今朝は何とか5時半に風呂の準備をしてはいりましたがあがってから7時半まで床の中で休みました。だるいのとまだ時間があったので怠けました。朝風呂の日は午前中調子がでません。それだけ体力が無くなっているのでしょう。
それでも熟睡できるのでいいです。私はめったに不眠にはならないので助かります。とにかく先々のことは考えないようにしています。なるようにしかなりません。個人の小さな頭で悩んだって解決はできないことは86年の経験で分かります。
昔ラジオで聞きました。若いグループが精神障害と身体障碍の施設を立ち上げましたが困難を乗り越えられなく彼を除くみんなが辞めていったそうです。彼だけがキリスト教の信者で自分の力を信じるよりは神を信じて神に任せてきたそうです。自分の小さな力を信じないで神だけ頼ったいと小さき者がその難事業を最後まで継続できたという事実です。自己の力だけを信じ頼ったものは早晩結論を下し敗退していったということです。人間何か大きなものに自分を委ねないと本当の力さえ出ません。自分を無にして大きなものに頼ってこそ自分も十全に花開くというものです。私はいつごろか心配しなくなりました。そして何とかなってきました。神にずっと守られてきた感じです。特に運転中に意識を無くし反対車線のガードレールをに激突し越して逆さに転落して家内ともどもかすり傷も負わなかったときは心底神に守られていることを実感しました。ということは誰の命も神に守られているということです。命というのは植物の種子と同じで開花し実を結ぶようになっているということです。個人で心配してどうなるものではないということです。これから悪い境涯になる可能性はありますが私の命は与えられた条件のなかでは最良の道を選ぶ筈と考えて安心しています。