ジャズ歌 BTE翻訳ノート■The Rose | 日本語で歌うジャズ詩

日本語で歌うジャズ詩

スタンダードジャズ詩の日本語訳詩のためのブログ。

The Rose:

この歌は、1979年です。この詩の作詞作曲者のアマンダ マクブルームは1947年生まれの米国のシンガーソングライターです。(Wikipedia)

ジャズのスタンダード曲に比べて、ずいぶん最近のものです。でも、曲がよくて、詩がよくて、ベットミドラーが歌ってますから、ここでは、ジャズ歌に入れておきます。ジャニスジャプリンをモデルとしたアメリカ映画「The Rose」のテーマ曲であることなど、インターネットで、この曲の紹介がすぐ読めると思います。

日本では、スタジオジブリのアニメ映画『おもひでぽろぽろ』(1991年7月公開)の主題歌として、日本語のカヴァー「愛は花、君はその種子」が歌われています。(Wikipedia)

 

以上、この歌の基本的な事情、背景です。ジャズ歌を訳すということでは限界に位置する、時代的には今に近い作品です。曲にも、詩にも、十分に共感できるジャズ歌は、この後は、もうありません。曲はロックになり、詩は大衆的な、アジテートするもの、最大公約数的情緒が優先されるものに変わったようです。なぜ、どうして、ほんとうに!?、などは学問的課題ですね。

 

前置きが長く、何かの言い訳っぽくなりました。訳を見て行きましょう。

「ばら」という、この歌のタイトルが歌っているものが、説明され、その意味に導かれます。

The Rose(1979)

Composer:Amanda McBroom
Lyrics:Amanda McBroom
Artist:Bette Midler

 

曲名:ばら
美艇香津 訳
 
Some say love, it is a river
 あいはかわのよう
that drowns the tender reed.
 おぼれるあしのは
Some say love, it is a razor
 あいはきれるはで
that leaves your soul to bleed.
 こころにちをながす

 

Some say love, it is a hunger,
 それともあいはかわいて
an endless aching need.
 いつまでもとどかぬねがい
I say love, it is a flower,
 わたしならあいははな
and you its only seed.
 ひとはそのたね

 

It's the heart afraid of breaking
 とまるのをおそれて
that never learns to dance.
 ダンスはおどれない
It's the dream afraid of waking
 さめるゆめをおそれて
that never takes the chance.
 チャンスはこない

 

It's the one who won't be taken,
 あたえることなしに
who cannot seem to give,
 えらばれることもない
and the soul afraid of dyin'
 しをおそれるこころには
that never learns to live.
 いきることもわからない

 

When the night has been too lonely
 よるがさびしくて、
and the road has been too long,
 みちがとおいとき、
and you think that love is only
 あいは、うんがよくて
for the lucky and the strong,
 つよいひとにだけ、とおもうなら

 

just remember in the winter
 かんがえてふゆに
far beneath the bitter snows
 ふかいゆきのした
lies the seed that with the sun's love
 たねがひのひかりで
in the spring becomes the rose.
 はるにはバラになる

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Some say love, it is a river

あいはかわのよう

 

誰かが、愛について、それは「川」だよ、と言うのです。

どうしてかって言うと、

 

that drowns the tender reed.

おぼれるあしのは

 

「川」は、水辺に群生する「あし」の、その中のあるものの、葉を、流れの中にさらって行きます。川が、あしの葉を溺れさせます。1枚のあしの葉は、大きな流れに、抗する術もなく、流されます。葦自体は背の高い草で、何枚も葉を付けていますから、その茎や、多くの葉は、何とか踏みとどまるかも知れません。

 

あしの葉は、柔らかく、風にそよぐ、弱さがあります。人ですね。人は、愛に溺れて、流されて、その行方は分かりません。「tender」(やさしい)という形容詞が、あしの葉と、人を繋ぎます。そして、昔、学校で習った、パスカルの「人間は考える葦である」という言葉が思い起こされます。パスカルも、愛に溺れる葦を考えたでしょうか。歌が始まりました。

 

そして、愛について、こんなことも言います。

Some say love, it is a razor

that leaves your soul to bleed

あいはきれるはで

こころにちをながす

 

誰かが言ってるよね。愛って、カミソリの刃みたいに、人の心を切り裂き、心に血を流させるって。心、soul、です。魂、ですね。自分では、そこまでのことは分からないけれど、そんな状況になったら、それもあるかも知れません。

 

ここで、razorを「は」と訳すのは、あしの「葉」と同じ音なのが、調子がよいからでもあります。この箇所の言葉は、razorとbleed(血を流す)で、痛い程です。それを突き詰めると、日本語で、痛くて、切れるものは、「やいば」ですね。でも、ここは、まだ、歌の前哨戦、少し、真正面に向き合わず、そんな景色を横に見て、先に進みましょう。愛について、他にも、こんな経験もあります。

 

Some say love, it is a hunger, 

an endless aching need.

それともあいはかわいて

いつまでもとどかぬねがい

 

愛って、hunger、空腹状態で、そうなると、必要なものを得るまで、終わることなく、求め続けます、痛いほど、aching、ですね。

日本語で、よく使われるのは「愛の渇き」です。渇きは、空腹ではなく、水分の不足状態です。お腹が空いて食べるのと、喉が渇いて水を飲むのと、両方の表現の可能性があります。

そこで、単語的には少し違いますが、「かわいて」を選びました。若干の日米の文化的違いを、それとなく差し替えたのかも知れません。

 

endless、終わりなく、いつまでも、

aching need 痛みとしてさえ感じられるほどの、切迫した必要

 

この歌の始まりの部分で、作詞者、アマンダは、愛に向き合って、自分が考えたことを伝えようとします。

 

I say love, it is a flower,

and you its only seed. 

わたしならあいははな

ひとはそのたね

 

私に言わせれば、愛は花、それを生み出すあなたは、種、ですよね。

あなた、you、ですが、この訴えかけは、もっと一般的な広がりを持つものとして、「ひと」と訳しておきます。

 

この後、歌は、人の外に現れる行動に、そうありたい自分の姿を見つけようとします。

それは、愛の種としての、在りようを模索しようとするようです。

 

It's the heart afraid of breaking      

that never learns to dance.    

とまるのをおそれて

ダンスはおどれない

 

break を恐れる心、その心では、踊ることを覚えることができないはず。

 

break 躓く、途切れる

 

ダンスを踊るとき、そのステップを覚えます。間違うと、ダンスが進まず、止まってしまいます。それが、break、ですね。間違わないようにとばっかり思っていると、却ってできません。恐れず、踊る、それでいいんです。

 

It's the dream afraid of waking        

that never takes the chance.   

さめるゆめをおそれて

チャンスはこない

 

同じ構文(It’s … afraid of …)で、語りかけます。

夢が、夢であって、いつか覚めるはず、そんな風に考えて、夢がいつかは失われることを怖れているのなら、それでは、チャンスをものにすることもできないはず。夢は、あるときは、信じて、進むだけでいいんです。

breaking、と、waking、それに、dance、と、chance、畳み掛ける音韻が、訴えかけます。

 

そして、

It's the one who won't be taken,

受け入れて貰えない人

 

won’t = will not、ですね。だから、takenされないだろう人、それは...、次の句が、言います。

 

who cannot seem to give,

それは、人に与えるということもないんだろうな

 

seem to、のように思われる、です。だから、人に与えることをするとは思えない、ですね。

 

この2行は、“give and take” という表現がベースになっているんですね。“give and take” は、「何かを与えて、何かを受け取る」です。 “give” がなければ、”take” はない、ということですね。どうして、”take” されない、という歌のフレーズになったのか、ちょっと疑問になります。

もしかしたら、”give”  がなければ、相手の ”take” もなく、つまり、こちら側が、”take” されることもない、ということでしょうか。たぶん、米国人にも、考えると分かりづらい、表現なのだろうと思います。 でも、彼らは、この言い方で分かってもいるのです。これは、学問的課題ですね。

 

YouTubeのベットミドラーがこの箇所をどんな風な振りで歌うかを見ると、参考になります。

 

(ベット ミドラー)

http://www.youtube.com/watch?v=GwQWBOYNq60&NR=1

1’49”、のところでの、この語句に合わせた手と腕の動きは、「受け取る」ですね。受け取られる側から言えば、それは「選ばれる」でもあります。

そして、この2行は、訳した歌のことばの流れとして、行を入れ替えました。

 

あたえることなしに

えらばれることもない

 

ダンスをすること、夢を持つこと、についてと同じように、これも基本的なことだというわけです。そして、この歌の中盤の終わりに来て、最初の2句と同じ構文を使って、さらに、きっちり、訴えかけます。

 

and the soul afraid of dyin'

that never learns to live.

しをおそれるこころには

いきることもわからない

 

死ぬことを、それに気を取られて、怖れる気持ちで一杯の人、きっと、生きることに目を向ける暇もなく、時を過ごして行くのではないですか。

 

死は、誰にとっても、怖いことですし、生きることを学ぶっていうのも、どういうことか、必ずしも、よく分かりませんが、生きることに目を向ける、心の持ち方を言っているようですね。     

愛の種としての人って、こんな風な土壌の中で、目を出し、育って行けたらいいですね。

 

舞台は整い、歌の前哨戦、中盤は過ぎて、クライマックスに向けて、歌い切り、駆け上がって行きます。「ばら」というタイトルを持つ歌に向かって進んで行きます。

 

When the night has been too lonely

よるがさびしくて、

 

現在形、過去形でなく、has been、です。今も、ずっと、寂しくいて、ですね。

 

and the road has been to long,

みちがとおいとき

 

今も、行く道が、ずっと、長くて、遠くて、いつ目的地に着けるか分からないときに、

 

and you think that love is only

for the lucky and the strong,

あいは、うんがよくて、

つよいひとにだけと、おもうなら

 

そして、愛って、自分以外の、運がよいか、強いかする人だけのもの、と考えてしまうとき、つまり、おそらく、もう何もしたくなくなっているようなとき、、

 

just remember in the winter    

far beneath the bitter snows   

かんがえてふゆに

ふかいゆきのした

 

考えて欲しいのは、寒い冬、雪が積もっていて、でも、今は見えなくても、その下には、

 

lies the seed that with the sun's love

たねがひのひかりで

 

種は、まだ、そこにあって、陽の光が、愛を届けてくれるときが来ると、

 

in the spring becomes the rose.

はるにはバラになる

 

その、必ず来る春には、「ばら」の花になっているんだよね。この最後のフレーズで、鮮やかに、結論を切り取ってくれます。

 

ついでに言うと、バラの種が、同じ年の春に、すぐに花が咲くということはないと思いますし、たぶん、4、5年掛かると思います。でも、花が開くまで、何年か掛かって、赤いバラが咲くとき、種でいた昔のことを思い出してもよいのではないかと思います。

 

YouTubeで、もう一人、ビアンカ ライアンを拾っておきます。1994年生まれで、母方の祖母は日本人だそうです。(Wikipedia)

https://www.youtube.com/watch?v=TaPTDslm0mE

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(閑話休題)

以下、まさに蛇足、余計なことですが、この歌の和訳で、

 

It's the one who won't be taken,
 あたえることなしに
who cannot seem to give,
 えらばれることもない

 

この箇所が、ちょっと理解し難い訳になっていることが多くあります。

どうやら、それは、「It's the one who won't be taken」を、

「It's the one who wants not to be taken」として訳しているらしく思われます。

 

たぶん、この歌を聞いて、文字からでなく訳しているんですね。

日本人の、英語に対する態度が引き起こす、1つの事例です。

英語の歌を、ラジオで聞いた歌からテキストに落とすことは、

それしかなかった時代もあったようです。

 

それは、翻訳の作業の中に、ついつい忍び込む魔の手でもあります。

そんな事になるのは滅多にない事なので、うっかりしてしまうのです。

英語の専門家を自他ともに認める人の陥る落とし穴ですね。

どうして、そんな風な訳に、ということに驚きますが、この仮説で理解できます。

訳文から逆に英語を作ってみるとき、原英語詩は出て来ませんね。

 

これは、参考までに、メモしておきます。以上、まさに蛇足ながら。

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漢字かな混じりの、歌詞の通常の表記も書いておきます。どの漢字を選ぶかという選択肢がありますね。

 

[漢字かな混じり訳詩]

ばら The Rose(1979)

美艇香津 訳

 

愛は、川のよう
溺れる葦の葉
愛は、切れる刃で
心に血を流す

 

それとも愛は、渇いて、
いつまでも、届かぬ願い
私なら、愛は花
人はその種

 

止まるのを恐れて
ダンスは踊れない
覚める夢を恐れて
チャンスは来ない

 

与えることなしに、
選ばれることもない
死を恐れる心には
生きることも分からない

 

夜が寂しくて、
道が遠いとき、
愛は、運がよくて、
強い人にだけと思うなら、

 

考えて、冬に
深い雪の下
種が、陽の光で
春には、バラになる

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ジャズ・ソングズ リスト 

川畑文子・ソングズリスト

ジャズ歌 BTE翻訳ノート

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