第5回スクールもお疲れさまでした!スクールではヒーリングの「本質」を体得していただけたかと思います。太い幹を掴めば、あとは枝葉です。ガシガシ進んで行って下さい。そして、みなさまますますのご活躍を!
そして、10月は施術講座(仮)を2日間でおこないますが、日程は受講生と相談中です。ブログで告知をかけるかどうかは微妙なところですが、、、それはヒーリング(気功)は様々な問題をはらむことからと新規クライアントさんと既存のクライアントさんの進捗の差からです。(強烈なwant toがあればいつでもwelcomeです。)
たとえば、問題のひとつとして「なかだ」は気功技術はどれも日本刀(真剣)であるとよく喩え話をしています。
本当によく斬れるので、扱いを間違い下手をすれば技術を磨いているうちに自分自身の腕を斬って命を落としてしまうかもしれません。もしも、よく斬れないと考えている方は技術の使い方を間違えているかもしれませんし、最近はそういった方が非常に多いのではないか?と見ていて思います。技術より大切なこともありますし、
あなたの辿り着きたい目的地を間違えば、間違った場所にしか到達しないことも覚えておきたいことの1つです。
(ほんとうのエフィカシーを体得すれば、技術は不要と博士も常々おっしゃっていますが。我々の理解はまだまだなのかもしれませんね。)
閑話休題。
苫米地博士の書籍で『まずは、「信じる」ことをやめなさい』という本が2013年2月26日(初版)に出版されました。
![]() | まずは、「信じる」ことをやめなさい ~脳、宗教、歴史からわかった人を操る「サイン」の秘密! 騙されずにこの時代を勝ち抜くただ一つの方法 (2013/02/26) 苫米地英人 商品詳細を見る |
ほんとうに簡単に言えば、「盲信」や「信仰」へのアンチテーゼの書籍と言えるかと思いますが、「なかだ」はこの書籍の裏に、順番として、まずは信じるのではなく、論理(ロジック)を押さえることがはじめに必要なのだと再読していて気付きました。
例えば、
まずは私を信じなさい。
私を信じてここへおいでなさい。
信じる者は救われる。
などとは、「なかだ」は言わないのですが、これは順番や論理構造が可笑しいのです。
仏教で言えば、「解信行」という基本の教えがあります。
「解」るから、「信」じることができ、そして、「行」うことができる。「解」とは論理構造を理解することができること、理屈で理解することができること、我々の言葉でいえば、前頭前野外側部での情報処理を介入させるということ、そういう順番が指針として良いのではないか?ということです。
理解することで、信じることが自然にできるようになっていき、行動に移すことができる。当然「信」といえば、自分の自信もついてきますよね?ユダヤ人が何故あれほどまでにエフィカシーが高く、偉業を成し遂げるからかと言えば、聖書から瞑想やアファメーションをし、論理構造を把握しているからだと考えていますが、解信行のシンプルな歯車で勝手にエフィカシーが上がります。
逆に言えば、論理構造を把握できていない、即ち、理解できていないから信じることもできず、行動に移すことができないのである・・・と。自信が持てない理由はここにあるのではないか?と考えています。信と不信の無限ループ(バグ)、信なき自分を救いたまえの矛盾状態です。これではなかなか心(脳)は安定しません。
そして、例えば、まず信じることからはじめてしまうと、それがあなたの望む道からいつの間にか逸れていても気付くことがありません。例えば、頭の良いとされる知識人はドンドン東洋哲学も西洋哲学も空と汎神の論理に移行している中、空と汎神を理解できない、落ちこぼれの原理主義者のようになってしまうことも。
はじめに言葉ありき。
言葉は神とともにありき。
言葉は神であった。
と新約聖書のヨハネ福音書の第1章1節にある言葉で、このブログでも何度か紹介し、耳タコかもしれませんが、、、(耳タコくらいがゲシュタルトが構築できてきた証拠)。
言葉(情報)=神の構造が読み取れますが、これを言葉(情報)=神=解と強引にしてもいいのではないでしょうか?
理屈を理解することで、ロジックを理解することで、我々は信じることができ、行動に移ることができるのだと「なかだ」は考えています。因果を逆にすれば、行動に移らないのは理解ができていないのです。
解信行だけでも是非実践してフィードバックをとってみてくださいね。
(みなさんの脳がブートして、結果が出るように、バンバン夢が叶うようになっていくことを願って筆を置きます。)
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