革命のご感想を頂きました。ありがとうございます!

せっかくですので、次へのステップとして道標を綴っておきたいと思います。
フィードバックとは、無意識を意識に上げることです^^
フィードバックのメリットは、自分の人生を望む未来へ舵取りできるようになってくるというところでしょうか?
フィードバック(丁寧な観察、考察、思考)とフィードバック(ただの感想)は、
名前は同じでも「ミソ」と「クソ」、「瞑想」と「妄想」、「気功」と「スピ」、「認知科学のコーチング」と「その他コーチング」、「認知科学による気功」と「伝統気功」の違いくらい見た目は似ているようで、中身は違うのではないでしょうか?
(伝統気功リスペクトしていますから、誤解なきよう。)
自分の機能がゴリラ機能しか果たしていないと気づけばゴールによっては必死に勉強をするようになるように、フィードバックとは無意識を意識に上げること(丁寧な観察、考察、思考)が重要でした。
また、無意識(や意識、逆もあります。)は認めようとしないことも厄介な問題の1つでした。
(後述しますね。)
無意識VS意識として、無意識に勝つんだ!というのは難しいものです。
というのも、一騎当千の三国武将でも一桁以上オーダーが違います。(ユーザーイリュージョン)

というのも、我々は目の前の現実も記憶を再合成して認識しているという認知科学を前提にしています。我々は目の前の世界も記憶の中から引っ張りだして再合成されたものなわけです。
例えば、一度観た顔は2度と観ないとも言われていますから、「なかだ」の顔を観ないでスケッチできますでしょうか?^^笑
ですから、次のステップに進みたい方は安易な感想ではなく、丁寧に丁寧に観察していくことです。
また、無意識を意識に上げるといえば、脳に対する質問を変えることが効果的です。
例えば、遠隔の前後で写真を取って10カ所変化を探す、、、でもおkです^^
質問を変えて、自我を変えることです。
臨場感が変れば心も身体も変りますから、はじめの内は丁寧に丁寧におこなうことが成長の秘訣です。
例えば、記憶の中の親との関係が自分の周囲の人間関係に反映されていくように、我々の認識が記憶の合成ならば、、、意識して写真を取ってみない限りなかなか変化に気づきえませんよね?
何故ならば、認識とは認知科学者のダニエルカーネマンでいえば、「変化率」によることも多いからです。

日本の景気がじわじわと落ち込んでいてもじわじわと下がっていると認識に上がらないように、社会の抽象度がじわじわと上がっていることに気づかないように、人の認識は変化の差分に反応するということです。
それはユーザーイリュージョンだったと思いますが、カエルちゃんが日中のアスファルトの上にして、じわじわと温度が上がっていることに気づかずいつの間にか乾涸びているようなものでした。
そんな中、フィードバックの中に無意識と意識の錯覚の例がありましたので、引用してみます。
僕もY字やアラベスクの練習をしていた時に、出来ているけれど認めようとしないというアンビバレントな経験がありましたが、認知不協和は不快ですよね。
認めたくない気持ちも分かります。笑
分かるからこそ、あなたの未来のために認識に上がるように書いておきます。
(引用開始)匿名で掲載許可を頂いております。
遠隔の時間は、疲れて眠かったせいなのか、
遠隔のお陰なのか分かりませんが、後半は眠ってしまいました。
以前、お会いした時にも、お伝えしましたが
体感としては、よく分からないといったのが本音のところです。
ただ、本来、体感が重要でなのではなく、
遠隔を通じて、自分がどのように変化できるかが、重要だと思います。
(引用終了)
変成意識がガクンと深くなると一時的に記憶が消えたりしますが(思い出せなくなるだけですが)、
これは遠隔の効果によるものです^^
普段20:00~21:00の間で、しかも、遠隔の日時に寝落ちする確率はないとは言えませんが、稀でしょう。それは自分が1番分かっているはず。
無意識は認めていても、意識は認めていない状態ですね。^^何ともアンビバレントな感覚だと思います。遠隔なんて出来るわけが無い・・・意味が分からない、、、気持ちは分かります。
出来るようにならなければ、カッチリとしたコアは掴めないものです。
脳は手抜きが得意です。「なかだ」の顔を二度と観ないくらいに。
また、どのように変化できるのか?というのは、ゴールによります。同じ大学の教授の講義でも寝ている人とガシガシ勉強している人がいるようにどの可能世界に行きたいのか?です。
どうせ同じ時間を過ごすのならば、フィードバックはただの感想ではなく、丁寧な観察として定義しておこなっていきたいものです^^
ただの感想→丁寧な観察にシフトしていきましょう!
(おそらくフィードバックの理解が違うのでは?と考えました。)
(引用開始)匿名で掲載許可を頂いております。
先日は遠隔気功をありがとうございました。 8時少し前から視力が少し低下するようなボヤける感じがして、「あ、始まったな」という感覚がハッキリとわかりました。
『絵』が是非とも視てみたい、感じてみたいと思って、横になってみたり、背筋を伸ばして座ってみたり、もがいていましたが結局絵が現れる事はなく、落胆しておりました。すごく悔しいというのが感想です。
(引用終了)
すごく悔しいというのは素晴らしいですね。
今回も誰もついてこれませんでしたが、約6年前の「なかだ」を思い出します。はじめて気功の世界に触れたときのアンビバレントっぷり、意味不明ぶり、広大っぷりですね。
我々の認識している世界よりも世界は広大であり、まだまだ気功には先があります。
本当に。
丁寧に丁寧に「絵」が観える世界までお連れしたいとは考えています。
火が付いた時、鉄は熱いうちに打っていくことがポイントですから、こちらなどでお待ちしております!
【参考書籍】
ユーザーイリュージョン―意識という幻想/紀伊國屋書店

¥4,536
Amazon.co.jp
自分の機能がゴリラ機能しか果たしていないと気づけばゴールによっては必死に勉強をするようになるように、フィードバックとは無意識を意識に上げること(丁寧な観察、考察、思考)が重要でした。
また、無意識(や意識、逆もあります。)は認めようとしないことも厄介な問題の1つでした。
(後述しますね。)
無意識VS意識として、無意識に勝つんだ!というのは難しいものです。
というのも、一騎当千の三国武将でも一桁以上オーダーが違います。(ユーザーイリュージョン)

というのも、我々は目の前の現実も記憶を再合成して認識しているという認知科学を前提にしています。我々は目の前の世界も記憶の中から引っ張りだして再合成されたものなわけです。
例えば、一度観た顔は2度と観ないとも言われていますから、「なかだ」の顔を観ないでスケッチできますでしょうか?^^笑
ですから、次のステップに進みたい方は安易な感想ではなく、丁寧に丁寧に観察していくことです。
また、無意識を意識に上げるといえば、脳に対する質問を変えることが効果的です。
例えば、遠隔の前後で写真を取って10カ所変化を探す、、、でもおkです^^
質問を変えて、自我を変えることです。
臨場感が変れば心も身体も変りますから、はじめの内は丁寧に丁寧におこなうことが成長の秘訣です。
例えば、記憶の中の親との関係が自分の周囲の人間関係に反映されていくように、我々の認識が記憶の合成ならば、、、意識して写真を取ってみない限りなかなか変化に気づきえませんよね?
何故ならば、認識とは認知科学者のダニエルカーネマンでいえば、「変化率」によることも多いからです。

日本の景気がじわじわと落ち込んでいてもじわじわと下がっていると認識に上がらないように、社会の抽象度がじわじわと上がっていることに気づかないように、人の認識は変化の差分に反応するということです。
それはユーザーイリュージョンだったと思いますが、カエルちゃんが日中のアスファルトの上にして、じわじわと温度が上がっていることに気づかずいつの間にか乾涸びているようなものでした。
そんな中、フィードバックの中に無意識と意識の錯覚の例がありましたので、引用してみます。
僕もY字やアラベスクの練習をしていた時に、出来ているけれど認めようとしないというアンビバレントな経験がありましたが、認知不協和は不快ですよね。
認めたくない気持ちも分かります。笑
分かるからこそ、あなたの未来のために認識に上がるように書いておきます。
(引用開始)匿名で掲載許可を頂いております。
遠隔の時間は、疲れて眠かったせいなのか、
遠隔のお陰なのか分かりませんが、後半は眠ってしまいました。
以前、お会いした時にも、お伝えしましたが
体感としては、よく分からないといったのが本音のところです。
ただ、本来、体感が重要でなのではなく、
遠隔を通じて、自分がどのように変化できるかが、重要だと思います。
(引用終了)
変成意識がガクンと深くなると一時的に記憶が消えたりしますが(思い出せなくなるだけですが)、
これは遠隔の効果によるものです^^
普段20:00~21:00の間で、しかも、遠隔の日時に寝落ちする確率はないとは言えませんが、稀でしょう。それは自分が1番分かっているはず。
無意識は認めていても、意識は認めていない状態ですね。^^何ともアンビバレントな感覚だと思います。遠隔なんて出来るわけが無い・・・意味が分からない、、、気持ちは分かります。
出来るようにならなければ、カッチリとしたコアは掴めないものです。
脳は手抜きが得意です。「なかだ」の顔を二度と観ないくらいに。
また、どのように変化できるのか?というのは、ゴールによります。同じ大学の教授の講義でも寝ている人とガシガシ勉強している人がいるようにどの可能世界に行きたいのか?です。
どうせ同じ時間を過ごすのならば、フィードバックはただの感想ではなく、丁寧な観察として定義しておこなっていきたいものです^^
ただの感想→丁寧な観察にシフトしていきましょう!
(おそらくフィードバックの理解が違うのでは?と考えました。)
(引用開始)匿名で掲載許可を頂いております。
先日は遠隔気功をありがとうございました。 8時少し前から視力が少し低下するようなボヤける感じがして、「あ、始まったな」という感覚がハッキリとわかりました。
『絵』が是非とも視てみたい、感じてみたいと思って、横になってみたり、背筋を伸ばして座ってみたり、もがいていましたが結局絵が現れる事はなく、落胆しておりました。すごく悔しいというのが感想です。
(引用終了)
すごく悔しいというのは素晴らしいですね。
今回も誰もついてこれませんでしたが、約6年前の「なかだ」を思い出します。はじめて気功の世界に触れたときのアンビバレントっぷり、意味不明ぶり、広大っぷりですね。
我々の認識している世界よりも世界は広大であり、まだまだ気功には先があります。
本当に。
丁寧に丁寧に「絵」が観える世界までお連れしたいとは考えています。
火が付いた時、鉄は熱いうちに打っていくことがポイントですから、こちらなどでお待ちしております!
【参考書籍】
ユーザーイリュージョン―意識という幻想/紀伊國屋書店

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