愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

 

断食生活5日目の朝。

 

 

 

 

初日・2日目=絶食前の準備食(徐々に減らしていく)

 

3日目・4日目=食べない生活

 

 

 

 

5日目の今日から明日まで

 

徐々に増やす「回復食」となります。

 

 

 

 

 

 

酵素玄米のおもゆ、

 

具のないすまし汁、

 

のりの佃煮。

 

三年番茶。

 

 

 

 

運ばれてきた食事を見た瞬間に

 

静かな喜びが湧き上がります。

 

 

 

 

 

自然と、いつもよりも長く、

 

手を合わせる格好となり、

 

この恵みをいただきます、

 

と言う気持ちになりました。

 

 

 

 

すまし汁を1口、口に入れた瞬間に

 

暖かさが全身に広がっていきます。

 

 

 

おもゆを口にすると

 

背中がポカポカになってきます。

 

のりの佃煮のおいしさよ。多分これから一生好きだと思います。

 

3年番茶の芳醇な香りと旨味、、、

 

 

 

 

口から出た感想は

 

「助かるなぁ」でした。

 

 

 

 

田宮さんが笑っています。

 

写真を撮ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ちょっと一挙におじいちゃんぽいね」(田宮さん)

 

 

 

 

 

 

 

 

助かるなあ。

 

 

 

本当に助かっているんですね。

 

他の命をいただくことで助かっている・・・

 

生かしていただいているのだなぁと。

 

 

 

 

 

 

いただきます、というとき、

 

自分という区切られた個が食べると言うよりも、

 

自分の中にある命と言う神様に

 

食物の恵みを捧げている。

 

いのちのつながり、大自然の循環に

 

感謝を捧げているのかもしれません。

 

 

 

 

 

ーー

 

 

 

 

さて断食をすると面白いのは、

 

感覚が鋭敏になることです。

 

 

 

例えば、光がすごく美しく見えたり、

 

香りがいつもより強く感じられたり、、、

 

 

 

人の気配とか、

 

相手がどんなことを考え感じているのかなどが

 

感じ取りやすくなる気がします。

 

 

 

 

逆に言うと

 

神経過敏になっている部分があるともいえます。

 

 

 

例えば、廊下歩いてる人の足音が

 

かなり気になるとか、

 

スリッパのぱたぱた音がやけに気になったり笑

 

表のエンジン草刈りの音がうるさいなー!と感じたりします。

 

 

 

喜びの感情が深いところから湧き上がるようなところがある一方で、

 

ネガティブな感情がでてきやすかったりもするのですね。

 

 

 

 

もしかしたら

 

断食中に、吹き出てくるものがあったとしたら

 

普段押さえつけているものなのかもしれません。

 

 

 

 

僕の場合は、

 

怒りの感情が出てくることが

 

数年前の断食(トータル1ヶ月ほど)でもあったんです。

 

 

 

そのときは、出版社につとめていましたが

 

会議などで、平常時だったら

 

流していたことに対して

 

突っ込んでいくようなことがありました。

 

 

 

今までは言わなかったけど、これはおかしいんじゃありませんか、という感じで。。。

 

冷静にいうようにしていましたが

 

周囲はめんどくさかったろうな、と思います。

 

申し訳ないです。

 

 

 

 

 

今回も上記のように

 

ちょっとしたことで腹が立つことがありました。

 

 

 

 

前回のことがあったので

 

「また出てきたか」という感じもあって、

 

ちょっとは客観視しやすいのが

 

助かりました。

 

 

 

 

 

それにしても、

 

はらぺこでいると腹が立つなあ。笑

 

 

 

生き物の防衛本能なのかもしれませんが、、、

 

 

 

 

 

その時に腹が立ったままでいたならば、

 

なぜ断食をするのかもよくわからなくなってしまいますよね!?

 

 

 

お前は岩手まで、

 

腹を空かせて、

 

腹を立てるために来たのかと。笑

 

 

 

 

 

だれかやなにかを責めるんじゃなく、

 

やっぱり

 

自分の中に「こういう部分があるんだなぁ」と言うことを静かに見て

 

心の成長の糧にするチャンスなのかもしれません。

 

 

 

 

「内観のチャンスだよね」と田宮さん。

 

 

 

 

 

上述のように

 

普段はもしかしたら、

 

自分が感じていることを

 

押さえつけている部分や

 

言わないで済ませていることがあるのかもしれませんし、、、

 

 

 

 

そうではなくて、

 

生きるためのサバイバル本能とはこういうものなのだと

 

知る機会を与えてもらっているのかもしれません。

 

 

 

 

自分の中にケモノの部分があるんだなーと。。

 

 

 

 

 

そこで感じたのが、

 

もし自分が・・・

 

 

 

荒野で、飢餓状態になって

 

例えばそのとき誰かと2人でいた時に、

 

 

 

自分は自分が持っているビスケットを相手にあげられるのか、

 

それとも相手のものを奪おうとするのか、

 

それとも分け合うことができるのか、

 

 

 

 

ということでした。

 

 

 

 

 

どうするだろう。

 

 


 

身近な人、

 

例えば子供たちだったら、

 

これをお食べ、パパはもう充分だからさ、と差し出せるだろうなぁ・・・

 

これは前からそうだったかも。

 

 

 

 

 

 

知らない人とだったら?

 

きれいごとじゃなく、

 

今ならきっと、喜んで分け合うこと、できるんじゃないか、、、

 

 

 

 

 

 

でも、もし、相手が自分より飢えている様子だったら、

 

身を削るようにしてでも、差し出せるだろうか?

 

アンパンマンのように。

 

 

 

 

それとも、相手が嫌な感じの人だったら、黙って食べちゃうだろうか、、、笑

 

 

 

 

 

どうだろう、と。

 

 

 

 

こんなことは普段はあまり考えないです。

 

 

 

 

 

 

 

まあ、、、荒野に迷い込まないようにするのがいいですよね。

 

 

 

 

それと現状で

 

世界に、いま困っている人、子供たちがいるので

 

ささやかな寄付をしていますが

 

それはずっと続けていこうと思いました。

 

 

 

 

 

そういえば

 

今朝、はらぺこでうつらうつらしているときに、

 

 

 

両親がならんでこちらを見て

 

笑っているところが浮かんで、

 

もっと優しい言葉をかけられたらよかったなぁとか、

 

あの時こうしてあげたらよかったなぁとか・・・

 

 

 

 

 

 

かと思えば

 

長男と長女が浮かんできて、

 

苦労かけたなぁ、

 

優しい子達なんだよなぁ、

 

こういうことをしてあげたいなぁ、

 

と夢の中で思ったりしました。

 

 

 

 

 

 

 

自分の深いところから浮かんできた願いと

 

申し訳なさがブレンドされているような感じでした。

 

 

 

 

 

 

 

ただ家族であっても、

 

彼らは彼らで、自律した大人として

 

自分の幸せを選びながら生きているわけなんですよね。

 

そこは信頼しつつ、

 

領域侵犯せず、

 

できることやっていけたらいいな、、、

 

と今は思っています。

 

 

 

 

 

 

 

とまぁこんな感じで、

 

まだプロセスではありますが

 

今回は自分の内側を見る機会をいただいています。

 

 

 

 

 

 

なんでもその最中では

 

なかなか真価がわからなかったりします。

 

 

 

 

今はプロセスなので

 

もうちょっとたったら

 

断食をして

 

こういういいことがあった、

 

とはっきりしてくるのだろうなと思っています。

 

 

 

 

この機会が与えられたことに感謝しています。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

岩手県、花巻市の健康断食施設、

 

健考館さんに滞在中です。

 

 

 

 

岩手県、Kさんからのプレゼント。

 

Sさん製作、野の草花の花束。ありがとうございます。

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね