新 人研修にて
さっきまで、なかなか面白いブログ(色んな意味で)を読んでいたのだが、敢えてそれには触れない。ここで取り上げたら負けかな、と思うから華麗にスルー(かつてのサッカー日本代表の柳沢ばりに)する。それはともかく…。最近クライアントの会社に出向いて作業することが多い。今その会社は二人の新人の男の子が入り、新人研修の真最中。これまた初々しい若者で、マジメにビジネスマナーやなんかを先輩社員から指導を受けている。そんな横で作業していると、色んな話が聞こえてきて、まだ戸惑いながらの新人の言動に社会人の先輩面しながら微笑ましく思ったりする。
今日は、将来の夢について質問を受けていた。それを実現するためには、何をすべきか考えましょう、みたいなレクチャーだった。そんな講義を聞きながら仕事をしていたので、ふと自分の夢というかやりたいことについて一緒に考えてみたりした。
夢か…。僕が新人くん達の年齢の時って、色んなことをやりたいと思っていたな。というか、何でも出来る、と思っていた。あれから時は流れ、現実の波にのまれ、世間に迎合し、自分の限界を知り、夢を忘れた。夢敗れて山河あり(あ、国破れて山河ありか…間違い)。ともかく夢とか希望とかに満ち溢れていた、あの根拠のない自信に溢れていた自分は何処へ行ってしまったか?過度にリスクを恐れ、保守的で発想の硬直してしまっている自分に気付く。安全や安定を求め、石橋を叩いて叩いて、それでも動かず、誰か先に渡るのを待つようになってしまった自分に気付く。改めて考えると、自分のやりたいことの一割も出来ていない。『こんな筈じゃなかったのに』とすら思うことなく毎日が過ぎている。新人の彼らは、突拍子もない夢に向かって喘ぎ苦しみながらも、若さを武器に進んでいくだろう。そして、いつか夢を忘れて時間に追われてただ毎日を消化している僕ら大人を笑うだろう。嬉々として夢を語る彼らに、その若さに、そのエネルギーに嫉妬した。
まだ行けるかな?若さには負けるが、裏打ちされた経験で対抗しよう。Be Positive!
なせば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
上杉鷹山
iPhoneからの投稿
今日は、将来の夢について質問を受けていた。それを実現するためには、何をすべきか考えましょう、みたいなレクチャーだった。そんな講義を聞きながら仕事をしていたので、ふと自分の夢というかやりたいことについて一緒に考えてみたりした。
夢か…。僕が新人くん達の年齢の時って、色んなことをやりたいと思っていたな。というか、何でも出来る、と思っていた。あれから時は流れ、現実の波にのまれ、世間に迎合し、自分の限界を知り、夢を忘れた。夢敗れて山河あり(あ、国破れて山河ありか…間違い)。ともかく夢とか希望とかに満ち溢れていた、あの根拠のない自信に溢れていた自分は何処へ行ってしまったか?過度にリスクを恐れ、保守的で発想の硬直してしまっている自分に気付く。安全や安定を求め、石橋を叩いて叩いて、それでも動かず、誰か先に渡るのを待つようになってしまった自分に気付く。改めて考えると、自分のやりたいことの一割も出来ていない。『こんな筈じゃなかったのに』とすら思うことなく毎日が過ぎている。新人の彼らは、突拍子もない夢に向かって喘ぎ苦しみながらも、若さを武器に進んでいくだろう。そして、いつか夢を忘れて時間に追われてただ毎日を消化している僕ら大人を笑うだろう。嬉々として夢を語る彼らに、その若さに、そのエネルギーに嫉妬した。
まだ行けるかな?若さには負けるが、裏打ちされた経験で対抗しよう。Be Positive!
なせば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
上杉鷹山
iPhoneからの投稿
五感で感じる語感
つまらない話が続くけど、『語感』について書こうと思った。そこで日本語の響きというか、繊細さというか、語感について考えていた。そうしたら、いつだったかは忘れたが昔国語の教科書で読んだ詩の一節をふと思いだした。
あめゆじゅとてちてけんじゃ
はて?誰の何という詩かも思い出せないので、困ったときのGoogle先生に頼ると宮沢賢治の『永訣の朝』という詩であると判る。『あめゆじゅとてちてけんじゃ』。さっぱりその意味は思い出せなかった(『雨雪を取ってきて来て、賢治兄さん』だそうです)のだが、その語感だけがとても印象に残っていた。実はあんまり詩というのは好きでは無いし、書こうと思っているテーマとも離れる気がしたのだが、折角調べたのでと『永訣の朝』を読んでみた。
凄い…それ以外に何と表現しようか。多分小学生か中学生時代に教科書に載っていたから無理矢理読まされたんだろうけど、それ以来ぶり今改めて読んで何とも言えない感銘を受けた。だらだら感想を書いても仕方ないので、そのままここに引用しておく。
けふのうちに
とほくへいってしまふ
わたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもては
へんにあかるいのだ
あめゆじゅとてちてけんじゃ
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
あめゆじゅとてちてけんじゃ
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきを
とらうとして
わたくしはまがった
てっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに
飛びだした
あめゆじゅとてちてけんじゃ
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃう
あかるくするために
こんなさっぱりした
雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしの
けなげないもうとよ
わたくしもまっすぐに
すすんでいくから
あめゆじゅとてちてけんじゃ
はげしいはげしい熱や
あえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽気圏などと
よばれたせかいの
そらからおちた雪の
さいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへに
あぶなくたち
雪と水との
まっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものを
もらっていかう
わたしたちがいっしょに
そだってきたあひだ
みなれたちやわんの
この藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふ
おまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしい
みだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやの
ごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべる
このふたわんのゆきに
わたくしはいま
こころからいのる
どうかこれが兜率の
天の食に変わって
やがてはおまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべての
さいはひをかけてねがふ
全く書こうと思っていたこととは違ってしまったが、まぁいいか。良い文章を読むというのは本当に気持ちいいことだ。
あめゆじゅとてちてけんじゃ
はて?誰の何という詩かも思い出せないので、困ったときのGoogle先生に頼ると宮沢賢治の『永訣の朝』という詩であると判る。『あめゆじゅとてちてけんじゃ』。さっぱりその意味は思い出せなかった(『雨雪を取ってきて来て、賢治兄さん』だそうです)のだが、その語感だけがとても印象に残っていた。実はあんまり詩というのは好きでは無いし、書こうと思っているテーマとも離れる気がしたのだが、折角調べたのでと『永訣の朝』を読んでみた。
凄い…それ以外に何と表現しようか。多分小学生か中学生時代に教科書に載っていたから無理矢理読まされたんだろうけど、それ以来ぶり今改めて読んで何とも言えない感銘を受けた。だらだら感想を書いても仕方ないので、そのままここに引用しておく。
けふのうちに
とほくへいってしまふ
わたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもては
へんにあかるいのだ
あめゆじゅとてちてけんじゃ
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
あめゆじゅとてちてけんじゃ
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきを
とらうとして
わたくしはまがった
てっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに
飛びだした
あめゆじゅとてちてけんじゃ
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃう
あかるくするために
こんなさっぱりした
雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしの
けなげないもうとよ
わたくしもまっすぐに
すすんでいくから
あめゆじゅとてちてけんじゃ
はげしいはげしい熱や
あえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽気圏などと
よばれたせかいの
そらからおちた雪の
さいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへに
あぶなくたち
雪と水との
まっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものを
もらっていかう
わたしたちがいっしょに
そだってきたあひだ
みなれたちやわんの
この藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふ
おまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしい
みだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやの
ごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべる
このふたわんのゆきに
わたくしはいま
こころからいのる
どうかこれが兜率の
天の食に変わって
やがてはおまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべての
さいはひをかけてねがふ
全く書こうと思っていたこととは違ってしまったが、まぁいいか。良い文章を読むというのは本当に気持ちいいことだ。
1850字
『1850字の憂鬱』。いや、現代的に言えば『2136字の憂鬱』か。とにかく1850字=当用漢字の話(ちなみに2136字は常用漢字。2010年11月に改定)。
話は少し遡るが、東日本大震災後に集まりがあって、被災地への支援の話になった。そこで寄付のことを『義捐金』と表記したら、みんなから『捐?損?』と言われた。10数人居たその場で『義捐金』とすると言ったのは、僕ともう一人だけ。残りはみな『義援金』だった。勿論、今は『義捐』でも『義援』でもどちらでも通じるし、どちらも正しいんだろうと思う。ちなみに新聞やテレビは全て『義援』。なぜそうなったかを調べてみると、昭和22年11月16日に『当用漢字』として漢字を限定したことに由来する。これは、将来漢字を全廃することを目指した方針の一環で、昭和21年3月に米国の教育使節団が占領軍に提出した報告書、第2章『国語の改革』には『本使節団としては、いずれ漢字は一般的書き言葉としては全廃され、本標文字システムが採用されるべき云々…』と結論づけられており、これを基に当用漢字として1850字が選ばれた。今考えれば特に1850字に根拠は無かった訳で、どうせ漢字を廃止するんだからここで難しい漢字は削除しようということだったのだろうか。(因みにこの方針がそのまま推進されていたら、今日本語は全てローマ字表記になっていたとのこと。osoroshiya…)。
…で、『義捐』と『義援』。この時にこの『捐』という字が当用漢字から外れた。要は使ってはならぬ、ということで『義捐金』が交ぜ書きの『義えん金』となった。その後何故か新聞が『えん』を音が同じで意味の『近い』だろう『援』を当て、『義捐金』が『義援金』となった。じゃぁ『義援金』でいいじゃない、となるのだが、勿論『援』でもいい。『支援』とか『応援』と言う意味もあるんだから。しかし、元々漢字、日本語にある意味や背景が薄れてしまってることがとても残念に思う。本来『捐』とは、『すてる』とか『なげうつ』という意味。ほんとうなら自分にとって大事なモノなんだけど、義のためならなげうちましょう、という言わば正義のための葛藤を背景にした行動をあらわした言葉。それを『援』にしてしまうと、その心の葛藤の末といったことが、単純な綺麗事に変化してしまう。それ故、『ぎえんきん』を出さなければ人でなし、援助しないのか、みたいな風潮になってしまう。本当はそういう類のモノではなく、『義』の為に私財をなげうつという細やかな日本人的行動美学が根底にあったはずなのに…。どちらが正しいのとかいう次元の話ではなく、そういう意味というか背景を鑑みると『義捐金』という表記は美しい日本語だとは思いませんか?当用漢字や常用漢字による漢字制限は、その言葉の本来の意味を薄めてしまい、その言葉の根底にあるものが全くわからなくしてしまっている。漢字制限により文章が格段に読みやすくなったことは否定しないけれど(事実近代文学を読むのはとても苦労する)、表意(表語)文字である漢字が単なる表音文字になってしまうことで意味の類推がし難くなってしまっている。この間何かの記事を読んでいたら『こちらの考えに組する…』とあった。単なる誤字だと思ったら、今の常用漢字的読みかたでいくと、『組する』か『くみする』が一般的とのこと。本来的には『与する』だった訳で、この『与する』という表記、読みを認めなければ『与党』という言葉の意味が全然わからなくなってしまう(政権に与する党)。
また、大体この話題で問題にされる『障がい者』。元々は『障碍者』。『碍』が当用漢字から外れて使えなくなった。それで『障がい者』になるはずなのに何故か『障害者』となった(理由は知らないが元々医学用語では『障害』という言葉はあった。それか『傷害』からか?)。だから『障がい者』と交ぜ書きするか『障碍者』に戻すのが本来的であり、議論の余地無くそうすればいい。『害』は傷つける、危害を与える的意味合いが強い(だから反発される)。『碍』は『障』と同じで『さしつかえる・さまたげる』的な意味合いが強く、本来の意味がより鮮明になる。意味を考えずに『音』だけで書き換えをしてしまったからこんな問題が起こる。『阻害』とか『妨害』も本来は『阻碍』と『妨碍』。そう表記すればとても意味が解りやすい。漢字の成り立ち、言葉の意味を考えていくと、日本語ってとても難しく、それでいて奥の深い言葉だと感じる。
丸谷才一『完本 日本語のために』より
『…日本語がこれほど力強く、鋭く、匂やかで、豊かで、一言にして言へば美しい言葉であること…』
正にその通りだと思う。もっとちゃんと母国語を理解しなければいけないなと自戒を込めて改めて思う。
話は少し遡るが、東日本大震災後に集まりがあって、被災地への支援の話になった。そこで寄付のことを『義捐金』と表記したら、みんなから『捐?損?』と言われた。10数人居たその場で『義捐金』とすると言ったのは、僕ともう一人だけ。残りはみな『義援金』だった。勿論、今は『義捐』でも『義援』でもどちらでも通じるし、どちらも正しいんだろうと思う。ちなみに新聞やテレビは全て『義援』。なぜそうなったかを調べてみると、昭和22年11月16日に『当用漢字』として漢字を限定したことに由来する。これは、将来漢字を全廃することを目指した方針の一環で、昭和21年3月に米国の教育使節団が占領軍に提出した報告書、第2章『国語の改革』には『本使節団としては、いずれ漢字は一般的書き言葉としては全廃され、本標文字システムが採用されるべき云々…』と結論づけられており、これを基に当用漢字として1850字が選ばれた。今考えれば特に1850字に根拠は無かった訳で、どうせ漢字を廃止するんだからここで難しい漢字は削除しようということだったのだろうか。(因みにこの方針がそのまま推進されていたら、今日本語は全てローマ字表記になっていたとのこと。osoroshiya…)。
…で、『義捐』と『義援』。この時にこの『捐』という字が当用漢字から外れた。要は使ってはならぬ、ということで『義捐金』が交ぜ書きの『義えん金』となった。その後何故か新聞が『えん』を音が同じで意味の『近い』だろう『援』を当て、『義捐金』が『義援金』となった。じゃぁ『義援金』でいいじゃない、となるのだが、勿論『援』でもいい。『支援』とか『応援』と言う意味もあるんだから。しかし、元々漢字、日本語にある意味や背景が薄れてしまってることがとても残念に思う。本来『捐』とは、『すてる』とか『なげうつ』という意味。ほんとうなら自分にとって大事なモノなんだけど、義のためならなげうちましょう、という言わば正義のための葛藤を背景にした行動をあらわした言葉。それを『援』にしてしまうと、その心の葛藤の末といったことが、単純な綺麗事に変化してしまう。それ故、『ぎえんきん』を出さなければ人でなし、援助しないのか、みたいな風潮になってしまう。本当はそういう類のモノではなく、『義』の為に私財をなげうつという細やかな日本人的行動美学が根底にあったはずなのに…。どちらが正しいのとかいう次元の話ではなく、そういう意味というか背景を鑑みると『義捐金』という表記は美しい日本語だとは思いませんか?当用漢字や常用漢字による漢字制限は、その言葉の本来の意味を薄めてしまい、その言葉の根底にあるものが全くわからなくしてしまっている。漢字制限により文章が格段に読みやすくなったことは否定しないけれど(事実近代文学を読むのはとても苦労する)、表意(表語)文字である漢字が単なる表音文字になってしまうことで意味の類推がし難くなってしまっている。この間何かの記事を読んでいたら『こちらの考えに組する…』とあった。単なる誤字だと思ったら、今の常用漢字的読みかたでいくと、『組する』か『くみする』が一般的とのこと。本来的には『与する』だった訳で、この『与する』という表記、読みを認めなければ『与党』という言葉の意味が全然わからなくなってしまう(政権に与する党)。
また、大体この話題で問題にされる『障がい者』。元々は『障碍者』。『碍』が当用漢字から外れて使えなくなった。それで『障がい者』になるはずなのに何故か『障害者』となった(理由は知らないが元々医学用語では『障害』という言葉はあった。それか『傷害』からか?)。だから『障がい者』と交ぜ書きするか『障碍者』に戻すのが本来的であり、議論の余地無くそうすればいい。『害』は傷つける、危害を与える的意味合いが強い(だから反発される)。『碍』は『障』と同じで『さしつかえる・さまたげる』的な意味合いが強く、本来の意味がより鮮明になる。意味を考えずに『音』だけで書き換えをしてしまったからこんな問題が起こる。『阻害』とか『妨害』も本来は『阻碍』と『妨碍』。そう表記すればとても意味が解りやすい。漢字の成り立ち、言葉の意味を考えていくと、日本語ってとても難しく、それでいて奥の深い言葉だと感じる。
丸谷才一『完本 日本語のために』より
『…日本語がこれほど力強く、鋭く、匂やかで、豊かで、一言にして言へば美しい言葉であること…』
正にその通りだと思う。もっとちゃんと母国語を理解しなければいけないなと自戒を込めて改めて思う。