「人生に意味はあるのだろうか?」「死後の世界はあるのだろうか?」「自分の居場所はどこにあるのだろうか?(自分探し)」
こういった質問を多々頂くことがあります。最近はレーニンのように大破局的な場面ならば前のめりな行動より思考をしろ!とこのブログで書いています。
でも、こういったことを書くと結論だけくり抜かれます。それをスピリチュアルと言いました。ですから、行動より思考をしろ!と結論だけくり抜くのはやめてくださいね。条件を載せていますから。誤解も理解ですが、それこそジャンクフード的知的消費者の考え方だと思います。
人はパンのみに生きるに在らずですから、ジャンクフード的知的糖質制限(ジャンクフード的知的体質改善)をオススメします。
では、そもそも思考とは何でしょうか?

※哲学者ジジェク。著書「暴力 6つの斜めからの省察」以後の書籍が邦訳されていないので、邦訳サイトやYouTubeのインタビューがオススメかもしれません。
(引用開始)著スラヴォイ・ジジェク 革命を語る Kindle No.951P
その結果、大学は基本的に、社会の用意した国家や企業に関する問題を解決する専門家を養成することになります。しかし、私たちにとって、これは思考とは言えません。
「真の」思考とは何でしょうか。
思考とは、問題を解決することではありません。思考への第一歩は、次のような問いかけにあります。「これは本当に問題なのか?」「これは問題の正しい立て方なのか?」「我々はいかにしてこの問題に行き着いたのか?」思考において必要とされるのは、こうした問いかけをする能力です。
(引用終了)
哲学者ジジェクによれば思考とは、「これは本当に問題なのか?」「これは問題の正しい立て方なのか?」「我々はいかにしてこの問題に行き着いたのか?」思考において必要とされるのは、こうした問いかけをする能力のことです。
ジジェクの言うように、大学教育の弊害がここでもあるのかもしれませんね。般若心経をはじめとして経典や言語化されているモノに関してアプリオリにして、根本が間違っているのでは?と疑うことがないのですから。
ですから、今回の場合は、「これは本当に問題なのか?(抽象度上げてください。)」と回答したいと思います(^^)
でも、これだと人によっては(関係性によっては)「なかだ」さんは厳しすぎるというご意見も頂戴します。
では、例えば、お酒を飲んで泥酔して酩酊状態の深い変成意識(トランス)に入ったとする。いわゆる周囲に迷惑をかける酔っぱらいの状態です。で、そのトランスは何か機能を果たしたのでしょうか?周囲に迷惑をかけただけではないでしょうか。
いくら空と縁起を悟ったとしても、家の中で引きこもっていたらならばそれは初転法輪ではなく、大乗の中観とは言わないようなものです。社会(コミュニティ)に関して言えば、ただのフリーライダーであり、お邪魔虫なのかもしれません。
ですから、機能で計るというのは一つの指針ではないでしょうか?(^^)
(引用開始)匿名で掲載許可を頂いております。
現在24時間大周天に挑戦中です。本日はそこで浮かんだ疑問ついて質問させてください。
先日のはじめての気功セミナーに参加して恐ろしいほど大周天に成功するようになりました。
前回のご質問でもアジュナはもっと強化していいとのことだったので、加速的に習得するため同時に24時間大周天に挑戦しています。
アジュナの活性化には、おでこがムズムズする感覚でフィードバックをとっており、このムズムズが強くムズムズする→アジュナがより活性化、ムズムズが持続する→アジュナ活性が持続すると捉えています。
こう考えたとき、ムズムズがない場合は、大周天が途切れてしまっているのでしょうか?
体感としては、ムズムズがない場合でも抽象度が、定性的で恐縮ですがある程度キープされているように感じます。
質問が漠然としておりますが、このあたりについてのご回答をいただけますよう、お願いします。
(引用終了)
「これは本当に問題なのか?」「これは問題の正しい立て方なのか?」「我々はいかにしてこの問題に行き着いたのか?」思考において必要とされるのは、こうした問いかけ。

【参考書籍】
ジジェク、革命を語る/青土社

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