今朝3時ごろ珍しくはっきりした夢をみました。大きな草原で3人で三角形をつくってキャッチボールをしていたら飛べない種類の結構大きな鳥が現れたので私はそのボールを鳥めがけてあらん限りの力で投げました。当たったらしく叢で動かないので近づいてみたら倒れていました私は更に頭をたたいてとどめを刺しました。鳥を見た瞬間私はその鳥を食うつもりで瞬間ボールを投げたのだとおもいました。こんなにリアルに鳥を殺したのは初めてです。もしかしたら前の晩コンゴ河沿いの動物たちのドキュメントを見たのが夢の引き金になっているのではとおもいます。自分が何かを殺すという夢は滅多に見ませんでした。この夢のもっと奥には自分が何かに追い込まれてそれに必死に抗している心理がそれを克服しようとあがいているということを表しているのかもしれません。私の今の一番真剣に考えていることは死までどう生き死後の身辺整理のことです。私の同じ歳の中学以来の友人はもうシュウカツを始めていて2階は大体整理がついたと言ってます。彼には立派に育った二人の子がいますので心配はないのですが完璧主義ですので徹底しています。私たちには子がいないので最低誰にも迷惑かけないようにと心掛けています。幸い版画家は画家と違って作品のヴォリュームが1/100くらいですのでそれはラッキーです。私の作品額からはずしたら2立方メートルにもならないかもしれません。額装作品は版画の下絵も入れても150点ぐらいで死んだあとは姪たちや若い知り合いは喜んでもらってくれるでしょう。18坪のアトリエは何もないので簡単です。問題は1トン半の大きなプレスですがこれは家をある程度壊さないと運びだせませんクレーンでトラックに積めば運べます。今重機が発達しているので運搬代でもらう人はいるでしょう。このプレスだけは自慢です。機能的には世界最高のレベルです。もっと大きなものはあるでしょうが機能は完璧でフランスの刷師のものなど足元にも及びません。作ってから30年くらいになりますがあと100年は問題なく使えるでしょう。東日本大震災のとき西に10㎝、南方向に8㎝動いたのにはびっくりしました。機能的には何のダメージも受けていません。しかし地震のエネルギーのすごさにはたまげました。そのプレスを置いてあるコンクリートのたたきは1mの深さにわりぐりを沢山入れてがっしり作ってもらったのでひび一つ入っていません。その時の工事をした人に感謝です。現代の比較的平和の時代でさえ80代まで生きたことに感慨を覚えますので昔の人が50代になったときよくもここまで生きたものだとしみじみ思ったでしょう。昔の還暦の喜びは今の米寿の喜びの比ではないでしょう。現代はいつの間にか90になっていたと自分自身びっくりしているでしょう。

今朝も5時半に起き三階屋根裏にこうして座ってPCを開けるのが有難くまた大袈裟にいうと奇跡と思います。日々自分の体が老化していくのが分かるのです。今日は11時に歯科の予約があり片道3kmちょっと自転車で行きます。天気も良いようで今日は新しい差し歯がはいるかと期待しています。最近は小さなことに喜びを感じます。先日も初めて家内の姪夫婦が石油を運ぶのを手伝いに来てくれました。今まではクルマがあり自分で1回に最高18Lのタンク4ケ運べました。今冬からはこうして頼むか代車で500メートルの距離をタンク2ケ運んで運動するか代車は既に買ってあります。私は苦労しても一人でやるのが好きです。まあどちらでも冬はあっと言う間に終わります。私は合理的に手早くやってしまう、金だけ稼げばいいという考えでなく古臭い人間です。ちんたらやることが面白いのです。このテンポの速い世の中で自分を眺めたとき思わず微苦笑します。私の友人にはもっとマンガ的な人物がいます。彼も現代を生きるには大変です。でもこんな人間がいることも意味があると思います。彼が我が家でヨーグルトを食べたとき上からスプーンですくって食べるので全部かき混ぜたほうが美味しいよといったら彼は私はこのほうが美味しいんだと言いました。その時人にはそれぞれのお気に入りの方法があるのだと反省しました。そんな生き方が世の中の加速化でできなくなることも沢山あります。社会には世の進歩に抵抗なくついていける人間とできない人間がいるでしょう。これからもっと変化のスピードがあがるとできない人の心理の屈折がさらに大きくなるでしょう。最近人を殺すのがあたかもものを壊すように切断してばらばらに捨てたり、親族を殺す事件も増えています。このことは現代の進歩の在りようが人間を何処かで追い込んでいることは確かでしょう。そしてこの速さは反面思考停止を生んでいると思います。もうまともに思考できる心理がどこかで喪失しつつあるのではないか。以前「喪失の国、日本」という有能な日本に2年弱滞在したインド青年が書いた本、原題は単に「日本の思い出」ですがその内容が彼が東京に滞在し文明の最先端を経験しインドに帰ってから将来を約束されていたにもかかわらず退職し中世の面影の残るラジャスタン地方の古都ジャイプールに居を構え何万年続くその地方の手染めの生地を買い取って日本に輸出して生計を立てるしごとに変えたという本です。彼はジャイプールの城門の近くに家を建て一人で鉢植えでハーブを栽培しハーブテイーを楽しみ本棚には世界の美術書や植物の本を揃え出世コースを自ら離れ貧しい人たちを助ける人生を選びました。その本を読んだ時実に一服の清涼剤を飲んだようでした。当時死を前に入院していた文筆家に一冊送ったところ、岩谷さんは何処でこんな面白い本を見つけるのだと返事がきました。その本を図書館で偶然見つけたのです。5,6冊買って友人たちに送りました。彼ほど感動した人は他にはいませんでした。その2,3ケ月後彼は亡くなりました。生きることは日々感動すること、神秘を感ずること、発見すること、これらができなくなったら枯れそして死を待つだけでしょう。

昨夜もやはり高齢の病人(透析、胃ろう、人工呼吸器)で認知症を発症している人たちの家族がいつそれらの器具を外すか医師と相談しながら本人が正常だったとき自分の死にどういう考えを持っていたかなどから実際器具をはずして死を迎えた実例など興味ある番組でした。オランダなどははやくから安楽死を認めています。もっとも合理的に法制化した国の一つではないかと思います。私が書いてるように延命治療を受ければ誰でも100歳まで生きられる時代に入ったそうです。皆が延命治療を受ければ国家の予算はパンクするでしょう。これから認知症は増えるというデータもあります。話は全く飛びますが昭和20年30年代が高度成長期でひかり公害や煤煙などで工場の近くの小学校の校庭の朝礼で同時に沢山の子供が倒れたなど報じられていたのを昨夜学研の映像をデータ化したのをいくつか紹介してました。その中にそれらを裏付ける黄色や橙色の噴煙が空中に充満している映像がありました。今の中国やインドのように同じような状況を努力してクリアーしてきたのです。子供時代に汚染された空気や水を体内に入れて成長し高齢になってそれらが遠因で病気になっているかもしれません。私も50代で人工透析の経験がありますが80,90になって透析を始めるのは大変です。入院中なら良いですが自宅から週3回透析に通うのは寝っきりの高齢の病人にはたいへんです。今から真剣に「死」についての討論をして先進国がやるのを待つのでなく率先して実行していく必要があります。そうでないと若い人たちが働く意欲を失ってしまいます。嘗て姥捨てが全国各地でありました。それは老人が若い人たちの生活に障害にならないよう配慮したのです。また当時は凶作も何年に一度ありそこを餓死せず乗りこえることは貧乏人には不可能に近いことでした。今日本は努力の甲斐があって食糧は有り余るほどありますが世界規模では行き渡ってはいません。私の勝手な意見ですがあまり老人の延命術を実現しすぎるのはかんがえなければならないでしょう。私の周りにも91になってもう生きる意欲や意味を感じなくなって生きたくないと言う人もいます。2年前までは読書も旺盛で手紙も書き行くと社会批判など生命力がありましたが今は食欲もなく点滴をしてもらいに罹りつけの医師にやってもらって辛うじて生きていると言っています。若い時活躍した人ほど年取って無力になると生きたくないと思うようになる傾向にあります。私も同じです。すでに生きる意欲を自分で生み出すのがたいへんです。僭越ですが自分が他を喜ばせられなくなったらもう生きる意味はなくなるでしょう。自分が追い込まれるとその余裕がなくなるのをしみじみ感じます。それでもこうして生きようと人生に抗して毎日闘っています。人生にどんな小さな意味でも発見しつづけたら生き続けられるでしょう。アウシュヴィッツ収容所の生き残りで精神医学者で「夜と霧」を書いたヴィクトール.フランクルは収容所の過酷な状況で生き延びた人と自ら死んでいったひとの違いがその生きる意味を持ったか持たなかったかだったそうです。若い時でさえなかなか生きる意味を捜せないのが現代の状況です。まして高齢になって生きる意味を持続するのはかなり難しいことでしょう。社会にただ呼吸をして食をして本人が生きるという意識もなくそんな状態の老人がどんどん増えていったらそれこそおぞましいことになるでしょう。ここは今からしっかり議論していかなければならないでしょう。とにかく大変な時代になりつつあることは確かです。

2,3日前からコーヒーを飲まなくして紅茶や昆布茶とお湯にしたら寒くなると膀胱と尿道辺の夜中の気分悪さが無くなりました。大抵冬の間はドクダミを煎じて飲みます。体重を落とすと体は軽くなりますが冬は体重は落とし過ぎない方が体が冷えなくていいです。昨日から体重を上げるようにして57.5~58キロくらいにしようと思います。動物も冬は皮下脂肪を蓄えますから。老人の隣人も元気で会うと私を元気ですねと言ってくれます。そんな時は去年とは違いますよと答えます。それぞれに老いと闘っていることは確かです。たいていは独身の娘とか息子夫婦と孫たちとの同居がまだ地方では多いです。昨日テレビで老人ホームの実情など職員の顔のぼかしでできるだけ介護の等級が上で徘徊しない人を選んで徘徊者はベッド待ちにするか急にベッドが空いたとき1ケ月だけ入れて出てもらうといってました。老人ホームも経営ですから利益を上げなければ職員の給料も払えませんから止むを得ないんでしょうが老人の姥捨て的状況は変わっていません。やがて人間の生産がAIがやるようになって多くが税金で最低の生活をやって生産にはタッチしなくなり超老人が増えるとたいへんなことになるでしょう。そうなれば認知症の老人などもてあますようになるでしょう。医学の進歩はやがてナノ医学になり予防学も進歩し皆が100歳まで軽く生きるようになったら世界は地獄になるでしょう。何事もバランスをとって進化、進歩しないとたいへんなことになります。これからますます人類は未曾有の困難を抱え込むようになるでしょう。何十年か前こんな映画を見ました。生きることに飽きた老人など安楽死を選び自分の好きな音楽をかけてもらい寝室も好みを選んで安らかに死んでいくというものでした。その時はまだ40代で不思議な映画くらいに思っていましたが今日の問題を先取りしていたと思います。戊申戦争後東北の地は一山三文と言われたそうです。人類は大量殺戮兵器を発明しいとも簡単に10万、今は100万単位でさえ瞬時に殺せる兵器も存在します。人間の命は言葉上では地球より尊いなどいいますが人間の命も価値が無くなったものです。西洋が生みだした近代科学とテクノロジーの発展は思考錯誤を繰り返しながら進歩しましたがその成功の陰の部分が地球や人間を破壊したのではないかと問うのが私の立場です。動植物の進化には余計なエネルギーは一切かからないでしょう。人類の発展にだけは膨大なエネルギーがかかり地球の資源が浪費されます。地下200mに大きなドーナツ型の穴をあけそこを高速で量子か何かを衝突させたり膨大な金と資源がかかります。これが人類の進歩なのか譬え進歩したとしても戦争の兵器の進歩にもなります。こういう悪循環から人類は逃れられないのです。それがスパイラルに地球と人間の状況を悪くしていきます。私は短期的な人間の進歩を言っているのではなく人類が手にした科学とテクノロジーそのものの本質が人類にどうなのかと疑問に思うのです。人間が自分の力で進化さえも変えてしまったことが後々どういう結果を招くのか私は恐れるのです。もう取り返しがつかないところまで来てしまっているかもしれないと思っています。嘗ての文明文化は欲望をコントロールするモラルでした。しかし資本主義は欲望を無限に解放し増殖しなければ維持発展できません。また誰かの富を収奪しなければ富めません。この辺に今日の混乱のスタートがありそうです。