天から降った災難ー卵巣癌になって -2ページ目

天から降った災難ー卵巣癌になって

2009年1月、腫れた卵巣を切ったらガンが見つかった。Ⅰaが術中の破綻でⅠc期になり、抗ガン剤治療を余儀なくされました。
2010年4月には、まさかの乳ガン告知。
二年連続で抱えた病気に悲鳴を上げながら、何とか暮らす日々。

ふうちん母、容態が改善してきました!同時に、転院した病院の医師の「見立て違い」だったことがわかりました。入院して5日目に急激に血小板や白血球が減って極度の貧血状態に陥ったため、動脈瘤の悪化が予想され、先週余命宣告されました。しかし、以前かかっていた動脈瘤の専門病院でセカンドオピニオンをしてもらったところ、悪化の様子はない、貧血はそれ以外の治療が原因、と診断されました。抗生物質をやめたら、貧血の状態がよくなってきました。夕べ病院から「間違えて余命宣告しちゃった、ごめんね、ミャハッ(*^.^*)」みたいな電話来ました………。ダイジョブなの?この病院…。でも、前のトコに比べたらずっとやる気あるし、親切だし…。やり過ぎちゃったみたいだけど…。高齢者の入るところって、こんなもんなんでしょうか??ぼけぼけの母は、この1週間の私の気持ちなんて知るよしもありません。でも、怒りは全然なく、嬉しい気持ちでいっぱいです。何にしろ、高齢者なので、一日一日を大切に接していきたいと思います。ご心配くださった方々、お騒がせしました。m(_ _ )m


ふうちん母、とうとう余命1週間~2ヶ月と言われてしまいました。転院して治療を始めたばかりなのですが、元々大きかった大動脈瘤が体力の低下と共に大きくなってしまいました。予測に幅があるのは、これがいつ破裂するかわからないからだそうです。どんなにがんばっても、ダメなものはダメなんだなぁ、と医師の説明を聞きながらぼんやり思いました。様子は今までと変わらず、呼ぶと「はい。」と答え、少し嬉しそうな顔をしてまた眠ってしまいます。泣けませんでした。今までずっとずっと泣いていたから、もう枯れてしまったのかも、と思いました。四年半前認知症の認定を受け、去年5月に特養に入るまで、泣きながら二人三脚してました。三年前は自身も闘病中で、抗ガン剤の副作用で洗面器抱えながら飛び跳ねる母親を追っかけ回してました。日中はそこら辺に糞尿を振りまかれ、夜中には暴れられたり殴られたりしてました。かつてはしっかり者だった母が全く別の人格になってしまって、とまどいました。あんまりひどくて、その頃は衝動的に首を絞めてしまうかも…と自分が恐ろしかった。特養に入所させて距離を置き、犬を飼うようになって、私はもう一度愛を取り戻しました。7月に入院してからは殆ど毎日通い、帰りは泣きながら歩きました。病院は前より遠くなったけれど、大好きな母が一日でも長く生きられるようせっせと通おうと思います。


4ヶ月ぶりの検診でした。乳ガンは3ヶ月ごと。4ヶ月になるとやはり随分間遠だな、という感じがします。3回来れば1年は終わりです。早くも今年最後の検診でした。

CEA 1.9

CA125 6

内診異常なし。あっさり終わりました。

次回は来年1月、CTつき。主治医も「そんな先までイメージできない。」なんて言ってました。

あ~、そんな先まで母ちゃん生きてないかも…。3年8ヶ月前までは、ボケてても一応は心配してくれたんだけど。最近はなにかにつけてこれを思ってしまう。心ここにあらずだったけど、無事終わった検診でした。