思ってたんと違う!!!【函館④】 | オカリナと家族になる

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尊敬する新撰組副長、土方歳三さんの名前をもじっております(土方歳之)。2015年6月からオカリナを始め、不思議な楽器オカリナをメインに書いていました(笑)。今は漫画や映画の感想、タロット、新撰組、日々の気付き等を書いています。

最近本当に、フレッシュでピッチピチな文章をお届け出来なくて、大変申し訳ございません悲しい


漫画を読んでの気付きとかも全然書けてないガーンガーンガーン


正直書けてない私がむちゃくちゃ気持ち悪いんだけれどもえーんえーんえーん


まあでも、このように日記をコピペして、ブラッシュアップしまくってお届けしていると、やはりこの函館の旅行は、私にとって物凄い分岐点だったんだなと気付かされますびっくりキラキラ


それでは、むちゃくちゃ長い

函館2日目、箱館五稜郭祭1日目の

ブログをどぞ!



猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま



いつもやっている瞑想をして、直感が冴えるブレスレットをし、いざ出陣。



碑前祭は全部で3箇所。
時間を確認すると、車でなければ全て見ることは出来ない事が判明。
大本命である碧血碑へ向かった。
市電の中では、土方さんのファンと思しき方がちらほら。市電を降りてからは、Googleマップで碧血碑へ。ところが何故か函館八幡宮へ連れて行かれる。一応お参りし御朱印も頂き、おみくじもひいた。おみくじは後で確認したが「かえる」。無事に帰る事を告げられた。
そしてGoogleマップの導き通りに行くと、途中で案内が終わったガーンガーンガーン。しかも道は二手に分かれている。どこに碧血碑の看板があるのか全くわからない。なんとか土方さんのファンと思われる方に話しかけることが出来、その方と話しながら無事に碧血碑に辿り着いた。碑前祭の時間にも間に合ったニコニコ飛び出すハート

以前来た時は11月。記憶では通り道に突然案内看板が出てきたイメージだったが全く違ったガーン。行き止まりの所に碧血碑の案内看板があった。

以前は物凄く大きく、ひっそりと佇んでいて「もう構わないで」ていう感じの物凄く怖くて悲しいイメージしかなかったんだけど悲しい悲しい悲しい
日が差し、たんぽぽの綿毛やなんかよくわからんのが舞う不思議な空間(もののけ姫のシシ神様が首を取られる前の感じです。本当に幻想的でしたおねがいキラキラ)。
しかもあれだけ怖くて大きく見えた碧血碑は、物凄く小さく感じられた。
「こんな小さかったっけ?不安
榎本武揚さんが建てたやつ」そう思った。

私も献花させて頂いた。
少ない人数ながらも、とてもあたたかな空間で、なんだか碧血碑はとても嬉しそうに見えたニコニコ愛飛び出すハート。こんな嬉しそうに見えた碧血碑は初めてだニコニコ愛飛び出すハート。だって資料本見ても、そんなふうには見えない。本当に良いイベントだった。

そうそう!昔懐かしの墓ノートのような、思い出ノートなるものが碧血碑にはあった。東屋の中に。昔は東屋も無かったような気がする真顔。記憶違いかもしれないが。勿論ノートに想いを少し書かせて頂いた。

とにかくただっぴろい空間にひっそりと佇んでいるイメージが、かなり手入れされた素敵な空間に変貌していた。








そして函館護国神社へ。
何故ここへ来たのか。それは以前ブログか何かで何回か見た「新政府軍のお墓は豪華過ぎる!」という感想。これが知りたかった。それで行ってみて驚いた。

草やたんぽぽがかなり生えている、寂れた空間。これは本当に人気のある神社なの?ガーンガーンガーン
しかも新政府軍のお墓は、誰も気付かないような神社の脇道を歩くと、ひっそりと立っていた。確かに案内看板があったものの、あれは目的が無ければ恐らく行く事はないと思うくらい狭い道。


行った先の墓は、確かに1人1人きちんと建てられていて豪華と言えば豪華なのかもしれない。しかし、とてもじゃないけど豪華とは縁遠くて本当に驚いたガーンガーンガーン

墓石は細くて長くて、しかも誰にも見向きもされない。
それこそ私には
「俺達は確かに勝ったんだけど、今はものスゴく寂しいえーんえーんえーん」という感じ。
昔碧血碑で感じた空気の重さは無いけど、寂しい空気は物凄く強く伝わってきた。


ここでも長く手を合わせた。そして写真もたくさん撮った。

やっぱり思うのは、それぞれの正義があり、それを貫いただけなんだよね真顔
良いも悪いもない。
ただ己の正義を貫いただけなんだと。

そして、この新政府軍の墓を見て
「勝てば官軍」なんて言葉は滅びたんだなと思った。
ここ旧幕府軍びいきの函館だからなのかもしれない。強くそう思った。

余談だが、この函館護国神社。
鳥居は菊の御紋なんだけど、
本殿の扉は菊の御紋の中に桜が入っていて珍しかったびっくり。ここでも御朱印を頂いた。






そして、五稜郭へ行き土方歳三コンテストへ。
昨日確かに特設ステージしょぼと思った。そしたら来ている客の人数も地元の祭りと変わらねーよって位少なくて、本当に本当に驚いたびっくり。これは今回で終わりなのもわかる気がする。そして驚いた事に、明日の維新行列も今年で最後なんだそうだ。

昔元彼が物凄い大勢の見物客だと聞いていたが、明日の維新行列はどうなのだろう。
まあとりあえず、今日碧血碑へ連れて行ってくれたファンの方の助言を受け、見どころを調べあげたので、そこへ行ってみる事にする。まあ見れなかったとしても、それが私にとって最善なんだと思っている。

土方歳三コンテストでの私の場所取りが悪くて、スピーカーがカメラに映るものの、結構良い写真は撮れた。
金カムの土方さんの姿もあった。50代で初めて土方歳三コンテストに出られたそうで、物凄く勇気づけられたおねがいキラキラ




土方歳三コンテストって、昔はミスター土方コンテストだったんだよね。
スゴいこの形は最後って強調してたから、なんとか別の形でやりそうな気もする。オンライン形式とか。

あとやっぱり、私土方さんを尊敬してるけど、我こそは土方歳三だ!て思ったこと無い泣き笑い
皆、土方さんの意志を受継ぎ、天然理心流を習ったり、殺陣を勉強したり、日野や函館を盛り上げようとしたりと、
熱量に物凄く圧倒されたびっくりびっくりびっくりキラキラキラキラキラキラ





初めて憧れの五稜郭祭を見たり、函館に少し滞在して、色々感じるものがあった。
函館へ引っ越そうかと思ってた気持ちは、今は微塵もない。
ただニュートラルな場ではないと強く思った。




あと、明治政府に北海道を任された榎本武揚さんて、物凄く複雑だったんだろうなぁって思った悲しい
もうそれは、誰にも計り知れない気持ちだったんじゃないかと。

なんか一瞬ズン!て榎本武揚さんの気持ちが入ってきたというか、わかった瞬間があったびっくり!!

後ろを振り返る隙を自ら与えず、
前だけを向いて北海道を盛り立てる事だけに集中されたんだろうなぁと思った悲しい
そんな前向きな榎本さんだからこそ、土方さんはついて行ったんだろなぁっておねがいキラキラ
碧血碑を見ながら、あらためてそう思った。



  補足


ちょうど良いニュースが出たので、コレも読んで頂きたい。 


戊辰戦争西軍墓地 薩摩など「かつての敵」の慰霊続ける福島・会津の人たち…「薩長土肥に対する確執はあったけど…」


なんと、鹿児島県の職員は一度もお参りに来たことが無いそうだ。

もう何十年も経つのに。



やはり、このような取り組みを続ける会津こそ、日本の代表と言いたい。

(ごめんなさい。大きく出てしまってお願い


でもこれこそが、

ニュートラルというものではないかと、

新しい時代とはそういうものではないのかと、

私は思う。