気功の学び方というのも度々テーマになります。
「なかだ」の学び方でよければシェアしますね。きっと学べることが多いような気がしています。
「なかだ」自身は気功に触れる前は静岡県に住んでいました。静岡県ではまともなというか、自分が学びたい講座や講義がまず開催されていませんでしたので、東京に1年に1回たまーに学びにいくくらいだったと思います。
静岡県といえば、最近静岡県の愛野駅に出張で降りましたが、コンビニが1kmで1件あるかないか、それくらい田舎の場所です。もちろん、駅周辺で仕事をしようとカフェを探しても、まずカフェがないことに愕然としたことを覚えています。都内でしたら、どこかしらにカフェがあり、仕事ができますから。

・愛野駅のとなり、掛川の掛川城。掛川城といえば、徳川家康を思い出しますね。深夜2時に城門が開いていて、不法侵入にならない程度の範囲だけ散策しました。
あと、色々な体感速度が遅く、個人的には居心地が悪かったです。スピードが遅すぎるんですよね。
もっとスピード上げたらいいのにと思いました。
話を戻して、当時23歳くらいかな?
生涯学習という考え方も当時はなかったのですが、音楽は生のライブに行かなくてもライブDVDでいいや。学びも毎年DVDがだいたい出ているからDVDで学べばいいや。という拗ねた考え方と学び方をしていました。
この学び方は当時は一見すると合理的に見えていました。交通費が浮くし、賢い学び方だと当時は考えていたんですね。
今思うと馬鹿ですね。笑
しかし、この考え方と学び方を大きく覆す出来事が起きます。
それは東京に気功を学びに行った帰り道に先輩気功師と一緒になり、道でたわいもない会話をしていて歩いていた時の何気ない一言でした。
「150冊以上読んでいて何でそんな馬鹿なの?」
これは結構衝撃的な言葉で今でも詳細なニュアンスを覚えています。
今でいえば、「学問は自分なりの理解をしてはいけない」とか、教師に質問をしたり、考え方が合っているか?とか、「乳がんを治したあとの周囲の縁起バランスの取り方ってこれでいいですか?」とか、「なぜアテテュード(態度)をどの方向でもいいので変えてしまえばいいのですか?」とか、「そのなぜ?が書籍には書いてないのですが、、、」とか、
著者が躓いて考えて欲しいところに気づいて色々な質問をしますが、
当時はDVDだけで「自分なりの理解をすること」が学びだと思っていたふしがあり、それで本質が大きくズレてしまっていたんですね。
「150冊以上読んでいて何でそんな馬鹿なの?」という一言には色々な意味が込められていたと思います。
1つは150冊以上がまったく読めていなかったということ。2つめは顕教的(文字の教え的)な捉え方をしていたということだと思います。まあ、エヴァンジェリズム的な捉え方をしていたと思います。
そこから大きく学び方が変りました。
具体的にいえば、静岡県から毎月1回は先生、師匠に学びに行くようにしたこと。セミナー代よりも交通費と宿泊費で月のお給料が消えていたことが懐かしいです。笑
150冊以上を自分なりの間違った解釈をしてしまったことやそれによって無知が深まるリスクを避けるためでもありますね。
これは今でも変っていませんし、ググればいいことを学びとは言わないわけで、やはり身体性を持った学びにこそ価値があると考えています。
思えば顕教的(文字の教え)だけではなく、密教的な学び方に変った瞬間だと思います。
今では気功師ですから、教師が「う~ん」と言っているときに、その一言の裏側に凄まじい風景が走っているぞとか、リアルで会うとこれを言語化して文字で表して伝えたかったんじゃないかな?という世界そのものであろう世界も捉えられるようになってきました。
まさに指の示す先を観ろ!なのでしょう。
そっちを観ることが重要なわけで、でも、実際はセミナーでそっちが観えている人は50人いたら1人、2人いればいい方だと私は考えています。
我々はそっちを観るべきでしょう。
1ヶ月に一回学びにいけないという場合は私の場合は自分が何かが可笑しいと考えて、まずマインドを変えたことを覚えています。重要な変化はマインドが先で、物理が後です。
3ヶ月に1回でもいいという主張もありますが、う~ん、やっぱりそれはやりたくないんだと思うので、それならば、きっぱりとやめた方がいいでしょう。
本当にやりたいことだったら勝手に身体が動きますし、私の趣味の1つであったモンハンの例でいえば、6日で64時間遊んでいました。気功だったら、初日から10時間超えて私は鍛錬していましたし。
ホンモノとニセモノの違いはどこにあるのでしょうか?も参考に!
今までの学び方が音を立ててガラガラと崩れていく人が1人でもいれば、記事を書いたかいがあります。これから観える世界が広がり、大きく羽ばたいていけることでしょう。
それは何故ならば、アティトゥード(態度)を変えるだけでおkだからです。
そして、それはなぜでしょうか?
これは躓いて欲しいポイントの1つです。私の師匠は初年度から気づいて質問していたそうですが、私は2年近くもかかってしまいましたが^^;
まあ、他人は関係なく、自分が抽象度の階段を上がって観えるようにして行くしかないのです。
深い満足感や達成感を得たい方は抽象度を上げて行くとよいと思います^^
参考になりましたら、幸いです。
ゴール設定・末期ガン・エフィカシー(ゴール達成への能力の自己評価)・趣味・社会貢献・ファイナンス・部下指導・職業・転職・起業・人間関係等に関する内部表現書き換え、働きかけを行っています。
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