気功に出会って、ここ数年で私自身の大きな変化はたくさんあるのですが、1つは「かなり本を読めるようになったこと」かな?と思います。かなり本が読めるようになったこととは、構造(ロジック)を取れるようになって、理解できるようになったことやゲシュタルトが構築出来るようになったということ、です。
例えば、ここ数年で分厚い利己的遺伝子や神は妄想であるのドーキンスやノーベル経済学賞のカーネマン、パワーブロガーの小飼弾さん、ヲタキングこと岡田斗司夫さん、司馬遼太郎さん、脳機能学者の苫米地英人さん、運動科学研究所所長の高岡英夫さん、、、経済書、聖書、ギリシャ神話、ビジネス書、小説、絵本、古典と言われる書籍、まだまだ少ないかと思いますが、1~2年で500冊~1000冊くらいは読んだのではないでしょうか?
数学や物理は好きでしたが、国語が大嫌いで、本を読んだり文章を書いたりすることが苦手で文字を見るのも嫌であった状態→息を吸うが如く気付いたら本を読み、身体を自然と動かす生活にシフトしました。強度のドライアイと慢性的な肩こり、腰痛や鬱、躁鬱などの症状もなくなりましたね。。
これは皆さんにとっては「普通のこと」なのかもしれませんが、僕に取っては「普通のこと」ではなく、今でも昔の自分の不勉強さを呪いそうになることもあります。でも、過去の選択しなかった可能性と比較するのは不毛なのでしないことにしていますが。過去の選択しなかった可能性と比較する行為はまさに縁起を体得していないから起こる無明とも言えるでしょう。
スピリチュアルな人達がよく言う、前世の業によってあなたは不幸になる、、、とか。縁起とは簡単に言えば、不幸だけにフォーカスしやすいのですが、例えば、縁起とは双方向性であり、今善行を行えば、過去の他人の報酬を受け取れるということにもなると思うのですが、、、。
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それはさておき(笑)、
「理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性」著高橋昌一郎を一気に再読していたのですが、この世には「パラドックス(矛盾)があること」と数学者のゲーデルやハイゼンベルグ、チャイティンが示したように、「証明も反証もできない決定不能な命題が存在する」ことは押さえておいて下さい。真か偽がコロコロとずっと変っていき、決定ができないような命題のイメージです。
ただ、ゲーデルの不完全性定理はアロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性原理、、数学、量子物理学、論理学、、、の予備知識がないと難しいので、、、今回は最も単純な形式の自己言及のパラドックスを押さえておきましょう。
「私は嘘つきである」という発言。
もしも、この発言が真であれば、私は嘘をついていることにあり、発言は偽になります。
一方で、もしも、この発言が偽であれば、私は嘘つきでないことになり、発言は真になります。
したがって、矛盾が続くんです。
(引用開始)
目次
序章 理性の限界とは何か?
選択の限界、究極の限界値、科学の限界、知識の限界、ディスカッションルール
第一章 選択の限界
1投票のパラドックス
コンドルセのパラドクス、ボルダのパラドックス、アメリカ合衆国大統領選挙の矛盾、フランス共和国大統領選挙の矛盾
2アロウの不可能性定理
コンドルセ勝者、複数記名方式と順位評点方式、パロウスの全員当選モデル、完全民主主義の不可能性
3囚人のジレンマ
タッカーの講演、ウォーターゲート事件、繰り返し囚人のジレンマ、コンピュータコンテスト
4合理的選択の限界と可能性
ミニマックス理論、ナッシュ均衡、チキンゲーム、社会的チキンゲーム、集団的合理性と個人的合理性
第2章科学の限界
1科学とは何か?
科学と理性主義、天動説と地動説、ラプラスの悪魔、ハレー彗星の予測
2ハイゼンベルクの不確定性原理
光速度普遍の原理、相対性理論、ミクロの世界の不確定性、実在的解釈と相補的解釈
3EPRパラドックス
実在の意味、二重スリット実験、神はサイコロを振るか、シュレティンガーの猫
4科学的認識の限界と可能性
進化論的科学論、パラダイム論、方法論的虚無主義、何でもかまわない
第3章知識の限界
1抜き打ちテストのパラドックス
集中講義の疑問、エイプリルフール、オコンナーの語用論的パラドックス、スクリブンの卵、クワインの分析
2ゲーデルの不完全性定理
ナイトとネイブのパズル、命題論理、ナイト・クラブとネイブ・クラブのパズル、ペアノの自然数論、述語論理と完全性、自然数論と不完全性、不完全性のイメージ、真理と証明
3認知論理システム
ゲーデル数化、認知論理、ぬきうちテストのパラドックスの解決、認知論理と人間理性
4論理的思考の限界と可能性
神の非存在論、チィーリング・マシーン、チューリングマシーンの限界、アルゴリズム的情報理論、究極の真理性Ω、合理的な愚か者
(引用終了)
第1章の選択の限界から囚人のジレンマ(最善を尽くして決定を下したはずなのに、結果は自滅的になるジレンマ)→アロウの不可能性定理の話で、会社員が「私はなかなか結婚に踏み切れずにいるのですが、それは私の心の中で結婚派と独身派のエージェントが競っているのからですか?」という質問は面白かったです。読者さんの中でもなかなか興味がそそられる話ではないでしょうか?
簡単に言えば、理性的、合理的な結婚は可能か?という質問です。情に厚いロマン主義者、情報科学者、会社員のディベート形式が面白いです。最終的に、最も非合理な戦略が、実は最も合理的な戦略になっているとも言えたり・・・。
あなたは理性の限界を読んで、何を考えるでしょうか?
自分の理性、合理性を疑ってみるいい機会になるかもしれませんね。
是非スクールや講座でお話をお聞かせ下さいね。
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