EPISODE 1
小学生トリオで通い始めた加藤ボーカルスタジオ。
地元の声楽界では、岸洋子さんも育てた加藤千恵大先生。
酒田市に残した偉大な功績は、名誉市民になって讃えられてから知った。
小学生で門戸を叩いた頃は、失礼な話だが優しいオバチャンくらいに思っていた。
ソルフェージュに記された音符を、「ドレミドソファミー🎵」と指差しながら音名で歌う。という内容だった。
絶対音感を養うため。だろう。
親に通わされて、仕方なく来ている友達二人は退屈そうにしていたが、自分は楽しかった。
ある日、トリオでボーカルスタジオに向かう道で、
「おい、あんなの行くのヤダからサボろうぜ!」
とコバヤシが言った。
ウンノは、「そうしよーそうしよー!」と同意。
内気だった自分は、行きたかったけど二人に同意してしまい、公園で時間つぶしをした。
終わりの時間を見計らって、コバヤシの家に3人に集合しようとしたら、コバヤシの母親が言った。
「あんたたち、さっき見てたわよ。違う方向から来たわよね!スタジオ行ってなかったの?」
バレバレだった。
「いや、ちがう方から帰ろうって思ったんだよ」とコバヤシが言った。
「ホントなの?イワモト君?」
教育ママゴンなコバヤシ母の剣幕が刺さる。
「どうなの!正直に言って!」
「あの〜、行かないで公園で遊んでた」
「そう、ウンノ君とイワモト君は帰っていいわよ」
コバヤシ宅の玄関から出るやいなや、コバヤシママゴンの怒号が響いた。
それが原因で、スタジオ通いは終わった。
しかし、あの時のメロディを指で指しながら歌う、という経験は、音感が身に付き、音楽が好きになったきっかけになった。
以来、テレビで流れる曲を音名で表すことが出来るようにもなった。
学校での通信簿は、ほとんどの科目が最低評価だったが、音楽だけは卒業するまで最高評価。
人間としてはズブズブのクズ同然だが、取り柄は音楽だけ。
小さい頃から今まで。
加藤先生から学んだ経験は、エレクトーン教室で開花することになるのだった。
〜続く〜
我が音楽のめざめ
これから、人生の過半数に関わり、時には美しく、時には汚れ、笑いあり涙ありの音楽劇場について、記憶があるうちに書き記していきたいと思う。
幼い頃から、何から何まで出来が悪く、箸の持ち方など、この歳になってもおかしい。
父親からは「まるでダメ男」と言われ、かんしゃくの的になり、いつもビクビクし、泣き虫のいじめられっ子だった。
幼稚園児の頃は、女子にまでいじめられていた。
いじめた女子の名前は今でも覚えている。くみこ。
いじめられた後、「ちきしょー!べんじょくみこ!」と心の中で罵った。
ボットン便所を汲む子供。
我ながらヒドイあだ名だ。
ある日、幼稚園の先生が、「みなさん!大人になったら何になりたいか聞かせて!」と、一人一人発表させる。
という機会があり、
「学校の先生」「警察官」「スチュワーデス」「花屋さん」と答えていき、自分の番が回るのを緊張して待った。
「イワモト君は何になりたいの?」
「えっ!?うーんと、えーと💧」
「はずかしいの?なら、先生にヒソヒソ教えて」
先生の耳元で呟いた。
「みなさん、イワモト君はウルトラセブンになりたいそうです」
(えっ!?みんなにバラスの?)
ショックを受けて泣き出してしまった。
「えー!バーカ!ウルトラセブンなんかテレビだよ!バーカバーカ」
「諸星ダンしかなれないんだよ!バカ」
口々に現実的なヤジを飛ばした。
「でもね、みんな!イワモト君みたいに夢みるのも大事なんですよ!夢があるってステキじゃないかなぁ。先生はそう思います」
泣きじゃくりながら、迎えに来た爺さんのチャリの後ろに乗っかり、帰る幼少期。
小学生になり、泣きべそは若干落ち着いたものの、相変わらずいじめられっ子。
その夏。
よく遊んでいた友達トリオで、Kの母親の提案で、音楽の先生の重鎮、加藤千恵先生の主宰する、加藤ボーカルスタジオに通うことになるのだった。
〜つづく〜
生誕祭

今週末、自分の55歳の誕生日翌日に、ガン55(フィフティフィフティ)というイベントを企画した。
風当たりが強く、批判的な声が高まる中、腰が些か重苦しいのだけど、やります🎵
「呼ばれる方から呼ぶ方へ」シフトチェンジだ😃
これからは、自分の音楽を中心にやっていくつもり✨
今、大事な仲間を呼んで、大風呂敷を広げずささやかにやりたい。
内輪乗り?
文句あっかぁ😀(笑)
じっくりと、聞き応えのある方々ばかりなので、ただでさえイベント目白押しの時期ではありますが、心よりお待ちしております✨
10月26日(土)
17時開場
18時開演
場所 酒田市港座大劇場ホール
チケット1500円ワンドリンク
出演
ganriyon
ガントレット・エナーガーデン
BAGAYARAWs
佐藤あゆ子
Kayoko
大橋シロー
阿部浩二