絶対に受けたい授業「国家財政破綻」 -192ページ目

林芳正参議院議員インタビュー01「財政がどこまでもつんだろうか、というのはずっとある」

自民党きっての財政通の林芳正議員に11月17日、参議院議員会館で「国家財政」についてのインタビューを行いました。

●用語解説<林芳正・参議院議員>
1961年、山口県生まれ。
1999年、小渕恵三第2次改造内閣において大蔵政務次官に就任。
2009年、麻生内閣で内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)就任。
自民党シャドウ・キャビネット財務大臣。
菅首相に対する「乗数効果」「消費性向」質問は話題に。

「本の帯に、“菅首相にも読ませたい”と書いてある」

鳥巣 国家財政の本を出しました。

財務省から取材を始め、20人ちかくと話をした。

次に渡辺先生に会った。

「どうなんですか、日本の財政は?」

「こんなデフレじゃ、2年持たない」

その時は、民主党のマニフェストもあって。

財源は? 

大丈夫だろうか?

という時期でもあった事は確かでしょうが。

強い調子で言われまして。

「先生、もたないとは、デフォルトするという事ですか?」

「破産ですよ」

びっくりしまして。

1~2か月くらい、これはちょっと人には言えないな、と思ってですね。

林 うん。

鳥巣 それから確かめてみようと。

いろんな先生方にお話を聞いてまとめたものです。

林 なるほどね。

本は割と最近、お出しになったんですか?

鳥巣 この7月です。

鳩山さんから菅さんに首相が変わった頃でした。

林 本の帯に、「菅首相にも読ませたい」と書いてある。

鳥巣 最後に、菅さんに呼びかけている。

「財政危機に総力を挙げてくれ」

首相官邸にも本を送りました。

「菅直人、伸子様」

少なくとも、奥さんは読んでくれるだろうと。

その後、民主党の代表選。

菅さんが小沢さんに負けたら、あとがきを書き直さなくてはいけなかった。

残って頂いたので、そのページはそのまま残っています。

「消費税を含めた税制抜本改革をやる、と・・」

鳥巣 林先生は、経済財政担当の大臣にもおなりになった方。

まず率直に、財政危機をどう見ておられますか。

林 そうですねえ。

我々ずっと、ここ4~5年ずっと、財政の問題・・。

もう4、5年じゃありませんね。

橋本内閣の時から財政構造の改革をやって。

その後、財政構造改革は停止になりましたから。

今度は小泉さんが骨太の方針ということで、2006年に。

ずっとその間も消費税も含めた税制抜本改革をやる、というのをずっと積み重ねてきて・・。

●用語解説<橋本内閣の財政構造改革>
1996年(平成8)に発足した橋本内閣は、財政構造改革会議がまとめた財政健全化目標を1997年11月に制定。
2003年までの赤字国債発行を毎年度削減するなど歳出削減策を盛り込んだ。
しかし翌1998年には、赤字国債発行の毎年度削減を一時停止を可能とする「弾力条項」を盛り込んだり、目標年を2003年から2005年へ延期する改正が行われた。

●用語解説<財政構造改革法停止法>
1998年(平成10)に発足した小渕内閣では、景気回復を最優先するため、財政構造改革法の条文の殆どを停止する財政構造改革の推進に関する特別措置法の停止に関する法律(平成10年12月。通称財政構造改革法停止法)が制定された。

●用語解説<小泉内閣の骨太の方針>
2001年(平成13)に発足した小泉内閣は、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針(骨太の方針)2006」を決定。
2011年度に国と地方を合わせた基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化を目指し、社会保障関係費の削減など最大14兆3千億円の歳出削減策と消費税増税に道を開く社会保障目的税化の検討を盛り込んだ。
2011年度までの財政不足額は、名目3%成長を前提に16兆5千億円と試算。
その不足額を解消するために、社会保障で1兆6千億円、公共投資で3兆9千億円から5兆6千億円、公務員人件費削減で2兆6千億円をそれぞれ抑制。
その他の分野も含めて、歳出削減で11兆4千億円から14兆3千億円を削減するとした。
残る不足額の2兆2千億円から5兆1千億円については「税制改革で対応する」とし、消費税増税を含む増税で賄う考え方を明示。
小泉首相は「歳出削減を徹底していくと、もう増税の方がいいという議論になってくる」と述べています。
「政治家」が、「国民」の感情を推し量りながら政策を考えている例です。

「年金の『2分の1引き上げ』の時に消費税増税の予定だった」

林 実は、年金の3分の1が2分の1になる時にやる。

安倍内閣が参議院選挙に負けていなければ、あの年末からその作業に入る、ていう事だったんですね。

その時に税制改革をやれば、3分の1から2分の1に引き上げる。

という時にちょうど間に合うという感じで。

3分の1から2分の1に引き上げるためには、だいたい2・5兆円ですから。

だいたい消費税1%。

それをきっかけに、という事だったんですが。

●用語解説<基礎年金の国庫負担率「2分の1引き上げ」>
平成16年の法律改正では、長期的な負担と給付の均衡を図り、年金制度を持続可能なものとするため、基礎年金の国庫負担割合を3分の1(2003年で約5.6兆円)から2分の1に引き上げることが決まった。
しかし財源の確保を検討・準備・一部実施をしているうちに『年金支給漏れ問題』が起こり、支給漏れ件数も想像以上・・・
基礎年金の国庫負担財源確保としては、65歳以上の人の公的年金等控除の最低額を140万円から120万円へ引き下げ。
65歳以上で所得金額が1,000万円以下の人の老年者控除(1人50万円)を廃止。(平成18年度~)
しかし、これによる財源確保の金額は約1,600億円で、国庫負担を2分の1に引き上げるのに必要な分、2兆7000億円には程遠い金額となっている。
消費税で言うと1%に相当する金額になる。

「財政がどれくらいまでもつんだろうか、というのはずっとある」

林 結局、参院選に負けてしまって。

その後、リーマンショック。

一体、どれくらいまで、逆に言えばもつんだろうか、ていうのはどっかにありながらですね。

できていない、というのが偽らざる心境。

そもそもGDPの比率で100%を超える時には、(大丈夫かな!?)というのはあったんですが、表面上は何事も起らずにですね。

500・・540、550兆と溜まって来ていて。

デフレという状況も一方ではある。

(国債の)金利が上がらないんですね。

これだけ(公的債務が)積み上がっていても。

「景気が良くなってくると、逆にリスキー」

林 私どももオオカミ少年になってもいいから、「財政は大変だ」とず~っと言い続けて。

最近は、まあ、火薬庫にどんどん火薬が積み上がっていくけど雨が降っていると。

火がつかないだけで、天気が良くなって乾いてくる。

すなわち景気が良くなって、上昇局面に入った時に、ものすごくリスキーなんですというような説明をしているんです。

(次回へつづきます)

絶対に受けたい授業「国家財政破綻」/鳥巣 清典

¥1,575
Amazon.co.jp

国際エコノミスト長谷川慶太郎氏インタビュー01 「国債の金利上昇は、日銀の30兆円基金が吸収」

昨日、長期金利の(指標となる新発10年物国債の)利回りが、前日比0・065%、1・125%まで急上昇。

拙著「絶対に受けたい授業『国家財政破綻』」にもご登場願った、国際エコノミストの長谷川慶太郎氏に今朝、話を聞きました。

鳥巣 日本国債の金利が急上昇。

債券価格が下落しています。

いよいよ来たんですか?

長谷川 来た。

当然でしょう。国債の値が下がる。

これも流れ。

簡単なことです。

鳥巣 世界的な流れ、と考えるべきですか?

長谷川 世界的ではない。

中心になっているのがユーロ。

鳥巣 ギリシャ、ポルトガル、スペイン、そしてアイルランドの財政危機。

長谷川 そういう経済が弱い国の国債が暴落しているのが影響している。

金利が上がり,他の分野に影響を及ぼす。

鳥巣 長谷川先生は、「日本国債の金利が1・4%になったら危険水域」とおっしゃっていました。

長谷川 そうです。

鳥巣 怖いですね。

長谷川 怖い。

鳥巣 1.4%を突破する可能性は?

長谷川 それは分からない。

市場(マーケット)ですから。市場がどうなるか、全てわかったら神様です。

鳥巣 このまま日本国債の金利が上昇(価格が下落)していった場合には、日本はどうすれば?

長谷川 日本銀行が創設した30兆円基金枠を使えばすぐに埋まる。

ほっとけばいい。自然に直る。

鳥巣 基金の創設時期としては絶妙でしたね。

長谷川  投資家は、株を売り過ぎたと思っている。

今、買い戻している。

「債券売り。株買い」。

これまでの流れが、ひっくり返る。

鳥巣 日本の借金は膨大。

長谷川  国に大きな借金があっても、企業の余剰資金はどのくらいか知っていますか?

鳥巣 200兆円。

長谷川  もう200兆円を超えた。

毎月30兆円も増えている。

鳥巣 大企業だけですよね。

長谷川  もちろん、大企業だけ。

鳥巣 大企業は貯めるだけで、カネを使おうとしない。

庶民の暮らしへの影響は?

長谷川  国民が困るだけ。

負担が回ってくる。

(政府は)それを考えている。

財政の再建。

それだけのこと。

鳥巣 EUはどうなりますか?

長谷川  ドイツは、これ以上アイルランドとか、小国の面倒を見たくない。

「財政赤字? 何言ってるんだ。この野郎」

と、国民が怒っている。

鳥巣 財政赤字国も必死。

長谷川  年金を締めてきている。

国民は一斉に反発している。

抑え込もうとすれば、抑え込める。そうなると、流れが変わる。

鳥巣 二番底は来る?

長谷川  二番底は来ない。

鳥巣 資本主義の危機と煽る意見もある。

長谷川  資本主義が終わるわけではない。

いろんな意見がある。

鳥巣 日本政府にとって不安材料は?

長谷川  赤字が膨らんでいく。

鳥巣 国債の入札が低調になっている。

長谷川  あれは、短期国債。

鳥巣 札割れが起こるようなことは?

長谷川  それはない。ただし、金利は上がる。

絶対に受けたい授業「国家財政破綻」/鳥巣 清典

¥1,575
Amazon.co.jp

鳥巣清典の時事コラム30「クラウディング・アウトと中央銀行の金融政策」


「日本の経済をもう一回、高度成長に戻すのは簡単なんです」

経済学者の丹羽 春喜氏が催す

『第1回丹羽経済塾 関西in夙川』

の動画を見る機会がありました。

おどろくことに、

「日本の経済をもう1回、高度成長に戻すのは簡単なんです」

と述べられていました。

●用語解説<丹羽春喜(にわ・はるき)>

ケインズ派の経済学者。

小泉政権の構造改革を厳しく批判する一方、亀井静香・衆院議員の熱烈な支持者。

「政府通貨発行」による経済政策を主唱しています。

著書『ソ連軍事支出の推計』で防衛図書出版奨励賞を受賞。

丹羽教授の講義で興味深かったひとつは、

「福田赳夫、宮澤喜一の財政拡大政策が何故失敗したのか」

の下りです。

NHKスペシャル

『862兆円 借金はこうして膨らんだ』

でも、2人の積極財政政策が重要な役割を刻んでいます。

大蔵省出身で、自民党きっての財政通の2人の政策が、何故失敗したのか?

独特な視点から語っている、丹羽講演の一部を記録します。

**********************************

「乗数効果は実際には、全然伸びていないのと一緒」

丹羽教授は、”現状”をこう述べます。

「自生的有効需要支出(中身は、「民間投資」「純輸出」「政府支出」)は、現在200兆円。

乗数効果で300兆円の家計消費支出が出てきて、合わせて500兆円。

200兆円から500兆円のGDPができるから、500÷200=2.5。

乗数は2.5で、けっこう大きい。

実際には、1990~1995年の5年間で1・03倍。

1995年~2000年の5年間で1・04倍。

2000~2005年で1・08倍。

2005年~2008年で1・07倍。

全然伸びていないのと一緒。

ケインズ革命を起こせば、日本の経済をもう一回、高度成長に戻すのは簡単なんです」

●用語解説<ケインズ革命>

1936年(昭和11)、J・M・ケインズは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』著わします。

(1)社会全体の投資と貯蓄が等しくなるように所得の水準が変動する。

(2)投資の増加は乗数倍だけの所得の増加を生み出す。

(3)その乗数は人々が所得増加のうち貯蓄する割合の逆数である。

以上のようなマクロ理論を作り出したケインズの理論は、完全雇用や福祉国家論を基礎付け、不況対策を定着させます。

資本主義の変容を生み出し、影響の大きさから革命に例えられ、「ケインズ革命」と呼ばれるようになったのです。

「オイルショックで右肩上がりの経済成長が突然終わった」

丹羽教授は、「オイルショック」を例に挙げます。

ちなみにNスペのナレーションでは、次のように流れました。

<右肩上がりの経済成長は、突然、終わる。

オイルショックが起こった。

昭和50年(1973)、大幅な税収不足を穴埋めするために赤字国債の発行が決まった>

丹羽教授は、当時の背景をこう語ります。

「1973~1974年、ものすごく原油が暴騰した。

1971~1972年には、ちょっとインフレギャップが発生していた。

引き締めに入りかけている頃にドンと来た。

石油が入らずに、生産が伸びない恐れがある。

これは大変だということになった」

「福田さんは、総需要抑制政策で乗り切った」

「あの時は、田中角栄内閣。

政敵は、福田赳夫さん。

急きょ口説いて、経済担当副総理という形で入閣してもらった。

福田さんが急いでやったのが、総需要抑制政策。

これも一種のケインズ政策。

インフレギャップの発生のあるとき、しかも原油の価格が上がり、物価も上昇。

そういうときは、総需要、使うのを抑制しようというのは、大変オーソドックスなケインズ政策。それで乗り切った。

世界中から、”さすがに日本の経済はすごい。これは第2の奇跡だ”と言われた」

「高度成長に戻すために福田積極財政」

「ただ、その後に田中内閣が倒れて三木武夫内閣に。

三木内閣は、経済対策は全然ほったらかし。

で、また福田さんが出て来た。

オイルショックを乗り切ったから、もう1回、高度成長に戻そうとした。

1970年代後半、福田さん自身が総理大臣になり、非常に積極的な財政政策をやった。

戦前の高橋是清内閣に匹敵するくらいの積極財政をやろうとした。

●用語解説<高橋是清・第20代内閣総理大臣>

1854年、江戸生まれ。1921年~1922年まで首相。

大蔵大臣としては、5回もその職に就きます。

公債発行による財政政策、乗数効果をプリミティブな形とはいえケインズに先だって説き、主に積極財政政策をとり実践しました。

昭和2年(1927年)に昭和金融恐慌が発生した時は、支払猶予措置(モラトリアム)を行うと共に、片面だけ印刷した急造の200円札を大量に発行して銀行の店頭に積み上げて見せて、預金者を安心させて金融恐慌を沈静化させた。

昭和6年(1931年)世界恐慌により混乱した時には、4度目の蔵相に就任し、金輸出再禁止・日銀引き受けによる政府支出(軍事予算)の増額などで、日本経済をデフレから世界最速で脱出させました(=リフレーション政策)。

ところが、福田さんがやってみると、あんまり効果がない。

”駄目じゃないか”と言われているうちに、福田さんは自民党総裁選に負けた。

で、うやむやに・・」

「日本銀行が裏切ったな?!」

あの当時、私は京都産業大学に勤めていた。

(失敗した理由は、何かなあ・・)

と考えていた。

計量経済量的モデルで、若い人たちにシミュレーションをやらした。

そこで分かったのは、“日本銀行が裏切ったな”、という事だった。

福田さんは積極財政を国債発行でやっている。

民間のカネが吸い上げられ(金利が上昇する)クラウディング・アウトを防ぐために、日本銀行が必ずバックアップしなければいけない。

●用語解説<クラウディング・アウト>

財務省主計局インタビューでも取り上げました。

「国債を大量に発行していくと、民間とパイの奪い合いとなり、クラウディング・アウトを起こして、金利が上昇する可能性がある」

財務省も危惧している点です。

「丹羽講演」を取り上げた理由も、本質的にはここにあります。


「事実、1960年から国債が発行される度に、日銀はちゃんと買いオペレーションをやってバックアップしていた。
ところがあの時に限って、日銀はバックアップどころか、ガクンと減らしている」

「福田、宮澤さんは、日銀の裏切りを知らなかった!?」

「それを市場経済モデルに入れると、文字通り、そこで日本経済は上昇しなくなるんですね。

これは日銀は、ひどい。

裏切りをやりやがったな、と思った。

福田赳夫さんは、知らなかったんじゃないかと思う。

日銀の買いオペレーションのデーターがはっきりするのは、僕らが見る時には、そういうのが済んだ後になる。

ああ、日銀がやりやがったな、というのが分かるのは2年くらい後になる。

福田さんは、大蔵省にとっては輝ける大先輩。

でも、そういう事が起きる。

宮澤喜一さんも、同じく大蔵省にとっては輝ける先輩。

宮澤さん、それに続く歴代内閣も積極財政をやったがうまくいかなかった。

宮澤さんも、ひょっとしたら騙されたんじゃないか。そういう事さえ思いますね」

●用語解説<大蔵省(現財務省)と日本銀行>

元財務官僚の高橋洋一・嘉悦大学教授の著作を読むと、財務省と日本銀行の仲が良くないことが赤裸々に書かれています。

もっとも高橋教授は、「グローバル時代の変動相場制においては、国内の公共事業などの積極財政は、為替で相殺される」と述べています。

「レーガン政府とFRBのボルガ―議長」

丹羽教授は、アメリカの例にも触れています。

「レーガン大統領の時代。

ボルガ―。

今でも活動しているが、あの頃はアメリカの連邦制度、連銀(FRB)の議長だった。

あの人は、反ケインズ主義。

レーガンも選挙の時は、

<私は、ケインズ的政策は絶対にやりません>

と言っていた。

ところが大統領になったら、ソ連に対抗し始めた。

当時のソ連は、ものすごい軍事支出を行っていた。

僕の計算では、ソ連流の国民所得の16%を軍事に使っていた。

レーガンも、スターウオーズ計画を発表。

「FRBの裏切りでクラウディング・アウト。金利が20%に上昇」

アメリカ政府は、国債を発行して、積極財政を始めた。

その時に、クラウディング・アウトを防ぐために、FRBがバックアップしなきゃいけない。

買いオペレーションかなんかやって、金融市場におカネを入れて、民間のカネ詰まりが生じないようにする。

●用語解説<買いオペレーション>

日本銀行が国債や手形などを民間金融機関から購入して、市場に資金を供給することをいいます。

マネーサプライ(通貨供給量)が増えれば、金利は下がります。

不景気で、市場に流通するお金が足りなくてデフレ気味のときは、買いオペレーションで市場にお金を供給します。

買いオペレーションは、金融緩和政策となります。

そういうバックアップをしないで、大規模な積極財政をやったら、これはエライ事になる。

ところがボルガ―は、

<私はケインズ政策はやりません。嫌いです>

と言ってやらなかった。

結果、どうなったかと言うと、皆さん思い出して欲しいんですけど、金利が20%を超えたんです」

「アメリカは冷戦に勝った代償に産業の空洞化」

「レーガン大統領になってまもなく、1980年代初め。

20%の金利では、まともな商売なんて絶対にやれるはずはない。

やれるとしたら、マフィアがやっている麻薬の密売くらい。

アメリカの産業の空洞化がどんどん進み始めた。

それが今まで来ている。

レーガンの積極財政に対抗して、ソ連もどんどん軍事費を増強していった。

それでソ連は、財政破綻。

冷たい戦争に、ソ連は負け、アメリカは勝った」

    *             *

丹羽教授の講演は、「政府のケインズ政策と日本銀行」「国債の大量発行とクラウディング・アウト」

などの関係が、非常に分かりやすい逸話で語られていました。

政府の財政政策や日銀の金融政策が、どういう意図をもって行われているかの参考になります。

**********************************

PS

<日銀の「包括金融緩和」の柱となる5兆円規模の資産購入基金が本格始動>

一斉にニュースが流れています。

私は、「国債」に注目して見ています。

<日銀が11日に買い入れるのは、残存期間1~2年の長期国債。

8日の買入入札では1500億円の買い取り通知に対し、8887億円の応札があった。

9日には、12日に買い入れる1年以内の国庫短期証券1500億円分の入札も行い、全額落札された。

長期国債の購入は、期間1~2年のやや長めの市場金利を引き下げ、企業の資金調達環境を良くすることを狙う。

だが、現状は

「市場金利は下げる余地がないほど低い」(大和総研の野口麻衣子エコノミスト)。

来年末までに買い入れる長期国債の総額は1兆5000億円で、これまで毎月実施してきた長期国債の
購入額と同額のため、「不十分だ」との声が上がる。

日銀は

「機動的な対応をとる」(山口広秀副総裁)

としており、今後の景気動向次第では、流動性の高い国債の購入増を中心に基金拡大を検討するとみられる>(フジサンケイ・ビジネス)

鳥巣清典の時事コラム29「日本は焼け野原になっても立ち直れないかもしれない」

「池田信夫さんもブログで、Nスぺ(NHKスペシャル「862兆円 借金はこうして膨らんだ」)
の事を書いていますよ」

私のコラム読者から連絡を頂きました。

短い文章ですが、いくつも、目から鱗の指摘が発見できます。

是非、ご覧ください。

ただし、抑えた筆致の文章の読後感は、不気味さを覚えたほどです。

とくに「三洋証券」の破綻に関連する指摘には、背筋が寒くなりました。

池田氏は、こう書いています。

<90年代なかばには、巨額の不良債権の存在はわかっていても実感がないので、先送りしていればそのうち何とかなるだろうと誰もが思っていた。

96年には日経平均は2万2000円の高値をつけた。

ところが小さなきっかけ――97年11月の三洋証券の10億円のデフォルト――で危機が一挙に表面化する。

これで自民党はやっと不良債権の最終処理を決意するかと思えば、逆に

「緊縮財政が間違いだった」

と総括して超放漫財政に転換してしまった>

こう続きます。

<今の状態は、96年ごろに似ている。

財政が危険な状況にあることはわかっているが、長期金利は1%以下になり、円は強くなり、

「財政危機はフィクションだ」

とか

「政府債務は踏み倒せばいい」

と公言する人々が出てくる。

三洋証券のようなほんのわずかな事件で国債の暴落が起こるリスクは高まっているが、その実感はない。

97年の教訓は、危機が起こってもその意味は必ずしも正しく認識されないということだ。

数年後に大インフレと金利上昇で財政も経済も破綻したとき、民主党政権がその意味を理解し、正しく対応できる可能性はゼロに近い>

先程、国会中継を聞いていたら、

「内政の事は国民に謝ることができる。

しかし外交・防衛は、50年、100年に渡って国の命運を決める」

尖閣諸島、北方領土など領有権問題の重要性を強調するために、野党議員はそういう言い方をしたのでしょう。

平時であれば、その通りかもしれません。

しかし国家財政破綻は、

「内政の問題だから、国民に謝って済む」

という問題でしょうか。

私は財政危機こそ、政府も国民も真剣に取り組むべき問題だと思っています。


池田氏のブログの末尾の言葉は、正直言って、怖い。

<20年間たまった日本経済のひずみが97年のような(あるいはそれ以上の)事態をもたらすことはほぼ確実だが、日本は「焼け野原」になっても立ち直れないかもしれない>

絶対に受けたい授業「国家財政破綻」/鳥巣 清典

¥1,575
Amazon.co.jp

鳥巣清典の時事コラム28「NHKスペシャル『862兆円 借金はこうして膨らんだ』前半」

前回、NHKスペシャル「862兆円 借金はこうして膨らんだ」の後半部分を掲載。

それに対して、多くのアクセスがありました。

前半部分の一部を掲載します。

トータルで読めば、膨らみ続けてきた赤字国債の歴史的な流れが見えてきます。

*********************************

「家計で言えば、まさに火の車」

女性司会 大きな国の借金、不安になりますね。

男性司会 膨張に歯止めがかかっていないという状態。

今年度の予算を見ると、歳出は92兆円もある。

単純な比較はできないが、年収370万円の世帯が生活費やローンの返済で920万円を使っているという状態。

この差をなんとか借金で埋めている。

積もり積もった借金。

家計で言えば、まさに火の車。

女性司会 年収に見合った支出でないと普通、

家計は大変。

それを国はどうやって、やり繰りしているんでしょうか。

男性司会 借金でまかなっている。国の借金には2種類ある。

公共事業に使われている建設国債。

財源が足りなくなった時に、その赤字を埋め合わせるための赤字国債。

この赤字国債は、法律で原則は認められない。

特別に法律を作って発行を続けている。

そういう借金が増え続けて歯止めがかからなくなった。

「大蔵省幹部100人の聞き取り調査」

女性司会 借金は、どうしてこうも増え続けたのでしょう。

男性司会 その疑問を解くために私たちは、10か月間にわたって検証取材を続けてきた。

その中で私たちが入手したのが、6000枚にも及ぶ内部文書。

――昭和40年(1965)から平成12年(2000)まで大蔵省に在籍した100人の幹部に対して、退官後に行われた聞き取り調査。

実はこれは公表を前提にはしていなかったので、本音を語ることが少ないと言われる大蔵官僚たちの赤裸々な肉声が綴られている。

「何故借金が始まって、何故止められなかったのか」

――何故借金が始まって、何故それが止められなかったのか。

このことを見つめていきたい。

まず、昭和40年代から昭和50年代初め。

それまでは一切借金をせずに財政を運営できたのに、初めて赤字国債を発行した昭和40年代を境に日本は借金依存へと陥っていった。

何故こうなってしまったのか。

「赤字国債という“麻薬”をついに飲む」

――今から38年前、旧大蔵の一室で借金の始まりを知る元幹部への聞き取りが行われた。

元大蔵事務次官。

昭和40年(1965<首相は佐藤栄作。在任期間1964~1972>)、戦後初めて日本が赤字国債の発行を始めた時の中心人物。

初めての借金の始まりは、東京オリンピック後の不況で税収が2000億円不足したことだった。

その穴埋めのため、緊急措置として赤字国債が発行された。

苦渋の選択だと当時の事務次官は証言している。

証言録。

<率直に言って、赤字国債は出したくない。

出したという前例も作りたくない。1回、麻薬を飲んだ。

でもこれが最後にしよう>

「田中角栄の日本列島改造と福祉元年」

――“麻薬”とまで呼んだ赤字国債。何故その重みは忘れられていったのか。

田中角栄の演説。

「まだまだ日本には土地がたくさんありますよ。

高速道路で結べばいい。

財源はどうするんですか?

そこで『日本列島改造』というのが出てくるんですよ」

列島改造を掲げ経済成長を目指した田中角栄総理大臣(在任=昭和47~49年<1972~1974>)。

実はもう一つ、その後の日本に影響を与える改革を行っている。

「福祉元年」と呼ばれる社会保障の大幅な拡充。

「社会保障のカネは、日本経済の拡大で確保」

――その考えについて語る田中の肉声が残されている。

「これからは社会保障が大事、当たり前だ。

しかし社会保障のカネは、天から降ってはこない。

日本経済を拡大していかない限り、日本の社会保障は拡大できない」

田中が始めたのは、老人医療の無料化。

さらに物価上昇に合わせた年金の増額。

社会保障の予算を一気に3割ちかく増やした。

高度成長を遂げた今こそ社会保障を充実して欲しいという国民の要望に応えたという。

「財源楽観論は、オイルショックで吹き飛ぶ」

――ところが、後の大蔵官僚を苦しめることになる。

「私がびっくりしたのは、今の制度を変えないでいると、10%ずつ歳出が増える計算結果が出た。

こんなに膨張する歳出があったのでは大変だ」

大蔵省は、社会保障をどうまかなおうとしていたのか。

私たちは元大蔵官僚の藤井裕久・衆議院議員を訪ねた。

藤井は、社会保障を査定する最前線に立っていた。

高度成長が続く中、財源については楽観的に考えていたと言う。

「税収がこの調子で上がって行く、という暗黙の了解があった。

このまままでは財源はどうなるんだろう、という事は考えなかった。

そこまで考えるという雰囲気にはなかった」

「大幅な税収不足で、封印が解かれた」

右肩上がりの経済成長は、突然、終わる。

オイルショックが起こった。

予想外の事態に大蔵官僚は慌てる。

藤井は、述べる。

「税収不足の事態に歳出を減らす。

そういう仕組みを作っておけばというが、そういう仕組みにはなっていなかった。

一度作ったものは、社会保障は減らすという事はできないんです」

昭和50年(1973)、大幅な税収不足を穴埋めするために、赤字国債の発行が決まった。

一度限りの発行だったはずの赤字国債。

その封印が、このときに解かれた。

「借金を減らすために巨額の借金をする賭けに出た」

財源の裏付けも見通しもなく始まった社会保障の急激な拡大。

その結果、税収と歳出の差が開いてしまった。

昭和50年に20兆円だった赤字国債。

5兆円、10兆円と積み上がって行く。

この事態を大蔵省は、どう受け留めていたのか。

証言録には、「借金依存」と綴られていた。

「こんなことを繰り返していたら、ますます慢性病患者になってしまう。

この際、起死回生の策として思い切った景気対策をやろうと」

高い経済成長取戻し、借金を減らす。

あえて巨額の借金をするという賭けに出たのです。

国民に対し、政治家が声をからして演説。

「財政を中心に国家意識を総動員し・・!」

絶対に受けたい授業「国家財政破綻」/鳥巣 清典

¥1,575
Amazon.co.jp

鳥巣清典の時事コラム29「NHKスペシャル『862兆円 借金はこうして膨らんだ』」

昨夜<11月7日(日) 午後9時00分~9時58分>にオン・エアされたNHKスペシャル

「862兆円 借金はこうして膨らんだ」は、ご覧になったでしょうか。

告知には、こうありました。

<今年度末で862兆円に達する見通しの日本の借金。

GDP比180%と先進国の中で突出している。

なぜこれほどの借金を積み重ねてしまったのか。

その背景を赤裸々に綴った財務省の内部文書を入手した。

旧大蔵省の歴代の幹部が自分たちが関わった財政政策について語った証言録。

そこからは、その時々の政治家と官僚の間でどんなやりとりがあったのかが見えてくる。

大蔵省内部でかつて「麻薬」と呼ばれ、発行が戒められていた赤字国債。

大量発行が始まり、止まらなくなって今年で35年。

大蔵官僚の証言録を糸口に、元大蔵省幹部や関係した政治家などを訪ね、その時々の政治・経済・社会状況の下、止まらぬ赤字国債発行の裏に、どんな事情や判断があったのか、そして、なぜ方向転換できなかったのか探っていく。

証言録と当事者・関係者への徹底インタビューによって、借金依存体質に陥り、膨張を止められなくなった歴史の“内幕”に迫るとともに、借金大国日本に何が必要か、今後への教訓をあぶり出す>

大蔵財務官僚が何を考え、どうして来たのかを知る貴重な資料と証言。

後半の一部を記録しておきます。

(登場人物=男性司会・女性司会・ナレーション+元大蔵事務次官など)

**********************************

「福田内閣。景気対策の最後の決戦を挑む」

――福田赳夫内閣時代の大蔵事務次官だった長岡實(現在86歳)は、

「昭和53年度(1978)の予算で景気対策の最後の決戦を挑むつもりで予算を組もうと。

福田総理以下、それをお考えだったと思う」

借金へのためらいを感じながらも、予算を増やさなくてはならなかったと振り返ります。

「そうねえ。

非常につらい感じではあったけれども。

だからといって、それこそはっきり言って、辞表でも用意して、“とてもそんな予算は組めません”という感じよりはね。

やっぱり日本の国として、こういう時には無理をしなくてはいけないんだなという感じの方が強かったと思いますねえ」

「経済成長を倍にせよ、という世界の要求」

――さらに長岡を悩ませたのは、国際社会からの要求でした。

欧米は、戦後急成長を果たした日本こそ低迷する世界経済を引っ張っていくべきだと求めていたのです。

当時4%前後だった経済成長率。

それを倍近い7%に高めよという要求でした。

「人のところの台所を考えずにねえ。

7%経済成長にして世界経済を引っ張ってくれよとというのはヒドイじゃないと思ったこともあるんです。

率直に言って。

だけど、その時に私もね、自分で“はあ、そうなのか”と思ったのは、初めて日本が経済大国になっているという事を気が付いたんです。

そうなってくると、日本の経済は、日本の経済だけの問題ではないと」

「日本の経済体質が成熟型になっていた」

――しかし、これ以上借金はできないと長岡は考えていました。

思い悩んだ末に相談したのが、旧制一高からの同級生の大倉でした。

大倉は当時、主税局長でした。

鋭い分析力と抜群の記憶力。2人が考え出したのは、次の年の予算から2兆円を先取りして予算を組み込んでしまうというものでした。

「“もう背には代えられえないから努力してくれ”ということでした。

次の年度の予算編成は、大変なことになる。

大きな自然減収になることは目に見える」(大倉の証言録)。

――景気は上向いたものの、経済成長は目標には届きませんでした。

税収は思ったほどには伸びず、借金だけが残りました。

「日本の経済体質が成熟型になっちゃったんだと。

そうなると財政で刺激したところで、高度成長の時のように、急に何%の成長ができるというのは望むべきもなくなってくる。

日本の経済体質まで変わってきたんだという認識はなかった」(長岡の証言)

借金への警戒心は、次第に薄らいでいったのです。

「国債発行による借金は”麻薬”と戒めていたのに」

男性司会 社会保障の充実は、私たちにとっては良いことだとは思うんですけど。

しかし、財源不足というのは、今も同じ構図です。

景気が落ち込めば、期待通りには経済成長をせずに借金だけが積みあがっていく。

今もそれが続いている。

女性司会 証言録の中で、「借金は麻薬だ」と言って戒めている。

どうしてそれが未だに続いているのでしょうか。

男性司会 そうですね。

まず足りなければ、とりあえずは借金を。

ま、場当たり的な判断。

これしかできなかった、というのがあると思うんですね。

借金は将来の世代にツケを残すことは分かっていたのに責任ある対応をできずに、問題を先送りし続けてきた。

女性司会 大蔵官僚の中に借金を止めようという動きはなかったのでしょうか。

男性司会 いや、さまざまな取り組みはなされてきたと思います。

借金を止めるには、歳出、使うおカネを減らすか。

あるいは入る部分、つまり税収ですね、これを増やすしかないわけですよね。

大蔵省は社会保障の充実や景気対策が強く求められる中で歳出は減らすことは難しいと考えて、増税のほうに重きを置いてきたんですね。

そして、この時期には消費税が導入されるなど財政を立て直そうという取り組みがなされました。

それでも借金は増え続けています。

なぜ、うまくいかなかったんでしょうか。

「大平内閣。この先、消費税しかない」

――昭和50年代の事務次官の証言録です。

「国民の欲求は、ますます多様化し、財政に対する要求も増え続けるだろう。

多額の歳入不足を国債で穴埋めすることは、財政の健全性と節度を失わせる。増税が不可避だ」

天才と呼ばれた大倉。

増税によって借金を減らそうとしましたが、失敗します。

失敗の原因は何だったのでしょうか。

昭和53年(1978)、借金の膨張は止まらず、予算の4割を国債が占めていました。

危機感を抱いた大倉は、同じ考えを持つ大平大臣に新しい税の導入を働きかけました。消費税です。

証言録に、その時の様子が綴られていました。

「時間を頂き、太平さんにお目にかかり、“この先、消費税しかないと思う”と言った。

“ただ、選挙があります”に、“やるんだ”ということでした」

大平首相の演説

「どうしても必要とする歳出をまかなう財源は、国民の理解を得て負担を求めざるを得ないと考えるわけです」

「消費税は、”悪魔の税制”と言われる」

――若手を集めて、ヨーロッパの消費税について勉強会を始めます。

メンバーの一人に、後に国会議員となる柳沢伯夫(はくお)がいました。

何故、消費税だったのでしょうか。

柳沢のインタビュー。

「消費税は、“悪魔の税収”と言われるくらいに、頭の良い税収なんです。

悪魔のように、うまく考えられている税制なんです。

ごまかしが利かない税制なんです。

申告し、納税しなければならない税制」

「国民の理解を得るには、まずは歳出を抑える」

新たな税制の導入に、果たして国民の理解は得られるのか。

大倉は証言録で、

「まずは歳出を抑える努力が必要だ」

と語っています。

「消費税をいきなりぶつけても自信はない。

歳出内容の徹底的な見直しや不要な経費の削減を行うのが先決だ」

大倉は、前の年20%だった歳出の伸びを13%に抑える予算を組みました。

借金を始めて最も伸び率の低い、大蔵省にとっては画期的な予算だったと言います。

「これで国民の理解は得られるだろう」

と考えた大倉。

大平総理とともに、導入へと突き進みます。

「世論の反発。消費税構想は潰れる」

「衆議院を解散する」

昭和54年、大平は衆議院を解散。

消費税が必要だと国民に訴えました。

子どもからお年寄りまで広く負担を求められる消費税。

世論の反発は強く、大平は選挙に敗北。

消費税構想は、あっけなく潰れました。

大蔵省を辞めて、この選挙に立候補していた柳沢も落選しました。

「世の中、そんなに甘くはない」

税を取る側の理屈と取られる側の立場の差に初めて気が付いたといいます。

柳沢「“税収が不足したから消費税を俺らに負担させようなんて、そうはいかんぞ”みたいな。

そういうことでしたよ、当時は。

ものすごく未熟でしたから」

支出をある程度抑えれば増税を認めて貰えるだろうと考えていた大倉。

国民の理解を得るには、何が必要か。

見極められなかったのが、失敗の原因でした。

「もうこうなると、“あとからもう一度”と言うのは、本当に大変だ。

全く、観測としては甘かった。

もっと歳出を切らないと、増税と言ったって誰も受けとってはくれない。

世の中、そんなに甘いものではない」

「平成元年に税率3%の消費税を導入」

――その後も借金は増え続けますが、大蔵省は10年後、平成元年に税率3%の消費税の導入にこぎつきました。

さらにその頃、追い風も吹き始めます。

バブル景気です。

税収は、1・5倍に増えました。

毎年増え続けてきた赤字国債も減り、平成2年には新規発行ゼロで乗り切れるまでになりました。

しかし4年後、新規国債の発行が再開されます。

“麻薬”と戒めたはずの国債発行にまた手を出します。

「念頭にあったのは、政治とアメリカ」

――当時の事務次官の証言録です。

「常に念頭にあったのは、政治との関わりでした。

2番目はやはり、アメリカとの関係でございます。

この2つが私どもに非常に影響を与えた政策決定要因だったと思います」

若い頃から有力政治家とも渡り合い、10年に1度の大物と言われた斉藤次郎。

次官に就任したのは、平成5年。

バブル崩壊による不況が深刻になっていました。

立て続けに景気対策を打ち出したものの、税収は減り続けていました。

赤字国債を出さないのが自分の使命と語っていた斉藤。財政をさらに悪化させる事態に直面します。

「クリントン政権が登場し、対日要求が一段とエスカレートしたのです。

とくに減税の要求はあからさまな要求でもあり、大変強いものでした」(斉藤の証言録)

――超大国アメリカ。

この頃、巨額な貿易赤字に喘いでいました。

日本に対し、もっとアメリカ製品を買うべきだと主張。日本国内の消費を増やすため、大規模な減税を要求したのです。

アメリカは当時の細川総理大臣に、およそ8兆円もの減税要求を突き付けたのです。

問題だったのは、税収が減る分をどう埋めるかでした。

「減税先行なら、消費税増税は当たり前だ」

――再び赤字国債に頼ることを避けたかった斉藤。こう証言しています。

「消費税しかない。

減税先行の場合、穴埋めとしての消費税増税は、論理的に考えて当たり前のことではないか」

斉藤は、当時3%だった消費税の引き上げを密かに決意したのです。

政界を離れ、神奈川県湯河原町で暮らす細川護煕・元総理。当時政権交代を実現し、国民から高い支持を受けていました。

斉藤の消費税引き上げ案をどう受け止めたのでしょうか。

「“とにかく、食い逃げだけは絶対に困る”。

ま、これは僕がいつも言う事ですが。(斉藤次官は)

増減税一体論を譲らない。という、かなり頑なな姿勢でした。

大蔵省だけが残って、

内閣が潰れる、政権が崩壊する。

そんなこと、とても許せる話ではないよ。

そういう話は成り立たない。

と、かなり強く言いましたね」

「細川政権。福祉目的税は、一日で白紙撤回」

――しかし斉藤は、あきらめませんでした。

消費税引き上げで増える税収を社会保障に充てることで、なんとか細川の承認を取り付けました。

この時、斉藤はもう一つの問題、政治との関係に直面します。

証言録には、与党経験の浅かった細川政権に対する赤裸々な言葉が記されていました。

「一番困惑したのは、政治の層の薄さと申しましょうか。

いろいろな事がすぐ外に漏れてしまうことでした。

自民党であれば、私どもが申し上げたことが自分たちの考え方に練り上げたうえで外に出すというプロセスがありました。

しかしその過程が全くなく、全てがストレートに出てしまうことが多かったのです」

細川政権は、考えの違う8党派が集まった連立政権でした。

最大与党は、消費税に批判的な社会党。

増税案を示せば拒否されるのは明らかでした。

そこで時の政権の実力者・小沢一郎代表幹事の了解を取り、秘密裏に事を進めたのです。

石原信夫元官房副長官。斉藤の動きに不安を感じたと言います。

「小沢代表幹事には了承を得ています、と言う。

しかし社会党まで了承を得たのかは要領を得なかったね」

本来は、国民に広く理解を求める問題。斉藤の行動は強行突破を図ろうとした、と後に批判されます。

「税率は7%でございます」

細川総理が深夜に行った記者会見。

大きな反発を招き、一日で白紙撤回されました。

「残ったのは、減税分の赤字だけだった」

――その結果、減税だけが残ったのです。

減収分は、赤字国債によってまかなわれる事になりました。

細川氏のインタビュー。

「まあ、大蔵のほうは、内閣の支持率が高かったから、勢いに乗って消費税を持ってくる。

そういう思惑もあったでしょう。

いけるところまでいくか。

そういう気持ちも若干はありました。

まあ、少し乱暴だったと思います」

何故、増税が必要なのか。

国民の理解を得るのに失敗した大蔵官僚たち。

日本の借金は、積み上がって行ったのです。

「今やタガがはずれ、歯止めが利かない状態」

男性司会 大蔵省きってのエリートと言われた二人。

借金体質から抜け出すにはどうしたらいいのか。

そのことを真剣に考えていたことは間違いない、と思う。

ただ国民の理解を得るには、必ずしも十分とは言えなかったと思います。

結果的にこのエリートたちの失敗が、国民の税に対するアレルギーを強くしてきたという事も言える。

女性司会 でも増税の前に、税金の無駄遣いもなくすべきだと思う。

男性司会 いま事業仕分けに国民の関心が集まっています。

国民の間には、行政がまず税金の無駄遣いをなくすべきだという考えが高まっているからだと思う。

そうは言っても、関係者の利害がぶつかるために、何が無駄かという事を判断するのは難しい面がある。

歳出を減らすだけで財政を立て直すのは容易ではないというのも現実なんです。

このため大蔵省は、増税にこだわり続けてきた。

女性司会 借金はその後、急激に膨張し続けています。

男性司会 バブル崩壊後に何度も景気対策が打たれたのですが、税収は思った通りには増えずに、借金は増え続けるという事になっています。

“麻薬”とまで言って戒めた赤字国債ですが、それが今や歯止めが利かない、タガがはずれた状態になっている。

財政の番人である財務省。

いったい、何をしていたんでしょうか。

「日本は本当にそれだけの危機だったのか」

――借金を急激に膨らませた平成10年。その時の事務次官、田波耕司の証言録です。

「日本経済は本当にそれほどの危機だったのか。

ここまでやらなければ立ち直れなかったのか。

正直言って、よく分かりません」

国債発行による景気対策。

平成10年から3年間(98~00)、借金は一気に100兆円増えました。

何故、歯止めがかからなくなったのか。

私たちは、証言録で当時の迷いを明かした田波元次官を訪ねました。

「その当時の経済の状況があまりにも深刻であって。

このまんま何ら大胆な手を打たずに、その状態から脱却できるとは私も思ってはいませんでした。

ただ、これを将来どうやったら財政健全化路線に戻すことができるのだろうかと・・」

「大蔵省は、恥を知れ!」

――大蔵官僚が将来の財政の姿を描くことができなくなった借金急増の時代。一体どうやって陥っていったのでしょうか。

その前の年、平成9年、借金が増え続ける中、政治が財政の立て直しに向き合おうとしていました。

橋本内閣は、大幅な歳出のカットに乗り出しました。

歴代の総理経験者のその権威を借りて反対意見を抑え込んだのです。

後に官房副長官としてこの会議を取り仕切った与謝野馨・衆議院議員。

財政再建を政治主導で進めることが狙いだったと言います。

「中曽根さんも、竹下さん、宮沢さんもいれば、大蔵大臣もいれば、現職の総理大臣もいる。

次官や主計局長は、全く抵抗できない体制でやった。

官邸が主導で物事をやった、日本の政治史の中で画期的だった」

当時、大蔵省は、目立った動きはできなくなっていました。

「大蔵省は、恥を知れ!」

当時、大蔵省への風当たりは強くなっていました。

天下り先への税金投入。

過剰接待への不祥事。

大蔵省は国民の批判にさらされ、この頃から政治の影に隠れるようになります。

「橋本内閣。消費税5%の後遺症」

橋本政権は、6年間で赤字国債から脱却するという財政再建計画を決定。

さらに消費税を5%に引き上げました。

政治主導で財政再建に道が開かれるかに見えたこの時期。

別の危機が迫っている事に大蔵省は気づいていませんでした。

「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」

拓銀破綻、山一證券廃業。

大蔵省が先送りしてきたバブルの不良債権問題が火を噴き、金融不安が拡大。

日本は底なしの不況に陥り、財政再建もとん挫します。

金融機関を監督していた大蔵省。

そのトップだった小村は、次のように振り返ります。

「よもや金融危機がこんなに発展するとは予想もしていませんでした。

拓銀の財務状況が悪くなっていました。

でも心の底では、“まだ大丈夫”“なんとかなるのではないか”と期待を持っていました」

「小渕内閣の宮沢大蔵大臣。過去最大の経済対策」

――平成10年、経済再生を掲げ小渕内閣が発足しました。

大蔵大臣の宮沢喜一は、過去最大の経済対策を矢継ぎ早に打ち出していきます。

中でも大蔵省が懸念したのは、巨額の減税。財政危機を決定的にするという思いがありながら、結局、受け入れるしかありませんでした。

「連立政権時代の財政拡大」

――さらに連立政権の時代に入ったことが、財政に影響をもたらします。

連立を組むために、各党の主張が次々に取り入れられ予算が拡大したのです。

この頃の証言録からは、大蔵省の懸念がうかがえます。

「公明党は、児童手当。

自民党も、介護保険を徹底的に見直せ。

新幹線問題を一生懸命にやれ。

実質、財政出動拡大の方向に走り出しました。

とにかく、“連立のコストとしてやってくれ”という話でした」

「後世にツケを残した責任はある」

当時の悩みを語った田波・元次官。ここまで借金を膨張させてしまった事をどう考えているのでしょうか。

「これを回復するための努力が完全に力を発揮できないまま、ずるずる来ていると。

(後世に大きなツケを残したことは)我々を含めた責任があると思います」

「どうすればよかったのか。悪夢の如く甦る」

――バブル崩壊から今日に至る日本経済の低迷。

大蔵財務官僚たちは、結果としてその責任を果たすことができませんでした。

借金膨張の時代の主税局長は、証言録の最後をこう記しています。

「どうすればよかったのか。悪夢の如く甦(よみがえ)る時があります」

「政治も大蔵省も何をしていたのか」

男性司会 官僚が迷走して、信頼を失う中で、誰も責任をもって借金の拡大を止められなかった事がよく分かりますね。

女性司会 もう政治も大蔵省も、いったい何をしていたのか、と言いたくなりますね。

男性司会 この後も政権がころころ変わるという不安定な状況の中で、目の前の課題の対応に追われて、問題の先送りが行われて、借金が増えるいっぽうという事になっていったわけです。

今回、私たちは50人以上の大蔵官僚に取材を申し込みました。

この中には、

「過去を振り返っても意味はない。

今どうすればよいか考えることが先だ」

という理由で取材に応じなかった人もおりました。

しかし本当にそうなのでしょうか。

過去に何度も繰り返された失敗の原因を検証することで、日本再生のヒントがあるのではないかと思います。

女性司会 過去に向き合う姿勢が大事だという事ですね。

「メディアにも国民にも責任がある」

男性司会 そうなんですね。

ただ、これは政治家、官僚だけでなくて、私たちにも必要なことだと思います。

日本が借金をしてでも社会保障や公共事業の拡大を繰り返してきた背景には国民がそれを望んだということも否定できません。

また私たちメディアも、政治や官僚の政策判断を充分にチェックし切れていなかったということになります。

日本は厳しい時代に入っています。

人口減少や国際競争力の低下。

雇用の悪化など、戦後の土台が崩れようとしている。

と言っても、言い過ぎではないと思います。

今回の取材を通じて見えてきたのは、その場しのぎの借金をして将来に問題を先送りにするのではなく、今こそこの国の形を真剣に考える必要があるということだと思います。

鳥巣清典の時事コラム27「中国の富国強兵と明治維新の研究」

今日は、「文化の日」。

由来は、明治時代に遡(さかのぼ)ります。

<文化の日は、1946(昭和21)年のこの日、平和と文化を重視した日本国憲法が公布されたことを記念して、1948(昭和23)年公布・制定の祝日法で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」国民の祝日に定められた。

戦前は、明治天皇の誕生日であることから、「明治節」という祝日だった>

明治天皇は、慶応3年10月15日(1867年11月10日)に、征夷大将軍・徳川慶喜からの大政奉還の上奏を勅許し、政権を朝廷に戻しました。

鎖国を解き、外国との交易が本格化していきます。

日本の近代史の始まりです。

国家体制の基本方針を定めるのが、「憲法」。

NHK大河ドラマ『龍馬伝』では先日、「船中八策」が取り上げられました。

土佐脱藩志士・坂本龍馬が起草した新国家体制の基本方針とされるものです。

船中八策の他に、慶応3年(1867年)11月に龍馬の直筆で書かれている『新政府綱領八策』が存在します。

「大日本帝国憲法(明治憲法)」、そして今日の「日本国憲法」へと続く礎(いしずえ)ともなったものです。

**********************************

●用語解説<「船中八策」>
(1)天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
(2)上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。
(3)有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。
(4)外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事。
(5)古来ノ律令を折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。
(6)海軍宜ク拡張スベキ事。
(7)御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。
(8)金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。

**********************************

アフリカ、南米に続いてアジアも欧米列強に植民地化されつつあり、その脅威が日本に迫っている時代です。

列強の要望を聞かなければ、いつ何時、武力で制圧されるか分からない。

圧倒的な軍事力の差。

現代の状況(中国、ロシア、北朝鮮の軍事的な動きに対する日本人の心理的動揺)を見ても分かるように、近隣諸国との軍事力の差に人は敏感です。

江戸時代の日本人も、防衛本能をえらく刺激されたことでしょう。

欧米列強の進んだ文明に対抗するには、

「彼らの体制(システム)を取り入れ、近代化を図る以外、選択の余地はない」

日本のオピニオン・リーダーたちの判断の元、国の体制革命を断行する機運が蔓延していきます。

現代においては「国力」の衰退が、経済にみならず、防衛力の劣勢にもつながっていくことが心配されます。

拙著「絶対に受けたい授業『国家財政破綻』」でも、ホリエモンこと堀江貴文氏は、

「仕組みを変えることは、イノベーションを生む力なんです」

と強調していました。

江戸から明治への移行期を振り返ると、まさに「国の仕組み」をまるごと変え、西洋の文明、つまりイノベーションに取り組んだことが分かります。

**********************************

●用語解説<イノベーション(innovation)>
それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指す。
1911年に、オーストリア出身の経済学者 シュンペーターによって、著書『経済発展の理論』において初めて定義された。
「新しいアイデアが世に現れて生活を大きく変えた例」
熱機関 → 蒸気機関車、自動車、飛行機
半導体 → コンピュータ、インターネット

**********************************

さて、龍馬たちが考えた「船中八策」は、

(1)憲法制定

(2)上下両院の設置による議会政治

(3)不平等条約の改定

(4)海軍力の増強

(5)御親兵の設置

(6)金銀の交換レートの変更

以上のようなものですが、コンセプトは、「富国強兵」。

いかにして、国の富をつくり、軍事力を強くするか。


私は15年余り前、ビルマ(現ミャンマー)大使館のパーティで中国大使館の高官と知り合う機会がありました。

1992年の天皇訪中に功績のあった人物でした。

私は政治の話は一切せず、友好会話に努め、家族同士で食事をするような機会を持つようになりました。

ある日、その高官は、

「現在、日本の明治維新のことを調べている」

と言ったことがありました。

「日本人は、優秀だ」

世辞も加えました。

日本の近代化について、相当に研究したようです。

「江戸時代の鎖国時代」と「文化大革命の鎖国時代」からの「開国」。

まさに瓜二つ。

明治維新ほど研究の対象になるモデルはなかったことでしょう。

「富国強兵」

それを、「共産党一党独裁」でいかにして成し遂げるか。

最大のテーマを、中国は段階的に成し遂げつつあります。



前回、日本が日露戦争に勝利した時の、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の言葉を紹介しました。

「我々にとって日本そのものが危険は訳ではない。

統一されたアジアのリーダーに、日本がなるのが危険なのである」

その例にならえば欧米は現在、

「我々にとって中国そのものが危険なわけではない。統一されたアジアのリーダーに、中国がなることが危険なのである」

と、考えていることになります。

「分断して統治せよ」

という言葉があります。

アジアを分断するキー・ワードは、「中華思想」でしょう。

“中華思想に脅威”を持つアジア諸国と中国との分断を図ることが鍵になります。

好都合のことに、「微笑外交」だった中国が、尖閣諸島問題で衣の下から鎧(よろい)を見せてしまいました。

米国にとっては、大歓迎。

中国封じ込めの好機到来です。

好条件を引き出すことが目的です。

「封じ込め」ではなく、真の「開国」を迫ります。

江戸幕府に「開国」を迫った時と同じです。



民主党政権は、親中国を露わにはできなくなりました。

11月28日には、沖縄県知事選挙が行われます。

米国にすり寄り、

「問題先送り」

という事になるのでしょうか。


絶対に受けたい授業「国家財政破綻」/鳥巣 清典

¥1,575
Amazon.co.jp

鳥巣清典の時事コラム26「北原白秋と日露戦争の時代」

私の故郷の柳川では、「白秋祭」が催されています。

北原白秋の命日は、1942年(昭和17)11月2日。

市内を廻(めぐ)る掘割に、“どんこ船”を2百艘ちかく浮かべ、夜の川下りを行います。

篝火(かがりび)を焚き、白秋童謡を大正琴で爪弾き、コーラスが奏(かな)でる幽玄の世界に全国から大勢の観光客が集います。

『邪宗門』『思ひ出』の詩集で日本詩界の寵児となり、短歌,小唄、童謡、民謡など、韻文のあらゆるジャンルに比類ない才能を示した言葉の錬金術師。

57年間の偉大な足跡を命日に偲(しの)びます。

白秋こと北原隆吉が生を受けたのは、1885年(明治18)1月25日のことでした。

早稲田大学英文学科予科に入学するのが19歳。

1904年(明治37)春、日露戦争が始まってまもなくのことです。。

上京する直前に白秋は生涯忘れられない事件に遭遇しています。

2月23日つまり対露宣戦の3日後、伝習館中学の親友・中島鎮夫の自殺。

「露探(=ロシアのスパイ)」

の嫌疑を受けたのが死因とされています。

白秋は、一篇の詩を残します。

「あかき血しほはたんぽぽの

ゆめの逕(こみち)にしたたるや、

君がかなしき釣台(つりだい)は

ひとり入日(いりひ)にゆられゆく・・」

(『思ひ出』に収納)

友人の死を弔うために、上記の「たんぽぽ」という一篇の詩のみ残している以外は、日露戦争に関することは書き残していません。

それをもって、

「日露戦争は、あまり白秋に影響を落としていないと感じられる」

と評されることがあります。

果たして、そうでしょうか。

「親友がロシアのスパイの嫌疑を受けて自殺」

という衝撃的事実によって、白秋は戦争という全体主義に対する慄(おのの)きを持ったように感じられます。

「君死に給うなかれ」

と、与謝野晶子のように生命の尊さを謳うわけでもなく。

「アジアの黄色人種が、ヨーロッパの白色人種に歴史上初めて戦争に勝った」

と、のちにインドの初代首相になるネルーのように熱狂することもなく。

「日本人は、誇り高い西洋人と並び立つ列強であることを世界に示したのである」

と、英タイムズ紙のように賞賛の嵐を贈るでもない。

「日本人は、白色人種を憎んでいる。

西洋人が悪魔を憎むように憎んでいる。

しかし我々にとって日本そのものが危険は訳ではない。

統一されたアジアのリーダーに、日本がなるのが危険なのである」

と、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世のように“日本脅威論”をぶつわけでもありませんでした。

白秋は「戦争」の光と影を声高に語る輪の中に加わることなく、鋭敏な感受性に蓋をしたかのように沈黙を守っています。

それから百余年を経て、本日のニュースが伝えています。

<メドベージェフ大統領が、極東サハリン州の事実上の管轄下にある北方領土の国後島を訪問。

北方四島の実効支配を直接誇示することで、日本の領土返還要求に対抗する姿勢を鮮明にした。

帰属問題で対立する地域への訪問に、日本側が強く反発するのは必至だ>

さっそく国会の質疑で、

「脇が甘いから、立て続けに隙をつかれる」

政府は批判を受けました。

まもなくメドベージェフ大統領が、中国の胡錦濤・国家主席とともに来日します。

さて、日本の“柳腰外交”は、どう対処するのでしょうか。

絶対に受けたい授業「国家財政破綻」
北原白秋

絶対に受けたい授業「国家財政破綻」/鳥巣 清典

¥1,575
Amazon.co.jp

鳥巣清典の時事コラム25『和僑(わきょう)の時代⑥』「日本人は自信を持って産業構造の転換を」

10月24日にオン・エアされたNHK『日曜討論』の一部を記録します。

<景気“足踏み” どうする日本企業>

と題して、以下の経済界の専門家が語り合っています。

□日本商工会議所会頭・東芝相談役/岡村 正

□経済同友会副代表幹事・ローソン代表取締役社長/新浪 剛史

□米日経済協議会副会長・アフラック日本社会長/チャールズ・レイク

□東京大学教授/伊藤 元重

□三菱総合研究所シニアエコノミスト/武田 洋子

○司会
NHK解説委員■島田 敏男

********************************

(27)「産業構造の転換の時期」

司会 産業構造を見直していくうえで、どういう道筋が必要か。

伊藤 今から18年前から日本はデフレギャップンに入っている。

途中1回、数年例外はある。

建設土木も、製造業の下請けも、流通小売りも、住宅も、残念だが、今ある企業の方々が普通に操業したら出てくる供給に比べて需要が少ない。

そのなかでビジネスをしてきたので、なんとか守ろうとしてこられた。

流れとしては、適正規模に均(なら)さなければいけない。

国内で言えば、医療とか介護とか、環境がらみの技術、あるいは教育だとか、少しずつ動いていかなければいけない。

そういう意味では、中小企業の方が、環境の変化にさらされやすい。

政府もいろんな形で支援が必要。

大きな変化にいくよう転換の時期だと考える。

(28)「世界が抱える問題点を解決する産業」

司会 職種転換、商売を替えろ、と。

建設業をやっていた人が、いま老人ホームの経営をやっているとかいうケースはある。

「言うは易し、(行うは難し)」だと思うが。

岡村 そうだと思う。

科学創造立国と直接関係してくる。

産業構造をこれから大きく変えていかなければならない。

どういう方向に変えていくのか。

21世紀に“世界が抱えている問題点を解決するための産業”を中心に展開する。

具体的には、環境、エネルギー、あるいはスマートグリッドに代表されるような新しい社会インフラ。

こういう方向に投資を積極的に行っていく。

国際的にどう対応していくのか、生産性をこれからどう上げていくのか、というのは自らが取り組まなければいけない問題で、他人に頼ってはいられない。

(29)「日本が抱える課題を解決する産業」

司会 極端な産業構造の変化も、犠牲者を多く出してしまいかねない。
難しい問題だ。

武田 ただ、これだけ大きく環境が変わる。

国内では、少子高齢化。

海外では、先進国に代わって新興国の台頭。

大きく変化している時には、日本の産業構造も今まで通りにはいかない。

避けられない手続きだと思う。

では、どういう産業が必要なのか。

岡村さんがおっしゃったように、“日本が抱える課題を解決していく産業“を育てていく。

環境・エネルギーもそうだが、医療、それから高齢者向けの高度医療、バイオ。

あるいは今、需要が眠っている介護、保育といったところがある。

三菱総合研究所では、これら課題を解決する産業によってGDP50兆円分を創出できる。雇用も700万人創出できると試算している。

(30)「日本人は、もっと自信を持って改革を」

司会 アメリカで先祖代々続いている老舗の業種の仕事をしている人たちは、国際化の中でどうやって生き延びてきているのか。

レイク 新しい業務に展開していくということをしないといけない。

それができないと自分のビジネスが成り立たなくなる。

そうすると破綻も含めていろんな問題が出てくるという認識の元に対応していると思う。それはどの国でも同じ。

私は日本で経営していて思うのは、もっと自信を持っていいのではないか。

日本は変革を何度も乗り越えてきている。

環境が変わってきた中で成長してきた実績がある。

自信を持つべきことがたくさんあるのに、あまりにも内向きになりすぎている。

外に出て行けば自慢できるようなことを自慢もしない。

それは日本の美徳かもしれないが、改革をその自信とともにやっていくべき。

(31)「アジアをマーケットにした企業行動を起こす」

新浪 付加価値にいかざるを得ない。

一人あたりの生産性を上げる。

労働人口は間違いなく減っていく。

R&Dを徹底してやっていく。

司会 R&Dとは?

新浪 リサーチ及び技術を中心とした生産を他の国に分業していく。

医療に関しては、もっと海外から呼び込めるだけの力を持っている。

要は、自分自身に自信がない。

お医者さんたちに自信がない。

実は、すごい技術を持っている。

今までは、日本をマーケットにしていた。

アジアをマーケットにする。

我々にアジアをマーケットにした企業行動が起こってくれば、もっと自信をもってやれる。農産物も同様。

高品質で安全だと、アジアから大変な評価を得ている。

こういうものをどんどん展開していく。

これを付加価値としていくことが非常に大事。

(32)「コンビニと商店街のコラボ」

司会 コンビニエンスが拡大することによって、中小の商店街が消えていく。

今後は、ただ消すのではなくて、傘下に加えるとか何か新しい発想は?

新浪 高齢化に向けて、いちばん近いところにあるのが商店街。

その商店街といっしょになってやっていくというのは、すでに始めている。

その後ろでIТや物流を使うとか、コラボレーションが大変に重要。

昔の商店街をお客様たちは求めてきている。

今まで通りではなくて、後ろはIТで一緒にやっていく。

ある意味、革新をバックボーンにもって一緒にやる、ということが大変に重要。

司会 これから大企業と中小企業の連携が重要になる。

岡村 おっしゃる通りだと思う。

世界的にも、中小企業問題というのは共通テーマ。

11月11日に中小企業サミットを開催する。

APECでは2回目。

お互いの国が抱えている中小企業の問題等々をそこで話し合い、交流を深めながら、問題を解決していこうと。

その中でも、大企業との連携をどうするかも議題になると思う。

司会 様々な角度からの議論、ありがとうございました。

********************************

PS①

日本経済が目指す方向については、専門家の議論に不一致点はあまり存在しません。

“次世代産業”については、

「<“世界”が抱える問題を解決>→環境、エネルギー、あるいはスマートグリッドに代表されるような新しい社会インフラ。」(岡村氏)。

「<“日本”が抱える課題を解決>→環境・エネルギーもそうだが、医療、それから高齢者向けの高度医療、バイオ。今、需要が眠っている介護、保育」(武田氏)。

目の付け所に少し違いがあるくらいです。

武田氏は、「日本の」という枕詞をつけ、新たな国内雇用を掘り起こすことにも目を向けています。

「介護」や「保育」は、北欧では主に女性の雇用を吸収した産業分野。

菅首相と、観点が似ています。

PS②

日本の国内事情とは別途に、超大国は戦略にのっとって着々と動いています。

東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国に日中韓、インドなどを加えた16カ国による東アジアサ
ミット(EAS)が開催。

10月30日、ハノイで開かれました。

来年から米国とロシアの正式参加が決定。

会議では、初出席した米側からさっそく、南シナ海などで領有権を主張する中国を牽制(けんせい)する発言が続きました。

この日、特別ゲストとしてラブロフ露外相とともに東アジアサミットに初出席したクリントン米国務長官は、

「海洋での自由航行や通商の自由は重要。

紛争は、国際法にのっとって解決すべきだ」

などと指摘。

産経新聞は、次のように解説しています。

「米国が東アジアサミットへの正式参加を決めた背景には、経済力を武器に域内で増すばかりの中国の影響力に米国が危機感を募らせていることがある。

多国間協議の場で同盟・友好国と連携して中国の封じ込めを狙う考えだ。

ブッシュ前政権時代にはASEANとの関係が弱まり、政府レベルの交流も減少。

取って代わるように中国が一気に影響力を高め、

<米中の立場が逆転し、米国の国益を損ねた>(米外交筋)

との反省がある。

このほか、日本の民主党政権発足に伴う日米同盟の不安定化や日本の域内での影響力低下が、米国のアジア関与政策を促進させた側面も否めない。

オバマ政権は発足当初から米国を“太平洋国家”と位置づけ、アジアに積極関与する姿勢を強めてきた。

オバマ大統領が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP=トランス・パシフィック・パートナーシップ)を推進するのも同様の理由だ」

アジア市場拡大の一途で、軍事大国間の覇権争いが激化してきました。

PS③

中国スパコン(中国人民解放軍の管轄下にある国防科学技術大学が開発したスーパーコンピューター「天河1号」)の演算速度が、国内の調査で世界最速と発表したことに、米メディアは「米安保を脅かしかねぬ」などと一斉に反応。

ニューヨーク・タイムズ紙も、

「スパコン世界一をめぐる競争は、未来の繁栄の土台とさえいえる」

と、“中国脅威論”を展開しています。

PS④

私はかつて週刊ポストで、「アタック・トムと呼ばれた男」を短期集中連載をしたことがあります。

ロングインタビューした相手は、松村劭(つとむ)元陸将補。

現役時代には日米ガイドラインの交渉に携わり、退役後は『世界戦争史』など多くの著作を残しました。

国防に心血を注いでいる人でした。

冷戦終結後、

「もうドンパチやる時代じゃないぞ」

「仕事を間違えた」

同僚の人たちが口をそろえるなかで、松村氏は冷静でした。

「やがて、違った覇権争いの構造が生まれる」

それは歴史から導かれる結論というのでした。

「人間は愚かだから戦争をする。歴史を見れば、戦争と戦争の間に束の間の平和があるに過ぎない。

だから軍事を勉強して、平時でも国防を怠ってはいけないのだ」

公私ともに長い付き合いになりました。

渋谷の横丁で、焼き鳥を食べていたときです。

「松村さんが最期を迎える時に、“やっぱり平和が一番だったなあ”と言って亡くなるか賭けましょうか」


その松村さんが、今年1月28日に亡くなりました。

お孫さんも含め家族全員に看取られながらの旅立ち。

私は亡骸(なきがら)に敬礼をして、最期の別れを告げました。

絶対に受けたい授業「国家財政破綻」/鳥巣 清典

¥1,575
Amazon.co.jp

鳥巣清典の時事コラム24『和僑(わきょう)の時代⑤』「日本はブレイク・スルーができない国?」

10月24日にオン・エアされたNHK『日曜討論』の一部を記録します。

<景気“足踏み” どうする日本企業>

と題して、以下の経済界の専門家が語り合っています。

□日本商工会議所会頭・東芝相談役/岡村 正

□経済同友会副代表幹事・ローソン代表取締役社長/新浪 剛史

□米日経済協議会副会長・アフラック日本社会長/チャールズ・レイク

□東京大学教授/伊藤 元重

□三菱総合研究所シニアエコノミスト/武田 洋子

○司会
NHK解説委員■島田 敏男

**********************************

⑳「日本の国家像は、科学技術創造立国」

岡村 まさに今、平成維新を起こさなければならない。
いま一番閉塞感があるのは、日本が目指すべき国家像というのが見えていない。

若者も、国家像が見えないから、どう対応すればいいかが分かっていない。

それは我々の責任だと思う。

日本の国家像というのは、科学技術創造立国。

ここに定めるべきだと思っている。

これが国際競争力をどう持つかということに大きくつながっていく。

政府にお願いしたいのは、研究開発投資が中国、アメリカと比較して少ない。

人材の育成にしても初等教育から大学教育に向けての教育の体系が、国際的な面からみると劣っている。

あるいは起業家の創業をどう支援していくか。

規制、財務の問題がある。

(21)「世界の人材をどう使っていくのか」

司会 アメリカという国は、世界中に人材を輩出して、そしてアメリカ企業が世界企業に育ってきた。

そういう歴史を踏まえて、日本の経済をどう見る?

レイク 人材の育成は、もっとも大事な課題。

同時に米国企業を見ると、世界の人材をどうやって使うのかということを考えている。

68億人のプールから幹部を選ぶのと、日本国民だけの1・3億人から選ぶのでは、そのプールの差が出てくる。

インドで展開するときに、できるだけインドの幹部をそろえるほうが成功するだろう。

そのときに本社でどうトレーニングしていくのか、というのが絶えず議論されている。

そのうえで、本社の社長になる人もいる。

日本にもそういう例がある。

(22)「ТPPへの参加は、重要な日本の戦略判断になる」

レイク 日本では、さまざまな課題は充分に議論され尽くされたとは思う。

それをブレイクスルーするためにも、APECの中で議論されている環太平洋経済連携協定(ТPP)に日本が参加するかどうか。

これは実は、大変重要な戦略判断になる。

●用語解説<ブレイクスルー(Breakthrough )>
進歩、前進、また一般にそれまで障壁となっていた事象の突破を意味する英単語。軍事では、「突破(作戦)」。
「ブレイクスルー思考」は、G.ナドラー氏(米南カリフォルニア大名誉教授)と日比野省三氏(中京大教授)が考案。いかなる問題にもうまく取り組み、効果的な解決策を見出すことができる「アプローチ」法。
目の前にある壁(問題や障害物)そのものに価値を見出し、すべて「順調な試練」として受け止めることにより、その壁を自分の中に吸収しながら成長をはかり、一見閉じられているかのように見える状況を楽々と突破していくような発想法。

●用語解説<ТPP(環太平洋パートナーシップ協定)>
アジア太平洋での自由貿易圏の構築を目指す協定。

(23)「第一次、第二次産業の視点は欠かせない」

司会 菅首相も、ТPP枠に参加も前向き。

与党民主党にいろんな声は出ている。

伊藤 これは、大事な問題。

世界の流れの中では、重要なタイミングがある。

日本が今年、横浜でAPECの受入国で、来年はアメリカ。

そのアメリカが、ТPPに参加して議論をする。

日本が参加を表明するか、「考えさせてくれ」という発言をされるか。

日本がどういうスタンスでグローバル社会に臨んでいるかを世界が見ている。

司会 経済産業省が言うように、輸出産業は輸出が伸びても、農業が打撃を受けてしまう。

これは無視できない。

武田 こちらは無視できない問題だとは思う。

しかし日本全体としては、一人あたりのGDPを引き上げていく、あるいは維持していくには、ТPPでの話し合いを避けては通れない。

一次産業以外の、第二次、第三次産業の分野が約98%ある。

ここを引き上げていくという視点は欠かせない。

(24)ТТPに参加しなければ完全に出遅れる」

武田 日本は、国際競争力が27位。

さらに詳細なデーターがあって、「国際貿易」という内訳の項目では、日本は54位。

いかに国際競争という点で、日本企業がアンフェアな環境にあるか。

法人税も高いし、EPA、FТAということころでも後れを取っている。

これでは、戦えない。

このへんをぜひ改善していって欲しい。、

司会 FТAというのは、貿易を主とした、関税障壁などの撤廃による自由化。

通常は2国間が多いが、ТPPの場合は環太平洋全体でやろうということ。

EPAのウルトラ拡大版といえる。

新浪 基本的には、ТPPにしても入っていく。

そして国内の問題を解決していく。

私どもも農産物をやらしていただいているが、大変に質が高い。

アジアの諸国を回ると、とくに中国を中心に、日本の農産物の安心・安全への評価が高い。安いものを

作るのではなく、本当にいいものを作る。

というところに、どう技術を発揮し、また企業が参入していくか。

構造改革をしながら農業がむしろ外貨を稼げるくらいの目標を立ててそのロードマップを作っていく。

緩和剤として戸別保障とかいろんなことを国がやりながら参加していく。

いま参加しなければ、完全に出遅れる。

ТPPは、EPAやFТAよりもっと厳しいものである。

官邸主導で、これは参加する。

しかし農業はちゃんと守っていきます、やりましょう!という発言がぜひ出てくることが望まれる。

(25)「日本に覚悟が本当にはないのでは」

レイク ワシントンで日米関係を強化するために、いろんな提案をさせてもらった。

ТPPには、日本の参加については賛否両論ある。

20年前の「黒船(金融ビッグバン)がやって来る」(のレベル)ではない。

太平洋地域の高度な自由貿易圏をつくるうえで、相当覚悟して交渉に臨まないと成功しない。

その覚悟が日本には本当はないんじゃないかと。

ないのに参加していただくと、逆に交渉が前に進まないのではないか、という声がある。

日本に圧力がかかって「参加せよ」という要望が各国から来ているというよりは、日本が独自に戦略判断をするかどうかを見ている。

それしなかった時のインパクトは本当に大きいと思う。

(26)「日本の農業をどうするのか国民的議論に」

司会 自由貿易に関しては昔から、日本農業をどうするのか。

自給率の議論とセットで行われる。

新浪さんは、もっとレベルの高い農業の再生だと。

岡村 全く同感。

日本の農業をどうするか、という議論を国民の間で起こさなければいけない。

一つは、日本の経営体質をこれからどう変えていくのか。

農商工連携といわれている。

農業の生産と流通、製造とをしっかりとした連携を取らなくてはいけない。

その中に中小企業が活躍できる余地が充分にある。

生産者と販売者の側がしっかり協力することで消費者のマーケティングができる。

工業側が、新しい製品を作り出していく。

そういうことをやれば10年以内には、関税ゼロの世界に近づけると思っている。

**********************************

「ТPPに参加する覚悟が、日本には本当はないんじゃないか」

米日経済協議会副会長・アフラック日本社会長のチャールズ・レイク氏は、言い当てていたかもしれません。

(1)「日本の農業の活性化と国を開いていくことの両立は可能」

菅首相は強気でした。

だが与党内(主に小沢一郎支持派)の反発が噴出。

案の定、迷走が始まりました。

(2)「まずТPPありきではない」

旗振り役だった大畠章宏・経済産業省相が、一転トーン・ダウン。

(3)「将来の食料安全保障や食の安全についても考慮すべき。(同時にアメリカは)牛肉、郵便事業、保険・金融、薬品などにも言及してくるのではないか」

鹿野道彦・農水相は、アメリカの農業分野以外の狙いをけん制。

(4)農林水産省は、TPPに日本が参加し、農産物関税を全面的に撤廃した場合、

「国内の農業生産額が年間約4兆1000億円減少する」

との試算をまとめ民主党に提示。

(5)「ベクトルの向きが違うなら早急に調整しなければならない」

仙石由人・官房長官は、渋い表情。

(6)いっぽう玄葉光一郎・国家戦略担当相は

「一歩前へ出ないといけない。農業強化策は必要になる」

農業支援と引き換えに反対派の理解を求める。

(7)アクセルを踏み込むのは、“中国の天敵”こと前原誠司・外相。

「政治的な先送りは許されない」

11月上旬に横浜市で開くТPP参加9か国の事務レベル会議に担当者を派遣することを明言しました。


民主党の迷走ぶりは、

「普天間基地(最低、県外移設→事実上、断念)」

「消費税増税(あと2、3年でギリシャのようになる→数年後に先送り)」

「中国人船長逮捕(粛々と国内法で処置→中国の圧力の高まりで釈放)」

などで実証済み。

(難題を先送りするのは自民党も同じようなものでした)

こうも日本政府が「問題先送り病」に陥っていると、人間行動学に原因を求めたくもなります。

『ブレイクスルーするための10プラス1の発想法』

というのを見ると、

「人生のブラックボックスを活用する」

という項目がありました。

“人生のブラックボックス”とは、何でしょう?

「どのように解釈しても、嫌な気分になったり、暗い気分になってしまうような問題(=これが、人生のブラックボックスなんですね)は、あえて考えないで意図的に放置しておく」

見事な処方箋ではないでしょうか。

つまり、

「プラス思考」

と、

「問題先送り」

とは、表裏の関係なんですね。

たしかに、人にはそういうところがあります。

政府も所詮は人が動かしています。

妙に納得してしまいました。

要は、誰もが避けたい問題を、先送りしていて、いつまで大丈夫なのか?

日本はこのままでは、いつタイタニック号になるのか?

その判断に尽きると思います。

「絶対受けたい授業『国家財政破綻』」を続けている目的も、そこにあります。

さまざまな観点から検証していかなければならない作業になっています。

絶対に受けたい授業「国家財政破綻」/鳥巣 清典

¥1,575
Amazon.co.jp