排泄の介助 とは
ひとりでは排泄の行為・動作が難しくなった方や、排泄機能に障害がある方を手助けすることをいいます。
具体的には、トイレへの誘導をはじめ、排泄の手伝い、オムツ交換なども行います。
参照・引用:カイポケ
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この介助は一番デリケートですね。
扱うかどうかという迷いはほぼなかったのですが、当事者目線が濃い内容だと思います。
お知りおきくださいませ。
私は生まれた時から骨が弱いだけでなく、おむつユーザでもあります。
私だけの感覚なんだろうか、、皆さんが普段履かれている下着と同じ感覚なのでおむつであることと話すことなどは抵抗ないし恥ずかしくありません。
ベッド上や畳1上分ほどの広さなどの場所で交換しています。
ズボンの脱ぎ着は寝返り動作を使って。
おむつを取る、当てる時も寝返り動作を使って。
赤ちゃんのおむつ交換のときのように、足を持ち上げると骨折するからです。
タイミングは感覚には障害はないので時がくれば伝えます。
おむつメーカーさん!介護用品の業者さん!モニターやりたいのでお話待ってます!
排泄介助については
オムツ交換だけでなく、導尿や採尿やストーマにされているかたもいますね。
※導尿は医療行為のためご本人さんや家族さんまたは医師や看護師などが行います。
ヘルパーでも研修受講にてできるかどうかはまた調べますね。痰吸引オーケーなので可能かな?
また、一時期話題になった、多目的トイレをどういう名称にするのを議論することも大事かもしれませんが、、必要性と数の少なさももっとクローズアップされてほしいな。
オムツを使ってる理由と社会的障壁について
去年書いたように、トイレトレーニングは子供の頃に何度か取り組みました。
トイレトレーニングが原因での骨折はなかったのですが、骨折を繰り返したことからトイレトレーニングを継続できる状態には身体的になく、おむつを外すことは不可だという結論で、今に至っています。
便器にて座位を保持するというのは、足に負担がかかりすぎて今となってはこわい、こわすぎる笑
おむつだと不便することはたしかにいくつかあります。
1災害時用の備蓄
2交換時のスペース確保
3交換時の支援が必要
大小限らず、皆さんはごく自然にごく普通にごく当たり前にされているかと思います。
私は(人手不足という理由もありますが)決まった時間まで我慢することもあれば、交換時の態度や雰囲気などに気を遣ってしまい、気疲れしてしまう時間です。
そして、20数年間生きてきてる中、排泄対応が自分でできないことのほうが、自分の障害よりも嫌になる時があります。
特に社会に出てからは、自分でできないことを突きつけられることが何度かありました。
自分でできないまたは対応が難しい場合、社会参加において大きな障壁になっているといえます。
例えば、就労の場面では、障害者差別解消法が成立する前では採用条件にデカデカと「排泄は自立していること」見かけたことがあります。
私からしたらここでいう自立ってなに?という話。
同時に、排泄への支援は労力が必要でもあるのも承知しています。
しかし、障害は自分で乗り越えられることと、必ずしも乗り越えられたり・・・クリアにできるとも言えないんですよね。
働きたいなら自分で解決せよという圧や差別に、サポーターを組んだことはあるけれど。
何のために働いてるか自問自答したし目的や意義を見失いそうになったこともあります。
今でも、不利にされちゃうことだな感じることは多々あります。
どうすることもできないので、人が羨ましく見えるしたまに本当に苦しくなるんですよね。
排泄介助においては、これも幅広く影響(障害障壁)があるなと思いませんか?
心地よくなるケアとは?
自尊心や尊厳を守っていくためには?
次回は 衣服の着脱の介助について!