マトリックス ~レザレクションズ~ (5点) | 日米映画批評 from Hollywood

マトリックス ~レザレクションズ~ (5点)

採点:★★★★★☆☆☆☆☆
2021年12月26日(映画館)
主演:キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス
監督:ラナ・ウォシャウスキー

 

久しく映画館に行っていなかった自分を、3年ぶりに足を運ばせた作品は、2003年の3部作完結編から18年ぶりの「マトリックス」の続編だった!
残念ながら22年前、18年前の”映像革命の衝撃”を再度感じることはなかった・・・が!!

【一口コメント】
 「ストーリーは〇だが、演出が×」な映像革命の無いマトリックスの続編です。

 

【ストーリー】
 救世主ネオは、トーマス・アンダーソンとして生活していた。彼は世界的なゲームデザイナーで、過去に「マトリックス」という3部作のゲームを大ヒットさせ、シリーズは完結していたものの、親会社のワーナー・ブラザーズから圧力を掛けられ、「マトリックス 4」の制作を余儀なくされる。
ある日、アンダーソンは同僚とカフェに行き、ティファニーという女性と出会う。別の日に再会したティファニーは「マトリックス」のトリニティから影響を受けてバイクに乗り始めたなどと話すが、お互いに心のどこかにひっかかりを覚えていた・・・。
勤務中のビルに犯罪予告が届き、アンダーソンのスマホにメッセージが届く。メッセージに従い、トイレに向かうとそこに、「マトリックス」に登場するモーフィアスが待っていた・・・。こうしてアンダーソンとしての自分、ネオとしてのうっすらとした記憶の狭間で揺れ動きながら、ティファニーとトリニティの記憶も取り戻し始める―――。

【感想】
Part 1が公開された1999年当時はかなり時代の先を行きすぎていた世界観を持った作品だったが、今やヴァーチャル空間を扱った作品は2009年公開の「
アバター/AVATAR」や2018年公開の「レディ・プレイヤー 1/Ready Player One」に代表されるように多数あり、現実世界に置いても今年2021年にFacebook社が社名をメタに変え、メタバースと呼ばれる仮想空間を活用したサービスに注力していくことを表明した。
そういう意味では22年が経ち、ようやく現実世界がマトリックスの入口までたどり着いたと言える。そんな時にこの作品がサブタイトルのレザレクションの名の通り、復活を遂げるのだから、映画館に行く意味もあるというものだ・・・と思っていたが・・・。

完結した3部作を新たに始めるにあたり、よくある時代を遡って描くということでもなく、これまたよくある主人公を変えて同じ世界の別人物を描くということでもなく、きちんとした続編として旧作の主人公2人の後日談を描くという点においてはよくできたストーリーだと思った。
その点は、オープニングからパート1の冒頭シーンを別の人物が見ているという続編でありながら、スピンオフ的な視点で見せる演出も上手かった。そして仮想世界の中の第二仮想世界として旧三部作をゲームに置き換えて、そのゲームクリエイターとしてネオ=アンダーソンを仮想世界の人物として描くことで、マトリックスならではの現実世界vs仮想世界をパワーアップさせて、現実世界vs第一仮想世界vs第二仮想世界の3層構造にしている点も上手い。・・・が旧三部作を見ていない人にとってはこのあたりの設定はかなり難しいと思われる。
さらにそのゲームのマトリックスを第一仮想世界の人物たちがセルフパロディー化しているところは秀逸。映画「
スクリーム」シリーズで毎回オタクが映画の定番を語るようなイメージで「マトリックス」について語るシーンはとても面白かった。新ゲーム”バイナリー”を開発中にもかかわらず、親会社のワーナー・ブラザーズから「マトリックス4」の制作を依頼されるシーンは本作のプリプロダクションで、ワーナー幹部がこのような会議をしていたのでは?と思わせてくる。このシーンは映画の中では仮想世界での出来事なのだが、こ映画を見ている観客からすれば一番感情移入できるシーンであり、映画の中の仮想世界が現実世界ともっとも強くつながるというストーリー設定が非常に上手い!

このようにストーリーは良いのだが、その見せ方・演出方法が格好良くない=マトリックスらしくない。一言で言うと軽いのだ。
例えばトイレで新しく生まれ変わったモーフィアスがアンダーソン=ネオに赤と青のカプセルを飲ませる選択をするのだが、そこでカプセルを飲めなかったため、別の場所にネオを連れていく。そこでは旧作の映像をスクリーンに映し出すという今までありそうでなかった演出が行われる。フラッシュバックや回想シーンとして旧作の映像をスクリーン全体に映すというのはよくあると思うが、今作で行われたのはある場所に設置された作品中のスクリーン(言うなればスクリーンinスクリーン)に旧作の映像が流れ、それを今作の長髪+髭面のキアヌが見るというシュールと言えばシュールだが、旧三部作で見せた格好良さとは違う演出であり、旧三部作を見ていない人間はここでまた置いていかれる。そして旧三部作を見ている人間は逆に演出に違和感を覚えるシーンになっている。わかりやすくはあるのだが、マトリックスに求めるのはわかりやすさではなく、斬新さであり、格好良さだと思うのだが・・・。
また敵の銃撃シーンの命中率の低さも気になった。かなりの至近距離にもかかわらず、全然当たらない。特にオープニングのバッグスの逃走シーンにおける銃撃シーンはひどかった。旧三部作は全体的に重いトーンの中に斬新な演出があり、格好良さが際立っていたのだが、今作は全体的に軽いトーンな上に斬新な演出がない!
その典型とも言えるのが上述のセルフパロディーだったりする。あのシーンは、あのシーンで非常に面白いのだが、作品のブランドというか統一感という意味ではやはり軽いのだ!


Part 1のバレット・タイムと呼ばれる銃弾避け、並びにワイヤーアクション、そしてPart 2のヴァーチャル・シネマト・グラフィにおける100人のエージェントスミスと戦うシーン、さらにはPart 3での雨中における気と気がぶつかりあうドラゴンボールの舞空術による空中格闘戦を思わせるバトルシーンなど、かつては”映像革命”と呼ばれたこのシリーズ。
残念ながら、今作ではそのような革命的な映像的演出は皆無と言って良い。ワイヤーアクションはあるし、舞空術も登場はするが、18年前に見たものと同じでそこに新鮮さはない。というよりは、今までにない斬新な映像を見せるぞ!という点において、今、見比べたとしても旧3部作の方が勝っていると思う。
例えば真っ白な背景の中に無限に並ぶ武器庫に、黒いロングコートを着た2人がいるシーン。CGのリアルさとか、そういうことではない格好良さがそこには描かれていた。その延長上にあるのが、ワイヤーアクションであり、バレット・タイムであった。
もちろんあれから20年近くが経ち、映像の進歩が進んだため、技術的には何でもできるようになってしまったというのもある。その点、今作にそれを求めるのは酷なのかもしれない。目覚めたばかりのネオが和テイストの畳の上で特訓するシーンもあるし、サンフランシスコの街並みを駆け抜けるバイクシーンもあるし、狭い空間でのワイヤーアクションシーンもあるし、ネオが両手をかざしバリアのようなものを出すというシーンもあるし、格闘シーンでの超スローモーションもあり、旧作と同じようなシーンは何度もあった。それでも20年前の心躍る、ワクワク感はなかったのだ・・・。
しいて言えば、高層ビルから人間を落下させるシーンが旧作にはなかったかもしれないが、ゾンビ映画ならまだしも、マトリックスで描かれるには、どちらかというとちょっと引いてしまう描写であり、軽く見えてしまった。その1つの原因としては、緊迫感がないのだと思う。圧倒的な存在感のある敵がいて、そこから逃げたり、逆にそこに立ち向かったり、そうした緊迫感の中で描かれる主人公たちに共感を覚えるからこそ、敵に対する畏怖があり、それを乗り越える主人公に憧れを抱き、格好良いと思うし、ワクワクするのだが、今作においては旧三部作のエージェント・スミスのようなライバルがいないことが大きいかもしれない。
いや、実際のところはエージェント・スミスは存在するし、それに匹敵するアナリストなる敵も新たに登場するのだが、2人の描き方が、これまた軽いのだ。2人に対する畏怖のようなものはまったくない。それが故に作品全体までが軽く見えてしまう。いや逆か?作品全体が軽いから2人も軽いのか?そういえば、新しいモーフィアスも旧作に比べると軽い気がする(逆に言えばローレンス・フィッシュバーンとヒューゴ・ウィーヴィングの存在感が重すぎたとも言える・・・のか?)。
その頂点がトリニティの奪還シーン。今作においてはラスボス的な存在がいないこともあり、一番の見せ場のはずだが、なんかそれほど苦労することなく奪還できてしまった感が否めない。旧三部作であればそこでエージェント・スミスがラスボスとして立ちはだかったのだが、今作においては謎に見方になったりもするので、なんとなく作品が締まらない・・・。
観客の意識がこうなることを意図して作られているのだとしたら、それはそれで凄いのだが・・・。

また日本人として気になった点もある。
オープニングのおなじみの緑色の文字が流れていくシーンでカタカナが流れていくシーンは純粋に嬉しかった。また富士山と新幹線が登場するのも嬉しいのだが、新幹線は内装がまるっきりヨーロッパの列車だったのが残念だった。細かい部分、例えばアンダーソンのオフィスにトリニティのフィギアが置いてあったり、上司(今作におけるエージェント・スミス)の部屋には旧作のエージェント・スミスの胸像が置いてあったり・・・といった備品などにもこだわって作られているだけに新幹線の内部もこだわってほしかった・・・と思うのは日本人だけだろう・・・。
とはいえ、監督もキアヌも親日家であるということは変わらずに感じられたし、中国資本が入った作品が増え、キャストも中国人が増える最近のハリウッド作品の中でここまで日本推しの作品を見られたという意味では純粋に嬉しいと思う。

個人的に今作最大の謎はエージェント・スミス。
正直、役者を変えてまで登場する必要性はなかったのでは?と思う。そうすればアナリストの人物描写をもっと丁寧に、かつ重く描くこともできたし、持っていた能力自体はスミスに遜色もなかったのだから・・・。そんなアナリストを上回ってしまう力を見せながらネオに協力までしてしまい、結局彼が何をしたかったのか?最後までわからないまま終わってしまった・・・。
もしかしたら仮想世界のゲーム版「マトリックス」の会話でできたパート5に向けての伏線なのだろうか?

伏線と言えば、エンドロールの後、再び「スクリーム」っぽい感じでオタクが「マトリックス」について語るシーンがあり、続編というかスピンオフに言及するシーンもあった。このあたりもまったくもってマトリックスの世界観とは異なる軽さの目立つ演出だったと言わざるを得ない。

コロナで延期を重ねてしまった今作だったが、まとめると「マトリックス」シリーズの続編としてのストーリーは良いが、演出が軽く旧三部作とは違う意味で一線を画している、そして映像革命は一切ない・・・といったところ。
同様に延期に延期を重ねるクラシック作品「トップガン」の続編は果たしてどうなるのだろうか?