歴史小説の抱える致命的ともいえる難しさは、歴史ものと
言われる演劇やテレビドラマでも同じです。しかも、これらは
とても人気の高い演目なのです。
これらを観ていると、あまり違和感を覚えない作品も少なく
ありません。これらの多くは、私が「歴史小説の難しさ」だと
思っている問題を、見事に克服しているのです。
その方法は、「この物語はフィクションである」とのコメント
を、どこかで入れることです。現代ドラマでも、よく使われて
いる手です。それだけのことで、どのように物語を展開させ
ようとも、すべてのことが免責されるのです。
もっと、巧妙に仕組まれている場合もあります。夢の話に
するのは使い古されています。また、怪しげな語り手の話と
するだけでも、歴史事実の拘束から解き放つことができます。
これらは、よく歴史小説でも使われるものです。
このように、歴史小説には、事実であることが証明できない
ようなことと、間違いのない事実との違いを読者に知らしめる
暗黙のルールがあると思うのです。
嘆かわしいことですが、最近のテレビ時代劇は、このような
工夫もなく、安易に歴史事実を歪めている作品が増えている
と思います。歴史には、学ぶことが多いだけに、事実の歪曲
には神経を尖らせる必要があると思うのです。
とは言え、まあ、あまり固いことを言わず、単に娯楽作品と
して考えればいいのかもしれません。歴史を深く考えずに、
歴史小説を心置きなく愉しむことが、多くの読者が求めている
ところなのかもしれません。
ただ、書く立場の私には、どうしても歴史に曖昧な態度では
書くことができません。私にとって歴史小説は、とても難しい
ものなのです。