東北農民管弦楽団の山形公演が終わって、少しホッとしていましたが、気が付けばレッスンを受けている先生が開いてくださる発表会まで、もう一か月余りしかありません。そろそろ曲の仕上げを急がなければならない時期になっているのです。

今年は、早めに曲を決めました。シューマンのヴァイオリン・ソナタ第二番からです。

[ご参考] 発表会の曲を決めた時のブログです。

http://ameblo.jp/tosh-tanaka/entry-12158611531.html

 

このブログをお読みいただければわかるのですが、当初は、シューマンのヴァイオリン・ソナタ第二番の第二楽章と第三楽章を演奏するつもりだったのです。ところが、昨年の5月から始めた第二楽章が未だに仕上がっておらず、これから集中して練習を重ねるしかないので、とても第三楽章までは出来そうにありません。

第二楽章と第三楽章の対比が面白くて選曲したのですが、私の実力不足と努力不足のために、その目論見は潰(つい)えてしまいました。けれども、第二楽章だけでも、音楽としての魅力に満ちた曲なので、大いにヤリ甲斐があります。

 

来月には、ピアノとのアンサンブルも練習しなければなりません。これが結構難敵で、アマチュアのアンサンブルに参加していた時から、とても苦労したものです。個人的に技術が不足しているのを補うだけでなく、アンサンブルで上手く息を合わせることができるようにするのは至難の技なのです。

でも、私のような下手な素人でも、一瞬、息が合うことがあります。曲の面白さがわかることがあります。作曲者の魂を感じることがあります。それがアンサンブルの楽しみでもあります。

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幼い私の原風景となっている貧しさは、無謀な戦争で疲弊した日本全体が抱えたものだったようです。私は、ほとんどの子供が持っていた三輪車も買ってもらえず、自分の家が一般より貧しい生活をしていると思っていました。

けれども、借家とはいえ雨露をシノグことのできる家に住み、両親と一緒に暮らすことができたのですから、実際には、私が想っているほど極貧の中にいたわけではなかったのかもしれません。もっとも、私が赤ん坊の頃は、田舎に唯一残っていた蔵に畳をひいて、井戸水とコンロで煮炊きをしながら、父の兄弟も一緒に生活をしていたそうです。

 

よく言われることですが、終戦直後の貧乏は、すべての日本人(一部で例外はあったのでしょうが)が貧しかったから、どれだけ貧しくとも当時の日本人は耐えることができたのだとのことです。私もそう思います。

当時の多くの日本人は、荒廃した国土を自分たちで立て直し、貧困から抜け出したいと思っていました。それは大きなエネルギーとなり、奇跡と言われる戦後の復興が可能になったのでした。少しずつ豊かになるという実感は、働き手でない子供たち(私が生まれた団塊の世代も含めて)にも、そのまま伝染しました。

そのような原風景が心に焼き付いているので、今でも、終戦直後の子供たちの様子などが映ってフィルムが放送されると、胸が熱くなってしまいます。それは、単なる懐かしさを超えて、私の人生の出発点を再確認するような想いが、沸々と湧き上がってくるからです。

 

そのようなことを考えているとき、突如として、ある想いが私の中で生まれました。それが「貧しさへの憧れと共感」なのです。

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不遜にも、「貧しさへの憧れと共感」などと言うからには、「貧しさ」が何を意味しているかということについて、しっかりとした定義をしなければなりません。憧れや共感は、その対象とするものに対する誠意を要求するからです。そこで、goo辞書で「貧しい」を調べると、次のように書いてあります。

 

財産や金銭がとぼしく、生活が苦しい。貧乏である。「暮らしが―・い」「―・い家に生まれる」

量・質ともに劣っている。粗末である。貧弱である。乏しい。「―・い食卓」「想像力の―・い人」  「―・い経験」

満たされていない。「心の―・い人」

[派生]まずしげ[形動]まずしさ[名]

類語   貧乏(びんぼう) 乏しい(とぼしい)

 

この辞書の意味からは、とても「憧れや共感」とは縁のないもののように思えます。これが、一般的な「貧しさ」に対する世間の考え方であることは間違いなさそうです。私自身、長い間珪砂系的な意味で、貧乏は避けたいと思っていました。

goo辞書でも、では経済的な意味とは別の「貧しさ」が書いてあります。これも、できれば避けたいものであって、そうならないように努力するのが正しい生き方であると思っていました。そして、それは、今も間違ってはいないと思っています。

 

それなのに、どうしてか、私の中に「貧しさへの憧れと共感」が、強い想いとなって結晶となりつつあります。自分が貧しいのはイヤなのに、「貧しさへの憧れと共感」を抱くなどとは、いかにも妙な心理なのですが、少し丁寧な自己分析をしてみたいと思います。

 

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自分の中で想いがあったからこそ付けた表題ですが、読みようによっては、何とも不遜な題名です。しかも、ここでの「貧しさ」は、単なる経済的な貧困にとどまらず、心の豊かさに対峙するものまで含めていますので、そこにある種の偏見があるのではと疑われても仕方がないくらいの尊大さがあるように見えてしまいます。

けれども、そのような誤解を懼れずに、臆面もなく「貧しさへの憧れと共感」という言葉を私が選んだのには、それなりの理由があります。それは、「貧しさ」の中に、自分の原点があるのではないかと、特に最近、強く思い始めたからです。そこには、懐かしい原風景があります。

 

私たち「団塊の世代」以前に生まれた人なら、その原風景を想い起すことができるはずです。敗戦によって荒廃した国土における絶望的な貧困を。けれども、私の両親の世代を始めとした当時の大人たちは、度重なる空襲や、被爆などによる悲惨な情況にあっても、未来への希望を捨てずに、明るい日々を過ごしたのです。

もちろん、人によっては、敗戦が決定的になってから、毎日を無為の中で過ごさざるを得なかったかもしれません。それでも、大多数の日本国民が、奇跡と言われる復興に向けて前に進んだことは、世界の誰もが認める事実だと思います。

 

幼い私の瞼(まぶた)にも、そのような貧困の中で、楽しい日々を笑顔で過ごす大人たちの姿が焼き付いています。もっとも、あまり眉間にシワを寄せて幼子を見る人はいないので、私の記憶に残っている、ほとんど人たちが笑顔を向けてくれていたのだろうとは思います。

それでも、心に余裕がなければ、たとえ相手が幼子であっても、渋い顔を向けてしまうこともあるのではないでしょうか。ただ、戦後の「モノがない時代」を知っている私は、ツギの当たったボロは着ていても、人は楽しく暮らすものだとの想いが強いのです。

新しいパソコン②

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新しいパソコンが招いた不良品騒動の顛末は、次のような半日でした。

 

昨日私は、朝からソワソワ。部屋の片づけを一週間前からし始めましたが、その仕上げとして机の拭き掃除までしました。今のパソコンが来た時以来ですから、もう8年振りの拭き掃除です。もう、お気づきのことと思います。新しいパソコンは、雑然としていた部屋の大掃除を、副次的な効果として、もたらしてくれたのです。

9時の予定なのに、その時間になっても何の連絡もないので、こちらから連絡しようと携帯を見れば、もう10分も前に電話の履歴がありました。わざわざマナーモードを外していたのに、しかも、電話連絡を心待ちにしていたのに、どういうわけか電話を聞き逃していたのです。

こちらから、かかってきた電話番号にかけると、予想通りセットアップの方からの連絡でした。そして、もうマンションの前で荷下ろしをしているとのこと。私は恋人を迎える若者のようにドキドキしながら、新しいパソコンの搬入を待ちました。

 

用意していなかったものが二つありました。ネット用の乱ケーブルとプリンター用のケーブルです。急遽、今使っているパソコンのものを使いましたが、後で買い足さなければなりません。そのようなことにも頭が回らない私です。

 

「登録証を見せてください。」

 

これも用意していなかったので困りました。すぐには、どこにあるのかも思い出せません。それがなければメールのセットアップができないと言われて途方にくれました。そして、唯一心当たりのあったところから「登録証」が出てきて、ようやくホットできたのです。情けないことですが、とても自力ではセットアップできないと思いました。

新しいパソコン①

テーマ:

たかだかパソコンのことくらいで、少々「ご大層」なことなのですが、新しいパソコンを買ったので、その感想などを色々ツイートしてみました。

 

[ご参考] 買ってからのツイートです。

新しくパソコンを買った。今のパソコンを買ったのが8年前なので、そろそろ買替かと思っていた矢先に調子も悪くなった。次の8年先まで使うつもりだ。セッティングを伴う納品は、一週間以上も先のこと。それで、足の踏み場、手の置きどころもないほど、本と資料とホコリに塗れていた仕事場を整理した。

 

整理だと言っても、本や資料の山に埋もれているはずの貴重な「下書き」やメモも、ゴミの山と一緒に場所を移しただけ。だから実は、掃除をしなければならない戦場が広がってしまった。整理の下手な私の、目を覆うばかりの日常生活。だが、それでも新しいパソコンの居場所はできた。新しい生活が始まる。

 

幼い頃、クリスマスの一週間も前から、小さな靴下を布団の中に持ち込んでいた。物欲の芽が育ったようなものだから、あまり褒められたことではないのだが、それでも当時の幼き希望には、何とも言えない郷愁を感じる。その想いが、今甦る。あと一週間すれば新しいパソコンが届く。希望の日々が過ぎゆく。

 

パソコン音痴の私は、自分でセットできないので、セッティングを依頼しなければならないのですが、日程調整の結果、配達は今日になってしまいました。ところが驚くなかれ、すべてのセッティングが終わってから、この新しいパソコンが不良だとわかったのです。

学生時代に、「亡国」という大河小説の「時代考証とギリシアの風土を体験する」つもりで、想いを集めて訪ねたギリシアでした。そこから、じっくりと「亡国」に取り組んで仕上げるはずでした。それは、私の文学の原点でもあります。

ところが、生きたギリシアの第一印象は、それまでに想像していたものとは全然違っていたのです。ギリシアと日本の風土や、現代と古代の違いに愕然として、私は「愛してやまない古代ギリシアから拒まれたような印象を強く持」ちました。そして、それと同じ現象が、このたび、特別展「古代ギリシャ」に行って起こったのです。

 

そして、特別展「古代ギリシャ」を鑑賞するために神戸市立博物館を訪れた私は、やはり学生時代にギリシアを訪れた時と同じように、展示されているものを鑑賞しながら、古代ギリシアから拒まれたような気がしました。

その幻滅感は、半世紀近く前にギリシアの地で感じたものと、まったく同じものだと言うことができます。どれだけ愛しても、いや、愛すれば愛するだけ、その拒絶反応は私の中で絶望的な嘆きに変わってしまうのです。

 

私は、ヨーロッパ文化に憧れ、キリスト教(ヘブライズム)とともに、ヨーロッパ文化の二大源流と言われる「ヘレニズム」文化に興味を持ちました。それは今も変わりません。ヨーロッパ文化への憧れは、真・善・美への憧れと同義だと言っても過言ではないのです。

都市国家としてのアテネやスパルタの物語、ギリシア悲劇・喜劇、ギリシア神話、建築や彫刻、よく生きること、ソクラテス・プラトン・アリストテレス、などなど、古代ギリシアは憧れとしてしか深まることはありませんでした。でも、その憧れは永遠のものです。

私が大学四回生の夏休みを利用して、生まれて初めての海外旅行(ヨーロッパのユースホステルを約一か月かけて巡る、自由行動の多い団体旅行でした)に出かけた目的の中で、一番大切なものだと思っていたのが、この二泊三日のギリシア訪問でした。

もちろん、私が書こうとしていた大河小説の「時代考証とギリシアの風土を体験する」という目論見があっての旅行です。ギリシアに着いた観光客を、すぐに古代ギリシアの世界に誘(いざな)ってくれるアクロポリスが聳(そび)えるアテネだけでなく、神託で有名なデルフォイ観光の日帰りバスにも乗りました。

 

半世紀近く前のことではありますが、今も、この時に受けた鮮烈な記憶が残っています。まことに残念なことなのですが、それは負の記憶です。それも、期待が大きかったからといったものではなく、もっと致命的なものでした。

つまり、私は憧れ続けていたギリシアの大地を、直かに自分の足で踏みしめ、その大気を吸い込み始めた途端に、愛してやまない古代ギリシアから拒まれたような印象を強く持ったのです。恐らく、緑の少ない山や埃っぽい道など、私が生まれ育った日本の風土との決定的な違いから、私の心に壁ができてしまったのではないかと思います。

 

「とても古代ギリシアを舞台にした小説など、私には書けない」。それがギリシアで感じた私の正直な想いでした。そして、私が書こうとしていた大河小説「亡国」の構想は、その時点で、断念せざるを得なくなったのです。執筆のための準備としてギリシアに行ったはずなのに、何とも皮肉な結末でした。

その後、大河小説は舞台を日本に移し、邪馬台国の時代背景にしようとしました。けれども、それも時代考証などから難しくなり、今は、このブログで連載中の「いざ、デルフォイのもとに」となりました。ただ、これも現在、中断中となっていますが。

ツイッターにも書きましたが、古代ギリシアは、私にとって「すべての始まり。」です。つまり、私は文学に身を捧げていますので、その意味で、文学が「すべて」なのですが、その文学の「はじまり」が古代ギリシアなのです。

どうか、非常にわかりにくい表現になってしまっていることをお許しください。話せば長くなるのですが、話さなければわからないというジレンマを断ち切るため、少し長くなりますが、私にとって、文学の「はじまり」が古代ギリシアであることをご説明します。

それは、私の文学遍歴に関することです。そのため、この小文がテーマとしている美術や、特別展「古代ギリシャ」の鑑賞そのものからは大きく脱線してしまいます。ですから、関心のない方は、この部分は読み飛ばしていただいても結構です。

 

私は中学三年生の時に、将来は立派な小説家になろうと思い、長編小説を書き始めました。

[ご参考] 5年ほど前に書いた「私の文学遍歴」です。

http://ameblo.jp/tosh-tanaka/entry-11264265792.html

 

どうして古代ギリシアが舞台になったのか、あまり明確には説明できませんが、民主主義や経済の仕組みが、現代よりも単純化できるような気がしたためだったと思います。現代社会(と言っても半世紀ほど前ですが)は複雑すぎて、中学三年生だった私には、扱いづらかったのだと思います。

ただ、時代考証などは何もできなかったので、作品は出来上がっても(第一部だけでしたが)、必ず時代考証とギリシアの風土を体験する必要があると思っていました。そして、大学四回生になって初めて海外旅行をした時に、ヨーロッパの何か国かを訪れた後で、憧れのアテネの土を踏んだのです。

 

[原文]文学への大望を確認すべく、61歳の時に書いた「我が人生の起承転結」です。

 

ただ、今から思うと、人生のラストステージが近くなり、いきなり出現したかのように見える私の迷いの種は、実はもう、この時点で蒔かれていたのです。学生にとって、進路の決定はとても大切なものだと思います。自分の迷妄から逃れるため、私はサラリーマンになった時点から、人生の大きな課題を一時的に封印してしまったのです。

もっとも、人生に柔軟性は必要です。サラリーマン生活が始まれば、仕事に全力を注ぐことを悪いとは言えないはずです。仕事に夢中になっていたことを、反省したくはありません。ただ、結果として私は、頭のてっぺんから爪先までサラリーマン色に染まってしまいました。

六十一年を超える私の人生において、人間として未完成だった幼児から学生までの時代を除いて、人生のすべての時間を、私はサラリーマンとして過ごしてきたのです。もちろん、現在においても、私が人間として未完成であることに変わりはありませんが。

喜怒哀楽はストレートに出てしまいますし、隠し事も苦手です。単純でわかりやすい性格は変わることがありません。これでは、顔の皺が深くなっただけで、精神面では、いつまで経っても子供のままであることになってしまいます。

 

[感想]原文を書いて7年。一向に形を成さない文学への大望を再確認しています。

 

文学を志しながら、文学の道とは異なるサラリーマンになったことについて、私は後悔しないように生きてきました。それが単なる言い訳なのか、それとも真実であるかについては、これから生まれるはずの、私の文学が答えてくれるに違いないと思っています。