先日、保護していた子猫2匹を里親にお届けしてきました。

2匹は、兄妹です。さみしくないようにと2匹をもらっていただきました。

里親にお会いしたときは、とても良い方で、この2匹はこれからほんと幸せになってくれると、これで安心だと、心の底から思いました。

 

しかし、帰宅したところ、いつもおとなしい母猫が子供を探して泣いていました。

始めは仕方ないなと思っていましたが、その心の底からの悲し気な鳴き声にとても罪悪感を覚えました。

 

まぁ、言っても仕方ないし、逆に失礼かなとは、思いましたが、里親にもそのことをメールで追伸をしてみました。

返事は子猫ことだけで、母猫のことはスルーされていました。

でも、子猫をもらってとても喜んでいただいている様子はうかがえましたので何とも言えませんが、片方で不幸せになっている猫がいることに、自分の能力の無さと反省点がないか悩みました。

 

世の中、何かが誰かが犠牲になり、成り立っていると考えている方がおられるように思います。

私は、そういう考えが嫌いです。私は、設計者です。能力の高い設計者です。全員をハッピーにしてなんぼです。

要するに、設計者の能力不足や妥協がそのような考えや現実を生んでいると私は思っています。

 

先日、去勢のことを最寄りの動物愛護センターに相談したところ、去勢費用は私共で負担しますと回答をいただきました。その代わり、去勢の印のため、耳を一部カットさせてもらって、その保護した場所に戻してください。という回答がありました。里親に出してはいけませんかと、尋ねると、里親に出す猫は、飼い猫なので、去勢の負担ができません。という回答がありました。あくまでも、野良猫は、去勢をして、元の場所に戻す、つまり野良猫にしてください ということなのです。

はじめは、里親に出せるのに、なんてかわいそうなのかと思っていました。

 

今回のことで、改めてそのことも考え直しました。

そして、そもそも、飼い猫が幸せで、野良猫はかわいそうという判断はおかしいのではないのかと疑問をいただくようになりました。

 

ふと、サザエさんの タマ のことが頭をよぎりました。

タマは、はたして飼い猫なのかと考えると、タマは、いわゆる通い猫です。

 

通い猫とは、サザエさんの家に、通ってはいるが、室内猫ではありません。

いろいろなところで共育をされている猫というわけです。

むかしの子どもたちも、同じような考え方がありましたが、昨今は、すっかりなくなったような気がしています。

それは、世の中が、性善説から性悪説への変化が原因のような気がします。

すべては悪い人かもしれないという考え方では、よいコミュニティは育ちませんし、コミュニケーションも生まれません。

 

そこで、私はITの力を使って、クラウドニャンニングみたいなアプリがあったらどうか考えてみました。

野良猫には、マイクロチップかマイナンバー入りの首輪を付けます。

ユーザーは、その猫は、私も共育をしています という登録をするのです。野良猫はすべてGPSで管理され、自分共育している猫の位置が把握できます。いま、共育グループの○○さんのところにいるな。コメントでご飯食べさせましたが入っています。了解です。 ノミの薬さしました 了解です。 ブラッシングしました 了解です。 などのコミュニケーションがあったり、子供が生まれて、その子供を連れてきてくれる日なんては、どうなのでしょうか。

繁殖させて、罪悪があるのか、それとも、我が子が孫を連れてきてくれるような気分になるのか

私は、後者ではないかと思いました。

 

地域が猫でつながり、猫で癒され、猫でコミュニケーションが始まり、イベントがはじまり、孤独な老人と若者のコミュニケ―ションの機会になり、オフ会があり、みんなで結婚式、子供のお披露目会や 葬式など があったりしたらどうでしょうか。

 

そんな世の中は、野良猫にとって、我々にとって、どうなのでしょうか。

 

なんでも、かんでも、野良猫の繁殖はよくない、去勢して、耳カットして、次は繁殖できないから、数が減っていくだろうというような、冷たい世の中だから、私は、昨今、明るい未来が暖かい未来が見いだせない日本になっているのだと感じました。

 

猫の特色からも考えます。

猫は、繁殖力があります。おそらく群れで生き抜こうとする進化なのです。

猫は、情があまりありません。特定より、不特定多数と接点を設けて生き抜こうという進化なのです。

猫は、そもそも、30分以上前のことは覚えていません。猫は、みんな似ているため、誰が誰かわかっていません。

そう、猫はバカなのです。猫はそんなおバカさんだから、私たちは、癒されているのです。

 

そんな猫たちが幸せになって、我々も幸せになる方法は、サザエさんのタマに聞いてみることだと思います。

きっと、タマは これでいいのだ というはずです。え、バカボン? おしまい。