どうもこんにちは
前田でございます。
北山崎を出た僕たちは、
今回の一番の目的である被災地の見学へ向かいました。
沿岸部に出てからというもの、
北山崎へ向かっている途中でも、
震災の爪あとは各地に見受けられました。
このホテルは窓ガラスの色が変わっています、4階まで浸かったそうです。。。
防波堤が粉々に壊されたところ
沿岸部はとにかくこういった津波の爪あとがたくさんありました。
今回
田老町というところに訪問させていただきました。
この方がたに
震災の日の出来事と、今に至るまでのことを語っていただきました。
胸が詰まるような思いの中、
辛い気持ち押さえながら
僕たちに伝えてくださいました。
この田老町
世界一の防波堤があるところだそうで、
上の写真はその防波堤に立っているのですが、
高さ10M、長さ1500Mほどあるそうでした。

この防波堤を持ってしても津波が超えてきたそうです。
奥に見える中学校では、生徒がみんな校庭に避難していたらしいのですが、
防波堤の向こう側から砂煙がモウモウと上がっていたらしく、
用務員のおじいさんが、
「あんな光景見たことないから、
防波堤を超えて津波が襲ってくるかもしれんぞ!!
みんな裏山へ登っておいたほうがいい!!」
と言うことで
生徒さんたちが裏山へ非難していたときに
津波が防波堤を超えてきたらしく結局校庭も飲み込まれたらしいのでが、
用務員のおじいさんの判断のおかげで生徒さん全員無事だったそうです。
街のつくりも、避難場所へ行きやすいように、京都のような碁盤状に
つくっているそうです。
津波の被害にあっている町ですので、
こういった工夫もしてあるのだそうです。
僕は何気なく「ガレキ」と呼んでしまいましたが、
被災地の皆様にとっては
「財産・宝」
だったそうです
今はようやく
「ガレキ」
と呼べるようになったとおっしゃっていました。
こうしたおき場所や
新しい家を立てる木材を得る為に、山を切り開くこと
も視点を変えれば、また問題になってくること。
そうした問題も、まだまだ山済みだそうです。。。
震災というものを伝えていただいたお二人が
「こうやって皆さんに来ていただけるだけで、
私達はパワーをもらえ、復興への意識が高まります。
何年かかるかわかりませんが、復興したあとの田老町へも
是非お越しください。
必ず皆さんからもらったパワーを活かして、素晴らしい
町に復活させます」
と
力強くおっしゃっていました。
自然の力の猛威を感じながら、
震災を乗り越えていくために
今取り組んでらっしゃることや、
これからの復興に向かっての計画、
震災が起こってしまったときの
約束事。
1時間くらいでしょうか。。。
貴重な時間をいただきました。
日本に住んでいる以上
地震・津波
はいずれ必ず起きてしまう天災です。
今回の犠牲を活かすために
一人でも多くの方々にこのことを語りついでいきたいですよね。
ガイドさんに最後に見せていただきましたが、
今年の3月11日に田老町の方々で
僕が立っていた防波堤にみんなで手をつないで、
海に向かった力強く立っている記事を見せていただきました。
みんなで手を取り合って生まれるパワー。
思いやり。
優しさ。
今は東京で不自由がない環境で過ごしていると
当たり前だと感じてしまう感覚と慣れや甘さがでてきます。
また改めて、生きていく為に大切なものを感じました。
逆に僕がその力強さにたくさんのパワーをいただ気がします。
震災の時に、
自分に出来ることを考えた結果、
「美容師」
という職業につけていることに感謝して
よりたくさんの方々に笑顔とパワーを与え続けていくことこそが
回りまわって日本を明るくしていけるだろうとやってきました。
今回の被災地で感じたことや、
いただいた力強いパワーをまた自分のこれからに活かして、
皆さんに今以上に、還元していけるようにしたいと感じました。
本当にありがとうございました。
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