「欅って書けない」で放送された、「黒い羊」のヒット祈願の滝行。

 ネット上でも驚きや感動が湧き出しているけれども、本当にそうだと思う。

 

 「黒い羊」という楽曲、そのMVを得て、欅坂46のメンバーたちは、大人たちの様々な思惑を超える地点に立ちつつあるのかもしれない。

 あの回の「欅って書けない」はバラエティの範疇に入らない。笑いなど起こらないし、見ている側にもほとんど笑いなどおこっていないだろう。全身に力をこめて、息を詰めて画面を見つめていたに違いないと思う。TVの制作スタッフ、欅坂の運営スタッフ、MCの土田さん、澤部さん、さらには視聴者の私達のすべての想定をこえた展開になったと思う。もう「バラエティのお約束」などどこにもなく、ほとんど「ドキュメンタリーか?」といいたくなるような放送回だった。

 

 番組で滝行の概要が説明されているところまではメンバーも「ウッソ~」といいながら「バラエティ番組」だったけれども、菅井、守屋、そして鈴本が決定的に変えてしまった。

 

 話し合いの場で菅井友香、守屋茜が手を上げたとき、スタッフから少し笑いが起こったけど、あれがあの番組の「バラエティ」としての終わりだった。そして鈴本美愉が手を上げ、その思いの丈を語ったとき、ちょっと震えが来た。齋藤冬優花のブログでは「スタッフさん方も、全員を連れて行ってあげたいと、会議までしてくださったのですが、メンバーの安全面を第一に考え、8人という人数になりました。」とも書かれていた。

 

 滝行のシーンについてはいろいろ語られているだろうから、いわない。

 

 ただ、その上で思ったこと。

 2018年は本当に欅坂46にとってのたうち回るような格闘の1年だったのだなと。いや、たぶん、それはいまも続いているんだろうな、と。その行く先は…どうなるのだろうか。

 

 滝行にいったメンバーたちは口々に「欅坂を守れる人になりたい」「支えられる強い人になりたい」、そんなことを口々に絶叫する。その叫びの深さを思う。

 

 3人のメンバーが欅坂46を去り、原田葵が休みにはいる。そして平手友梨奈が一時的に戦線離脱。そしてその期間、平手は映画『響-HIBIKI』を主演し、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞する。そしてSEKAINOOWARI『スターゲイザー』に出演し、自分で振り付けもしている。その先には一人の表現者としての平手友梨奈の道筋が明らかに見えてきている。平手自身も「だから私はもう1回欅坂に戻りました。戻らなきゃいけないっていう気持ちもあったし、でも……っていう気持ちもあったけど」と語っている。ということは、明らかに「グループに戻らない」という選択肢もあったということだし、それは全メンバーもわかっていたのだと思う。

 だから彼女たちは、文字通りの意味で必死に「欅坂46を守ろう」とたたかっているのだと思う。その力が「黒い羊」でもあったし、「黒い羊」で復帰してきた平手への思いでもあったんだろうな、と思う。

 

 最初に「黒い羊」の音源を聴いたときの衝撃は凄まじかった。「社会現象になるような楽曲かもしれない」とも書いた。CDの売上とかなんかではとてもはかることができないような、欅坂46のたどり着いた地点を示す作品だと思う。メンバーが「考え方が変わった、生き方がかわった」と口々に語る、そんな楽曲などめったにあるものではない。

 

 けれども物事は、それが頂点に到達したところから崩れ始めることがある。それが次のステージへの跳躍点になることもあれば、「終わりの始まり」になることもある。強い光は濃い陰をも生み出す。「白い羊のふりをする者たち」が「黒い羊」を生み出すのと同じことだと思う。

 私は平手友梨奈を欅坂46に縛りつけたいとは思わない。欅坂46をみるようになったのは確かに平手友梨奈のパフォーマンスだった。けれども私自身は、「黒い羊」という欅坂46のたどり着いたとてつもない高みで「欅坂46を支えたい、守りたい」と叫ぶメンバーたちのこれからを息を詰めて見つめていようと思う。

 できれば平手友梨奈もそう思っていてくれたらいいと思うのだけれど。けれども、平手友梨奈には欅坂46のなかでセンター以外の居場所がない気がする。運営がそうさせてしまった。

 

 

 「黒い羊」で生き方がかわったといい続けてきた小池美波、フォーメーション上は3列目の両サイドに位置づけられている鈴本と齋藤。普段は激しさとは縁遠く見える小林。あの回をみていると鈴本、齋藤、小池、小林に惚れ込んでしまう。土生のあんな姿もみたことがない。そして菅井、守屋のキャプテン、副キャプテンのグループへの愛情と献身。それを見て泣いている2期生。

 あの叫びの先に新たなステージが開けるならば、欅坂46はたぶん、「アイドルグループ」が、今後もう二度とたどり着けないようなそんな存在になる。逆にそうなる以外に、欅坂46の未来はない、そんなかつてない、驚くべき地点にたどり着いてしまった気がする。

 

 本当は私は欅坂46の温かな未来があれば、と願っている。だから、この文章が的外れで、妄想的であれば、と思う。