天から降った災難ー卵巣癌になって -3ページ目

天から降った災難ー卵巣癌になって

2009年1月、腫れた卵巣を切ったらガンが見つかった。Ⅰaが術中の破綻でⅠc期になり、抗ガン剤治療を余儀なくされました。
2010年4月には、まさかの乳ガン告知。
二年連続で抱えた病気に悲鳴を上げながら、何とか暮らす日々。

ここのところ、あまりいいニュースがありません。

ユーツで忙しいので、旅行の記事もアップしないままです。


1 乳ガン検診の続き、腹部エコー&血液検査の結果。

  異常なしだが、問題点がいくつも…。まず、3年前にCT撮ったときに見つかった、肝臓の良性のしこりと、腎臓のなんだかわからない腫瘍が相変わらずある。しかし、全く大きさは変わらずなので、そのまま経過観察。また、甲状腺が腫れていたため、甲状腺機能検査も行っていたが、機能亢進がかなり進んでいる。実はこれ二十代の頃肥大して手術しています。故に、再発、ということになります。「手術した病院へまたかかりなさいよ、飲み薬が決まったらついでにウチで出してあげるから。」と主治医。え~、自覚症状もないし、これ以上医者行くのは負担だしな~、とあまり生命に関わらないことなので、ぐずぐず言ったら、「じゃあ、次の検診の時、また数値が上がっていたら、病院に行く。」ということになりました。「これって、ストレスとか、精神的なことも数値に影響しますよ。」と言われました。そう、精神的なこともここのところひどい。

2 母親のこと 

  結局、末期認知症で医療を必要とするため、特養を退所になりました。大動脈瘤があるので胃ろうは断られ、中心栄養法を希望したのですが、「その点滴は高価なので、高齢者にやると病院が損するからヤダ。」と言われました。なんなんだよ~!今はやってくれる病院の空き待ち状態です。とっても心細いです。



7月2日 放射線科へ行きました。異常なしで、これが最後の検診となりました。結構嬉しかった。

8月4日 乳ガン2年3ヶ月検診でした。こちらも異常なし。しかし、20代で病んだ甲状腺かまたはれている、と言われてしまいました。ガンではないので、機能亢進がないかどうか、血液検査に1項目加えました。ああ、随分昔、バゼドー氏病で手術したなあ、と久々思い出しました。乳ガンの方が特に問題ないので、結果は9月の初めに聞きます。ユーツ。考えたら、病気したことない年代なんてあんまりなかったじゃん、と落ち込みました。それでも明後日からルーマニア・ブルガリアへ出かけるおめでたい私。今回は文鳥も預けます。母親、(これはかなり気になる。本当は張り付いて食べ物つっこんだ方がいいと思う。)・犬(これは大丈夫!)・文鳥(初めて預けるのでちょっと心配)と、まったくしんどい旅立ちです。そういえば去年も行く前の日に知人のS子さんが亡くなって、あんまり盛り上がらなかったなあ。どうして毎年こうなんでしょうか?(グチ)


というわけで、明日の晩からコメ&ペタをお休みします。


今回3ヶ月前に旅行を計画した時、それがヨーロッーパであったため、かなり母親を心配しました。認知症がかなり進んでいたからです。7月に入って体調がよくなってきたために安心していました。が、まさかの急性肺炎。ちょうど、どうしても抜けられず、携帯もl1時間半きらなくてはならない仕事に入ったところでした。切ろうとした瞬間、特養からの緊急電話が入っていることに気づきました。泣きながら切りました。どうしても出られなかったから。のち、連絡をして病院に駆けつけました。肺炎はごく軽いもので、すぐに回復したけれど、嚥下障害が残ってしまいました。病院は全く食事を与えずに、1週間後に鼻経管栄養をしろと言ってきました。これをしたら、せっかく入った特養を追い出されて途方に暮れてしまいます。自分としてはかなり勇気を奮って抗議した結果、1週間嚥下機能リハビリと食事を出してもらえることになりました。私はもしダメだったら遠くの施設なんかにやらないで、もう一度母親と暮らそうと考えています。もし、鼻経管栄養になってしまったら、クマと母ちゃんと二人と一匹で暮らす覚悟です。抗議した手前、毎日病院へ通って1時間以上かけてゼリーなどを食べさせています。ゆっくりしたペースですが、ちゃんと食べます。このままやりたいけど、明後日からの旅行は行くつもりです。兄に頼むのですが、ブーブー文句ばかり。兄嫁のお母さんという人がちゃらっと昼間花持ってきたらしいです。そんなことより、私が居ない間兄嫁に食べさせてほしい!これって無理な注文なの?それでも大金を捨てたくなくて、旅行キャンセルしない自分が悪いのかななぁ…。悶々