私は、歴史小説において最も特徴的な過ちは、歴史事実を
歪めることだと思っています。そして、その他にも、歴史小説が
吐き出す毒ガスには、現代小説や未来小説と同じものがあり、
読者に悪影響を及ぼしています。
その意味では歴史小説だけが、他の小説にない創作リスク
を背負っていると言えます。私が、歴史小説が難しいと考える
のは、まさに、このことによるのです。
この観点から言うと、歴史上の人物が登場し、台詞を言うこと
自体から、すでに大きな問題があると言えます。まったく言いも
しなかったことを、さも、聞いていたような口ぶりで書かれること
に、当人からのクレームが出ないのは、何とも皮肉なことです。
亡くなった人のことであれば、どんな嘘も許されるのでしょうか?
もちろん、このような批判に対して、歴史小説家からは反論され
るに決まっています。歴史的な人物の会話には、子細な調査や
研究の成果が活かされているのですから。
それでも、私は遺されている手紙などでも、よほど真偽の吟味
がなされたものでなければ、まことしやかに扱うことには抵抗感
があります。それが、創作の節度だと思うのです。
ただ、そうなると歴史小説は面白くなくなります。物語を面白く
するには、会話は不可欠です。錯覚であっても、リアリティを演出
しなければ、物語は迫真の展開をしなくなります。
歴史小説は、この悩みを解決しなければなりません。時代考証
の難しさに加えて、このような問題が歴史小説を難しくしているの
です。