最近はシークレットセミナー、シークレットセッションで多忙であり、会員ラウンジですら情報公開や企画が少なくなってしまっている状況です。(ありがたいことです!)
今回はシークレットセッションで公開して、疑問が氷解したと言われた『LUBの体感』と独自の『ワーク』について書きたいと思いますが、多くの方は文字面だけ読んでわかったつもりになって損をしているように思います。
恥ずかしいことなんてなく・・・分かったつもりになってしまうと、すごく勿体ない。
それってせっかくの学びの場なのに、すごく勿体ないと思いませんか?
僕より30歳以上上の方が謙虚に学びに来られる姿勢をみていて、本当に頭が下がります。そんな大人を子供が尊敬しないはずがありません。<strong>本当にみなさんかっこ良すぎる</strong>って確信しているのですが、僕は間違ったことを言っているでしょうか?(施術では96歳の方が過去最高齢でした。)
で、分かることって凄い素敵なことですよ。
学びの場では誰も分からないからと言って、あなたを馬鹿にしません。
分からないことが分かるようになるから意味があるんです。(分かるならば参加する必要はあまりありません。それは現状を強化してスコトーマだらけにするだけです。)
そして、学びの場は失敗が効くのです。学びの場ではたくさん失敗すればいい。それが成功に繋がります。
もしも、あなたを馬鹿にする人がいたら、それはその方が真理の大海を前にしても無知で傲慢なだけです。
閉じた公理系の内側以外はアプリオリは無いのに、その考え方が唯一絶対だと思ったらぶっ飛ばすぞ!って思います。
(お山の大将はとーっても恥ずかしいことです。我々は自分で気付くまで母親のように優しく見守るとよいのかもしれません。)
コレクティブエフィカシーという言葉があるように、会員ラウンジでは全員がエフィかシーが高く、徹底的にお互いを高め合います。決してお互いを引き下げ合うことをしません。それは脳機能から言えば、無駄でしかないからです。
エフィカシーは自分で上げることができ、他人の評価は関係ありません。なぜならば、ゴール達成への自己評価だからです。他人の評価だけを気にする人生は辛く、苦しくありませんか?
辛ければ辛いと言っていいし、苦しければ苦しいと言っていい。
そして、他人と比べる必要などなく、自分で自分を認めればいいんです。
他人の評価はあとから勝手についてきます。
これは言葉だけではなく、本物のコーチに会うことでの『体感』こそが重要です。(例えば、ルータイスやマークシューベルトや苫米地英人博士など。ルーにはお会い出来ませんでしたが、マークシューベルトと苫米地博士には幸運にもお世話になりました。)
もっと素直になれば、人生は生きやすく、シンプルに楽しくなると思うのですが、僕も含めて人は色々無駄な重荷を背負ってしまっていますね。気持ちは凄く分かるのですが、それ、捨てたら?って思ってしまいます。
熱力学のマクスウェルの魔の問題ではないのですが、情報の取得よりも、情報、過去を捨てること、手放すことにこそコストがかかります。
我々は過去にクリエイティブにしがみつくよりも、未来を本気でクリエイティブに切り拓いていきたいですね。自分の考え方がひっくり返るから楽しいわけで、面白いわけで・・・。
その輪を広げるために、僕は今もこっそり狭き門として活動しています。
ポイントはマインドの使い方などですね。
期待する、確信する、褒める!覚えていますか?
・・・
あ、時間ですので、LUBについてはまた書きたいと思いますね。多分。