念願のG1制覇。
それもクラシックとなれば嬉しさも格別。
良かったね。
サブちゃん。
馬主生活30年目の快挙プッシュ。→
キタサンの冠名で知られるサブちゃんの馬。
その数は100頭を超える。
しかし、そんなにたくさんの所有馬を持ちながら、過去最高はG2(ニュージーランドトロフィー)。
歌手としてもライバルの前川清がG1を制していたから、サブちゃんとしても負けられない一戦やった。
キタサンブラックは今年のクラシックG1戦線では常に有力馬の一頭として数えられていたけど、今一つ届かんかった。
最後の最後でG1制覇。
今頃、銀座辺りに繰り出して、飲みまくってるやろね。
義理の息子で弟子でもある北山たけしも感涙。→北山ブログ
勢い余って歌っちゃうってどうなの?
いや、嬉しかったんだろうね~。
競馬ファンも、どう対応していいのか戸惑ってる感がある。
中には負けた人もいるわけだから、サブちゃんにスポットを当てすぎてるJRAもどうかと思う。
フジテレビもサブちゃん、推しすぎ。
まあ、でも、30年懸かってG1勝ったわけやから、これくらいは大目に見てあげたい。
よくよく考えてみると、サブちゃんっていつの間にか大物やった。
物心がついた頃には既に大御所。
それもそのはず。
サブちゃんの最初のヒット曲は「なみだ船」。
1963年のことやから、プクッチはまだ生まれていない。
更に人気を確立したと言われている「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」も1965年発売。
全てはプクッチがこの世に出てくる前の話。
サブちゃんの偉大さを知らんくても当たり前や。
サブちゃんの時代というのは、芸能界とヤクザはセットに考えられていた時代。
だから、1986年、ヤクザとの交流を理由に紅白を辞退したのもやむを得ない。
そういう時代やったんやから、
サブちゃんは演歌の大御所としてエピソードが凄い。
東京都の八王子に部屋数36の大豪邸に弟子たちと住んでる。(←総工費20億円)
この時点でかなり凄いんやけど、紅白に北島枠を持ってる。
意味不明や。
何やろ、この北島枠?
この枠には近年になって紅白引退を宣言した北島に変わって娘婿の北山たけしが出てる。
知らんな~、北山たけしなんて。
でも、そういう理由で紅白に出てたんやね。
昔、光ゲンジが全盛期の頃。
ちょっとしたキッカケで諸星と少年隊の植草が喧嘩になった。
当時、諸星は「今の日本を動かしてるのは俺」と思い込んでたから、例え相手が先輩だろうと怒りの炎は収まらない。
最初はチューブの前田、次にさだまさし、南こうせつが喧嘩を止めに入ったが、2人の取っ組み合いは続く。
そこへサブちゃんが登場して、「やめろー!」と叫んだ瞬間、諸星はハッとした。
サブちゃんの腕にはダイヤのちりばめられた腕時計。
あまりにダイヤが多すぎて文字盤さえ見えないほど。(←時計の意味をなさない)
それを見た諸星は、「日本を動かしてるのは俺じゃない。この人だ」と我に返り、喧嘩は収まったそうや。
意味不明の都市伝説。
でも、納得しちゃうところがサブちゃんの凄さ。
馬鹿の諸星にもサブちゃんの凄さがわかったんやろね。
そういう意味で凄い。
あんまりサブちゃんのことは知らんけど。
何となく「侠気」を感じる人やね。
サブちゃん伝説としては、「北島ファミリー」「演歌魂」「佛所護念会教団信者」「稲川会組長と義兄弟」「永谷園のお茶漬け」と書き出したら枚挙を厭わないけど、昔、楽器屋の前で毎日トランペットを見てる少年がおった。
それに気が付いたサブちゃんは当時としては高価な3万円のトランペットを買ってあげたんやって。
タイガーマスクのような美談やね。
更にサブちゃんは昔、3曲100円という流しの仕事をしていたんやけど、ある日1000円払ってくれたお客がおった。
その人は日本コロンビアの芸能部長で、サブちゃんがお礼に一曲歌うと「後日、この喫茶店に来なさい」と言われた。
そこからサブちゃんは作曲家の船村徹を紹介され、スターへの道を歩んで行く。
この時のことをサブちゃんはずっと忘れてなくて、「こういうちょっとした出会いなんだけど、わずかな出会いが人生で物凄い出会いになってくる」と今でも語ってる。
そう、人生とはほとんどの部分が運。
それを自分の実力とは思わず、人生に感謝するところがサブちゃんのええところやと思う。
好きな飲み物は炭酸を抜いたサイダーやって。
それってただの砂糖水やろ?
うん、わからん。
わからんけど、なんかおもろい。
それがサブちゃんや。
与作って誰や?
今宵は良い酒飲んでな。
ほなな。
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