屋根裏の南側の一畳の窓から燦さんと陽光が差し込んでいます。何か春が遠くないと感じさせます。毎年感ずることです。実にいろんなことが起こりそして辛うじて解決しそしてこの何ともいえない暖かい陽光に身をゆだねると束の間至福にひたれます。今朝は温水器の問題があって3日ばかり風呂に入らなかったので今朝は私だけ普通よりゆっくり入りました。昨夜は家内が買ってきたカジキマグロの刺身のせいか腹が痛くなって正露丸でなんとかしのぎました。本来は家内がやられるのですがこの頃は逆でいつも私がやられます。体力が落ちたのでしょう。家内に参られたらたいへんです。私は家内の記憶係であとはあまり役にたちません。私はたいてい午前中の2時間から3時間屋根裏で過ごし3日に一回は夜9時以降屋根裏で過ごしそのまま着たままでコタツに着どころ寝をします。これが意外と快適です。東日本大震災が起きて屋根裏が一番大変で10年近く利用しませんでしたが最近やっと整理して元に近くなりましたがソニーのダブルカセットコーダーもだめになり200点もNHK「心の時代」をカセットに録音したのも今は聞く気になりません。この頃は森進一、淡谷のり子、美輪明宏、鶴田浩二など聞くだけです。もうすっかり脳は軟化しました。本など全く読む気になりません。年取って再び子供に帰るようです。これも自然なのかも知れません。毎日の生活で一番楽しみはブログを書くことかも知れません。でも去年に比べたら意欲は落ちています。「老人と海」の文豪ヘミングウエイは晩年海沿いのバーで毎日酒を飲んで過ごしましたが最後は銃を口に当て死にました。自らの行動を描いた彼にとって行動ができなくなることはもはや生きるに値しなかったのでしょう。私はたとえ惨めになっても最後までその自分を観察してみましょう。もう1回人間に生まれ変わることはまずないでしょうから最後まで見届けたいと思います。
何とか便通もよくなってほっとしていたら家内がお湯が出ないというのでまた風呂場のお湯の栓の締め忘れかと風呂場にいきましたが問題はありません。赤い印がきっちりあっていました。300リットルの温水器も30年くらいたっているので耐用年数になっているのか考えとりあえず研師の友人にきてもらいました。この温水器はかつて夜の11時から朝の6時まで半分近い深夜料金でしたが2年前からその恩典が無くなって通常料金になりましたが依然夜の11時から朝6時までしか電気が通じないようになっています。昨夜は今冬最低の気温で-7.5℃でそのせいかなど考えて翌朝お湯がでないなら彼の友人の電気屋に頼んでもらおうと就寝しました。気になって朝5時ごろ起きて温水器の一番近くの蛇口をひねったらお湯が出ました。これで一件落着ですがまたこういうことは起こる可能性があるので交換することも考えておかなくてはなりません。我が家の温水器の問題でも風呂に入れなくなります。能登地震の被災者は本当に大変なことが想像されます。便利な生活を送っているとそれが急にできなくなるとそのショックは生命にかかわってもきます。歳をとるということは100パーセント自立した生活ができなくなることでもあります。だから一般人は働いて老後に備え子を育てます。私たちなどそんなことを考える余裕もなく制作を続けてきました。そして病気もいろいろやって80代まで生きられようとは考えていませんでした。それがもうすぐ88歳そして90歳まで生きるかも知れません。何か不思議と恐ろしいようなような気がします。帰国して24年何も目立った慶事はありませんでした。しかし今年は県立美術館開館40周年の記念展に選ばれました。本当に珍しいことです。そして有難いことです。とにかく60年近くあまり世間を意識しないで孤立無援で自分の穴の中から世界と人間を見てきました。それも一番効率の悪いやり方で。その覚悟がないとこのメゾチントという技法を熟成させることはできないと思ったからです。その環境はパリ発祥のマレー地区の17世紀の崩れかかったアパルトマンに入居したことが決定的なことでした。34年一度も引っ越しをしませんでした。家主も寛容で10ケ月家賃を払わずとも御出されませんでした。作品を買ってもらったこともあります。同居者の友人でラオス人の写真家は4年間家賃を払わないで出ていきました。戦前の映画に出てくるようなアパルトマンしかも絶対御出される心配のないところで年4,5点のペースで34年やってこれたから何とか凡才でも作家になれたのはこの家主のお蔭です。高い家賃を転々としていたらメゾチントは続けられなかったでしょう。いわばパリの中心のマレー地区というかつて時間が止まったようなところにいたことが私の性分に合っていたのです。今のパリを考えるともはや別の時代の別の国のようです。今のこの生活も友人との交流はありますが本質的に隠者の生活です。天は私みたいな人間を何とか88歳まで生きさせてくれました。実に有難いことです。誰にとっても人生はそれなりに楽ではありません。しかしその行程も終わりに差しかかっております。感慨無量です。
私は健康上自慢することはたった一つありました。それは便通でした。しかし新年になって1週間毎日地獄の苦しみ両手にゴムの手袋をはめてトイレでかき出しては尻にお湯をかけかき出してはお湯をかけ家内に言わせると1時間は格闘していたそうです。1週間こんな状態が続いてとうとう糖尿を診てもらってるクリニックに予約なしに行きました。先生は何かあったらすぐくるようにと言ってくれてます。肺に水がたまった時も体が今までと違った感じで行って肺に水が溜まっていることがわかりました。腎盂炎に初めてなって2日間全く動けなくなったり去年の後半は病気の連続でした。精神的には元気ですが体は確実に弱ってきています。80代まで生きるとは思っていませんでしたから来月で88歳もうそろそろ年貢の納め時がきてもびっくりすることはないと思います。演歌歌手の八代亜紀も2,3日前一種の膠原病で73歳で急逝しました。それにしても最近芸能人は80代で活躍する人もいて現役の年齢が伸びているのにびっくりします。菅原洋一は89と聞きました。平均寿命が延びた分活躍の期間も伸びたのでしょう。大変結構なことです。私ももっと続けたかったですが脳の老化で版画の組み立てがうまくいかなかったり神秘的な要素を盛り込めなかったり要するに作品にならなくなり結局作品ができなくなって止めました。大家の浜口先生も最後のカラーメゾチントの小品は作品になりませんでした。人それぞれに脳に限界があります。北斎のように91歳までレベルが落ちないで作品を生める人もいれば夭折の天才もいます。
私はこれからやるとすれば遊び心でピエロのシリーズをやりたいです。今のところ指に力が入らないので銅版画は無理です。これは34年も3種の免疫抑制剤を飲んでいたことによる一種の筋無力症ではないかと思います。俳優の萬屋錦之助も瞼が下がる一種の筋無力症に罹っていました。我々の食生活はスーパー無しには成り立たないといって過言ではありません。しかしこの正月に買ったものを冷蔵庫から出してつくずく眺めてこんなものを365日食べていては体によくないとつくずく思いました。買ったトリのから揚げなどの黒ずんだ色をみて捨てました。私は一口も食っていません。新潟かどこかで古民家を改修して販売しその地域を再生して話題になっているドイツ人建築家奥さんがアルゼンチン人で元スチュウワーデスの夫妻の食事をみましたがこれこそ食事と思いました。庶民の摂ってる日々のは食事は本来からみたら病気になるために摂っているように映ります。この近代文明は地球を壊し人間のつながりを金銭関係にし人間の幸せを少なくしたように私には思えます。文明は一見華やかに豊かに見えますが芸術に関しては過去に敵いません。人間の歴史は人間の自由の拡大の歴史とも言えます。これは確かに成果ではあります。しかし個人の自由の拡大はいろんな人間の義務をうやむやにしました。本来自由にはそれに見合った責任があります。世界が一つの村に収斂するために自由と責任の関係をしっかり自覚する必要があります。明治期のアーチストたちが日本の伝統と西洋の美を如何に統合するか血のにじむ苦しみを味わったかを知る必要があります。簡単に乗り越えられるものはありません。変化や新奇は人の目を引きますが大切な努力は得てして目を引かないものです。私の作品は人の目を引かず仕舞いでした。私のアートの中には大切なものがあると信じてやってきました。私が死んだあとそれを発見してくれる人が現れるかです。これからますます考えらないようなテクノロジーが現れるでしょう。ますます便利になり人間同士疎外がますます起きるでしょう。人間相手でなくとも楽しめるものがますます増えていくでしょう。アンドロイドなど人間の代わりになる日も近いでしょう。でも紛争は続くでしょうか。戦争や紛争に人間が全く興味が無くなればいいですが。戦争が起きるたびに殺戮と強姦が起きます。人間にはそういった本能があるのでしょうか。世界を見ると暗澹たるものがありますが努力と希望を失ったら終わりです。パンドラの箱から最後にでてきたのも「希望」でした。