以下はとりあえずのメモ。ツイッター投稿の再掲。
しかし興味を持っていなかった乃木坂5期生についてブログ記事を書くとは思わなかった。
2月22日分
乃木坂5期生で中西アルノが叩かれているんか。
遠藤光莉もそうだったけど、生身の人間を出どころも良くわからない情報とか容姿で叩くっていったいなんだ。
匿名で物陰から言うのが卑怯だと思わないのか。
私の知っている人が2人、学費を稼ぐために被写体モデルやってた。誰にだって事情はあるんだ。
もし仮にだよ、仮に。
過去に何事かあったとしてもさ、いま必死に脱却しようともがいているのかもしれないじゃないか。今の姿をみろよ。これからの変貌をみろよ。目の前にあるものを自分の目で直視しないで一体何を見るんだ。
私はむしろ逆風が吹いているからこそ頑張ってほしいと思う。
以下は今日、2月23日
乃木坂5期生、お見立て会
中西アルノ、尾崎豊の「I love you」歌ってる。
アーティスティックだな。尾崎のマネてなぞっている歌じゃない。
表現したいものが溢れ出るみたいな歌だった。
心を動かせる歌だった。
中西アルノ、はじめ「特技披露で”I love you”を歌う」と聞いて、え~っと思った。まぁ尾崎豊の歌はそこにこめられる情念がないと歌えないと思う。
でも、ちゃんと自分の歌にしてた。歌にのせたい何かがあるということなんだろう。それがわかる歌だったな。
乃木坂5期生には興味も何もなかったけど、ちょっと変わってきた。
いまお見立て会、ガルルを歌ってる。それ聴きながら打ってる。
考えてみれば尾崎豊だって高校中退して歌い始めた。彼の歌にもっとも激しい情念がこもっていたのはいまの5期生たちくらいの年齢だったな。
中西アルノ、自分にとって大切な曲といってた。
なにかインスパイアするものがあるんだろうか。
もし中西アルノにいいソロ曲を歌わせたら、乃木坂の歴史が少し変わるんじゃないかとすら思った。ああいうある種の重さのある歌は、あまり記憶にない。ちょっと橋本奈々未の「ないものねだり」を思い出した。
センター発表後
29thセンター、中西アルノ。
乃木坂、歌の力で全く新しい扉を開けようとしているわけだね。
でも、楽曲は誰が聴いても欅坂っぽく聴こえるだろう。彼女の少し不思議な存在感、歌の力を活かす道が、秋元康が挫折し、敗北した欅坂の夢なのかはかなり疑問。これから手探りが続くんじゃないだろうか。
中西アルノと平手友梨奈を重ねて、欅坂的な空気感の楽曲にしたのなら、そこに秋元康の想像力の限界があるんじゃないか。誰よりも欅坂の歴史に背負うものがある秋元康が、そのことを省察できていないのではないのか。
中西アルノ・センターにワクワクするだけに欅を見ていた者として危機感を覚える。
平手友梨奈と中西アルノを重ねる人は多いけど、歌に関してはかなり違う。中西の方がデビュー当時の平手よりも遥かに完成されているし、何よりも歌が繊細だ。平手は歌が下手ではないけれども、繊細さはそれほどなく、身体パフォーマンスを軸に表現していた。あの繊細な歌の力を活かす楽曲がほしい。
中西アルノの”I love you"聴き直したけど、人の心の細部に入り込んで、そこで共振するような声と歌だと思う。ほとんどの乃木坂の歌と楽曲は背景的な物語に依存しているところがある。しかし中西の歌はそれを必要としていない。物語に依存しない力があると思う。声と歌にすべてを託してきた人だと思う。
中西アルノの登場。
ひさしぶりにワクワクする。
中西アルノ、平手友梨奈と重ねられたり、その歌に注目がたぶん集まっているだろうと思うけど、なんだか妙な空気感を身にまとってる。少し違う角度から世界を見ているみたいな、そんな感じ。
どうも「ボケ担当」「いじられキャラ」になれそうな気がする。不思議なユーモラスさを感じるのだけど。
追記。
しかし中西アルノと平手友梨奈の決定的な違い、最大の違いは上の画像にあるように隣に齋藤飛鳥がいることかもしれない。平手にはそうしたメンバーはどこにもいなかった。
*****************
補足 投稿済みのブログ記事
欅坂46『黒い羊』が秋元康の限界であることについて
”そしてそのとき、同時に思ったことがある。
秋元康は、「黒い羊」をこえる強度をもった楽曲はつくれないかもしれないということ。「黒い羊」をこえるためには、秋元康が、これまでの秋元康の枠をこえなければいけなくなるだろうということ。”
”この点、MVははっきりと秋元康の歌詞の世界を超え出た。”