去る6月5日、元BON JOVIのベーシスト、アレック・ジョン・サッチ(Alec John Such)の訃報が入りました。
享年70歳、死因は発表されていない様です。
1984年 アルバム『BON JOVI』とシングル「Runaway」でデビューしたBON JOVI。
この懐かしいMVではデビュー時の5人が揃っているが、
実はこの曲のみボーカルのジョン以外は別のレコーディング・メンバーと録音しているはず。
恐らくレコード会社としてはジョンのソロ・プロジェクトとして売り出すつもりもあったのかも。
まあ顔もいいし、グループ名も彼の名前からきてるしね。
しかし以降約10年間は不動のメンバーでバンドとして活動します。
因みに「Runaway」は後に麻倉未稀がカバーしドラマの主題歌となり日本でヒット。
元はジョン(ジョン・フランシス・ボンジオビ)と同級生のキーボード、デビッド・ブライアンが組んでいたバンドが母体。
そこにジョン達より10歳近く年上のアレックとドラムスのティコ・トーレスが参加。
ギターには後のスキッド・ロウのデイヴ・“ザ・スネイク”・セイボが参加していたが、
確かどっかのライブでリッチー・サンボラが飛び入りで演奏して見せて、
それを気に入ったメンバーがギタリストとして迎えたって逸話があったはず。
ワシの名前みたいなスネイクはジョンの幼馴染だった様ですが、リッチーに追い出されちゃったみたい。
そしてデビュー。
その後1985年にはセカンド『7800° Fahrenheit』を発表。
アメリカでの人気はまだまだという頃だったが、寧ろ日本で人気が出始めたらしい。
そのお礼の意味も込めて収録されたのがこの曲。
「TOKYO Road」
若かりし頃のライブ映像がありました。
シングルカットはされていませんが、当然日本では大人気の曲。
こちらもアメリカではチャートインすらしなかったものの、
初期では珍しかったキャッチーなバラード曲で日本では人気があったと思われ、
音楽番組とかで何度か目にした記憶があるこちら。
「Silent Night」
この頃の海外アーティストのアルバム発表というと、大体2年に1枚とかそういう間隔だったと思う。
3年以上空くと寡作家なんて言われていた時代ではあるが、
流石に3年連続でアルバム発表するなんてのは珍しかったのでは?
当然ツアーもある訳で、ほぼ休む暇無いですからね。
今とはまるで感覚が違うと思います。
そんな中1984-1985の後1986年にサードを発表しちゃいます。
それが超ビッグ・ヒットとなった『Slippery When Wet』。
ワシが初めて聴いた彼らのアルバムも実はこれ。
1、2は後追いでした。
以前も書いた気がするけど、高1の時隣の席にいたGちゃんに聴け聴け言われて聴いたのが最初。
Gちゃんとは授業中もずっと遊んでて、
そっか!彼のせいでワシ頭悪くなったんだ!今気が付いた…
ま、いっか。
実はそれまでハードロック系は苦手で、洋楽は聴いていたけど避けてきたジャンルだった。
音そのものより、どのバンドのメンバーも同じ様に髪を伸ばしてスプレーで固めて、
声を荒げて歌い、頭を振りながらギターを弾き、
どうも自分の振る舞いと最も遠い所にいる存在みたいな感じで敬遠していた。
可愛い少年でしたから。
しかし聴いたBON JOVIはキャッチーで耳から離れない。
徐々に好きになっていきました。
当時洋楽を聴く同年代の人でBON JOVIを聴かなかった人はほとんどいないかもしれない。
あの頃はハードロックというよりボン・ジョヴィブーム。
洋楽を知らない人でもその曲はどっかで聴いていたはず。
恐らく同年代の鬼奴も大好きなこの曲がいきなり初の全米1位に。
「You Give Love A Bad Name」
ハードロックバンドの曲が全米1位というのもなかなか無いが、
連続1位となるともっと少ないと思う。
恐らく彼らの曲で最も売れた有名な曲といえばこの曲。
「Livin' On A Prayer」
今の曲にはイントロが無い。
若者達はパッとサビを聴いて印象が薄ければすぐに次の曲にいってしまうらしい。
なのでイントロ聴かせるより印象的なフレーズで頭から掴みたいから、らしい。
でもこのリッチーのトークボックス使いのイントロあってのこの曲だよねー。
昭和世代は長尺イントロ大好きです。
さらにはワシが個人的に最も好きなこの曲。
「Wanted Dead Or Alive」
これも全米7位と、3曲連続でトップ10入りというのも異例。
彼らがいたから後のハードロックブームがあったと言っても過言ではないです。
もちろんその前にも売れていたバンドはあったけれども、
それらは点であり線にはなっていなかった。
線というか塊。
世界中でBON JOVIを筆頭にしたHR/HMブームが席巻していた。
実際彼らはそこまでハードな音楽性ではないが、だからこそ万人に受け入れられたのだろう。
ジョンのビジュアルに依る所も大きいのだろうけどね。
ところでこの「Wanted~」もイントロももちろんいいのだが、
この曲辺りからリッチーの高音ハモりコーラスが気になりだす。
Van Halenに於けるマイケル・アンソニーみたいな存在ですが、もっと存在感ある。
1988年、ここでは2年の間隔が空きました。流石に。
4th.アルバム『New Jersey』が発表されます。
ここからも2曲の全米1位曲が生まれますが、寧ろ1位で当たり前、1位にならなきゃ「え?なんで?」って感じ。
それにこの頃になるとシングルカットの順番までこっちで決めたくなるので。
「え?なんでその曲よ!これの方がいいのに!ほら見ろ!順番間違えたから1位になりそこねたじゃん!」
ってレコード会社のお偉いさんかって感じで同級生達と話していましたね。
みんなそんな感じじゃなかった?
で、なんでリード・シングルがこれよ!って思った、ワシ史上最も『良くない曲なのにアーティストパワーだけで1位になっちゃった曲』
「Bad Medicine」
この映像覚えてる人多いんじゃないかな?
あの当時って外タレブームでもあって、
海外アーティストが日本に来てライブすると、それがなんと地上波の(地上波しか無かったけどね)ゴールデン・タイムで放送されることがしばしばあって、
確かこれもそのうちの1つだった様な、
あれ?違うか?もしかしたらベストヒットUSAで『ボン・ジョヴィ特集』とかやって、その時に流されたやつかな?
いずれビデオ(DVDじゃないよ)に録画してたから何度も繰り返しみた記憶が。
これアンコールの一番最後に確か演奏されて、
ジョンが曲の終盤に倒れるんですよね。
で、メンバーがみんな集まってきて「おい、大丈夫か?」みたいな感じで囲んで、
客席の女子達が「キャー!ジョンだいじょうぶーー!?」みたいな反応するんだけど、
まあ、アイドルですね。
こんなダサいことするロッカーいませんよね。
実際ライブで暴れて疲れて休んでたかもしれないけど(笑)
この曲の印象はこれだけです。
もう1つの1位曲。
「I'll Be There For You」
これはジョンとリッチーのハモりが最高の曲。
大学時代にカラオケでこれを歌った奴がいて、
その時アドリブでリッチーパートで勝手に入ったら、
これが気持ちいいほどいい出来で、一緒にいった奴らの反応も上々。
それ以降地元の親友もボン・ジョヴィ好きだったので、一緒にカラオケ行った時にこれをやったら、他の友人達が「おー!」というぐらいの感じ。
今はもう声が出ませんが…
結局このアルバムからは5曲のトップ10ヒットが生みだされるという、
前作以上にモンスターな存在となりました。
この後実はバンドは疲弊しきってしまい、長いツアーの後長い休息に入ります。
そして、その間にワシ自身も徐々に聴かなくなっていきました。
1992年に『Keep The Faith』が発表されますが、
これは後追いになってしまいました。
そして1994年にベスト・アルバム『Cross Road』を発表し、
ここに収録された2曲の新曲を最後にアレックはバンドを脱退します。
実はその脱退話を知ったのも少し後になってからでした。
どうやら昔からの夢であったバイク屋をやりたいから、そんな理由だった様です。
メンバーと仲違いした訳ではなく、以降も関係は良好だった様で、
その為アレック以降は正式なベーシストはいないことになっており、
あくまでサポートメンバーとしていた様です。
その時の新曲の1つで、最後の全米トップ10入り(4位)の曲。
「Always」
2001年4月18日、彼らの故郷ニュージャージー州のジャイアンツ・スタジアムでのライブに、
1曲限りでアレックがゲスト参加していたそうです。
先ほども貼った「Wanted Dead Or Alive」で、
恐らくこれが公式にアレックが演奏した最後の映像か。
アレックは考えてみるとデビュー時既に30歳を過ぎていたんですね。
22歳ぐらいのジョン、デビッドとはジェネレーション・ギャップもあったことでしょう。
徐々に体力の差もついてきたことでしょう。
そんな年齢差があるバンドで上手くいっていたのは、
やっぱりアレックやティコの大人な部分が支えていたのかなぁ?
2014年にはギターのリッチーも脱退した様ですが、
ワシにとってはやっぱりジョン、リッチー、デビッド、ティコ、そしてアレックの5人が揃ったのがBON JOVI。
70歳、まだまだ若いですが、何かの病気とかなのかもしれないけど、
こうやって徐々に自分の青春時代のスター達が亡くなっていくのは寂しいものです。
どうかご冥福をお祈り致します。
Love Alec