“背骨が動かない”のは、筋力の問題ではない──重力と中枢神経の見えない対話
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リード文
こんにちは、奥川です。
整体や運動指導の現場で、こんな経験はないでしょうか。
「ピラティスやヨガのセッション中は背骨がとてもよく動くのに、日常生活ではその動きが活かされていない」
この現象は、単なる筋出力や柔軟性の問題ではありません。
もっと根本的に、**“重力との付き合い方”や“運動の再学習”**に目を向ける必要があります。
そして、この話の核心には──
人類が赤ん坊の頃に通る“発育発達の地図”が深く関わっているのです。
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本文
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1. 「マットの上」では動く背骨が、立った瞬間に沈黙する理由
ピラティスのロールアップやヨガのキャット&カウでは、背骨が驚くほど滑らかに動く。
しかし同じ人が、立って動こうとした瞬間に、背骨が硬直するような感覚に陥る。
なぜか?
答えは、「筋力が足りないから」ではない。
それは“重力”の影響を受ける環境で、身体が再適応できていないからだ。
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2. 重力ベクトルの変化と、中枢神経系の再構築
仰臥位での運動は、重力のベクトルが身体を垂直方向には圧迫しない。
脳と脊髄は、**“重力がかからない中での運動”**を制御している。
しかし立ち上がると、状況は一変する。
頭部〜体幹〜骨盤にかけて垂直方向に荷重がかかり、中枢神経系は姿勢の制御と運動の制御を同時に処理しなければならない。
この環境変化こそが、“マットの上ではできることが現実世界ではできない”というミスマッチを生む。
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3. 「伸びながら動く」ことの本質──抗重力と脱力の両立
立位における動きで重要になるのは、単に動けることではない。
**「抗重力的に伸びながら、滑らかに動く」**ことである。
これは、筋出力だけでなく、軸方向の張力(tensegrity)と自律神経系の協調が問われる課題だ。
つまり、「安定の中に動きがある」状態。
この感覚を獲得しない限り、どれだけ可動域があっても、立位での動きには活かされない。
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4. 支持基底面と重心高──“タワーマンション”に学ぶ動的安定性
仰臥位では、背中や骨盤、脚など複数の部位が床に接し、支持基底面が広く安定します。
重心も低く、揺れてもすぐに中心に戻れる──つまり、姿勢制御がほぼ不要な環境です。
一方、立位では支持基底面は「足裏」のわずか数十平方センチ。
しかも重心は高く、動作によって絶えず前後左右に揺れ動きます。
ここで重要なのは、重心が高いほど、少しの揺れでもその重心が支持基底面から外れやすくなるという事実です。
その結果、転倒リスクが飛躍的に高まります。
これはちょうど、タワーマンションの高層階で地震が起きたとき、長時間にわたって大きな揺れが生じる現象と同じ理屈です。
下層階と違い、重心が高い構造物はわずかな揺れでも共振が起きやすく、制御が難しくなる。
身体も同じです。
高い重心・狭い支持面・揺れやすい構造という3点セットのなかで動作するには、それだけ精緻な姿勢制御と“使い慣れた身体”が求められます。
だからこそ、立位での動作には、仰臥位とはまったく異なる神経学的対応が必要になるのです。
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5. 踏ん張る vs. 踏ん張らない──CKCとOKCの再定義
動きの違いは、キネティックチェーンにも及ぶ。
仰臥位での体幹運動はOKC(オープン・キネティック・チェーン)となり、
足で踏ん張らない分、末梢から中枢への求心性入力が少ない。
一方、立位での体幹運動はCKC(クローズド・キネティック・チェーン)であり、
足底からの入力が体幹の収縮パターンに強く影響を与える。
この入力の差が、脳内で“まったく別の運動”として処理されてしまうのだ。
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6. 発育発達過程──人類が最初に学んだ運動学習プログラム
赤ん坊は、仰臥位から寝返り、うつ伏せ、四つ這い、立位へと進む中で、
重力との対話を一歩ずつ学んでいく。
これは文化や人種に関係なく共通している“マイルストーン”。
つまり、「運動学習の共通言語」と言ってもいい。
この過程には、無数の支持面・重心の高さ・CKCとOKCの反復練習が内包されている。
そして何よりも、すべての人間が“成功済み”の方法だ。
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7. 施術で動けても、立位で再現できない人へ
施術後、ベッドの上では可動域が出ていても、
立ち上がった瞬間に元に戻るような感覚がある──
それは、「治っていない」のではない。
重力環境への神経系の再適応が、まだ終わっていないだけだ。
だからこそ、施術だけで終わらせず、
発育発達をなぞるような段階的な運動学習プロセスが必要なのだ。
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8. 重力と協調する身体へ──次世代の運動学習戦略
ヨガやピラティスで獲得した感覚を、現実世界で活かすには、
重力・安定性・支持面・CKC/OKCを統合した再学習が必要だ。
私が行っている体幹トレーニングは、
この“ヒトの進化と発達の記憶”をベースにした、重力対応型の運動学習プログラムである。
言い換えれば、
「立ったまま動ける背骨」への、脳と身体の再教育とも言える。
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まとめの一文
背骨が動かないのは、構造のせいでも筋力のせいでもない。
それは、環境が変わったのに“使い方”が変わっていないから。
もう一度、ヒトとして歩き始めたあの頃の身体を、静かに思い出してみてほしい。
そこに、あなたやクライアントが“動ける身体”を取り戻すヒントが眠っているかもしれない。

