お久しぶりです。九月に書き始めたものが放置になっていて気が付けばもう十一月、本当にどうしようもありませんが(HAERETICUSは二、三年放置になっている)メモしておきたい興味の持てる内容があるので最後まで書きます。少し長いので要約しておくと私は格闘産業は水平的統合の方が好ましいと思っているが、大同団結はイデオロギーとか私欲を満たす重し(権益)がないと難しく企業というものの性質や現実的に考えると垂直的統合(優位性もある)もやむをえないところがあるから野望の礎(垂直統合での成功)の為に武尊さんが脱退しないことを選ぶことも理解する。てな内容です。

 

k-1の武尊とフリーのような那須川の対戦を巡り格闘技界隈が燻っていた。私がこの件(というより両者に)に感じることは、騒騒しい外野をよそに両選手が、それなりの環境(会場規模、ファイトマネー)を必要とし求めていることに男気とか勇気とかに転換させられがちな世界でリスクを伴う高い要求に対して対価を求めるという、本来は当然の権利と考えられますが男気とか勇気とかに転換させられ納得されがちな世界なので若いのに頼もしいという感想を持ちました。話がそれだけなら騒騒しいことにはならないのでしょうが込み入った話になってしまったのは両選手の意志とは別に、この対戦話が武尊の所属するk-1の経営方針に反するものと見られており、それに対して異議のある格闘技ファンや格闘技媒体が噛みついているからです。k-1としては事あるごとに経営方針を明確にし説明をしていて私は一度話を聞けば実現するには武尊が脱退するか那須川がk-1に所属するのが対戦の近道と聞き分け良く理解するのですが異議のある方は別の所で企画を立ち上げれば良い、それをしないのは逃げているに違いないというものがあるからでしょう。私が聞き分け良く理解するのは当否は別としてk-1の企業方針にも道理があると思っているからで、恐らくそれはプロモーターやコーポレートとしての格闘技に関する見方に相違があるからなのでしょう。

 

村上ファンドやホリエモンが登場してきて会社は誰のもの?株主、社長、社員、消費者?と一時期、社会的話題にもなりましたが、私は、それを考えるなら仕事って何?を考えるのが先でしょうと類的本質(類的存在)とかアーレントの人間の条件の活動的生活なんかを想起し、次に会社の存在意義に移行し、そこでヒントになるのがドラッカーの企業の役割というか存在意義は「顧客の創造」という話で、創造と言えばシュンペーターの創造的破壊が有名でイノベーションの話が出てくるように顧客の創造にはマネージメントとイノベーションが大事という話に行きつき、結局のところ会社というものは生産共同体の人工物であり大雑把に見れば「人間」のものという当たり障りのないところに帰結する。

 

それを前提に後ろから殴りかかる反則にもかかわらず会場からブーイングではなく笑いを獲得してしまう力忠勝さんの試合を見ていた世代の私は選手はスポーツ刈りにパンチパーマというのも凡常で実は前田さんや魔裟斗さん辺りもチャラ男で土屋ジョーさんに関しては何なんだ君は面白いと見ていたところもあるぐらいだから(要するに日焼け=チャラ男という主観)中身はともかく今のビジュアルの選手を見てチャラ男と思わないはずはなく日本男児で金髪(自分はロン毛、金髪にしながら)はけしからんからスポーツ刈りにでもして母親のことはおっかさんと呼べやと大時代丸出しの感覚をファンだからという理由で振りかざすかもしれない。いわゆる老害と言われるものですが、以前はそうした層が格闘技ビジネスのターゲティングだと想定すれば、そうした層をターゲティングにしているところはすでに履いて捨てるほど存在しているのだから、そこをまねているだけでは企業設立の意義が損なわれるというもの、つまりk-1の新体制が口にはしないけど「誠に申し訳ございませんが、お客さんはターゲティングに入っていない存在で・・・」という考えを持つことは何ら問題のあることではなく逆にこれまでと同じなら設立する必要もなく時代に沿った顧客の創造を目指すのは企業の役割としては当然なのである。たとえそれが既存のファンが気に食わないものであったとしても。既存のものと同じでないといけないということは、その業界の層の薄さの表れでもある。

 

 

この件からUFCを再検すると企業として当然の行動をとっているのが確認できる。

 

諸外国で市民権を得たUFCも円滑に成長してきたわけではなく、いくらかの困難を経験している。暴力性が問題視されて各州で興行が打てない塗炭の苦しみは政治家(マケイン)、既得権(ボクシング&コミッション)の妨害との戦いであったがネバダ州アスレチック・コミッション#1元メンバーでもあったロレンツォが経営権を握ったことで政治とは利害関係の調節であるというように、妨害という手段を逆手に取りロビー活動で各州で興行を打てるようにした。これはネバダ州アスレチックの元事務局長マーク・ラトナーを2006年に要職に招いていることからもうかがえるのではないだろうか?そうした話は以前にバターン号の再来や メモでも少し触れているが、こうした困難と共に転換点も存在していたと思う。創立メンバーのひとりでダーティハリー脚本家のジョンミリアスのライフル協会会員でアナーキストという側面と初期のUFCの無法地帯というイデオロギーは古き良きアメリカ(時代)の再現であり、あの八角形(オクタゴン)はコロッセウムからきているのか、それとも人が取り囲む酒場の乱闘からきているものなのかは定かではないけれどもUFCの基盤(シンボル)になっている。ここで勝ち上がり著名になったのはブラジル人のグレイシーだがシャムロック、コールマン、ドンフライ、スバーンなどレスリングを下地に持つアメリカ人の活躍で、その後の軸が萌芽、チャック・リデル ティト・オーティズ、ランディ・クートゥア、ダン・ヘンダーソン マット・ヒューズ、ユライア・フェイバー等の物語と連結している。それからthe Ultimate Fighter(TUF)での荒くれ者がUFC出場の切符を争うドラマ(アゴン アレア イリンクス)は話題を集めUFCが市民権を得る後押しになった。ここから見えてくるのはUFCはアフリカ系アメリカ人やラテンアメリカ人が優勢の格闘技系コンテンツ(ボクシング)のアメリカで古き良き時代の再現を求めている人たちとTUFを観て面白いと感じる人たちをターゲティングに定め商売を展開しアメリカ国内で地盤を築き上げたということになる。今回の件でk-1に叱られたバウトレビュー さんが、UFCが丁度、地盤作りをしている最中の2005年にUFCが「格闘技専門メディアの取材拒否」という内容の記事を書いているけれども、UFCが「顧客の創造」をしている際に専門メディアや既存ファンのヒョードルが~ヒョードルが~エンセンが腕十字でクートゥアから一本を取ったリデルはランページジャクソンに負けてプライド>UFCという構図だからUFCは一番ではないの連呼は「誠に申し訳ございませんが、お客さんはターゲティングに入っていない存在で・・・」や既存のファンだけが読む媒体よりもより一般層に影響力を及ぼす媒体にと考えることは自由でなにも不思議なことでもなくUFCが考えていた通りの結果になったと言ってもよいだろう。それまで単純に誰、どの格技が強いのかのイベントからより濃く古き良き時代の再現へと転換、そして、ここ数年はMMAの中で誰が強いのか?と併せてジョルジュ・サンピエール、マイケルビスピン、コナーマクレガーを活かして海外戦略に移行していると、さらりと書いているが一度得た顧客層の趣向を変えていくのは非常に冒険的で英断を必要とするもの。こうした結果、SEG(セマフォ・エンターテイメント・グループ)から2001年に200万ドルで購入したUFCをZUFFA( ロレンツォ ダナ)は2016年ウィリアム・モリス・エンデヴァーに40億ドルで売買していて数字上は大成功に見える。このようにUFCは顧客の創造、M&Aで他社を統合し圧倒、そして私から見れば「ひとでなし」に写るのですが契約で縛り利用価値が無くなればリリースと、資本主義の世界らしいと言えばらしいのだが資本主義を貫徹していて経営戦略を立てて行動している。ただし考えて行動はしているが「顧客層の趣向を変えていくのは非常に冒険的で英断」と書いているように運も味方につけていて、運とは特にMMAの中で誰が強いのか?の海外戦略の所でそれを強く感じていて私見では上記に挙げた3人が注目を浴びないただただ強い上手いだけの選手であったなら②に逆戻りになったのではないだろうかと予見している。簡単な話、その方が営利に繋がるからであるが、しかし、この3人は3人からすれば外国であるアメリカでも注目を浴びPPVの売り上げに貢献、尚且つ海外戦略の礎にもなって②を超えたということで、注目を浴びる選手との出会いはダナホワイトがかつてボクシング畑の人間でアメリカの格闘技ビジネスの経験と知見があるから戦略という面も考えられるけど、ここまで偶然が重なると運も味方してと考えたくなってしまうということは付け足しておきたい。いずれにしても重要なのはUFCが一般的な経営戦略(顧客の創造)で成功したという事実であり段階を踏んで現在の状況になったということである。

 

 

①単純に誰、どの格技が強いのかのイベント

 

②濃く古き良き時代の再現(アメリカファーストが出てきて大統領選にまで影響を与えている)

 

③MMAの中で誰が強いのか?と併せてジョルジュ・サンピエール(カナダ)、マイケルビスピン(イギリス)、コナーマクレガー(アイルランド)を活かして海外戦略

 

経営戦略の経緯、競技人口、技術進歩を考えればどれか一つが抜けて成立するのかどうかは?で1,2があってこそ3が生じたように順序も肝要で一つでも順序が違えばUFCの成功は?

 

シュンペーター、新結合(イノベーション)の5つの要素。

新しい商品(財貨)の生産

新し生産方法

新しい販路

新しい供給源

新しい組織

 

#1  1996年ネバダ州アスレチック・コミッションのメンバーでロレンツォはUFCを1999年のUFC21で初見したという話がある。

 

 

 

 

 「K-1」の大目標として格闘技の産業化を目指し、100年継続する事業を構築すること掲げて

 「K-1実行委員会」は活動を行っている。 」

 

 

旧k-1は正道と佐竹さんとの出会いから始まっていて、もしこの出会いが無ければk-1というもの自体が存在しいていなかったかもしれない。重量級の素材を手にした石井さんは佐竹さんをトーワ杯やリングスに参戦させ手ごたえを感じながら格闘技オリンピックという順序をふんで世界からキックや空手の選手を招集し重量級トーナメントを始めている。私見ではトーワ杯も空手の勢力であった極真への対抗心でグローブを付けて顔面への攻撃もありという差別化で顧客の創造を計ったと思う。そんな旧k-1が顧客に与えたものは創作「初めて作り出すや事実ではなく想像で作り出すの意」でUWFの熱狂も受け継いだというところだろう。創作とはあの選手とこの選手が戦ったらどうなるのという想像力をくすぐることで、それを具現化することで人気を博していった。本元(極真)が夢見た大同団結を#2形や所は違うとはいえ分派が押せ押せ乗り遅れるな(追いつき追い越せ)で大同の機運を作ったのは立派、立派だったが押せ押せ過ぎて#3崩壊。この辺りは野獣の怒り(サップ)平謝り(谷川)まっすぐに蹴る(佐竹)を読んでからだともう少し踏み込んで書けたかもしれないが、読んだことはなく時間もないから、また時間があるときにでも読んでみます。

 

今回の件で異議のある格闘技ファンや格闘技媒体は旧k-1の創作と、そこから湧き出た熱狂を記憶していて望んでいると考えられる。それは理解できるが、旧k-1と新k-1の企業体制の違いを考えると簡単に物事は進まない。それは旧k-1は正道をプロモートする機関ではないに対して新k-1はk-1をプロモートする企業だからなんて皆さんご存じでいることですが、ボクシングも#4かつては選手をプロモートするプロモーターとは違い認定団体は自分の所のチャンピオンが他団体のチャンピオンに負けるのを嫌い統一戦ができるのは特別な選手だけで強行すればタイトルが剥奪されたりもしていて、k-1に参戦したボクサーが惨敗しボクシングのイメージが傷つくのを嫌うのも同然の話である。それを考えれば新k-1はUFCと同じ垂直的統合型で試合のプロモートと並行に認定団体の役割も担い自社の看板に傷がつくことを嫌うのは自然だと考えられる。一方、旧k-1は#5専業プロモーター(マッチメイカ)で私の考えるプロモーター像は悪党であろうがなんであろうが客が求める試合を組むのが仕事で自らの利益が優先されるから垣根を取り払い注目を集める試合を組みたいという欲求が出るのは自然だから垂直的統合型の会社に個人事業主的な#6プロモーターと同質のものを求めるのは手厳しい。旧k-1やprideの新興格闘技は、そうした旧態の価値観を破壊(創造的破壊)して顧客の創造をしていたでしょう?であるが、その結末が焼け野原(理想なき破壊は、ただの破壊は言い得て妙かも)であったということは念頭に置いておかないといけない。ちなみに旧k-1やprideが散々、破壊してきた価値観をUFCはM&A(資金力)で吸収、クールでセクシーに取り組んでいる。(当然、こうした独占行為は反トラストの疑念を持たれてUFCは2014年に実際、独占禁止法で集団告訴されている。

 

買収

2006年WEC,WFA、

2007年プライド

2011年ストライクフォース

 

 

#2

本元は空手の水平的統合型が夢(オープントーナメント全日本空手道選手権大会)だったと思うが、2020東京だけかもしれないがオリンピック競技になれるという、一度きりでは難しいでしょうが、こういう大きな流れが大同の機運を作ったりするのでしょう。それは隣の芝生は青い、そのように見えることだと私は思う。

 

 

#3

上記に挙げた本も読んでいないし、実態も知らないので詳しくもありませんが、一般的には放漫経営、谷川体制のモンスター路線等の判断ミスが崩壊の原因だと知られている。私は専業プロモーターと外敵という概念がポイントだと考えていて、2002年までには権威と社会的証明の信認は獲得し大変良くやっていて、それも外国人選手が中心だった興行で社会的証明を得たのは幸運だったと思う。k-1GPも2010年まで定期的に開催されて競技化も忘れていなかったが、注目を浴びる(サップ)、剛よく柔を制す(2002年ホースとVSサップ)、あれを見せてしまった。転換でいうと水平的統合型をさらに活かす為に2002年の時点で運営が権威のある認定団体の役割に転向し競技人口の推進だけをしていれば崩壊せずに、また違った結果になっていたかもしれないが、しかし旧k-1は水平的統合型を活用した専業プロモーター(マッチメイカ)で押せ押せビジネスや外敵という概念から「あれを見せてしまった」が生まれてくるのは因果だから仕方がない、仕方がないがレミーボンヤスキーやセームシュルトが霞んでしまい注目を浴びるの破壊力を示してしまった。押せ押せと外敵という概念は総合格闘技に進出する要因にもなって事業拡大、競争の末に権威と社会的証明の信認が霞んだまま崩壊、事業拡大に失敗したよくある光景なのですが、自らの利益が優先されるプロモーター業が求められるものを追及するのは当然で、追及した結果がモンスター路線だということで、それが間違っているとも思わないから、やむをえないというのが私の見解。

 

 

#4 現在は注目を浴びる&浴びそうな選手を自分の所のチャンピオンにすることに強いインセンティブがあるんじゃないの、そういう意味では認定団体も時代に応じて変化している。

 

#5

解説の人とかが「k-のリング、k-のリング」と連呼していたように旧k-1は試合の場所を提供している。

 

#6

勿論、プロモーターも選手と契約していて守るべきものはあり利益、損益を考えて行動しているのも変わらないがあくまで試合(選手)をプロモートしているに対して垂直統合は会社全体をプロモートしないといけない。

 

 

燻ぶった原因を模索するために留意しておきたい2つのこと

 

UFCと新K-1の経営戦略は類似しているところが多数ある。主とすれば独自での試合の貫徹で企業体制は垂直的統合型、新k-1もムエタイ選手などの外国人選手は外注しているが独自の形式で新k-1が考える顧客に向けて試合を展開していて根本のところではUFCと変わらない。それに対して旧k-1はどうであっただろうか、旧k-1も正道の人が選手としてリングにあがり海外の選手も契約をしてリングに上がっているのだから一団としてみることもできるが宣伝文句があらゆる格技からの参戦という多種多様は想像力を刺激し外敵という概念も誕生、この外敵という概念は敵か味方か?正義と悪か?のようにイメージがしやすく補助的な役割から最終的には行動方針になっていて旧k-1経営陣からしても一団より少ない投資で大きな事業ができる水平的統合型の利用は好都合であったかもしれない。つまり一つ目は旧k-1は水平的統合型を利用した専業プロモーターで水平的統合と垂直的統合どちらの企業体制が格闘技産業に適しているかである。水平的統合の魅力は小さな投資で大きな事業が可能なところにある。例えば人材を自前で育てずに他に委託できるというように。その変わりに全体をコントロールするのは難しく利害の不一致から進捗が悪いことも、それから日本の格闘技産業では選手引き抜きによるファイトマネー高騰もあった。メリット、デメリットは垂直統合にもある。

 

垂直統合:権益独占 成長している時はあらゆる点で強いが下火になった時にもろさが出る。

 

水平統合: 権益分配  権益が絡み合っているので上手く物事が進まない時もあるが下火になってもどこかが生き残れば(認定団体も独立している)継続可能。

 

 

 

もう一つはUFCと新k-1の違いは規模で、この規模が違う影響は大きく新k-1が日本の格闘技産業でひと際、目立っていると言えば、私見からいうと目立っているとはいえず、これは天心さんが井上さんの世界戦を羨ましがっているのなら(メイウェザーとのエキシビジョンを茶番と冷笑していた人が特にボクシングサイドに見かけましたが、私からいうと、この茶番という文言は昔から賢しらするスポーツ記者の専売特許で茶番という言葉の意味からいえば井上さんの世界戦の方が私から見れば余程、茶番なのだが、他は茶番と冷笑しながら井上さんの世界戦は持ち上げるという、私利の為に思い付き程度の考えで茶番と平気で人を見下す人が提灯持ちという点ではその人間性を押し通しているといえるが冷笑を最後まで押し通さないのが気に食わないから私はこういうのが心底嫌い。冷笑するスタイルなら最後まで冷笑しろという話)選手自体がそう感じているのであれば実感通りなのだろう。それはなぜと考えるのが今、k-1やキック勢に問われている一つの課題と考えられているのが今回の燻ぶりのポイントで、燻ぶりがぼやになりかけているのは選手や関係者にも共通の課題になっているからだろう。ということで、これを課題とすると、この課題解決の答えを構想すること自体はじつに簡単で、答えのヒントを先にいうと権威と社会的証明、それをメディアを上手に使い喧伝すれば、それ相応の効果(承認欲求を満たされる)はあるだろう。しかし、構想するのは簡単だが実現するとなると困難を伴いやりたいこととできることは違うとなる。それは権威を高める成長が可能なのかというところで成長したUFCとは環境の違いもあるし相当な運も必要。環境についてはお金を支払い番組を見るという文化が浸透しているという差異は非常に大きい。規模が大きければ権威と社会的証明は手に入り易く(実は小さくても手に入れられるのだが、ここでは内緒)というのは垂直統合の大相撲を参考にすれば理解できるのではないでしょうか。新k-1も注目を浴びる選手を発掘し独自のプラットフォームでの試合や格闘代理戦争のリアリティ番組とUFCと類似したことをしているが如何せん規模が小さく感じられて旧k-1のような注目は浴びていないことが考えられる。

 

 

相容れない立場

 

これらの留意が正しければ、今一つ権威が足りなくて高い評価(社会的証明)を得ていないから承認欲求が満たされない、それは規模が小さく感じられる(大同団結していない)から頂上決戦で盛り上げて大同団結の機運を作り出してほしいという涙ぐましい希望に対して、頂上決戦をしても機運が高まる保証はなく一過性では損失があるだけでうまみがすくないから権威を上げて社会的証明を得るのは自前で到達したいという野望との対立になっている。

 

私は同じ垂直統合といっても公営財団法人というお墨付きがありNHKという後ろ盾を持つ大相撲やお金を支払い番組を見るという文化が浸透していて顧客の創造に成功し大きな資本を持つUFCのようにはいかないでしょうから旧k-1のように水平的統合型の大同団結に・・・ということを理解し、垂直統合はトップダウンでのマッチメークは強力で独占だけに権威というものを一つに絞れるのも強みだけど、不正、汚職の腐敗を考えると水平統合の方が少しマシだから水平統合の方を#7好む、好むけれども格闘技産業で水平統合が成立するのが難しいというのは勢力のある大山さんの極真も大同団結を呼びかけていたが利害対立から果たせなかったしボクシングもマディソンスクエアガーデンを擁するNYSAC(New York State Athletic Commission)と他の17州(アメリカは50州)の複合体National Boxing Association (NBA 1921年 )の利害関係が#8対立し分断(1922年 the  ring紙も独自のタイトル)、今なお認定団体等が分断しているように厄介なものだと理解している。理解しているから垂直統合かつ顧客の創造=企業の存在意義の観点から新k-1の企業方針にも道理があり、社会情勢次第では垂直統合の方が適合する場合もあり、また現在、キック界に大同団結の機運が生まれるほどの大きな流れがあるかといえば?だから武尊さんが脱退して那須川戦の実現と新k-1の野望への礎になるを秤にかけて野望をとっても、それはそれで壮大なものだから、それなら仕方がないと聞き分け良く理解する。規模の話を書いているように、現在の新k-1は発展途上ということもあり、現時点で武尊さんら有力選手が脱退の道を選べば運営は相当な痛手となるが、有力選手が抜けても代人が出てくる規模になれば燻ぶりも軽減し新k-1もUFCが段階的に変化して成長したように行動方針に変化もでてくるでしょう。ちなみに3年の有期労働契約は一年経てば退職できるが競業避止義務が問われる場合があり(損害賠償と競業行為の差止め請求がされる可能性がある)契約者は契約する前に誓約書の中身はきっちり吟味しないといけません。

 

 

#7

グローバルな蛸壺化、ローカルな全体化と語法としてはおかしくない?というものですが、今後の映像コンテンツを占ううえで映像媒体の動向は重要で現在のスポーツ中継などはグローバルな蛸壺化とローカルな全体化が重なる形にみえるが、グローバルな蛸壺化になるのを前提にすると私は水平的統合を好むが垂直統合のトップダウンで軽快なところは強みになるので当否は問えない。

 

 

#8

市場原理からすれば利害関係で対立するのは自然であり、それが成長も生み出しているし、そうした欲望(私利) はへたな理念よりも正直で利害関係が一致すれば物事が動くこともある(神の見えざる手ではないが)、