![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240621/06/toshiahrut/71/63/j/o0720108015454023978.jpg?caw=800)
平安時代 「東山道」
(江戸時代 : 中山道 + 例幣使街道 + 奥州街道 )
下野国府「栃木」だけのことは有る!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240620/18/toshiahrut/d9/40/j/o1080072015453875726.jpg?caw=800)
江戸時代 蔵の街
メインストリートと、この思川の遊覧舟の姿が有名なのだが、、、
今回は、「例幣使街道」がメインテーマなので、
栃木市内の街道筋を歩いて見たのだが、、、、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240621/06/toshiahrut/82/7a/j/o1080072015454024694.jpg?caw=800)
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240621/06/toshiahrut/68/82/j/o1080072015454024750.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240621/06/toshiahrut/82/8c/j/o1080072015454024763.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240621/06/toshiahrut/06/28/j/o1080072015454024786.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240621/06/toshiahrut/62/d2/j/o1080072015454024798.jpg?caw=800)
国府として、「国分寺」や「国府庁」のあった地であるから、「栃木市内」は、「様々な時代」が残っている。
よく言われる「小江戸」だけでは無く、「小明治」も、「小大正」も残っている。
この一帯が、やはり、「災害」が無かった地域であり、
また、内戦時(戦国時代、明治維新、太平洋戦争時)も、被害が無かった地であることを、栃木市内の建物群を見ていると痛感させられました。
ふと思うに、日本全国の「国府」を眺めていると、「災害に強い地」
そして、「泉」、「湧水」のある地が多い事も、
「下野国府・栃木」、「常陸国府・石岡」、「武蔵国府・府中」、「伊豆国府・三島」を歩いて見て、気付かされてしまいました。
(考えてみれば、「平安京」(=京都)もまさに、「泉」が多いですよね~)
現在の「県庁所在地」は、「海」や「川」「湖」に面した地域が多いのですが、それは、「戦国時代」以降の「堤」(つつみ)などの「水害対策工事」を、「武士」と言う「力持ちたち」が、造成することが出来たからなのだろうなぁ~
って、感じてしまっております。
今まで撮ってきた写真を「PhotoLibrary」にも掲載しています。良かったら、見に来てください!!
(サイズの大きい写真も掲載しています。必要であれば、PhotoLibraryにてダウンロードしてください。)
https://www.photolibrary.jp/profile/artist_13428_1.html