山崎正和さん | フィギュアスケート妄想・疾走者

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どこかの民族では、数の概念は「1、2、たくさん」しかなかったとかいう話を聞いたことがある。

一人でも、二人でも、大勢と組んでも、高橋大輔はかっこいい。

フィギュアスケートに関係ありません。



山崎正和さんが亡くなられた。
86歳とのこと。そういう年齢だったのね、などと思う。
それくらい、ご本人のプロフィールには興味がなかったんだけれど、それでも山崎正和さんは私にとって思い入れがある人である。

理由は単純。大学時代、演劇部でこの人が書いた戯曲「地底の鳥」を上演したことがあったのだ。あ、私はスタッフだったので舞台に立ちはしなかったんけどね。


大学一年の冬。大学三年生達が引退した後、二年生がほとんどいなかったため、部員は数えるほどの数になってしまった。
「次の6月、この人数で定期公演できるの?」と思っていたところに、部員の一人が持ってきたのがこの戯曲。言葉がとにかくカッコいい。文体がいい。そして主人公も奇妙な人物だが存在感があってカッコいい。
これで行きたいと私達は思った。ただ、新入生がやって来ないと絶対に上演不可能だった。戯曲が必要とするする人数より現在部員の数の方が少ないのである(それに美人が二人必要なのだが…女子部員三人いたけれど、私含めた二人は美人役なんぞできないタイプだった)。
そうしたら、新入生が結構入ってきた。しかも華やかな女子が何人も。これなら出来る、と、私達は上演することにした。
部長は山崎正和氏に手紙を書き(というか脚本を書いた人に連絡し、許可を取らないとチケット代を取るお芝居は上演してはいけないのである)、「大学生が僕の脚本を上演するとは意外」と返事にあったらしい。今思えば、その手紙読ませて貰えば良かった〜と思うが、あの頃の私は、まだ山崎氏がどういう人かすら知らなかったのだ。



上演はした。
しかし、真面目で笑いの要素がなく、舞台装置もまともにない(部員数が少ないので作れない)しかも二時間超えという長い芝居に最後まで付き合ったお客さんは少なかった。
それでも「難しい戯曲を上演までやってのけた」ことで、私達(二年生)は結構満足していた。自己満足以外の何者でもないが。
ただ「次やお客さんも楽しめるものにしよう。もう自己満足は飽きた。」ということで、次からは笑いの要素もある、楽しさや派手さのある戯曲を選ぶようになった。

とにかくその後、私の中で山崎正和さんという人は、「読みこなすのは大変だが、その大変さに見合っただけの世界を見せてくれる文章を書く人」となったのである。




ちなみに、「地底の鳥」の主人公は、戦前の共産党員。共産党のトップにいながら、裏で特高警察と通じており、都合に応じて仲間を売っていた男である。
彼は、共産党で出来ること、やれることを実現するため、自分にとって都合が悪い党員を警察に引き渡しながら、組織を固めていく。
しかし、目的のためなら手段を選ばないという単純な底が浅い男ではない。理想を追う自分がいて、現実的な対応を取る自分がいて、二重スパイとして警察と付き合いながら、自己が分裂したような状態でバランスを取っているのである。
それが妙に現代的で、奇妙な魅力がある人間に思えたのだ。



その後山崎正和さんが、弟が通う大学の名誉教授だと知ったときは、「一度、モグリの学生として講義受講したい〜うらやましい〜」と思わず言ってしまった。
まあ、弟は学部が違うし(理学部数学科)、そもそも文学に興味があまりないので、そういう私をアホか、という顔で見ているだけだったけれど。



その程度の関わりしかない。でも、たった一つの戯曲であっても、自分にとっては大事な記憶だったから思い入れがある存在だった。

ご冥福をお祈りいたします。