私の耳は底ぢから -31ページ目
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クレイジー・ダイヤは乱れない

篠田節子『斎藤家の核弾頭』読了。



篠田 節子

斎藤家の核弾頭


お勧め度:★★★☆☆

作者お得意の、男性のサガを女性の視点から戯画的に描く、というタイプの小説。

話の筋は、高度に管理化され、家長制が台頭している近未来の日本で、転居命令を拒否した元エリートの斎藤総一郎が日本政府に宣戦布告する、というシンプルなもの。


なんだか、大人の男が無責任に「たたかいごっこ」を楽しんでいるような描写がいくつもある。例えば、総一郎と同志が集まって談合して、「女子供は引っ込んでなさい」と家族に命じるシーン。総一郎が忙しいどさくさにまぎれて愛人とヤッて元気モリモリになるシーン。そして、こうした男性が身勝手な意地で国とケンカをおっぱじめるのである。


うまい書き方だなあ、と思いながら、男性である自分としては不快な場面も多々ある。

不快といえば、この小説で私が一番むかつくのが総一郎の長男、敬である。この作品は、もうすぐ10歳になる敬の日記と地の文が交互に出てくる、という形式をとっており、当然、この少年が成長していくさまが描写されるのだろうな、と予想する。しかし、彼は成長なんかしやしないのだ。 総一郎は次期家長として、敬を事あるごとに立てるのだが、肝心の彼は留守番すら満足に出来ないヘタレでしかないのだ。まだまだ子供だ。私によく似ている。しかし、自分が家長だという自負はあるようで、家族の前ではえばっている。こんなバカ息子を家長とあがめなければいけない母親の気持は幾ばくか。


国家との戦争という極限状態の中で、生々流転と変化していく家族の様式を描いた作品。



清水義範『漱石先生大いに悩む』読了。


清水 義範

漱石先生大いに悩む


お勧め度:★★★☆☆

清水義範の長編は、ラストに明快な解答を持ってきて小さくまとめることが多いので、安心して楽しめる。

とある理由で夏目漱石の書簡を手に入れた作家が、『吾輩は猫である』誕生の秘密に迫っていくという内容。


『猫』が生まれたのは日本が日露戦争に勝ってルンルン気分の時代であって、漱石も『猫』がバカ売れしてルンルン気分であった、という様子が巧みに描かれている。


話の合間に挿入されるうんちくがためになる。漱石が『トリストラム・シャンディー』(死ぬほど長くてシュールな小説)について言及していたなんて初めて知った。調べてみたら確かにあった。うーん、面白いなあ。

サローヤン『パパ・ユーア クレイジー』

ウィリアム サローヤン 伊丹 十三・訳
パパ・ユーアクレイジー

お勧め度:★★★★★


アホの極致である。
作家業を営む父が、10歳の誕生日を迎えた「僕」、少年ピートに小説を書くように言い、「僕」は父との共同生活を通して、小説の書き方、世界の理解の仕方、などを学び、成長していく。


「僕の父と僕は、僕の母と僕の妹にさよならをいった。」 これをアホと呼ばずして、何をアホと呼ぶのか。

この中学生の直訳的な素晴らしい文章は、訳者の故・伊丹十三氏の苦労に負うところが大きい。


訳者によると、西欧人の、文章の主語を省略しない会話形式を崩さないように訳出した結果、こんな感じになったということだ。そして、その試みは成功している。


珍妙な作家の父と少年ピートの送る、アホアホでブリリアントな日々をつづった一冊。作家を目指す人は、是非読むべき小説である。

椎名誠『ねじのかいてん』

椎名 誠
ねじのかいてん (講談社文庫)

お勧め度:★★★☆☆


椎名誠は自らの創作小説を「日常小説」と「超常小説」の二つに分けているそうだ。

岳物語」をはじめとする現実的な描写の作品を「日常小説」、SF的な描写の作品群を「超常小説」としているらしい。これらの作品をあまり読んだ事がない人は、『机の中の渦巻星雲―超常小説ベスト・セレクション屋根の上の三角テント―日常小説ベスト・セレクション』なんかを読んでみるのがいいかもしれない。


んで、くだらない小説好きの私としては、断然「超常小説」の方が面白いと評価する。先ほど「SF的」と説明したが、厳密にいえばちょっと違う。科学的裏づけ云々というのはあまり見られず、登場人物を異常な状況下に置いたり、不条理な展開をしたりという趣の作品が多く、まあ、「少し不思議」という表現が、最も適切であろうかと思う。


また、これらの超常小説の特徴として、一種独特な固有名詞の使用が挙げられる。「ねじのかいてん」に登場する名詞だけでも、「虻蜂運動」「フタヒロヤツメウナギ」「するべ肉」「神経式ストップ弁」など、列挙しているだけで期待が膨らんでくる。こういった小道具が、椎名誠的世界をより一層魅力的なものにしている要因である。


「ねじのかいてん」は、そういった超常小説群の中でも、水準の高い短編が揃ったおすすめの一冊である。


水域が異常に上がった街の中をボートで放浪する「水域」。


ゴミが異常にあふれ、国が処理しきれなくなったので、サービスでゴミ処理を始めたデパートの顛末を描く「ゴミ」。


ちょっとアレな金八先生が生徒指導に大鉈を振るう「二年C組」。


「おれは背護霊である。名前はまだない。」という冒頭で有名な「背護霊だかんな。


など、名作が多い。
「超常小説」の入門としては、ちょうどよいだろう。


椎名 誠
机の中の渦巻星雲―超常小説ベスト・セレクション

椎名 誠
屋根の上の三角テント―日常小説ベスト・セレクション

蘇部健一『六枚のとんかつ』


蘇部 健一
六枚のとんかつ (講談社文庫)


お勧め度:★★★★★


くだらなあああああああい本が好きなのである。

そういう私にとって、本格推理小説というのは良い清涼剤となる。本格、というと何やら大げさだが、要するに「トリックを重視した推理小説」ぐらいの意味で、厳密に分類されているわけではない。……違ってたら申し訳ない。

さて、この「トリック」という奴がくせものなんである。
有名な小説でも、実際に読んでみるとしょぼいトリックだったりする。例えば、ポーの「モルグ街の殺人」は「世界初の密室殺人を扱った小説」
としてよく知られているが、違うのである。お話の途中で、実は厳密には密室でない事が判明するのだ。私は中学の自分にこの短編を読み、予想していた内容と違っていたので鼻白んだ。まあでもこれはこれで面白いような気もするし、どうにも微妙な空気なのである。

また、クリスチアナ・ブランドの「ジェレミー・クリケット事件」もがっかりの出来だった。これを読んだのは比較的最近の話だが。アパートの室内にいる男から、警察に電話がかかってくる。そして、「長い腕が」「どこへともなく消えていく」などと謎の言葉を残して死んでしまう。「長い腕」とは、妖怪「足長手長 」のようなヤツが出てくるのかっ!?と私は期待に胸を膨らませたのだが、ラストの謎解きを読んで、
おいおい、そういうことじゃあねえだろう
といって文庫本を壁に投げつけてしまった。期待していた分だけがっかり度も大きいということだ。……まだ読んでない人がいたら、ごめんね。


逆に、大して期待せずに読んだら非常に面白かったケースもある。アガサ・クリスティの『アクロイド殺人事件』は、推理小説の古典として評価が高い。だが、この作品のどこがすごいのか、読む前は全く知らなかった。で、知らずに読んだらなるほど、そういう事だったのかと合点がいった。

そういう、見世物小屋的なうさん臭さが本格推理にはある。
んで、問題は『六枚のとんかつ』である。この小説は期待とかがっかりとか、そういうレベルの話ではなくて、ただただくだらないのだ。まず、第1章の「音の気がかり」からしてすごい。私は沢山の推理小説を読んできた、というわけではないが、問題部分を読んだ瞬間に答えが分かる、という小説を読んだのは初めてだ。
その問題に対して真剣に悩み、大真面目に謎解きをする登場人物はもっとすごい。


この本に収められている短編は、保険会社に勤める主人公が、仕事がらみの事件に巻き込まれて推理作家の古藤に相談し、時には暴走しながら真相に迫っていく、という体裁をとっている。そう、この小説はくだらない癖して、きちんと本格推理のセオリーにのっとって描かれているのだ。くだらなあああああああいトリックを大真面目に推理するという点が、この作品を面白くしている。最初からアホと分かっている分だけ、がっかりトリックより楽しめるというものだ。

本格推理に貴賎なし。
こういう金脈が埋まっているから読書はやめられない。



エドガー・アラン・ポー, 金原 瑞人, Edgar Allan Poe
モルグ街の殺人事件


深町 真理子, クリスチアナ・ブランド
招かれざる客たちのビュッフェ
クリスティ, 中村 能三
アクロイド殺人事件 (新潮文庫)

明るい脳みそうだん

今日、7月26日は、中島らもの命日です。

1分間の黙祷を願います。
このブログのタイトルの片っ方は、氏のエッセー集のもじりなんですね。
今夜はすべてのバーで、ミルクで乾杯としゃれ込みましょう。


Bのスキンを制作中。

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