ショスタコーヴィチ:反形式主義的ラヨーク ロストロポーヴィチ(p,指揮) 他 (1989) | ~Integration and Amplification~ クラシック音楽やその他のことなど

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学生時代から断続的に聞いてきたクラシックCD。一言二言で印象を書き留めておきたい。その時の印象を大切に。
ということで始めました。
そして、好きな映画や読書なども時々付け加えて、新たな感動を求めていきたいと思います。

ショスタコーヴィチの時代 ㉞

いよいよジダーノフ批判の時代に入ります。この時代の代表曲はいろいろあるのですが、今回はジダーノフ批判の産物の一つの、ラヨークを鑑賞しましょう。作曲年代は1948年の批判以降ということですが、生前は公開での発表はされていません。ショスタコーヴィチの一面を推しはかることができる作品ではないでしょうか。

【CDについて】

作曲:ショスタコーヴィチ

曲名:①交響曲第15番イ長調op141 (50:41)

   ②反形式主義的ラヨーク (17:11)

演奏:①ザンデルリンク指揮、クリーヴランド管弦楽団

   ②ロストロポーヴィチ指揮(p)、ドイチェ(bs)、ハーフヴァーソン(bs)、ロデスク(bs)、

    ヴェンツェル(bs)、ワシントン合唱芸術協会

録音:①1991年3月17-18日 クリーヴランド Severance Hall

   ②1989年

CD:0927 49621 2(レーベル:elatus、発売:Warner Classics)

 

【曲と演奏について】

ショスタコーヴィチは、1947年から1948年にかけて、初めてのヴァイオリン協奏曲を作曲します。ところが、1948年2月にジダーノフ批判が始まったことから、発表が控えられました。ジダーノフ批判は、ムラデリの「大いなる友情」がやり玉にあげられましたが、ショスタコーヴィチはじめ、プロコフィエフ・ハチャトゥリアンなど主要な作曲家が連座することになり、多くの曲が演奏禁止とされてしまいます。この批判の本当の目的は、交響曲第9番で当局の期待を裏切った、ショスタコーヴィチに向けられたものとも言われています。

 

このヴァイオリン協奏曲第1番は、オイストラフに献呈され、スターリンの死後の雪どけの雰囲気の中で、1955年にオイストラフとムラヴィンスキー=レニングラードフィルによって初演されました。ショスタコーヴィチの音型であるDSCHが初めて登場する曲でもあり、また交響曲第10番とも似た雰囲気を持つ、この時期を代表する曲でもあります。ただし、既にこのブログで2回登場してしまい、もう手元にCDを持っていませんので、ここはスルーします(笑)。私的には、この曲の演奏は、伝統的なオイストラフやコーガンによるソ連時代の堅い感じの現代曲風の演奏より、より演奏機会も増え、解釈もこなれてきた近年の演奏の方が、音楽的にもより美しくて、この曲の素晴らしさを鑑賞できると思います。

 

ヒラリー・ハーンとヤンソンス指揮ベルリンフィルによるライヴ。これは、とても素晴らしい演奏だと思っています。

 

さて、今日の本題はラヨークです。

まずは、このCDですが、ザンデルリンク指揮の第15番とカプリングされたもので、この演奏のCDは別に持っているのですが、カプリングでラヨークが入っているので、重複を承知で買ってしまいました😅。安価です。ラヨークが公開初演されたのは1989年で、その時期にロストロポーヴィチによってレコーディングされた、世界初録音のものです。オリジナルのCDはロシア語版と英語版が収録された形になっていますが、今、手に入れようと思っても手に入れづらく、少々お値段がお高めなので、逡巡しております(笑)。私は、このelatusというワーナーの廉価版CDはデザインが今ひとつで、録音データも書いていないのであまり好みではありませんが、今回やむなく買ってしまいました。ということで、持ってないCDのジャケット画像を拝借して、未練たらしく載せておきます。本来はこれを聴きたいのです(笑)。

曲自体は単純で、ピアノ伴奏の小さなオペラ、あるいはカンタータというもので、あらすじを簡単に記述しておきます。

 

「音楽におけるリアリズムと形式主義」をテーマとする会議が開催され、3 人の優秀な講演者が順番に登壇し、会場は彼らに盛大な拍手を送ります。
①同志エディニツィン(グルジアなまり)
リアリズムの音楽は民族音楽の作曲家によって書かれ、形式主義的な音楽は反国家的な作曲家によって書かれている。民俗作曲家がリアリズムの音楽を作曲し続け、反国家的作曲家が形式主義的な音楽で実験をやめることが主な課題であると考えている。

(この演説は、スターリンのお気に入りのグルジアの歌の平凡なメロディに乗せて行われる)

②同志ドヴォイキン

音楽には美しさと優雅さが求められる。さらに、白人のオペラには本物のレズギンカが存在しなければならないと主張する。
③同志トロイキン

リムスキー=コルサコフの姓を誤って発音し、古典的なグリンカ、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフを何度も賛美する。

そして、曲はカリンカの合唱が入り、中断されます。

 

といった感じです。①はスターリン、②はジダーノフ、③シェピロフであり、曲や歌詞には、実際の演説や、いろいろな音楽からの引用が入っているようですが、これについては長くなりますし、言われても判らないことも多いので、割愛します。詳しくは、ロシア語Wikipediaのこの曲の記事に解説されていました。

 

この曲の元ネタはムソルグスキーの風刺音楽の「ラヨーク」で、ジダーノフ批判を受けてショスタコーヴィチが思いついたもの。ジダーノフ批判により、ショスタコーヴィチは形式主義者とされ、レニングラード音楽院を解雇されたうえ、彼の作品はソ連の主要オーケストラで演奏されなくなりました。ラヨークの初版は1948年5月に完成し、少数の親しい友人に披露されました。そして「雪解け」後1957年に、上演に向けて改訂されますが、再び交響曲第13番の演奏が禁止されるような事態に、演奏不可能となり、最終形態は 1968 年に完成されましたが、存命中に演奏されることはありませんでした。

この曲を書いたショスタコーヴィチの心中は、推し量るすべもないのですが、強靭なしたたかさというものは感じることができるのではないかと思います。

 

PS.

おまけではないのですが、併せて聴いたザンデルリンクの交響曲第15番はいい演奏だと思いました。この曲はある意味ショスタコーヴィチの生涯の自画像のような作品と思いますが、そのショスタコーヴィチの生涯についてどういう解釈をするかが、演奏に出てくるのではないかと思いました。ザンデルリンクは東独時代含め何度か録音しており、この曲は得意だったのではないか?と思ったりします。それはまたの機会にじっくり聴いてみたいと思います。

 

PS.のPS.

この文中で出てくるCDの価格の基準で、安価というのは200円以下、お高いというのは4000円以上というイメージです(笑)。

 

購入:2024/02/20、鑑賞:2024/03/12