長渕剛の立ち位置 | プクッチ劇場

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ギャンブル魂の真実

 今ツアー真っ最中の長渕剛。→もうすぐ名古屋にやってくる



 長渕は1956年9月の生まれやから、もうすぐ58歳になるわけやね。

 「あの長渕が、もう58歳か」と感慨深げに空を見上げる世代は、間違いなくプクッチと同じ世代。

 そんな長渕の立ち位置やけど、長渕というのはある種のカリスマ性を持ったアーティストであって、コンサートに参加するファンはその音楽性を楽しむという一面もあるけども、その場にいること自体が長渕ファンたる所以でもある。

 桜島では7万5千人を集めたことからも、そうした長渕ファン気質というのは窺える。


 そんな長渕はっ!



 ファンの間では「兄貴」という存在だったんやね。→これは笑った

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 長渕剛というのは好き嫌いが比較的ハッキリしてるアーティストでもある。



 アメブロにはどういう検索でこのブログにたどり着いたのかがわかるサービスがある。

 そのデータを見ると長渕のことを「嫌い」「DV」「暴力」といった反長渕ファン(←アンチも一応ファン)に拠るものと思われる検索が非常に多い。

 これにはいくつかの原因があると思うけども、その一つに才能がある人に有りがちな「我がまま」が挙げられる。

 長渕はコンサート前に決まって素うどんを食べるらしい。

 この素うどんがしっかりしてないと周囲のスタッフは時に殴られてしまうこともある。

 長渕の「こだわり」。



 うどんは命に関わる 

 
 ある意味、これこそ「プロ魂」と見ることも出来る。

 物凄く微妙な角度からしか見えないけど。


 プクッチが長渕を知ったのは中学生の1年か2年の時やったと思う。


 
 「オールナイトニッポン」の金曜パーソナリティーが長渕で、その時聴いた「俺らのうちまで」という歌に物凄い衝撃を受けたんや。

 元々、長渕の声質というのは高くて透明感のあるものやったんや。

 それに裏声も使ってたから、当時、そんな歌唱法があるとは知らんかったから、一気に長渕にのめり込んでいったんや。



 今聴くと昭和を彷彿させる編曲


 後に長渕はお酒でウガイして声質を変えてしまったから、現在ではこんな歌になってる。




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 プクッチが初めて買ったアルバムが長渕の「風は南から」。



 万引きせんかったところが凄いやろ?

http://www.tsutaya.co.jp/images/jacket/00399/4988006204348_1L.jpg

 今やCD化されたものしかない

 
 当時はさだまさしや松山千春、アリスなんかが人気があったはず。

 何故ならプクッチがギターを持ち始めたのもそのくらいの時期で、初心者用の教則本にさだまさしの「関白宣言」や松山千春の「恋」、アリスの「チャンピオン」が載ってたから。

 さだや松山というのはあんまりギターがお上手なミュージシャンではないから、コードが物凄く単純なんや。

 だから初心者用の教則本に飽きたプクッチはドレミ出版から出てる完全コピータブ譜を買って「風は南から」に収録されてる曲はほとんど完璧にコピー出来るくらい練習した。

 プクッチのギターの原点は長渕にあった。


 そして、長渕の「オールナイトニッポン」の中に「裸一貫ギターで勝負」というコーナーがあってやな。



 そこで基本的なベースランやスリーフィンガー奏法を学んだんや。

 今思えば長渕のギターって初級者から中級者レベルの人なら誰でも弾けるものなんやけど、当時はまだギター持って1年2年の時期やったから、丁度プクッチのレベルに合うギター講座やったんやね。

 だから、プクッチもその時代は長渕の熱狂的なファンでもあったんや。

 もう絶版になってるけど、長渕の自伝的要素の高い「俺らの旅はハイウェイ」という本まで買ってもうた。

 1979年の「風は南から」「逆流」、1980年の「乾杯」、1981年の「ByeBye」まではずっと長渕の曲をコピーしてたね。

 
 しかしやっ!



 そんな長渕からプクッチが離れて行ったのは、1981年に石野眞子と結婚した辺りからやっ!

 1983年に離婚するまで、あんまりええ噂は聞かんかったんやな。

 プクッチは石野眞子のファンでもあったから、余計に長渕って嫌な奴だったんやと思うになってもうたんや。


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 長渕人気は密かに進行してたんやけど。



 爆発的に長渕の名前が売れたのは「逆流」の中にあった「順子」という曲をシングルカットしてオリコンチャート1位を記録してから。

 長渕は一躍トップシンガーの仲間入りを果たしたんや。

 しかし、当時ニューミュージック系の人は「テレビに出ない」というような風潮があって、「ザ・ベストテン」「紅白歌のベストテン」という音楽番組には長渕は出演を拒否してたんやね。

 ところが「テレビに出ない」と言いつつ、1983年TBSドラマ「家族ゲーム」に主役として出てくるんや。

 「あれ?ドラマ?そら、あんた、違うんじゃないの?ミュージシャンやろ?」という疑問を多くの長渕ファンは持ったはず。

 ここで長渕に見切りをつけてしまったオールドファンは結構たくさんおると思うで。

 その時の長渕の心境は「音楽が嫌になってた」そうなんやけど。




 そんな事情があるとは知らんから、「長渕って節操がないな」と思うた人は多かったはずや。

 長渕は精力的に映画やドラマに出演し続けて、「親子ゲーム」(映画「男はつらいよ」)で共演した志保美悦子と再婚。

 この辺のことをおちょくったのが1994年に発売された桑田圭祐の「すべての歌に懺悔しな!!」。

 あれは間違いなく「長渕」を標的にしたもの。

 
 長渕は石野眞子と離婚した後、極度の過労によりダウンしたり、重度のうつ病にかかってツアーの大半をキャンセルしたり、プライベートでもあんまりええことがなかったんやね。



 音楽活動のほうでも詩人相田みつをの詩を盗作したとの疑惑が週刊誌に取り上げられ、長渕が謝罪するという事件が起こる。

 踏んだり蹴ったりの状態の時に桑田に挑発されたものやから、長渕も異常とも思える反応を見せるんや。

 桑田との騒動は吉田拓郎が「桑田君は謝る必要はない」と発言したことから、トーンダウン。

 その後も長渕は国生さゆりとの不倫、大麻保持で逮捕と事件が次々と起こり、いつの間にか桑田との騒動はウヤムヤに。

 この辺が一つの「転機」でもあったと思うんやね。

 いろんな騒動の中で長渕を援護する人がほとんどいなくて、長渕もはじけた状態になったんとちゃうかな?


 「長渕君のことはよくわかんない」(吉田拓郎談)


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 その後、長渕は・・・・・。

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 と、一回で長渕を語るのは無理。

 11月の講演での原稿書かんとアカンから、あんまりブログに割ける時間がないんや。

 続きは明日。

 ポイントが100P超えれば、この企画は「2」「3」と進むけど、あんまりウケてないようなら「2」で終わりや。

 続きが聞きたい人は1プッシュして帰るんやで。

 ほなな。




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