以前、私は歴史小説に関する記事を書きました。最近の、

時代考証が甘い歴史ドラマなどを観て、時代小説に想いを

敷衍したのです。その際、自分の中で、問題を充分咀嚼で

きていない「難しさ」がありました。

 昨日、この私の、もどかしい気持ちを晴らしてくれるような

話を聴くことができました。森安孝夫大阪大学名誉教授の

「シルクロードとマニ教」という講座です。

 日本で発見された、マニ教絵画の歴史的背景について、

ウィグル帝国やオスマン・トルコなど、広大なユーラシアに

想いを馳せながらの解説でした。これについては、また、

別途記事にしたいと思っています。


 私が括目したのは、この講座の冒頭で森安先生が言わ

れたことです。それは、歴史そのものに関することでした。

つまり、歴史のアプローチには、次のような三つの手段が

あるというのです。


1.理科系的歴史学

   他の学者たちが追実験をすることによって、学説の

  正しさを実証する。


2.文化系的歴史学

   1級資料と遺跡から、歴史の概説を述べる。


3.歴史小説

   学問的責任は持たないが、作家の直感によって、

  歴史事実を甦らせる。


 そして、歴史学者による歴史が、えてして断片に過ぎて

しまう傾向にあるのに比べ、歴史小説に描かれた舞台に

真実のある場合があることを力説されました。

 もっとも、司馬遼太郎も、事実に反することを書いている

そうですから、読み手は、小説の舞台が作家の仮説を頭

から信じることはできませんが。


 膨大な過去の出来事の中で歴史学が把握していること

は、ごく断片に過ぎないとのことです。歴史に学ぶことは、

私が想っているよりも、遥かに困難なものだと思いました。


[ご参考①] 過去記事です。「歴史小説の難しさ1」

http://ameblo.jp/tosh-tanaka/entry-11106781218.html#main


[ご参考②] 過去記事です。「歴史小説の難しさ2」

http://ameblo.jp/tosh-tanaka/entry-11107349827.html#main


[ご参考③] 過去記事です。「歴史小説の難しさ3」

http://ameblo.jp/tosh-tanaka/entry-11107485490.html#main