落書きを見ると、「不安」「不満」が何か、分からない時代になったと感じる。 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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環七歩きで、意外だったのが、、、

「落書き」
















落書きを見ていると、何が書きたいのか分からないモノが、増えた。

昔から、そんなもんだったのかもしれないが、、、

例えば、「岸田が死ね~」とか、「自民党崩壊!」とか、
「社長殺す」とか、「部長の馬鹿やろ~」みたいな、「矛先」が、どこにも書かれていない。

その前に、「文字」が書かれていないのだが、、、

この雰囲気を見ていて、「貧困層」が「バラバラ」で、そして、外国人の貧困層も増えてしまったことで、不平不満の矛先が、個人化してしまい、「貧しい人々」が、「一致」しなくなっていってしまった。

そして、労組なども、それぞれの会社によって、ばらばらで、一致した行動が取られていない。。。

「多様化」した「自由」によって、貧富も多様化し、そして、貧しさも、富も「多様化」と「個人化」してしまった。

まぁ、これは、「個人の自由化」の結果であり、「昭和時代」の「労働者」の団結と言うモノへの「国家」「企業」が作った「理想の社会」になって行ったと言って、いいでしょうね。

それと、労働者の「多国籍化」によって、昭和時代の「日本人」だけで形成してきた「労働者」と言う団結が解けてしまい、

多国籍化した「労働者」が、物言えぬ「不満」を、何を表して良いのかも、分からずに、壁に要らない絵を書いている。。。


そして、今回、環七歩きで気付かされたのは、、、

「落書き」が多いのは、「工業地帯」「港湾地帯」の「大井ふ頭」では無く、、、、

「野方」や「荻窪」などの「山ノ手」の商店街に多い事が、「バブル崩壊後」の「平成時代」の特徴だと感じてしまいました。
昭和時代は、「工員」として働いていた「貧困層」が、平成工業衰退に伴って、サービス産業に転職し、「安い賃金」で働かされる「不満」と「不安」のやり場を「落書き」に求めている印象を感じてしまいました。


日本は、これからも「衰退していく」。

ますます、労働者の削減も続き、不安も、不満も増えていくことになるでしょう、、、

そうなると、ますにますます、落書きが増えていくであろうことを感じながら、街裏を歩いてしまいました。




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