっそのこと国有化してしまえば良いという話になる。電力のようなインフラを自由化するとこれまた種々の問題があるだろうし(意外とすんなり行って電気代が安くなるかもしれないが…)、国有化てのも時代の流れに云々となる。ここでは、それについての話はさておき、何故こうなったかを経済と経営の視点から考えてみる。今になって東電の体質の問題がいろいろ言われてはいるが、今回の事故は、「電力事業者という特異性と寡占状態が生んだ」のではとも考えられる。しかも今回の対応が、今後の他の電力会社の経営方針にも影響しかねないと思っている。
経済学の考え方に「予算の制約」というものがある。予算に制約(上限)があるが故に、その範囲内での最大効用を求める。事故が起きたときのリスクを想定し、そうなって廃業に追い込まれないように事前に対策を講じるといった行動をとる。そうしなければ、倒産リスクを抱えることになり、企業としての存続が危ぶまれるので、それを回避する行動をとる。また、投資家である株主はそのリスクを避け、より安全で効用の高いところへと資金を移動させていく。その投資家の行動は、「予算制約」を更にハードにし、企業としては資金調達先の流出を防ぐためにリスクの解消を余儀なくされる。しかし今回の東電のとっていた事前の安全対策はあまりにお粗末であり、この状況は「予算制約」があまり働いていなかった結果であったといえる。「電力は大事」「競争相手の居ない寡占市場」は、「潰れない=潰せない、何かがあっても国が面倒見ざるを得ない」という状況をつくりだし、「予算制約」の考え方からみると、「ソフトな予算制約」という状態に陥る。「ソフトな予算制約」とは、「政府が事後的に企業を救済されると期待される場合には、企業が政府による救済を予め期待してしまい、経済的に自立に向けたインセンティブを持たなくなり、社会的にみて経済の効率性が損なわれる」ことであり、第三セクターの経営が軒並み破綻していくのも、この様な状況であるがためである。正に東電もその状況ではないかと思う。本当に将来的に政府の救済が期待できない状態であれば、東電は企業としての自己保身のために、もっともっと事前に安全対策を講じていただろう。また「電力株は安全」「絶対に潰れない」という株主の考えが、東電への「予算制約」を緩慢なものにしてしまった。今回の事故は、経済的にみればこの「ソフトな予算制約」状況が生んだ必然の出来事であったとみることができる。そしてこれからもこの状況は続いていく。
結局、今回は政府が補償について何らかの救済をせざるを得ないと思う。電力会社はそういう位置付けであったし、東電側も予めそれを少なからず「期待」していただろうから。問題なのは、他の電力会社の今後の企業行動にも影響すること。他の電力会社も同様に原発(リスクがあるのは原発だけでは無いが)はあるわけで、今回政府が救済することで、「将来的な政府の救済期待」は既成事実となり、更に「ソフトな予算制約」状況下から抜け出せなくなる。本来ならば同業種の問題をみて、将来への意志決定時に厳しい選択を余儀なくされるであろう状況なのだが、ここでのインセンティブに甘え(ゆがみ)が生じ、やはりどこかで何かあっても政府の救済を期待し、いい加減な経営でもいいだろうといった、時間的非整合性が生じてしまう。電力供給の問題はさておき、いっそ事故補償問題で経営破綻してしまえば、「これはやばい」となり、他の事業者は更なる安全対策を講じていくことが期待できた。投資家もそれを見極めることで、資金の投入先を決めることになるので、他の電力会社にハードな予算制約が課されるはずだっただろう。だが、現状ではそれらの市場による企業行動コントロールの期待はゼロになった。国民の安全に関わる問題に発展する以上、市場の監視・牽制が機能しないのであれば、いっそのこと全電力会社を統一して「日本電力」として国有化すればいい。競争なんてもともとないわけだし、税金として電気代を支払えばいい。
更に株主の問題。様々な現状から鑑みるに今回東電を救済するのは仕方ないことだとしても、株主まで救済しようなんて大臣が示唆するななど意味不明。株主の責任ってどこへやら、である。全くもってナンセンスであり、その株主なんかへの補償は被災者に廻すべきと敢えて書かなくても当然のことと思う。そして、株主の責任を追及しないのであれば、ここからもいっそ国有化してしまえばいいという考えに行き着く。
事故の収束に全力を注いでもらうのも当然だけれども、敢えて今、これからの電力事業のあり方をちゃんと考えていかないと、今回と同様の事が何度も起こってしまう可能性を否定できない。
…と思うのだがどうなっていくのだろうか?
現政府の采配に期待するしかないのだが。。。
現時点で先はどうなるかはわからない状況だけれど、このまま行くと原発事故の補償に税金が投入されるのは間違いないだろう。それどころか株主補償までしましょうか?的な勢いになりつつある。一般の企業ならば、何かしらの事故が起きた場合、会社そして株主が当然に責任を負う。それにより廃業に追い込まれるケースだってあり得る。それが資本主義下での企業の有り方なわけなのだが、今回のケースはこれに当てはまらない。何故なら「国民生活にとって電力は大事」であり、東電が「寡占的な市場下にある」が故である。「今回の事故補償で東電が潰れたら電気どうするの?だから潰せないよね、よって政府が補償しましょう」というスキームな訳だが、それならば、完全自由化して完全競争下に置いて自己責任を追求するか、いっそのこと国有化してしまえば良いという話になる。電力のようなインフラを自由化するとこれまた種々の問題があるだろうし(意外とすんなり行って電気代が安くなるかもしれないが…)、国有化てのも時代の流れに云々となる。ここでは、それについての話はさておき、何故こうなったかを経済と経営の視点から考えてみる。今になって東電の体質の問題がいろいろ言われてはいるが、今回の事故は、「電力事業者という特異性と寡占状態が生んだ」のではとも考えられる。しかも今回の対応が、今後の他の電力会社の経営方針にも影響しかねないと思っている。
経済学の考え方に「予算の制約」というものがある。予算に制約(上限)があるが故に、その範囲内での最大効用を求める。事故が起きたときのリスクを想定し、そうなって廃業に追い込まれないように事前に対策を講じるといった行動をとる。そうしなければ、倒産リスクを抱えることになり、企業としての存続が危ぶまれるので、それを回避する行動をとる。また、投資家である株主はそのリスクを避け、より安全で効用の高いところへと資金を移動させていく。その投資家の行動は、「予算制約」を更にハードにし、企業としては資金調達先の流出を防ぐためにリスクの解消を余儀なくされる。しかし今回の東電のとっていた事前の安全対策はあまりにお粗末であり、この状況は「予算制約」があまり働いていなかった結果であったといえる。「電力は大事」「競争相手の居ない寡占市場」は、「潰れない=潰せない、何かがあっても国が面倒見ざるを得ない」という状況をつくりだし、「予算制約」の考え方からみると、「ソフトな予算制約」という状態に陥る。「ソフトな予算制約」とは、「政府が事後的に企業を救済されると期待される場合には、企業が政府による救済を予め期待してしまい、経済的に自立に向けたインセンティブを持たなくなり、社会的にみて経済の効率性が損なわれる」ことであり、第三セクターの経営が軒並み破綻していくのも、この様な状況であるがためである。正に東電もその状況ではないかと思う。本当に将来的に政府の救済が期待できない状態であれば、東電は企業としての自己保身のために、もっともっと事前に安全対策を講じていただろう。また「電力株は安全」「絶対に潰れない」という株主の考えが、東電への「予算制約」を緩慢なものにしてしまった。今回の事故は、経済的にみればこの「ソフトな予算制約」状況が生んだ必然の出来事であったとみることができる。そしてこれからもこの状況は続いていく。
結局、今回は政府が補償について何らかの救済をせざるを得ないと思う。電力会社はそういう位置付けであったし、東電側も予めそれを少なからず「期待」していただろうから。問題なのは、他の電力会社の今後の企業行動にも影響すること。他の電力会社も同様に原発(リスクがあるのは原発だけでは無いが)はあるわけで、今回政府が救済することで、「将来的な政府の救済期待」は既成事実となり、更に「ソフトな予算制約」状況下から抜け出せなくなる。本来ならば同業種の問題をみて、将来への意志決定時に厳しい選択を余儀なくされるであろう状況なのだが、ここでのインセンティブに甘え(ゆがみ)が生じ、やはりどこかで何かあっても政府の救済を期待し、いい加減な経営でもいいだろうといった、時間的非整合性が生じてしまう。電力供給の問題はさておき、いっそ事故補償問題で経営破綻してしまえば、「これはやばい」となり、他の事業者は更なる安全対策を講じていくことが期待できた。投資家もそれを見極めることで、資金の投入先を決めることになるので、他の電力会社にハードな予算制約が課されるはずだっただろう。だが、現状ではそれらの市場による企業行動コントロールの期待はゼロになった。国民の安全に関わる問題に発展する以上、市場の監視・牽制が機能しないのであれば、いっそのこと全電力会社を統一して「日本電力」として国有化すればいい。競争なんてもともとないわけだし、税金として電気代を支払えばいい。
更に株主の問題。様々な現状から鑑みるに今回東電を救済するのは仕方ないことだとしても、株主まで救済しようなんて大臣が示唆するななど意味不明。株主の責任ってどこへやら、である。全くもってナンセンスであり、その株主なんかへの補償は被災者に廻すべきと敢えて書かなくても当然のことと思う。そして、株主の責任を追及しないのであれば、ここからもいっそ国有化してしまえばいいという考えに行き着く。
事故の収束に全力を注いでもらうのも当然だけれども、敢えて今、これからの電力事業のあり方をちゃんと考えていかないと、今回と同様の事が何度も起こってしまう可能性を否定できない。
…と思うのだがどうなっていくのだろうか?
現政府の采配に期待するしかないのだが。。。
