今朝カーテンを引いたら一面銀世界、雪は仏さまの化身ともいわれます。白一色に染める様が清浄そのもの仏の世界を彷彿するのでしょう。5㎝の雪は日中には解けるでしょう。でも嗚呼師走!と1年の終わりを実感しました。今年は意外と速く過ぎたという印象ではありません。結構身の上の出来事が沢山ありました。一番の出来事はクルマが無くなったことです。すぐ馴れましたがしかし大きな変化です。とにかく思い切ってクルマを無くしたことは正解でした。体もしっかりしてきました。自転車のせいで腰痛が起きるのか心配でしたがそれも何とか自力で今のところ回復しあと1年は自転車生活ができそうです。最近の経験から3年の計画は立てられないことはわかります。でも1年の計画はできるかなと思います。とにかく明日何が起きるか分かりません。科学がこれほど進んでも2,000年前ブッダの時代からちっとも人間の現実は変わっていません。今は病気はかなり克服できますが交通事故などは2,000年前には殆ど無かったでしょう。人間は何歳まで生きても死或いは死までの生活が不安です。それは全く変わっていません。どんなに死に向かってソフトランデイングできても死ぬという事実はなんらかわりません。死までの時間を楽しむか苦しむかの違いなどたいしたことではありません。とにかく死ぬのです。

先日家内の検査の間待合室にいたら私の隣に男性が座りました。一目で今まで肉体労働専門にやってきた人であることがわかりました。茨城出身で3年前からやってきて最初は除染の仕事今は市の水道の敷設の仕事で地下3mの深さに機械で掘って管を埋めるそうです。一日¥20,000の日給なそうで年齢は66歳一生独身仕事があるところに流れて行った一生、酒は止めたとのことですがヘビースモーカーです。生まれて初めて腰が痛くなって仕事を休んで整形に来たとのことです。長い間の重労働と年齢による骨の変形などで痛み出したのでしょう。普通は66歳では使ってもらえないそうですが彼はベテランでまだ使ってもらえるといってました。彼は国民年金も積んでいず死んだら医大に献体する手続きは取ってあるそうです。日本にはこういう人もまだ結構いるのでしょう。3,4年前当時72歳のホームレスを市の福祉課に連れて行って生活保護をもらえるようにした人も一生飯場を転々として最後に市の公園の倉庫に住みついていました。彼は今施設で痴呆のようになって生きています。クルマも無いのでもう1年行っていません。この男も腰を痛め使い物にならなくなったら生活保護を受けるようになるのでしょう。私は誰とでも話します。それは生きることは自分一人であると同時に人との交流も生きる大切なことと思うからです。人に軽くみられようが話しかけます。結構多くは喜んでくれます。今朝起きてすぐテレビをつけたら元ニートの若者を積極的に訓練して屋根職人にして社会復帰させる取り組みをする屋根屋の会社のドキュメントをやっていました。私たち一般が想像できないくらい彼らは自信がなくそれを言いだせなく再び社会から身を引いていく傾向にあります。如何に子供の時に受けたいじめや大人からの叱責によってできたトラウマから抜け出せないことが理解できます。その講習を受けた中で一人は立派に立ち直って正社員になります。その同僚の一人が正社員になった途端辞めると言い出します。立ち直った彼に親方はその理由を聞いてもらいます。それは昔のことがフラッシュバックになって急に自信喪失するそうです。そして同僚の話をよく聞いて立ち直らせます。今の教育のせいと弱いものを陰湿にいじめる子供の世界の中で弱い者の一部がニート化しますが人間がデリケートで弱くなり過ぎそれを救う教師も手が回らなくとにかく教育に何か大きなものが欠落しているような気がしてなりません。私には力はありませんがなんとかして文章で日本の欠陥を指摘し問題を顕在化するよう努力だけはしたいです。とにかく今の日本人は対話が無さすぎます。何でもいいから喋ると結構元気になります。食欲は食ったあと起きる、話せばその後すぐ元気になる。昨日家内と同室の88歳の奥さんと話し始めたら一生のことを話してくれました。家内は耳が遠いので病室で大きな声で話すので隣に迷惑でそのサービスのつもりでお相手したら延々と話しました。母親が結婚して彼女を生んで4歳のとき父が亡くなって母子家庭で育ち彼女も8年前に夫を失くし息子が一人いてこの病院の副事務長なそうです。1ケ月前家で転んで足の指全部骨折したそうです。まあ人生いろいろですが皆苦労した人が大部分です。人が幸せになることは至難ですが考えをかえたら即極楽という世界が変わるかも知れません。人の人生を知るのは大いに自分の反省になります。事故は嫌ですがこうしていろんな人との交流の機会を与えられることは有難いことです。別のベッドの奥さんから旦那さんは親切だと言われました。私は言いました、私は典型的な亭主関白なんですよと。家内も昨日から歩行訓練を始めまあ良くなっているようで嬉しいです。雪が解けて自転車に乗れるといいと思います。道路は解けているでしょう。

先日ブログでこの年末に平穏無事に願うと書いた翌々日に家内が歩道で転倒して目の上を打って目下入院というアクシデントがありました。検査の結果今のところ脳のダメージはなくほっとしています。老いるとつまずきは起こり易いですので注意しなければなりません。

3日ほどかなり疲れましたが今日はすっかり平常に戻りました。

私の情報は専らテレビとインターネットか外国の友人からの情報が世界把握の源で特別なものは何もありませんがその誰でも目や耳にする疎であり素の情報を頼りに世界や文明をみています。先日もアメリカの監獄に収監されている膨大な人間が生み出す労働力や監獄を維持する看守などの雇用がアメリカ社会の中で一大事業を形成しているので犯罪が減らない理由と貧困者が一度軽犯罪でも一旦入ると5万ドルという保釈金を払えないと一生監獄に繋がれている結果になるシステムが出来上がっているというインドと同じように最下層が犠牲になってアメリカという強大国をつくっていることが分かります。インドはもっと最下層層がはっきりしていますがアメリカは一般的にはこの構造が外部には分かり難いです。人類はイジプトの昔から権力者と上層が下層層の犠牲のもとに維持されてきたという原理は今日も全く変わっていないことがわかります。また昨日のテレビでインドではメンスのとき清潔なパッドを使っているのは20パーセントしかいないそうです。その他は布を使っていますがその一部はあまり清潔でないものを使っているために細菌に感染したりする女性もかなりあるとのことです。最近ある映画がきっかけで全インドの女性にパッドを無料で支給する運動が展開されているということです。この現実をみてなんて悲しいことだと思いました。世界はこれだけ不平等であるということ。そして世界の人口が増え過ぎたこと、特に開発途上国が増えていること。医学が進めば新生児の死亡も少なくなり人口が増えて当然です。2回ほどご紹介したメキシコに60年住む大学の一級先輩の方がいます。算命学というものをメキシコを中心に教えていますが最近急に方々から講演の声がかかって生活費以上の金を払ってくれるそうです。また受講者は圧倒的に女性なそうです。私が算命学の概論をその内入門書を買って読んでみたいと話したら今日メールが入っていて彼流に算命学とはと具体的な事象で説明しました。それによると一言で「自然に帰れ」ということです。時間の篩にかれられた智慧、万物に当てはまる真理に従って生きることに尽きるといっているようです。旅人のマントを北風と太陽がどちらがぬがせるかの話がありますが太陽的生き方を説いているのが算命学です。難しい専門語も使わずに私に教えてくれました。捉われない心で自然に生きることに尽きます。そして自ずから知り行動して滞りなく解決していくという融通自在を目標に生きるということです。私にはこのことがようくわかります。ただ私にはまだできないというだけです。でも一生心掛けてはきました。しかしアートというある意味で限定されたメチエに拘泥されて本当の自由は得られなかったということです。ブッダもキリストも職業は持たず旅をしながら人々を済度したということです。外科医のようにメス、内科医のように薬ももたずに人々の悩み、苦しみに耳を傾けそれにアドバイスを与え結果その悩み、苦しみを無くしたということです。精神、魂の医者ともいえます。現代文明は人間の形而下的物質的なものを豊かにしてきましたがその裏腹に形而上、精神的の癒しは逆に等閑にされ物は豊かになって精神の荒廃は増大しています。

私は最近疲れることが多く生命力を失くしていましたがメキシコの先輩との交流で何か一時失くしたエネルギーが戻りつつあります。

人間は限界を超す悲劇悲惨に絶対に遭ってはいけません。太平洋戦争で最前線で精神に異常を来し戦後もそんな施設で一生を終えた兵士も沢山います。昔評論家の大宅惣一はテレビを称して「一億総ハクチ」といいましたが私はそうは思いません。素晴らしいドキュメントが沢山あります。そしてそれらは人間が見なければならない事実です。生きる喜びの一つに他との共感があります。何とか老いを受け入れ乗り超えて喜びを持続したいものです。

 

昨日は世の変化の激しさをじかに感じました。それは電話機が故障し近くにあるメーカーの修理所にいったらそこはもう電話機の修理はやらずもっぱらクルマに関する電気関係だけの店になっていて新しい電話番号をくれ其処に掛けなさいということで電話したらそれは全国の故障を一手に専門にサービスしていて鳥取にありました。そこでは製造番号から何年の製品かを特定し6,7年たったらもう修理は受け付けません。私は確か7,8年前に買ったと思うといって製造番号をしらせたらこれは去年即ち2017年製造のものだといわれ不思議だなと思って考えてみたら確かに去年買ったことをおぼろげに思いだしました。そのセンターでは郵送してなおすことができるが修理費は¥8,000~20,000の間だというのです。それではたと気が付きました。まだ1年なら買った量販店で保障が残っている筈だとそれで今日その店にいって相談することにしました。私はその店でしか買わないので先般大型冷蔵庫の保証が10年付いているとは思ってもいませんでした。この頃電気洗濯機など保障代払わなくとも5年間はついていて助かります。しかし今は¥30、000の値段のものはほとんど無くなりました。確実にものの値段は上がっています。あとびっくりしたのは4月に大型輪業店で自転車を買いましたが7ケ月乗ったので定期検査してもらおうといったら店仕舞になっていました。もう一つ同じ店があることは知っていてそこは場所も良いので多分やっているだろうといったらやはりやっていて私に自転車を勧めた40代のベテランがいました。10月に閉めたそうです。まあ総点検してもらいました。只念を押して空気はいれないようにいいました。一般のように空気をぱんぱんにいれるとバウンドが硬く腰を痛め激痛を誘発する恐れがあるのでトライアスロンをやっている友人に空気を抜いてもらいました。だから私は24速でタイヤが細いのに乗る資格はありませんが買ってしまったしサドルを超低くしタイヤ圧を下げれば快適に乗れるのでこれが最期の自転車と思って注意して乗っています。昨日サドルに掛ける専用のカバーがあり少し腰のショックを和らげるというので取り付けてもらいました。少し楽になりました。何かあったらいつでもすぐ来なさいといわれました。注油は必要ないかと聞いたら毎日50,100㎞乗るひとなら注油は必要だが毎日3~10㎞程度なら注油は必要ないといわれました。私の自転車の常識では考えられませんでした。これで電話機が今日直れば一件落着です。受話器を本体においても電話が切れなくなっただけですので簡単な気がします。今までなら自分で開けてみるのですが年取ってへまやると買いかえなければならないはめになるのでこの頃は水道の蛇口の水漏れも専門家に頼みます。やはり物事にぶつかる気力が急に減退しています。それが当たり前と受け入れるようになりました。気のせいか暮はこのような故障が起きます。昨夜は8歳年下で5月に亡くなった友人の奥さんに長い手紙を書きました。私には手紙で慰めるぐらいしかできません。やがて私の上にもやってくることです。一般的に親兄弟が亡くなるよりは配偶者が亡くなるほうがずっとこたえるでしょう。50年、60年一緒に暮らすことは人生の喜び悲しみを共に分けることですから大きなことです。人生は意識的には1回限りです。誰の意志でもなくこの世に生まれてきてなんとか82まで生きてきました。とにかく生きて来れたというのは不思議としか言いようがありません。生かされてきた、それもその時々人に支えられて、その人との出会いが不思議の連続です。たとえば私が腎不全で人工透析が避けられない体になったとき小学校高等学校の先輩で当時東大病院の外来担当だった先生から帰国を勧められました。帰国して彼が面倒見れば1日3時間は仕事が続けられるからとアドバイスされ引き揚げる決心をしました。その間フランスから2週間ごとに血液検査を送るようにいわれフランスでかかっていたパリ近郊最大の病院の腎臓科にいっていましが担当の女医が転勤し偶然新しい腎臓部長としてある教授が医大から転勤してきました。受付のマダムがその部長をつけてくれました。第1回の診察のときから好意をもって迎えられその先生の二人いる息子の一人が当時N.Y近代美術館のキューレターをやっていました。すぐ仲良くなりフランスに残るなら1年以内に移植をやってやると言われもし引き揚げるなら2週間ごとの血液検査は必要ないあと1年は人工透析は必要ないといわれました。それでフランスに残ることになり人工透析始まってたった6ケ月後に移植をしました。その後10年フランスで制作を続け日本での移植のレベルが欧米並みに上がり日本でも管理できるようになり家内が外国にますます住むのがきつくなり帰国を決めました。63歳の時でした。人間万事塞翁ケ馬の譬え通り今ではその時帰国してよかったです。このこと一つとっても不思議です。前回紹介した大学の一級先輩でメキシコに60年住んで算命学を教えている方も60年前に石の巻から中古のカツオ船をメキシコに運ぶ臨時の航海助手として乗り込みましたが向うについて買い手の経済事情が変わって引き取り手がなく帰る旅費が工面できずそのままメキシコに60年いることになりました。人生誰にとっても不思議なことがあるものです。パリの銅版画のアトリエにいた韓国人がアルジェリアだったかモロッコに旅行にいったときアメリカの画商に会いアメリカにくれば面倒みると言われすぐ実行しN.Yだったかでロフト買ってパリのささやかな生活とは格段に違った生活になったという話をきいたことがあります。ヤマガタヒロもモンマルトルの画家の広場でアメリカの画商にアメリカ移住を勧められロスアンジェルスにいって成功しました。浜口先生は「運100パーセント」が口癖でした。

こんなことを長々書いて私も健康に関しては運がよかったとしみじみ思います。幸い腰痛も日に日に痛みが和らいでいます。この年末もいつものように平穏無事に過したいです。